第5話 突きつける生き物たち
「やぁ、生き物たち。 キツネは、待つのがどうにも嫌いでね」
椅子を不安定に傾け、嫌味みたいな笑みをギイは浮かべている。
美術室の窓は閉められていて、鋭利な寒さは消えていた。それでも、アマガには冬の寒さの残り香が感じられた。
それから、壁に寄りかかるミナベを見る。彼女の瞳は閉じられていた。
「目を開きっぱなしってのも残酷だろ? 白雪姫だって目を閉じながら、王子様のキスを待っていたんだ。 それとも、蝶にキツネが触れるのは気に入らなかったか?」
言い訳のようにも聞こえるし、ギイの言うゲームを楽しんでいるようにも思える。ギャンブルで、ディーラーと対面した時の緊張感に酔いしれている、そんな感じだ。
「そんなことは、どうでもいい。 俺は、早く終わらせたいんだ。 ギイ、お前が犯人なんだろ?」
ギイは、不機嫌そうに眉を顰める。
「ギイって誰だ? この物語の登場人物は、キツネとトリとウサギとカエル、そして蝶だ。 ギイなんて奴もアマガなんて奴も、ましてミナベアオイなんて奴も存在しない」
「どうでもいいだろ――」
「駄目だね。 何度も言うが、俺は、観客を楽しませる義務がある。 たとえ誰からも読まれない物語だとしても、最後まで語りたい。 生き物たちの言い争いに、銃を持った人間が乱入するのはフェアじゃないだろ。 俺は、キツネだ。 そして、お前はトリだ」
言葉を続けようとしたが、ギイによって阻まれる。ただでさえ、感情を読み取ることが難しいギイの睨みは、どこまでも凶暴だった。
美術室では、ギイの足元にあるラジオからノイズ交じりのパーソナリティーが笑う。
「……わかった。 キツネ、俺たちは、お前が犯人だと思う」
ギイは、満足そうに笑う。
「トリ、心外だな。 俺たちはいつだって、森の仲間じゃないか? なぁ、ウサギさん、カエルさん」
エツラとミクサは、顔を見合わせて難しそうな表情を浮かべる。だが、一拍遅れて「いや、お前が犯人だ」と言い切った。
「……じゃ、聞かせてもらおうか。 俺が、犯人である証拠を」
ギイ――キツネは足を組み、手を顎のあたりに置いて、意味ありげに口角を上げている。彼が、本気を出せば、ここにいる全員を喰い殺すことができる。
アマガの中で思い描く<トリ>は、タカやトンビのようなものではない。スズメやハトといった冴えない小鳥だった。だから、この場にいるすべての生き物は、キツネの気分次第で殺される。
だが、全員がその恐怖に堪えて――いや、それは違う。トリ、ウサギ、カエルの3匹には、限りなく重要な部分の方が恐ろしくて、そのおかげでキツネに反抗できた。
だから、取りに足りないアリバイの証明を堂々と言えた。
部活をやっていたから。コンビニへ寄ったから。SNSでツイートをしたから。
どこまでもいい加減で、粗はいくらでもある。しかし、キツネは、問い詰めることなく、片手で顔を覆って笑うだけだった。
「面白いことを言うね。 だけど、トリ……君の見ている場所は見当違いだ」
立ち上がり何も書かれていない文庫本を開いて、話を続けた。
「きっと、君たちは、森に滅多に現れないキツネが、蝶を殺されたときに現れるのがおかしい、と思ったんだろ?」
「出来すぎた話だろ!」
感情的な双眸で睨みつけながらエツラ――カエルが叫ぶ。
「違うね。 これは、可能性の問題だ。 宝くじで3億円が当たる確率、心肺停止から9分後の生存率……全てが極めて少ない可能性だ。 でも、確かに起きている。 なら、森の住人であるキツネが、たまたま蝶が死んでしまった現場に訪れるなんて可能性、十分にあるだろ?」
「そ、そんなの言い訳だよ」
ウサギの声は、弱弱しい。噛みつかれることをとことん恐れている。
「言い訳をして何が悪い? キツネが肉食動物だからという理由で疑われているんだ。 言い訳をするには十分すぎるだろ? それに、君たちは間違っている」
読んでいた文庫本の間から小さく折りたたまれた紙を一枚取り出す。そして、広げられたB5サイズの紙には<退学届>と書かれていた。
「今日、俺は、退学届を取りに来た。 一か月前くらいから決まっていた話でね。 職員室で聞いてくれれば、俺のアリバイは完璧だ」
ウサギとカエルの視線が、トリに注がれた。
キツネは、余裕の表情で笑っている。
トリ――アマガは、全く予測していなかったことだ。
この事件は、簡単に解決する。これを過信だというのだろうか。
混乱する思考の中で、再びキツネ――ギイの声が聞こえてくる。
「トリと蝶は、空を飛ぶことが出来る。 でも、空を飛べても蝶は無力だった。 だから、死んだんだ。 トリさん……君も蝶みたいになるのか?」
「うるさい。 黙れ!」
思わず感情的なる。どこまでもエンターテイナーであり続けるギイと話していたんだでは、この場の空気が彼の物になる。
そうなってしまえば、彼を犯人だと証明することは難しくなるのだ。しかし、アマガもエツラもミクサも、誰一人として口を開くことはできない。
だから、ギイが淡々とセリフをなぞる。
「俺は、エンターテイナーだ。 今の状況を楽しみたい。 それに、これはゲームなんだよ。 レベル100の勇者が始まりの村を襲うなんて、ちんけな物語が存在しないのと同じで、肉食動物が絶対的強者である物語なんて存在してほしくない。 だから、少しだけ物語を円滑にしよう――キツネは、カエルやトリやウサギを食べても、蝶は食べないんだよ」
3人の顔にハテナが浮かぶ。しばらくの沈黙の後「難しい文を簡単に魅せる人物になりたいものだ」とギイが嘆いて「動機だよ」よ切り出す。
「言っておくが、俺は、ミナベアオイをよく知らない。 一度、同じクラスになっただけで名前は知っているが、彼女の好きな食べ物も色も、音楽でさえ知らない。 つまり、俺は、彼女を殺す動機がないんだ」
ギイの表情は笑っていない。なぜなら、エンターテイナーでも、作者でも、ピエロである必要もない、当たり前のことを言ったのだ。
ギイは、ミナベアオイを殺す理由がない――キツネは、蝶を殺す理由がないのだ。飼い猫が、美しい蝶を嬲り殺すのとは訳が違う。キツネは、どこまでも生産性を重視する。
だが、笑っていないのは一瞬だけだ。次から、彼は、エンターテイナーであり続けたいキツネでなくてはいけない。
「俺に動機はないが、君たちにはあるだろ? 蝶を殺す理由が……ねぇ、ウサギさん。 君が、蝶を『殺したい』と嘆いているのは森の中では有名なことじゃないか」
アマガは、ミクサの方を見る。彼が、どこまでも臆病で、ミナベにどれだけ救われたのかは、アマガ自身も知っていた。
目に涙を浮かべながら全力で否定し、「助けてよ、ナオくん」と縋るはずだ。
しかし、ミクサは、瞳孔の開き切った目で、親指の爪を噛んでいた。酷い話だが、ミクサは、犯罪者のそれを思わせる素振りだった。
「ミクサ……お前、嘘だよな?」
「うるさい! どいつもこいつも……迷惑なんだよ!」
ミクサの<限りなく重要な部分>は、これだ。
彼は、ミナベアオイを憎んでいる。
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