183話
「まだまだお若いのに、何かありましたか? 他人だからこそ、言える事もあるかも知れません。それに、お店には、私と貴方の二人だけですから」
「じ、実は……」
私は店員さんに、会社での愚痴を話し始めていた。
話している間、店員さんは「うんうん」と相づちを打って私の話を聞いてくれた。
地元から離れて就職したため、私には仕事の愚痴を話せる人が近くに居なかった。
だからなのか、私は思いっきり会社の愚痴を店員さんに話していた。
「……ってな感じです」
「そうなんですか……随分苦労をなされているんですね」
「はい……でも、苦労して見つけた就職先なので、辞めるに辞められず……」
「そうですよね……就活って大変ですし」
「辞めた後の事を考えると、どうしても不安で……」
「でも、本当に嫌なら辞めても良いんじゃないでしょうか?」
「え?」
「このまま無理に仕事を続けていても、いつか誰かに迷惑を掛ける事になってしまうと私は思います。今日知り合ったばかりの私が言うのもなんですが、多分貴方はきっと無理をしすぎています。もっと自分を大切にして下さい。辛かったら、逃げても良いと私は思います」
なんでだろうか、そこまで良いことを言われている訳でも無いのに、この人の言葉に、私は気持ちが軽くなるのを感じた。
逃げても良い……逃げるのは行けない事としか思っていなかった私にとって、その言葉は衝撃だった。
「でも……社会って辛いものですし……ここで逃げても、他でもやっていけるかどうか……」
「貴方は何故、今の会社に就職したんですか?」
「そ、それは……内定が取れた中で、一番好条件だったからで……」
「その職に就きたかったのでは?」
「いえ、正直仕事の内容は全く興味が……でも、仕事だから興味とかの話しでは無く、やらなければと……」
「興味を持てと言われて、興味を持つことは難しい事です」
「そ、そうですけど……」
店員さんはコップを拭きながらそう言って来る。
「貴方は何故働くのですか?」
「そ、それは……生活の為で……」
私はその質問の答えが自分でもわからなくなって来ていた。
なんで働くんだっけ?
生活の為? 家賃の為?
生きる為に働いている?
それなら、アルバイトでもしていればお金はなんとかなる。
なんで私は、あんな嫌な職場に毎日通って仕事をしているんだっけ?
別に夢もない、恋人もいない。
私は私が生きるために働いている。
じゃあ、生きていても良いことが無かったら?
生きてる意味はないんじゃ無いか?
じゃあ……死んでも良いんじゃ……。
そんな危ない事を考えていた矢先、店員さんがニコっと笑って話してきた。
「私はずっと、自分のお店を持つ事が夢でした……」
「え、はい……」
「頑張って働いて、資金を貯め、一週間前にこの店をオープンしたのですが……客足はご覧の通りです……」
「えっと……は、はい……」
この人は夢は叶ったけど、その後が上手くいっていない様子だ。
お店にもう数十分は居るのに、お客さんが入ってくる気配が微塵も無い。
この調子だと、経営は上手くいっていないのであろう、店員さんの表情からもそんな様子が覗えた。
「店を持ちたい一心で、仕事をしたので、前の仕事は長く続きました。しかし、店を持った後はなかなか上手くいきません……売り上げも伸びず、苦しい毎日です……」
「は、はぁ……」
「でも、お客さんが来てくれると、楽しいんです」
先ほどまでの表情が嘘のように、店員さんの表情は晴れていた。
「ようやく叶った夢…やりたかった事が出来て、私は今楽しいんです。そりゃあ辛い事もあります。でも……仕事の中に楽しみがあると、人は案外頑張れるものです」
そう言った店員さんの表情は、無邪気な子供のような笑顔だった。
「辛いだけの毎日を繰り返すのは、体にも精神にもストレスを与えてしまいます。もちろん、仕事は辛くて当たり前ですが、好きなことややりたい事の為なら、人は頑張れます。貴方も仕事の中にそんな生きがいみたいな物を見つけてみてはいかがでしょうか? それでもダメなら、立ち止まってまた違う道を考えれば良いんです。貴方はまだ若いのですから」
「……」
私は今日、ここに来て良かったと思った。
もう少し頑張ってみよう、そう思えた。
難しく考える必要なんて無い、自分が何の為に仕事をしているかもう一度考えてみよう。
それでもダメなら、転職を考えよう。
私は肩を軽くして、家に帰って行った。
*
「ま、そんな感じかな?」
「店長って、そんな事言えるんですね……」
「まぁ、確かに基本頼り無いけど……たまに格好いいのよね……」
木崎の話しを聞き、綺凜と木崎はカウンターでコーヒーを入れる店長の姿を見る。
「あぁ! 洗剤買い忘れた…」
「店長しっかりして下さいよ……俺この前それ言ったっすよ?」
「アハハ、面目ない」
カウンターにはいつもの頼りない店長がいた。
綺凜はそんな店長が、木崎の話しに出てきた店長とは思えず、本当にそんな事があったのか再度木崎さんに尋ねようとして、木崎の方を向く。
しかし、木崎の横顔を見た綺凜は言葉を発するのをやめた。
その理由は、綺凜が見た木崎の横顔が、まるで恋する乙女のような表情だったからだ。
(えっと……まさか木崎さんって……)
綺凜は木崎を見ながらそんな事を考える。
(しかし、悩みを聞いてくれただけで、木崎さんが店長にそんな事を思うだろうか?)
綺凜の頭の中はますます混乱していった。
「えっと木崎さん……その後はどうなったんですか?」
綺凜はどうしても、木崎のその表情の秘密が気になり、話しの続きを木崎に尋ねる。
「どうって言われても、それから私が仕事を辞めて、ここで働きだしたってだけだけど?」
「で、でも店長言ってましたよ! よく商店街で会ったって」
「そ、それは偶々買い物で……」
「じゃあ、なんで木崎さんはわざわざ二駅も離れたところの商店街に来ていたんですか? 木崎さんの家の近くにも、スーパーとかお店ありますよね?」
「えっと……そ、それは……」
「なんでですか?」
「う……う~」
綺凜に迫られる木崎。
これはもうダメだと感じたのだろう、木崎は「はぁ~」っと深く息を吐くと、顔を赤くしながら話し始めた。
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