3ー17:Just our secret -二人の秘密-

 目を開くと、窓から大きな月の光が差し込んでいる。

 もう夜か……と上体を起こし、窓の外をみてここが二階にある病人用の小さな個室だということを理解する。

 体を動かしてみても体が全然痛くない。そっと手を動かすと、緑色の光の粒がスッと動いて壁に吸い込まれるようにして消えた。

 

「あいつ……」


 窓の外を覗いて、近くにいるはずの人影を探すけど、目的の人物は見当たらない。

 そんなに遠くにいないはずだ。寝具の上に置かれている外套を羽織って窓を開けたオレは、外に出て更に屋根をよじ登る。


「シャティ……お前、また歌っただろ?」


 満月に照らされながた小さな影はオレに気が付くと、こっちを見て呑気に手を振った。

  足音を立てないように屋根を渡って、へらへらと笑っているシャンテを軽く睨んでみせる。


「よおジェム。体の傷、治ったみたいだな」


 返答をしないでいると、彼は目を泳がせて弱々しく笑う。笑い事じゃねーよ……と言おうとするのを遮るように、シャンテは肩のあたりまで伸びた毛先を指先でねじりながら口を開いた。


「おれのせいで、みんなが怪我をしたんだからさ、これくらいかまわないかなーと思って……さ」


「奴らはお前を探してるんだぞ? 見つかったらどうなるかわかってるのかよ」


 シャンテは、オレの言葉を聞いて唇の先を尖らせて不満そうな表情を浮かべていたが、渋々といった様子で首を縦に振った。

 去年くらいから魔法院のやつらが前より頻繁に訪ねてくるようになった。

 なんとなく、村に伝わっている「癒やしの子守唄」の噂話を嗅ぎつけてきたんだろうってことはわかってた。


「わかってるけどさぁ……」


 母親のカンターレほど強力ではないにせよ、シャンテも他人の簡単な傷や病気を癒すことが出来る。

 外の世界のことはわからないが、魔法院が黒鎧の男みたいなやつを寄越してきたくらいだ。きっと貴重な力なんだということはオレでもわかる。

 噂話はともかく、あの歌を奏でているのはシャンテだと知っているのはオレ以外にいないはず……。

 なんとかあいつらを追い返せば、シャンテに能力があることは気づかれないはずだ。だから、何が起きてもオレはあいつらが村に入るのを阻止する。


 オレはシャンテの横に腰を下ろした。

 夏だと言うのに冷たい夜風がオレたちの頬を撫でる。シャンテの緑がかった金色の髪が靡いてほのかな花の香りを運んでくる。

 満月を見上げているシャンテの横顔は、あの日愛した彼女にとても良く似ていて美しかった。


 人ならざるものと一線を越えてはいけない。心を奪われて妖精の国に攫われてしまって心を狂わされるから……。

 子供の頃に大人たちが言っていたことを思い出す。

 シャンテのことはもちろん、兄であるディレットの最期も村のみんなに隠しているオレは、その一線とやらをとっくに踏み越えているんだろう。

 それでも……いや、だからこそオレは番犬クーストースとしての役割を全うしなければならない。


 兄貴ディレットを差し置いて与えられた立場を守るために、自分で引いた踏み越えてはいけない一線ラインだけは守ってみせる。

 全部隠して、オレは番犬オレで有り続けて村を守らなければならない。

 それに、愛した女から任された最期の頼みくらいやりとげるのがオレなりのケジメと懺悔だと思った。


 オレが少しの胸の痛みに耐えて番犬クーストースとしてしっかりと責務を全うしていれば全部できることなんだ。

 だからオレはつらくない。つらいだなんて思ってはいけない。 

 シャンテに母親譲りの不思議な力があるとわかったときに、そう誓ったんだ。


 誓いがブレそうになるたびに、あの夏の日を思い出すことにしている。

 あれは、シャンテに狩りを教えるために二人で森へと出かけたときだった。

 手持ちの矢が足りなくなったので、いい機会だし矢の作り方も教えておこう。そう思ってナイフで木を削っていたら手を滑らせて指を切ってしまったことがあった。

 本当に小さな傷だったし、オレは番犬クーストースなので傷の治りも人一倍早い。

 明日になれば傷跡も残らないくらいキレイに治っているだろうと思って、とりあえず服を裂いて傷口を止血してから、シャンテに矢の作り方を教えていた。


「そういえば、歌で人の傷を癒せる精霊がいたらしいぞ」


 今思えば、こんな話をしなければよかったと心の底から思う。

 その時のシャンテのウキウキして楽しそうな顔を、今でもはっきりと思い出せる。


「まじかよ。すげえな。おれも森で拾われたんだし、そういう能力? があったりして」


「お前はオレが拾っただけの普通の子供だ。無茶言うな」


 ちぇーっと言いながらシャンテが唇を尖らせただけなら、微笑ましい思い出で終わるはずだった。でも、シャンテはその後鼻歌を口ずさんだ。

 それは、偶然にも彼女――カンターレが口ずさんでいたものと同じ歌だった。


 嫌な予感がしたのも束の間、シャンテの歌に誘われたように、あたりにはポツポツと淡い緑色をした光の粒が現れる。

 その光の粒は蜜に群がる羽虫のようにオレの傷口に集まってきた。止血のために巻いていた布をすり抜けて、光の粒は傷の中に入り込んでいくように見える。

 慌てて腕を大きく動かすと、光の粒が霧散していく。でも手遅れだった。

 布を取って傷口を見てみると、最初から傷なんてものなかったみたいに綺麗に消えていた。


「は? え? これおれが歌ったから? え? すげー!」


 最初、シャンテは無邪気に笑ってはしゃいでいたが、オレの真剣な顔を見てヤバイと思ったのか首をすくめた。

 自然と厳しい顔になってしまう。難しい顔をして腕組みをしながら黙りこくったオレの顔を、シャンテは上目遣いで恐る恐る見つめていた。

 シャンテの両肩を少し強めに掴む。いろいろ考えた結果、オレは本当のことをいう決意を決めた。


「お前に隠していることがある」


「あ、改まってなんなんだよ。今のが偶然ってことくらいわかってるって」


「偶然じゃない。お前と同じ力を持っている人のこと、オレは……一人だけ知ってる」


 歌で人を癒やす力はシャンテの母親……森の貴婦人と呼ばれている精霊の女性も使っていたということを伝える。

 すると、まだあどけなさシャンテは目をまんまるに見開いた。

 大切なことを隠して嘘をついていたんだ。口汚くを詰られても仕方ない……そう覚悟して目を閉じたオレはシャンテから目をそらす。


「あー。おれが小さい頃の記憶がないのってもしかして……そういうこと?」


 思ったよりもシャンテはヘコんでいないようだった。


「なるほどねー。なんだ。おれは別に親に捨てられたわけじゃないんだな! っていうか、じゃあおれ、ジェムとは血の繋がった家族じゃん?」


 うれしそうに頷いたシャンテは、オレのことを見上げて微笑んでいる。


「うん、それは悪くない。っていうかマジで最高じゃん」


「最高? お前のこと、ずっと騙してたのにか?」


 シャンテにオレは怒ってほしかったのかも知れない。でも、こいつはそれどころかオレと家族でうれしいって言ってきて、内心泣きそうになる。


「まぁ、黙られてたのはちょっとムカつくけどさ、でもジェムはおれのこと守ろうと思ってやばい秘密を一人で抱えてくれてたってことじゃん」


「で、でもオレは……」


「そんな重いものを一緒に持てるってこととか、尊敬してて兄ちゃんみたいだって思ってた相手が本当に血の繋がりがある相手だったってのはムカついたことを超えるくらいうれしいんだぜ?」


 へらりとなんとなく力が抜けたような柔らかい笑い方をするシャンテに、ディレットの面影を感じた。

 

「これは、オレ達だけの秘密だ」


「わかったって。大丈夫。うまくやるよ」

 

 一応隠せとも言ったし、能力を使うなとは言った。

 でも、シャンテは熊や狼と戦ってケガをしたオレの傷を癒やしたり、村で流行病が起きたときに夜中に家を抜け出して歌うことをやめようとはしなかった。

 そして、村にはいつしか『夜の神様が子守唄を歌うと、病にうなされた子どもたちはぐっすり眠り、痛みに苦しむ人々は安らぎを取り戻す』そんな噂がささやかれることになった。

 自分を育ててくれた村への、シャンテなりの恩返しだということがわかるので強く止めることができない。

 放置したことが結局、魔法院のやつらが異変に勘付く原因になったのならこれもオレのミスだ。

 色々思い出して黙りこくっていると、シャンテが痺れを切らしたように声をあげた。


「もー! 気まずいのも限界。……おれが悪かったって。ごめん」


 シャンテは足をジタバタさせながら空を仰ぐ。

 言葉を返す代わりに、ぐらぐらと揺れる頭を軽く小突いてシャンテへの説教は終わりにすることにした。

 してしまったミスは後から取り返せばいい。


「もー帰ろーぜ。外套一枚じゃさすがのお前も寒いだろ」


「そうだな。帰ろう」


 シャンテを担いで、屋根の上から飛び降りる。

 もうすっかり夜は更けている。玄関から戻っても誰も起きていないだろう。

 

「きゃ……」「うわっ!」


 扉を開くと同時に、胸の辺りにドンと勢いよく何かが当たった。予想外の衝撃に対して後ろによろけながら衝撃の原因を見るために視線を下に向けた。

 オレに当たってきたのは、ジュジだった。

 思い切りぶつかってよろけたのか、彼女は尻もちをついてこちらを見上げている。

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