第6話 隠れる生き物たち

 ミクサは、両手で髪を鷲掴みにし、その場にしゃがみ込む。何かを呪文のようにブツブツと言っていたが聞き取れない。それに、誰も今のミクサに近づこうとはしなかった。

 一歩後退したところから、アマガが「ミクサ……」と声をかける。

 返事はない。ただ、舐めるように足元から、双眸にかけて視線を這わせ、目が合うと胸ぐらへ掴みかかった。

「お前のせいだ……お前らのせいだ!」

 アマガは、ミクサの力に突き押され、整頓する机の上にしりもちをついた。

 それを見たギイが笑う。

「物語はこうでなくちゃ! ウサギさん、君は、戻れないところまで来てしまったよ」

 ミクサの睨みはギイに向けられ、それは、行動へと変えられた。アマガの胸ぐらを掴んでいた手は、ギイへ向かう。だが、ギイはそれを軽く交わし、そのままの勢いで、ミクサは虚しく転ぶだけだった。

 彼の変りようを見て、今まで臆病を演じていたようには思えなかった。

 それもそのはずだ。肉体的にも、精神的にも弱虫であり続けるミクサの怒りは――この暴力に任せた怒りは、一種の防衛なのだから。

 他人から嫌われることに抗っている。果てしなく嫌われてしまった経験をしたミクサは、最も嫌われる理由を知っている。

 それは、自分が他人を嫌う事――ミクサは、ミナベアオイの優しさを嫌ってしまった。嫌ってしまった以上、彼女に対する否定的な意見は、全て悪口になる。

 「一緒にお昼食べよう」という優しさへ「勉強したいから、今日はいいや」という否定が、ミクサにはどこまでも悪であったのだ。

 ミナベアオイを殺したい……とまではいかずとも、彼女がいなければ、どれだけ円滑に高校生活を過ごせただろうか、と何度も自問した――ミクサにすれば、彼女を殺したい動機として成り立つ。だから、隠していたのだ。

 アマガからは、ミクサの背中しか見えない。だが、彼が涙を流しているのはわかった。

「大学受験に失敗するのは嫌なんだ。 高校受験に失敗して、今まで周りから掛けられた言葉は君たちにわからないだろ……家族でさえ、僕を笑うんだ」

 ミクサは、ゆっくり立ち上がる。やっぱり、彼の顔は涙で汚れていた。

「ミナベさんに、僕の気持ちが分かる? 内容のない会話をしながら昼を過ごしているときの僕の焦りが……寝る時にベッドの中で、一晩中、今日の勉強時間を考えてしまって寝れない辛さが!」

 ミナベに一度、視線を向けるが、閉じられた瞳から答えを得られるはずがなかった。

「もう、この際だから言うけど……僕は、ミナベさんを殺したいと思ったことがある。 ミナベさんの死体を見た時、悲しくとも何ともなかったよ。 だけど――」

 ミクサは、涙で汚れた顔を拭い、気だるそうに言った。

「ミナベさんを殺してはいない。 これは、本当だ」

 そのまま開いていた椅子へ腰かける。膝に手を置いて髪を掻き上げる姿は、全てに絶望したようにも見えるし、隠し続けていた限りなく重要な部分が無くなり安堵しているようにも思えた。

 でも、何かが解決したわけではない。

「ミクサを警察に突き出せばいいだろ。 アリバイは証明できるんだし、そもそも、警察を呼ぶことに反対したのはミクサだけだしな」

 エツラが、一歩前に出て、無理に笑いながらそう言った。だが、ミクサは反論しなかった。彼もまた、無理に笑いながら言う。

「もういいじゃん……エツラくん。 隠すのは良そうよ。 ギイは、全部知ってるんだろ? だったら、僕とエツラくんは疑われちゃうよ」

 アマガのいる位置からは全員を視界に収めることができた。

 全てに諦めがついて浮浪者の様なミクサ、何かを嫌らしく嘗め回すように笑うギイ、そんなギイと目を合わせないように意味のない詭弁を繰り返すエツラ。

 そして、壁に寄りかかり目を閉じる動かないミナベ。

「もう、いいよ。 ギイ、全部話せよ。 分かってるだろ?」

 アマガには、この事件をどうにかすることができる確かな自信があった。それもすべて、彼の隠しているのおかげだ。

 だが、この殺人は、取り返しのつかないところまで来てしまった。

「俺は、作者だ。 もちろん、物語の犯人も殺人の種も全てを知っている。 だけど、物語の途中で種明かしをするのは作者のプライドが許さない。 テレビで種明かしをした後に、もう一度、同じ手品を披露するマジシャンのような存在にはなりたくないからね」

 そう言い終えると、ミナベの隣辺りで壁に寄りかかり、何も書かれていない文庫本を読みだした。そして「さぁ、まだ、ラジオだって終わっていないんだ」と文庫本の後ろから言った。

「……もういい。 なぁ、この中に犯人がいるんだろ? もう、終わりにしよう」

 アマガは、ミナベを除く、全員にそう伝えた。依然として、ミナベを殺した犯人は分からない。だから、続ける。

「俺も、こんなことになるなんて思わなかったよ。 きちんとした大人を呼んで解決してもらおう。 それも、ミナベの――」

 ためになる、と言いかけたところで「ムカつくんだよ!」と声を被せられた。

 アマガは、こうなることを知っていたから驚きはしない。

 もう、この空間はギイに飲まれている。彼の言う<物語>として扱われてしまっているんだ。アマガ自身も、それを無意識のうちに受け入れていた。

 だから、このセリフを言って怒り出すのが<エツラ>だということが分かった。彼だけが、限りなく重要な部分を明かしていない。

「お前らは、そんなに偽善者になりたいのか! 自分の持っている能力だけじゃ満足いかないのか! 勉強がしたいんだったら勉強だけしてろ! 両想いの幼馴染がいるなら俺を誘うな! 全部、目障りなんだよ!」

 ギイは、文庫本の後ろからエツラの声に、口角を緩ませる。彼にとって、物語はご都合主義で、どこまでも美しい均等の中で漂っている物なのだ。

 でも、いま書いている物語は、ご都合主義とはいかない。登場人物の個性が余りに強いと、物語が霞んでしまうだろ。どんなに、伏線を巡らせて、少しずつ回収していても、個性的な登場人物には敵わない。

 そんな物語を書いているから、この伏線の回収はどこまでも清々しかった。

 エツラ シュウに<カエル>と命名したのは「嫌われているから」という理由だけではない。

 離れた位置についている目は、どこかカエルを連想してしまう。控えめに言っても、不細工だ。性格だってカエルのように歪んでいる。

 ウサギ――臆病で他人から嫌われるのを恐れていることは言い換えれば、優しいともいえる。

 トリ――唯一、空を自由に飛ぶことができ、常に蝶から飛んでいる美しい姿を憧れられているのは、どこまでも純愛だ。

 そんな美しさを備えた生き物に、カエルは、どこまでも嫉妬していたのだ。

 トリなんていなければ、ひと蹴りで高く飛べるカエルはヒーローだ。

 ウサギなんていなければ、優しさなんてものを考えなくていい。

 カエルである<エツラ シュウ>の隠していたは、嫉妬心だ。どんな生き物にも嫉妬をする彼は、いつからか、トリも、ウサギも、蝶も――殺してしまいたいと考えるようになった。


 ギイが、文庫本を閉じ、ラジオのボリュームを上げる。

『それではニュースです。 今朝未明、交番から拳銃1丁と銃弾6発が盗まれました』とクリアにラジオが告げると、だんだんとノイズが混じり、やがて音が消えた。

「時間切れだよ、生き物たち」

 全てを見透かした笑みで、どこまでも嫌らしくギイは笑って魅せた。

 

 

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