4-5:Caught a bad girl‐逃走劇‐

 背中の方で、ジュジがなにか言ってるのが聞こえた気がした。

 でも、よく聞こえなかったのでそのまま無視をして前へ進む。


 きっとこの場はめちゃくちゃ騒がしい。なのに何も耳に入ってこない。


「いこう」


 彼女の細くて白い手首を取ってそう声をかける。

 さっきまでただ男を睨みつけているだけだった金髪の女は、驚いたように目を丸くして、立ち上がった。

 自分よりも少しだけ背が高い彼女に見とれていると、さっきの男がおれの肩をグイっと引っ張った。


「クソガキ!てめえなんなんだ」


 剣を抜いていた男が腕を大きく振り上げる。

 咄嗟に長机の上にあった肉切りナイフを手に取って、男の太腿を刺した。

 男の悲鳴が聞こえている隙に、折れてしまいそうなくらい細い彼女の手首をしっかり握って、おれはまた走り出す。

 視界の隅で「やれやれ」と言いたげに立ち上がったジェムとカティーアが見えたので安心しておれはこの場を後にした。

 あの二人がきっとうまいことしてくれる。


「逃げよう。大丈夫だから」


 土地勘もないまま店から飛び出したのは失敗したな……と思いながらも、とにかくさっきの場所から離れるために人をかき分けながら進んでいく。

 大通りを避けて小さな路地をいくつか抜けると大きな建物がある開けた場所に出た。

 そのまま建物の近くに停めてある馬車を駆け上がって、木に隠れている塀の上にまで行っておれはやっと足を止めた。


 あたりを見回してみるけど、誰かがおれたちを追いかけてくる様子も、探している様子もなさそうだ。


「……」


 おれはここでやっと、金髪の女がムスッとした表情をしていることに気が付く。

 さっき木のジョッキが当たったところから流れた血はもう止まっているらしい。乾いた血を腕で拭った彼女の顔は、頬が赤く腫れ、薄くひび割れた唇の端からは血が滲んでいる。

 なんていえばいいんだ?

 ジェムなら気の利いたことを言えると思うけど、考えなしに彼女を助けたおれの頭には何も浮かばない。

 どうしようかとうろたえているのが伝わったのか、彼女は舌打ちをしてそのまま背中を向けようとした。

 そのまま見送ればよかったのかもしれない。でも、痛々しい彼女を見ているのがなんだか嫌で、おれは彼女の細い手首を再び握った。


「待てって。おれ、シャンテっていうんだ」


 名前を名乗っても、彼女はむっとした顔のままだった。

 傷が痛くて不機嫌なのか?そうじゃないとしても、額の傷も頬の赤みも見ているのはつらい。そう思ったおれは小さな声で癒しの歌を口ずさんだ。


「ほら、もう痛くないだろ?」


 緑色の小さな光を手で振り払おうとしていた彼女は、おれの言葉を聞いて動きを止める。

 そして、不思議な顔をしながら、額や頬に手を当てて傷がないことを確かめると首を傾げた。

 感謝の言葉を言われると思っていたら、彼女はいきなりおれの胸ぐらを掴んでグイと引っ張って自分の方へひきよせる。

 顔と顔がくっつきそうなくらいの距離になったので、慌てて足に力を入れてよろけないように踏みとどまった。


「おまえがやったのか」


「う……うん」


 少し掠れた声で話す彼女の迫力に気圧されながらうなずくと、掴まれた胸ぐらから手を離される。

 急に手を離されてバランスを崩して塀から落ちそうになる。

 そんなこともお構いなしといった感じの無表情を貫く金髪の女は、艶のない髪を風に靡かせながら再び口を開いた。


「……あたしはファミン」


 金髪の女―ファミンは、そのままおれの手を取って言葉を続ける。


「客になるか?」


 客?どういうことだ?

 そういわれてみてやっと彼女の服装に目を向ける。

 ところどころ破けたりほつれたりしている色褪せた布は肩も足も露わになる造りをしていた。

 ここでやっと、ファミンの服装が娼婦と呼ばれる人たちが着ていた服に似ていることに気が付く。

 そこそこの規模の街で、ジェムやカティーアたちに言い寄っていた女の人たちはもっときらびやかだったり、派手な服だったけれど……。


「客にならないなら用はない」


「待てって」


 そこそこ高さのある塀の上から躊躇いもなく飛び降りたファミンは、綺麗に着地をするとスタスタと歩き出した。

 こんな高い場所から飛び降りられるのにさっき男から殴られるままだった意味がわからない……。おれも塀から飛び降りて足早に歩くファミンの後を追う。


「よーぉ。やっと見つけた」


 角を曲がられたら人通りが多いところに出るはず。見失う前に……と焦って声を出そうとしたとき、聞きなれた声と共に大きな男がぬっとファミンの前に現れた。

 ジェムは、手にしていた織物でファミンを包み込むように抱きしめると、そのままクルリと彼女を回れ右させた。


「ジェム、ちょうどよかった。その子、困ってるみたいなんだ」 


「まぁ……そうだろうな」


 ジェムは、顎に手を当てながら自分の脇の下で不服そうな顔をしている彼女を見る。

 薄汚れた頭のてっぺんから泥だらけになった裸足の足……痩せた野良犬とか野良猫といった言葉がよく似合う。

 ファミンは不服そうな表情を崩さないまま、自分をじろじろと見ていたジェムに向かって片手を差し出した。


「……銅貨3枚」


「客にはならねーよ。でもまぁ……」


 彼女の手を軽く叩いてからニッと笑ったジェムは、ファミンをおれの方へ突き出した。


「カティーアに相談してみようぜ。シャティシャンテがこの捨て猫ちゃんを放っておけないってさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る