5-6:For Departureー腹ごしらえと旅支度ー

 天井の吹き抜けから差し込む光で目を覚ます。

 昨日のことを改めて考えながら、俺は寝具の中で寝返りを打って、まだ眠っている彼女の頬をそっと撫でる。

 ジュジが知らないはずの言葉を話し出すのも今回が初めてではない。

 ここは妖精の世界あちら側と近いので、なにかしらの影響を受けたのだろう。

 新しい魔除けや護符を買い足すべきか?と考えていると、もぞもぞとジュジが動き出した。

 前髪をそっとかきわけて額に唇を落としてやると、うっすらと目を開けた。深緑色をした瞳が俺を捉える。


「……おはようございます」


「昨日、寝る前のこと覚えてるか?」


「ん、いえ。私、何か言ってました?」


 どうやら記憶はないらしい。どことなく虚ろだったあの時のジュジを思い出して思案する。しかし、それは開かれた扉から漂ってくる甘い香りによって中断された。

 不死で、食べなくても死なない身体といえども、美味しそうな食事の香りにはあらがえない。


 プーカに呼ばれた俺たちは、広間の長机に向かう。

 俺たちより先に起きていたらしいジェミトたちは、既に身支度を終えているようだった。朝食を食べているやつらに目を向けながら俺たちも席に着く。

 ジェミトは、胸元が大きく開けた短い上着を身に纏っている。極彩色だから遠くからでもよく目立ちそうだ。下半身はというと、幅広で真っ白な脚衣を身に付けている。目が粗い素材のようで風通しは良さそうだ。

 準備万端のジェミトとは正反対で、シャンテとフィルはプーカが用意したのであろうゆったりとした麻の寝間着を着たまま食事を取っている。


「ひひ……お二人の蜜月の時をお邪魔をしちゃあ悪いと思いやして」


 少し遅れて席に着いた俺たちの前に、プーカがラベンダーのジャムを入れた暖かい紅茶と柔らかなパン、山羊のミルクと豚肉のシチューが運んできた。

 隣から伸びてきたフィルの手を叩き落として俺はパンを口に頬張る。


「食事が終わったら出発するぞ。偉大なる女戦士が眠る街アルワーディンには昼前には着く」


「は?ここから遠いんじゃなかったのかよ」

「あのでかい鳥に乗りたかったのに!」


 シャンテとフィルが口を揃えて驚いたような、少し不満そうな声を漏らした。

 子供は冒険や無駄なことが好きなのは本当なんだなと思いながらため息を吐くと、ジュジが紅茶の入ったカップを置いて二人をなだめる。

 年齢はさほど変わらないように思っていたが、二人に比べてジュジは落ち着いて見える。まあ……西の大陸は自分の知っている土地だからと言うのもあるだろうが。


「早く到着して用事を済ませたら市場で好きなものを買ってやる。だから大人しくしてろ」


 現金なもので、他の二人がいくらなだめようとしても文句しか言わなかった二人が黙る。

 それから、残りのパンを一気に口に詰め部屋へ戻っていった。


偉大なる女戦士が眠る街アルワーディンで用事が済んだらどうするんだ?」


「あいつらに協力すると言っても魔法院に所属するわけでも、命令を受けるわけでもない。ここに戻ってからカガチの手がかりでも探そう」


「あー……じゃあ、俺から一つ頼みがあるんだが」


 ジェミトはそう言いながら、フィルとシャンテが入っていった部屋へ視線を向ける。


「あいつら二人に文字とか簡単な算術を学べる場所がないか、探して欲しいなと思ってさ」


 一瞬、何を言っているのかわからなくて首をかしげたまま静止する。

 文字を学ぶ?何故?魔法や武術ではなくて……文字を……。


「ずうずうしい頼み事だってのはわかってるんだが……」


 固まった俺を見て勘違いしたのか、ジェミトが頭を下げ、額を長机に押しつけるような格好になる。

 ずうずうしい頼み事というか、単純に何を言っているのかわからなくて俺は戸惑っている。

 無言でいる俺を見て、何か思うことがあったのか、ジュジがそっと耳元に顔を寄せた。


「あの……シャンテとフィルは文字を教わっていないから読めないんです。だから、学ぶ機会が欲しいってジェミトは言ってるんだと思います」


 ジュジから言われた事が信じられずに、俺はジェミトと彼女の顔を交互に見比べる。

 真面目な表情で頷いているジェミトを見るに、どうやらジュジが言っている通りの頼み事らしい。


「な……あいつら文字が読めなかったのか?文字だぞ?妖精たちの文字や、異世界から流れ着いた書物が読めないのは当然だが……その……こういう文字のことか?」


 俺は鶴革の袋コルボルドから取り出したジュジの愛読書をジェミトに見せる。

 ジェミトは、驚いたような顔をしてゆっくりうなずき、その様子を見ていたジュジも真剣な表情で頷いてみせた。


「文字が読めないでどうやって生きてきたんだ?買い物だってろくに出来ないし仕事だって探せないだろう?」


「村は基本的に物々交換で貨幣の取り扱いはオレら領主一族が商隊とやりとりするくらいだからな……」


 信じられなくて、再びジュジとジェミトの顔を見比べる。

 二人とも嘘は言っていないようだった。


「わかった。用事が済んだら二人が学べるような場所を探すようにプーカに伝えておく……。武術や薬学も必要だろう?あとはなんだ……裁縫か?」


 人間というのは不便すぎる。というか俺自身も多分どこかで文字は習ったのだろうがそんなこと遙か昔のこと過ぎて記憶からきれいさっぱり消えてしまっている。

 魔法院で文字を教えていたか?そんな幼い子供ガキとは関わったことがないからわからない。

 額に手を当てて、食事の後片付けをしているプーカを呼びつけた。

 

「若い人間の個体が、文字を学べるところを調べてくれ」


「あの不死の旦那が!雛鳥の世話に心を砕くとは!ひひひ……これを知れば紅い魔女もさぞかしよろこぶでしょうなあ」


「あいつには絶対に教えるな」


 肩を揺すって笑うプーカは、はいはいと返事をして、食器の片付けをするために背を向けた。

 それと入れ違いになるように、バタバタ音がする。

 準備を終わらせたフィルとシャンテが扉から同時に出てきたのだ。


 シャンテが身に纏っている白い麻の上衣は、前に切り込みが入っていて着脱しやすい。熱いのが苦手なため通気性が良いものを選んだらしい。

 若草色の少し裾の短い脚衣は、西の大陸でよくある染め物だ。

 隣にいるフィルは、男装のような格好だった。以前ジュジが譲った服はそわそわすると言って身に付けているのを見たことがない。

 船に乗る前に見繕った、灰色の胴着チュニックと足首まである真っ黒でゆったりとした脚衣を気に入っているらしい。

 脛を覆っている美しい黒革のゲートルは、動きやすいようにとジェミトが買ってやったものだと思う。

 服装だけではなく、すらりとした背格好のせいもあって、何も言わなければ、男だと思われるだろう。


「あのクソでか鳥に乗れねーのは我慢するからさっさと行こうぜ」


 ……それに口も悪い。声は透き通った綺麗なソプラノなのにな……。


 フィルにせかされるようにして俺たちは席を立つ。

 金色の毛皮に美しい斑点が散らばっているお気に入りの外套を身にまとって鶴革の袋コルボルドを手に持った。

 ジュジは切り返しの付いている膝まである上着を羽織り、足には絹のタイツ、そして羽兎の革で出来たブーツといった動きやすい格好だ。貴族のふりをする必要はないので彼女も気が楽そうに見える。


「いってらっしゃいませ」


 扉を開けながら頭を下げるプーカを後にして俺たちは塔の外へ出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る