4-7:Girl with spooky sister‐呪われた姉を持つ少女‐

 頬をなでるように吹く風が冷たくて、今自分が外にいると気がつく。

 ゆさゆさと体が揺れている。目の前は暗くてよく見えない。狭いところに入れられているみたいで衣擦れの音が響いている。

 何が起きたんだっけ……確かファミンと二人になって頭を殴られて……。

 とにかく下手に動かない方がよさそうだ。


 さっき殴られた頭がまだ痛い。そんなに時間は経っていないはずだけど。

 草の匂いが濃いことで、今どこかの森を運ばれていることはわかる。

 おれを運んでいる存在は、おれが起きたことに気が付いた様子もなく、足を止めずに小さな足音を立ててどこかへ進んでいく。


 なんとかおれを包んでいる袋に穴を見つけたので目を凝らしてみると、ボロボロになった柵が目に入った。

 いきなり腐臭が漂ってきて、思いきり息を吸い込んでしまったおれはそのあまりの刺激臭に思わず咳き込んだ。

 でも、おれを運んでいるやつはそんなことにはお構いなしといった感じで、腐臭が漂う廃村の中を進む。


「死にたくないなら黙ってろ」


 地面に乱暴に放り出されて、袋から手を取って出される。

 おれを運んでいたのはファミンだった。まぁ、うすうすは気が付いていたけど。

 他の家に比べてよりいっそう派手に壊されている家の前で立ち止まったファミンは、おれの手を引いてどんどん進んでいく。

 嫌な気配がする。なんだろう……。

 

 ヘドロや腐った肉片が散乱しているゴミ溜めのような開けた場所でファミンは足を止めた。

 よく見ると部屋の壁には石造りの粗末な暖炉があって、そこにブヨブヨとした粘獣スライムのような物体がこびりついている。


「変な真似はするなよ」


 手を引かれて、もう一歩踏み出すとグチャッという粘着質な音と共に、生温い液体が靴に染みてきた。

 吐きそうになるのを耐えながら、おれはファミンが触れようとしている謎のねちゃねちゃした物体に目を凝らす。


「―ひ……」


 悲鳴が出そうになって慌てて口元を手で覆った。

 暖炉の前にある物体は、人だった。おれが今踏んでいるのは、溶け出して部屋中に広がっている彼女の腰から下の部分だ。

 ごう……と強い風の音がして、雲が流れたのか、壊れた屋根から月の光が差し込んできて目の前にもう一人の女性の姿が浮かび上がる。

 

 ファミンと同じ顔をした半透明の女性はしずかに目を閉じている。

 骨も、内臓も見えないけれど、不思議と胸は呼吸のために上下しているみたいだった。

 うっすらと背後の瓦礫が透けて見えるその体は、人間に擬態している粘獣スライムみたいだ。


「姉さん、ただいま」


 半透明のおぞましい生き物の頬を、ファミンがいとおしそうに撫でる。


「こいつはシャンテ。いいやつだ。姉さんを治せるかもしれないから、母さんに内緒で連れてきたんだ」


 病気なんかじゃない。胸がザワザワして吐き気と寒気がこみ上げてくる。これは病気よりも粘獣よりもおぞましいだ。


「汚いドブネズミが二匹、わたしの大切な家に忍び込んでいると思ったら……ファミン。なにしてるんだい?」


 威圧的な声が背後から聞こえてきた。おれの背後を見ているファミンの体がこわばる。

 振り返ると、真っ赤なドレスを身にまとった背の高い女性が苛立たし気な顔をして立っていた。

 真っ黒な波打つような髪をしたその女性は、ファミンをもう少し大人にして毒々しくしたような顔をしている。

 ハンケチーフで口元を抑えて立っているその女は高いヒールで遠慮なくファミンの姉さんの体を踏み散らかしてこちらに歩いてくるとファミンの頬を勢いよく平手打ちした。

 

「かあさま……」


「しばらく目を見せないもんだから逃げたのかと思ってたけど……。姉さんの前で男といちゃつくつもりかい?あさましいったらないね」


「そんな……ちがう。あたしは……」


 平手打ちをされて体をふらつかせたファミンが顔をあげる。


「色狂いのクソガキが!あんたなんておまけだったくせに!色目を使うヒマがあるならもっと稼いできな!この前もあんたはせっかくのお客を怒らせちまっただろ?どれだけわたしに恥をかかせるつもりだい?」


 髪を掴まれて怒鳴られているファミンを助けたいけれど、体に力がうまく入らない。

 ただ見ていることしかできずにいるおれの目の前でファミンの顔は、母親の手によって地面に擦り付けられる。


「盗みと殺ししか取り柄がないんだ。さっさと仕事をしてきな」


 手近にあった木の棒でファミンを殴りつけた母親に対して、ファミンはカティーアにしたような反抗的な目つきをするどころか、うわごとみたいに「ごめんなさい」を繰り返している。

 なんとかして逃げないと……。


「さて、ゴミへの躾はおわったところだし……」


 吐き気が薄れてきて、力が奪われるような感覚が消えたと思った時には、ファミンの母親がこちらをニタニタしながら見つめていた。

 やけに長い、先端が二股に分かれた舌で真っ赤な唇を舐めたそいつは、おれの首に手をかける。


「もう一匹のネズミは処分しないとねぇ……」


 逃げなきゃ……そう思って身体をよじる。

 なんとか転がってファミンの母親が伸ばした手から逃れたけど、体はまだうまく動きそうもない。なんなんだ。あのおぞましいファミンが姉と呼んだ存在のせいか?

 逃げたおれを見てニヤニヤと笑うファミンの母親が恐ろしくて、立ち上がれないまま後ずさりをすると、地面にひびが入ていくことに気がついた。


 力を込めて体を再び捩る。

 それをどこからか見ていたかのようなぴったりのタイミングで、地面から勢いよく茨のツルが伸びてファミンの母親が伸ばした手を叩き落した。

 驚いたファミンの母親がさっと後ろに飛びのくと、茨のツルはおれとファミンを二人まとめて球状の網で包み込む。


「くそ!いいところだったのに!」


 ファミンの母親の怒号を後にして、おれたちを包んだジュジの魔法のツルは壊れた家の壁も柵もぶち破り外へと飛び出した。


「姉さんが待ってる」


 おれたちを包んでいるツルを引き剥がして外に出ようとしているファミンを横目で見ながら、動く体力のないおれはただ横たわっている。

 

 なんて声をかければいいかもわからないし、さっき見たアレから受けたらしい影響でなにかを考えるだけの余裕もない。

 指先から血が出ても壁を掻きむしることをやめないファミンを見ていると、地面を擦る音が止まった。

 編み物が解けるように上から開いていくツルの網がすべて消えるまで待ちきれないといった様子で飛び出したファミンの腕をジュジがしっかりとつかむ。

 アレから離れたからか、やっと動けるようになったおれも立ち上がってあたりを見回す。どうやら街の近くの森みたいだった。切り株を椅子代わりにして座っているジェムがおれにむかって手を振っている。


「ファミン……話を聞いて」


「邪魔をするならあんたを殺す」


 自分の腕を掴んでいるジュジを睨んだファミンから風切り音がした。

 それと同時にジュジの左頬にスッと一筋の血が流れる。


「お前……」


 驚いているおれの前には、いつのまにか来ていたカティーアが立っていた。

 カティーアは、ジュジの頬を撫でて血を拭って眉をしかめると彼女を睨んでいるファミンの方を振り向いた。


「育ちの悪いガキらしい啖呵だ。でも話を聞く前に敵意を振りまくと……折角のチャンスもなくなっちまうぜ?」


「……なにがいいたい」


 ジュジを抱き寄せながら、芝居がかったしぐさで肩を竦めるカティーアを見て、ファミンの目つきが鋭さを増す。


「お前の姉ちゃんは病気なんかにかかってない。アレは呪いだ。しかも、一筋縄じゃ行かない妖精を使った代物だ」

 

「おれの力が抜けたのは……」


 妖精を使った呪いでピンときたおれがそこまでいうと、カティーアは大げさな身振りでおれに立てた人差し指を向けながらファミンに背を向けた。


「妖精から造られているお前にはキツイもんだったよな。あのまま気絶してもおかしくないのによく頑張ったよ」 


 おれの頭をポンポンと撫でたカティーアに対して、ファミンはますます苛立ったのかカティーアのマントにつかみかかりながら声を荒げた。


「もういい。ちゃんと待っていればミエド様が姉さんを治してくれる」


「いつか治してくれるやつが戻ってくるなら、なんでわざわざシャンテをさらったんだ?」


 マントを引っ張ってファミンの手からマントを引っぺがしたカティーアは、顔だけを彼女の方へ向けてからかうように笑ってみせた。性格が悪いのはいつものことだけど、カティーアはジュジが見ている場所で目的もなく相手を侮辱する真似はしないはずだ。だから、これはわざと怒らせようとしている?でもなんで?


「うるさい。かえる」


 カティーアの思惑通りなのか、怒ったファミンは唸るように短い言葉を発して、姿勢を低くした。

 さっきまでのファミンとは別人のような気配をまとった彼女は胸元に隠していた担当を取り出して、切っ先をカティーアへ向ける。


「この気配……もしかしてファミン……あなたが商隊を襲ったの?」


「……」

 

 ファミンはジュジの言葉を無視してカティーアを睨みつけている。

 ジェミトが戦斧を肩に担いで前に出ると、ファミンはジェミトとカティーアどちらに対しても切りかかれるように後ずさりをして短刀の切っ先をまっすぐ構える。


「こいつの代わりにこたえてやる。当たりだぞジュジ。気配で人を読めるようになる技術は身に着けておいて損はない」


 明確に殺気を向けられているにも関わらず、カティーアはのんきにジュジのことを褒め始めた。


「邪魔をするなら殺す」


 苛立ちが最高潮に達したのか、ファミンの眼が不思議な光を帯びる。

 緑色と青が揺らめきながら入り混じる瞳が仄かに光りを帯びた。まるで月夜に狩りをする狼みたいなファミンを見ておれは少し不安になる。


「獣の躾には多少の痛みは必要ってか?ジェミト、手加減してやれよ」


「……子供の癇癪にはちゃーんと付き合ってやらねーとな」


 殺されないよな?でも今、この場で間に入っておれになにが出来る?ファミンを止めることも、ジェムとカティーアに勝って彼女を守ることもできそうにない。

 おれは自分の無力さを恨めしく思った。

 刃を交える三人をジュジの隣でただ見ることしか出来ない。


「おっと」


 ファミンの細くて骨ばった青白い腕が闇に浮かぶ。

 大きく振られた手先に握られた短刀は、その長さの数倍先にいるジェムの髪先を掠め、ジェムの数本の毛がはらりと落ちる。


「―チッ」


 何度かジェムの頬や腕を視えないファミンの刃が掠って細い血の筋が健康的に焼けた肌に一筋のあとをつける。そのたびにおれはヒヤヒヤしていたけど、ジェムは次第に伸びる刀身に慣れてきたみたいだった。

 何度か避けているうちに、だんだんと戦斧で彼女の攻撃を受け流し始めた。


「その剣、見えなくても手ごたえはあるんだな」


 ジェムの言葉にファミンはなにも返さないで何度も腕を振り下ろす。

 ファミンはそんなジェムにイライラしているのか、攻撃が徐々に単調なものになってきたように思える。


「ここだ!」


 また伸びる剣を振り下ろすだけだと思っていたのか、急に踏み込んできたファミンに対してジェムはとっさに戦斧を横向きにして構える。

 剣を受けるために構えた戦斧に足をかけたファミンはジェムの頭上を飛び越えて、その後ろにいるカティーアを見て声を上げた。


 空高く跳んだファミンの髪に月の光が透けて汗がきらきらと反射する。青白い肌の幽鬼みたいな顔をした少女は短刀を構えたままカティーアにまっすぐ突っ込んでいく。

 慌てたおれだけど、狙われたのがカティーアなので胸をなでおろす。そして、渾身の奇襲が失敗するであろうファミンのことを気の毒に思った。


「及第点だな」


 伸びる刀身を使わなかったファミンの短刀は、カティーアの肩の食い込んだ。

 

「単調な攻撃で油断させたあとに、後衛の魔法使いを奇襲するってのは上々の作戦だが……」


 しかし、短刀を抜こうとしても動かないうえに、カティーアはまるで平気な顔をしている。


「俺には効かない」


 ファミンは突き刺した短刀と、ニヤリと笑うカティーアを交互に見て大きく舌打ちをした。


「クソ!インチキ魔法使い!」


「伸びていたように見えたのは……これか」


 短刀を手放して逃げようとしたファミンの右腕を乱暴に掴んだカティーアは、彼女の腕から何かを剥がすような仕草をした。


「ぎっ……いっ」


「カティーア!」


 悲鳴をあげながら地面にうずくまるファミンを見て、ジュジとおれが同時に非難めいた声を出す。


「痛みを伴うとは思わなかった。悪い」


 痛みに顔を歪めるファミンを気にする素振りも見せないまま言葉だけで謝ったカティーアは、手元にある半透明の何かを伸ばしたり、月の光に照らしていろいろな角度から眺めている。


「妖精の在り方を歪められ……これは魔物に近いが……ふむ」 


 カティーアの手には握られている琥珀色のぷるぷるとした膜のようなものは、もぞもぞと芋虫みたいに体をねじった。 

 それでもカティーアの手から逃れられないとわかると、身を縮こませて体から鋭い棘を作り出し、カティーアの手の甲を貫いた。

 手を貫かれても動じないカティーアは、棘を出しながらもがいているそれをもうしばらく眺めた後、ジュジに背中をさすられながら真っ青な顔をしているファミンの方へ顔を向けた。


「こいつは返す」


 カティーアが無造作に地面に落としたソレは、腕を押さえているファミンの元に這いずって近寄っていく。

 半透明の琥珀色のソレは、ファミンの腕にくっつくと溶けて吸い込まれるみたいに姿を消した。


「……姉さん」


 ファミンは、おれたちが見ていることも忘れたみたいに、戻ってきた琥珀色のナニカがくっついた腕をさすってそう囁いた。

 その声は、今まで聞いた彼女の声のどんな声よりも優しくて、そして悲しそうな声だった。

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