1-6: Crumbling Disguiseー彼の正体ー
魔法を教わらないこと以外は順調で、幸せな日々だった。
そんなに長くない過去を偲んだ私は、目の前の出来事を確かめるように、伏せていた顔をあげる。
目の前にいるのは、片腕を失った大魔法使い。
私のせいで、大怪我をさせてしまった。
今日も、いつものように何事もなく仕事が終わるはずだったのに……という後悔が頭の中をグルグルと回る。
あの時、ゆらゆらと左右に体を揺らしながら、いつも通り彼が森の茂みから出てきた。
立ち上がって彼に向かって走って行く。
いつも少しくらいなら大丈夫……と銀色の杭の向こう側へ出た。
カティーアが、一瞬眉を顰めたが、フッと短く笑って腕を上げてくれる。
満月に照られている自分の影が、奇妙に歪んだ。
考えるより先に、足が動いていた。
「危ない!」
ただ、少しでも彼の役に立ちたかったんだと思う。
色々と親切にしてくれて、外の話を聞かせてくれて、不思議できれいな贈り物をくれたから……その恩返しのつもりだった。
私の影が二つに分かれる。
影は、急に地面から浮き上がって壁みたいに大きくなっていく。地面を蹴って彼と影の間に体を滑り込ませる。
「ジュジ!」
彼の声で名前を呼ばれる。今までなかったくらい鋭くて大きい声。
そのまま突き飛ばされて、地面に肩から落ちた。
パシパシと何か温かい液体が私の体に滴る。それからすぐに、柔らかくて重いものが地面に落ちるみたいに湿った音がした。ぱっと目を開けた私の目の前には、ちぎれて血塗れになった腕が転がってきた。
「ひっ……」
筋肉質な腕は白くて滑らかだ。手首に巻かれている金色の鎖と透明な何かの骨か角を加工して作った飾りは、紛れもないカティーアのものだ。
見慣れている彼の腕を、見間違えるはずがない。
手を伸ばそうとしたけれど、遅かった。落ちた彼の片腕は、前方から伸びてきた鋭い槍のような触手に貫かれる。そして、彼の美しい腕が、真っ黒な猿の顔がついた蜘蛛みたいな魔物の口へと運ばれていった。
ひゅっと風切り音がしたので、反射的に目を閉じる。
鈍い音が数回鳴り響いて、すぐに辺りは静かになった。
「魔物はもういない」
声をかけられて、慌てて目を開く。
そして、隻腕になってしまった憧れの英雄へと視線を向けた。
彼は、たしかに右肩から先を失っていた。でも、痛みでうめき声をあげたり、表情を歪める素振りは見せない。それどころか呑気な表情のまま、私の方をじっと見ている。
「あの……う、腕が」
あまりのことに、頭から血の気が引いてくらくらする。
「あー。見ちゃったか。君は俺のファンみたいだから、使うまでは丁寧に接客してあげようと思ってたんだけどなぁ」
カティーアは、残った方の腕で頭をポリポリと掻きながら気怠そうに口を開く。
「俺の秘密を知りたいか? 知りたいよな?」
右肩から先が吹き飛ばされているにもかかわらず、カティーアは苦悶とはほど遠い表情を浮かべている。
彼は、低く嘲るようにそう言うと、無くなった方の肩を回すような仕草をした。
肉や骨が軋むような、乾いた音が響く。
「いい子のお前には特別に教えてあげよう……」
あっという間に、血が滴っていた腕の断面からは、新たな腕が生えてきた。
色々な回復魔法を書物で知っていたつもりだったけれど、根こそぎ無くなった部位をこんなに急に再生させる魔法が実在なんて……。
それこそ神話の中で、神や魔王と呼ばれる存在が使うなんて物語もあったけど……。
「……なんでこんな」
夢みたいな話なら、悪夢じゃなくて良い夢だったらよかったのにと思ってしまう。
新しく生えた腕を曲げたり伸ばしたりしながら、カティーアはおどけるように両手を広げて、肩を竦めて見せた。
「実は俺、不死身ってやつなんだ」
「ふじ……み……? じゃあ……180代目っていうのは」
「ああ、あんなのは嘘だ。俺がずっと俺のまま、俺じゃないフリをしてる」
ニコニコとしているのにどこか忌々しげ自らのことを話す。
彼は、ツカツカと近付いてくると、座り込んで動けないでいる私の顎に手を当てて、上を向かせた。
「欠けても粉々になっても再生する便利な体の代わりに、一気に魔力を使うとこうやって獣の呪いが深まっていく燃費の悪い体なんだけどな」
顎から手を離し、驚いている私の頬をそっと手の甲で撫でる。フッと短く笑って見せたカティーアは、くるりと回りながら私からまた遠ざかる。
それから、ガントレットを付けている左腕をひらひらと揺らす。
「見せてやろう」
いつもより低い声でそう言った彼の紅い瞳が妖しく輝く。そして、新しく生えた方の手でガントレットの留め具を一つずつ外していく。まるで、私に見せつけるようにゆっくりと。
「これが……君が憧れていた英雄の醜い正体だ」
彼のガントレットが外れていき、腕が徐々に露になっていく。
今日が満月だということを恨んだ。
だって、大きくて丸い月が辺りを照らしていなければ、憧れていた英雄の変わり果てた姿をこんなにもくっきりと見ないで済んだのに……。
漆黒のガントレットが重い音を立てて地面に落ちる。彼の左腕は、金色の毛皮に覆われていた。
見たことは無いけれど、話に聞いていた獣人のような腕だ……と思った。よく見ると、彼の指先からは鋭く尖った黒い鉤爪が生えている。
呪いが深まっていく……彼のその言葉通り、金色の毛皮は生き物のように蠢き始めた。毛皮が、カティーアの白くて綺麗な肘から上の部分を、少しずつ覆っていく。
「この魔獣の呪いが体の全てを覆ったとき、俺はニンゲンを殺しまくる化け物になる」
目の前のカティーアの腕と顔を見比べる。どうしていいのか、なにを話していいのかもわからない。
口封じのために殺すから最後に色々話してくれているのかな? それなら何も知らないまま殺してくれたほうがよかったのに……なんて考えてしまう。
「さすがにどうにかならないかなーって色々試したんだ。君みたいな
カティーアは、かぶりを振りながらわざとらしく肩を落として見せる。でも、その表情は申し訳なさのかけらも見当たらない。どちらかというと、露悪的な振る舞いみたいにも思える。
「俺の呪いを引き受けたヤツらはどうなったと思う? みんな獣になるまでは順調なんだけどさ、呪いの負荷に耐えられないのか破裂して死ぬんだよ。おかしいよな。俺は死ねないのにさぁ」
セルセラは、静かに翅を瞬かせながら、落ちたガントレットを拾う。
そして、私を見つめたまま動かないカティーアの左腕にガントレットを嵌めていく。
今まで私が憧れていた彼は、演技をしていたんだと思うと辛くなる。
少しでも気に入ってもらえているだとか、心を開いてもらっていたなんて勘違いしていた自分が恥ずかしい。
彼の話が本当なら、目の前にいるカティーアは遙か昔に魔王を倒した英雄で、天才的な魔法使いだ。そんなすごい人が私みたいな疫病神に心を開くわけなんて無いし、好意をもってくれるわけがない。
呪いを解くために必要だから、確保しているだけ……。胸が苦しくなって涙が溢れそうになる。
こんなに辛いのに、でも心のどこかで「道具としてでも利用価値があるのなら」と思っている自分もいる。
セルセラがガントレットの留め具を全て装着したのを確認するかのように一瞬左腕に目線を走らせ、それからこちらを見たカティーアはゆっくりと両手を広げた。
もう一度私の目の前まで近付いて来て腰を下ろす。それから、うつむいている私の顔を覗き込むように、首を傾けた。
「君は優秀だし、物分かりの良い
恐怖と絶望と失望が入り混じってわけがわからなくなる。
私が憧れて、慕っていたのは演技だった。私は何も知らずにずっと騙されて、呑気に呪いを緩和するための道具として生かされていたのだ。
今更どうしたいかなんて聞かれても簡単に答えられるはずなんてない。
でも、演技でも彼がくれたものや、嬉しかった思い出を急に捨てることはできない。
「あなたの……好きにしてください」
私はやっとの思いでそう口にする。
よく考えなくても私に帰る場所はない。
どちらにしろ死ぬまでこの人の元にいるしか私の道はないのなら、今死ぬのも後で死ぬのも同じだと思った。
「まぁ、俺にガッカリしたのもわかるよ。軽蔑するのもわかる。でもまあ、短い間だろうが、改めてよろしく」
差し伸べられた手を取ることは、流石に出来なかった。
何も言わずに手首を取られて、弱く引っ張られる。無言で歩き出した彼の後ろを仕方なくゆっくりと着いていく。
目をあげると、なだらかな丘に差し掛かったところだった。森の木々の間から、大きな満月がよく見える。
白いローブを引きずりながら歩く魔法使いと、その横を飛ぶ妖精……自分を除けばこれはまるで一枚の絵になりそうな光景だ。
これが何も知らない頃の私なら、英雄と一緒に美しいワンシーンを飾れた自分に喜べたんだろうな……。
でも、憧れだった人の真実を知ってしまった今は、この美しいシーンさえ作り物のように見えて虚しく感じてしまう。
幸いなことに涙までは出てこない。ショックなことがありすぎて麻痺しちゃっているのかもしれない。
これが夢でありますように……そう心の中で何度も唱えながらカティーアとセルセラと共に魔法陣に足を踏み入れた。
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