5-4:Be Entertainedー暖かなもてなしー

「よし!わかった。俺はカティーアが決めたことなら文句は言わねえ」


 大きな声が突然聞こえて、ジュジの身体が少し跳ねる。

 ジェミトは、バンと強く机の上を叩くと、ニカッと笑った。予想していたよりも晴れやかな奴の表情に驚いていると、シャンテも目を皿のようにしてジェミトを見ている。


「だ、大丈夫かよ……」


「俺はもう番犬クーストースじゃない。だから村の掟は絶対じゃねーよなってさ」


 ジェミトは、不安そうな顔をしたシャンテの頭をわしわしと乱暴に撫でた。ついでにきょとんとしているフィルの頭も撫でる。


「炎狼様の仇討ちをした方が、親父もきっと喜ぶだろ」


 驚いて飛び退いたフィルに「わはは」と笑ったジェミトは、ゴブレットに残っている葡萄酒を一気に飲み干した。


「あんたが反対しないだけで気が楽だ。それに、まず話を聞くだけで手を貸すことを決めたわけじゃない」


 注意深く言葉を選びながら俺は、そう補足する。

 なんにしても、一番の気がかりがなくなったことにホッと胸をなで下ろす。

 ジェミトがいなくとも、俺の行動におそらく大きな不利益はない……はずだ。それなのに、奴に固執するというのは自分でも信じられない。

 ただ、俺は今共にいる仲間と不本意に離れることや、仲違いすることを嫌だと思っているらしい。 

 そういった仲間を作ることを……イガーサを殺してから頑なに避けていたはずだったのにな。 

 感傷的になりながら、俺は残りの問題をなんとかしようと隣にいるジュジへ目を向けた。


「私は……カティーアがすることに反対はしないです。でも」


 ジュジは俺の視線を感じたのか、顔を上げてそう言うと、薄く整った下唇を軽く噛む。

 俺のことを見上げる深い緑色をした瞳は、薄っすらと浮かんだ涙できらきらと光っている。彼女の瞳に映る俺は心なしか不安そうな顔をしているようだ。

 固唾を呑んで、彼女の唇から発せられる声に耳を澄ませる。


「次からはちゃんと私に伝えてから……危険な場所に行ってください。じゃなきゃ、なにかあったときに助けられない……」


 危険な場所って……と笑って慰めようとして、俺の服の裾を掴んでいる彼女の手が小さく震えていることに気付く。

 どんな罠があったとしても、誰がいたとしても、俺はジュジの元へ戻ってくる。そう考えていたが、彼女は俺が知らないところで傷つけられることが怖いのか。

 お前の元へ帰るためになら、少しくらい傷つくなんてことなんとも思わない……そう思っていたが、心配をかけるものなのだなと思い直す。


「わかった、ちゃんと伝える」


 ジュジの額に自分の額を軽く当てる。感情的になっているせいか、少し熱を帯びた彼女の体温が心地よい。

 そのまま目を合わせると、ジュジはじっと俺のことを見つめる。瞳の中に映る俺は自分でも信じられないくらい穏やかな顔をしていて自分じゃないみたいだった。


「約束ですよ」


「わかってるって」


 お前には敵わないよ……。根負けをするように、頬を膨らませたジュジの言葉に笑って頷く。


「あの不死の旦那が尻に敷かれるとはねぇ。愉快愉快……ひひひ」


 背後に何の気配もなく現れたプーカは、からかうようにそう言うと身体を左右に揺らして笑った。

 見てみると、プーカは腕に何枚ものキルトのシーツをかけている。


「では、お客人のみなさんはこちらの扉よりお部屋にはいってくだせえ……。あとは……混ざりもんのお嬢さんジュジさんと不死の旦那はこちらへ」


 プーカがパチンと短い指を器用に鳴らすと、背後の壁に突然三つの扉が現れた。


「すげえ……」


 空腹も満たされて眠かったのも手伝ってか、驚きつつも横並びになっている各部屋に俺とジュジ以外の三人は入っていく。


 部屋の数を増やすなんて、妖精たちにとっては簡単なことだとわかっている。

 それでも、それらしいものは何もなかった塔の中にこうして客間を増やしたのを目の当たりにすると不思議な気持ちになるものだ。

 俺たちヒト族が使う魔法は、万能ではない。妖精の力を借りて魔素を操ることで奇跡を起こす。

 しかし、妖精の国あちら側から来た妖精たちは魔素を思いのままに操り、ヒトでは不可能な奇跡も起こしてみせる。

 きっとその気になりさえすれば死者を生き返らせ、時の因果すらも操作することが出来るのだろう。

 妖精というものは死という概念も、時の経過の概念も俺たちとはちがう。そのため、妖精たちが死者を蘇生させることや、ヒトが過去をやり直すことを手伝うなんてことはめったに無いのだが……。


「お二人は階段の上へどうぞ」


 ピョンピョンと両足を揃えて跳びながらプーカは階段を上っていく。

 そのまま後を追うと、広間の上の階へ案内された。

 吹き抜けになっている塔の天井からは月の光が降り注いでいてとても明るい。

 大きな漆塗りの扉が見える。扉の前へ行くと、プーカが扉を両手で開いた。


「こちらございやす」


 プーカはそういいながら、腰を折り曲げて頭を下げる。


「わあ」


 案内されるがまま、開かれた扉の奥へ一歩踏み込んだジュジは歓喜のため息を漏らした。

 彼女の喜びように驚きつつ、俺も続いて部屋へ入る。


「懐かしいな」


 高い天井には橙の光を放つ球状の妖精イグニス・ファトゥスがゆっくりと浮遊しており、真っ白な漆喰の壁で囲まれた室内を照らしている。

 広い部屋の中央には、白く巨大な狐の毛皮がかけられた長椅子と、白樺を切り出して作った長机が置かれている。そして部屋の奥には、二人で寝転んでも十分な広さの寝具が見える。

 寝具の上には清潔なリネンのシーツが敷いてあり、俺たちの後から部屋に入ったプーカが、キルトのシーツを置いた。


「不死の旦那が出て行った時のままにしようと思っていたんですが、寝具だけ新調いたしやした」


 透かし彫りが綺麗な木の衝立の奥からは、湯気が立ち上っていて薔薇の香りが漂ってくる。

 戻ってきたプーカは「まさか、あの旦那が番を伴ってご帰宅なさるとは」と付け加えると再び「ひひひ」と笑ってみせるのだった。


「お湯浴びして大丈夫ですか?」


「入っておいで。俺はちょっと野暮用を終わらせてから入るから」


 ジュジはいそいそと衝立の奥へと入っていくと、シュルシュルと衣擦れの音がすぐに聞こえてきた。

 船の中では体を拭くだけだったので、久々に湯浴びは嬉しいのだろう。


「野暮用ですかい?」


 俺のしたいことに心当たりがあるのか、野暮用と聞いたプーカの目が妖精らしくギラリと光る。

 ただ休息をするのなら街にある宿でもよかった。しかし、ここへ来たのは特別な理由があった。


妖精の通り道アンブラクルムの門番を喚んでくれ」


「へぇ……。声をかけておきやす。このお部屋にお喚びしても?」


 目を細めて口の端を持ち上げたプーカに俺は頷く。


「頼む」


 頼みを引き受けたプーカは、片足を引いてお辞儀をすると、ピョンピョンと跳ねながら部屋を出ていった。


 妖精の通り道アンブラクルム、それは俺が転移魔法と便宜的に呼んで使っているものだった。

 ヒトや耳長族が通常使う転移魔法は魔力の消費が多い上に時間がかかる。しかし妖精の通り道アンブラクルムを使えば魔力の消費も少なく、一瞬で好きな場所へ行くことが出来るのだ。

 それを肉の殻を持つ者……つまり妖精や精霊など以外が使うには、少々面倒な契約が必要なのだが。


「すごいです。湯涌の前に香油が並んでいる棚もあって……それに、この布もすごく柔らかくて水をいくらでも吸ってくれるし……」


 プーカの足音が遠ざかるのを聞きながら、長椅子に腰を下ろす。

 衝立の奥から、ゆったりとした若葉色のナイトドレスに身を包んだジュジがはしゃいだ様子でこちらに近寄ってきた。

 一緒に湯浴びをし損ねたな。少し残念に思いながら俺は両手を広げて彼女を呼ぶ。


「髪を結ってやるから、ここへお座り」


 人目を憚らずに魔法を使えるのは便利だな。久しぶりの自由に気を良くしながらジュジを足の間に座らせると、威力を調整して熱風の魔法を彼女の髪に当てた。

 爽やかな香草の匂いがしていた彼女の髪は一瞬で乾き、新月の夜空から紡ぎ出したような漆黒の髪がサラサラと音を立てて彼女の背中に当たる。

 細くて手触りの良い髪に手を通して梳いてやると、心地よさそうな顔をして仔犬のように無防備な表情を浮かべているのが後ろからでも見える。


「ふふ……こうして撫でられるのすごく好きです」


 寝るときに邪魔にならないよう、首の付け根あたりで髪をまとめる。真っ黒な髪の束を鮮やかな黄色で染めた絹のリボンで髪を括った。


「さあ、俺の宝物ジュジ。隣においで」


 髪の手入れが終わったぞという合図のつもりで彼女の両肩を軽く叩き、長椅子の隣を手で示すとジュジはにこにこしながら俺の隣に腰を下ろす。

 いつもなら彼女の「自分から踏み込もうとしない」という癖に甘えて何も話さないところだが……。


ここに来た理由、話さなかったよな。転移魔法で一気にイガーサの故郷アルワーディンへ行くためなんだが……」


「そういえば、カティーアの転移魔法は三人以上だと使えないと言っていましたね」


 ジュジは首を傾げながら人差し指を自分の唇に当てた。


「俺は転移に妖精の通り道アンブラクルムを使ってるからな」


 少し間を置いてジュジが「ああ」と小さな声を漏らす。こういうときにセルセラの記憶を持っているというのは助かる。


セルセラの記憶には人間は好きに通れないから不便だという感覚しかないので、細かいことはわからないのですが……」


「あいつはそういう細かいことには興味を持たなかったからな」


 セルセラを含む肉の殻を持たない妖精たちは、自由に妖精の通り道アンブラクルムを利用して好きな場所へ移動することが出来る。

 しかし、ジュジに記憶を渡した生まれながらの妖精であるセルセラはそういうことを深く考える性質タチではない。


「肉の殻を持つ俺たちが妖精の通り道アンブラクルムを使うには契約を交わさないといけない。ヤボ用があって常若の国ティル・ナ・ノーグまで出向いた時に、この塔と妖精の通り道アンブラクルムを使い権利を手に入れたってわけだ」


 面倒だった記憶が蘇り、思わず眉間に皺が寄る。

 時間の感覚も狂う上に、こちらの世界の規範が通じない妖精の世界あちら側では良いこともそれなりに多かったが、大変だったことの方がよほど多い。


「その時は確か……あちら側ではセルセラとは別行動だったんですよね……?どんな契約をしたんですか?」


 ジュジが俺の肩に頭を軽く乗せる。

 そんな彼女の頭を撫でてやり、俺は話を続けることにした。


「俺の両腕と目玉をやる代わりに、俺とアルカ、手持ちの荷物くらいは通れる道を使わせろってな」


 目玉を指さしながら言うと、ジュジの眉間に皺が寄る。過去のこととはいえ、俺が自分の体を粗末にすることに嫌悪感を示すところが愛おしい。


「まぁ……俺が不死だとわかったら門番が怒ってさ、行ったことがある場所の近くだけって制約をつけられちまったが……」


 二度と戻らないもの、取り返しのつかないものを妖精達かれらは好む。しかし、交わした契約は絶対だ。

 怒り狂った門番が、めちゃくちゃに暴れ回ったのを思い出して、肩を竦めると、ジュジが口元に手を当てて何やら考えている。

 

封じられた炎の村ケトムショーラへ行ったときは……」


 俺は、可愛らしく首を傾げているジュジの肩に手を回し、顔を近づける。

 好奇心を抑えきれない子猫のような瞳をしたジュジの瞳孔が、キュッとわずかに小さくなった。


「あのときは、呪文を詠唱しただろ?魔力を多めに払うことで、知っている場所の近くなら融通が効きはするんだが……」


 小さくて丸みを帯びた耳にふっと息を吹きかけるようにして、最後の一言を囁く。


「「最初に交わした契約は簡単には変えられない変えられぬ」」


 俺の言葉に合わせるように、どこからか低いしわがれた声が響いてきた。

 見知らぬ声が聞こえたからか、ジュジは体をビクンと跳ねさせて声のする方に顔を向ける。

 やれやれ……いいところを邪魔された……と思いながら俺もジュジの視線を追うようにして、扉の方へ目を向けた。

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