2章 天を染める瑠璃

 目を覚ますと、陽が昇る頃合いだった。朝日が昇るのは、美しい。身体の隅々まで染み渡るようだ。窓を開けて、深呼吸をする。今日も一日良い日になりそうだ。その窓辺に置いてある丸い鏡に、ルリは手を触れる。鏡が波打ち、人間の世界を確認する。今日もいつも通り、大丈夫だろう。一通り確認をしたところで、鏡に触れていた手を離す。その途端に一見普通の鏡に姿を変えた。

 身なりを整えて、ルリはイヤリングとネックレスをつけた。自身の石である、ラピスラズリである。深い瑠璃色のその石は、海を思い出させる。先日は、アコヤと共に買い物をした。その際に買ったストールが畳んで棚にしまわれていた。

 今日出掛ける時に使おうと、ルリはそのストールを取り出して広げた。ストールの生地から零れる陽の光は、柔らかく部屋を照らしていた。ストールの端にあるビーズの飾りが、シャラリと音を立てる。細かい刺繍もあり、手間の掛かった品である事が分かる。朝食はトーストにスクランブルエッグとサラダ、と軽めに済ませた。食後には紅茶を淹れてゆっくりとする。そうして少し落ち着いたところで、片付けを始める。食器を片づけ、その後に洗濯をする。その間に、部屋の掃除を済ませておく。庭の花々やハーブに水をやり、雑草を引き抜いて片付ける。そうこうしていると洗濯物が終わる。終わった洗濯物を庭に干していく。この陽気だと、すぐに乾きそうだ。空を見上げると、真っ青で雲ひとつない。

「良い天気だ」

 今日は切れた茶葉を買いに行こう。もし、新作のブレンドが出ていたら、それを試飲させて貰うのも良い。この季節に合う限定ブレンドというのを、店の売りにしているのだ。今回はどんな仕上がりになっているのか、楽しみである。一通りの家事を終えてから、ルリはストールと斜め掛けの鞄を持って家を出た。いつもの市場の裏道に入った所にその紅茶店はある。大通りよりは人通りが少なくて、歩きやすい。

「ごめんくださーい」

 カランカランと店のドアについたベルが音を立てる。そうすると、奥から店主がやってくる。

「いらっしゃい、ルリ。久し振りかな?」

「そうだね、前のブレンド貰った時以来になるかも」

「そうか。それで、今日は何をお求めかな?」

「新しいブレンド出てるわよね? それ試飲させて欲しいんだけど」

「ああ、いいよ。ちょっと待っておくれ」

 店主は奥でお湯を沸かし、支度をしているようだ。此処の店主は、初老の男である。眼鏡をして髭を蓄えており、痩せ形の人だ。紅茶の知識は豊富で、独自のブレンドも考えるだけの技術もある。ルリは彼の紅茶への知識や愛を尊敬している。どんなものにも合うブレンドや茶葉を用意出来るのは、この市場では彼しかいないのだ。

「さて、お待たせしたね」

「いいえ。これが新商品ね?」

「ああ。今回は前のとは、結構違うタイプだよ」

 そう言った店主の言った通り、前回のベリーベースの紅茶とは趣向が異なる。一口、二口と飲むと鼻から抜ける、紅茶の香りが気持ちよく感じられる。

「今回のは、スッキリしているわ。良いわね」

「気に入って貰えたかな?」

 店主はクッキーをルリに一枚手渡した。どうやら、この紅茶と合うものらしい。

「うん、美味しい。クッキーもありがとう」

「いえいえ、気に入って頂けたなら良かった」

「じゃあ、ブレンドの茶葉とダージリンの茶葉を頂戴」

「はい」

 店主は、茶葉をそれぞれ缶にしっかりと密封している。店内には紅茶の匂いが優しく香っている。落ち着く、良い香りだ。店内の調度品もアンティーク品が多く、落ち着いた雰囲気の店に合っている。

「はい。出来ました」

「ありがとう。じゃあ、これで」

 ルリはラピスラズリの欠片を数個渡して、紅茶の茶葉が入った缶を受け取り斜め掛けの鞄にしまった。

「また来るわね、今日はありがとう」

「こちらこそ。お待ちしています」

 見送る店主に手を振って、店から出る。市場は活気に溢れている。先程の店の中での出来事がまるで嘘のように感じられる程だ。

「さて、と。ユウレンの所にでも、顔出しに行くかな」

 この紅茶店から、ユウレンの雑貨店は然程遠くない。ついでに、何か新しい物があるか物色する事にしよう。市場の混み合った道を抜けて、漸く店先へ着いた。

「ユウレン、入るよー」

 声を掛けると、奥で物音がした。暫くすると、ユウレンが出てきた。

「いらっしゃい。久し振りだな」

「前のご飯会以来だね。紅茶買いに来たついでに、顔見とこうと思ってさ」

「そうか。まあ、適当に座っててくれ」

 ユウレンは奥から椅子とトレーを持って、戻って来た。

「最近作ったのって、どのあたり?」

 ルリは棚に並んでいるブレスレットや、ネックレスを眺めている。

「あー、二段目の右のやつ」

 ユウレンの言った通りの場所に掛かっていたネックレスは、確かに今迄見た事が無いものだった。花をモチーフにした、黄色い石をメインにして作られたそれは光を反射して、眩しく輝いている。

「いつも思うけど、ユウレンは器用ねえ」

 カウンターで作業をしていたユウレンは、笑った。

「それ、アコヤにも言われたわ」

「あれ、本当?」

「ああ、この間髪飾り直した時に」

「そうなのねえ」

 白い真珠を使った髪飾りは、アコヤのお気に入りらしい。

「アコヤも器用な方なのにね」

「だろ? 俺もそう言ったんだよ」

「でも、アコヤは自覚してないからねー」

「そうなんだよなあ」

 そうして、二人でぼやきながら店内で過ごしていた。此処に居ると、市場の活気は少し小さく聞こえる。ルリは、棚のブレスレットを何個か試着してみたり、ネックレスを試着したりして過ごしていた。

「よし、終わりっと」


〈続きは本にてお楽しみください〉

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