第3話 犯人捜しの生き物たち

 黒い絵の具で塗り潰された美術室に、蛍光灯が付く。白い明かりに照らされた死体は、生々しかった。ドス黒い血はなめらかに反射していて、ミナベの身体を這う生き物のように思える。

 アマガは、その死体を視界に入れないように背を向けて話を切り出した。

「いま重要なのは、各自のアリバイだ。 俺は、4時まで部活をしていた。 後輩たちに聞いてくれれば分かる」

 話を続けようとしたが、それを阻むようにエツラが口を挟む。

「アマガ、てめぇ! アリバイはないっていったじゃねーか! はめやがったな!」

「やめなよ、エツラくん! そうやって、口をはさむのは。 自分が、犯人ですって言っているようなもんだよ?」

 エツラの怒りの矛先が、ミクサへと方向転換する。

「うるせぇよ……がり勉野郎。 警察を呼ばない時点で、てめぇが、一番怪しいんだよ」

 ミクサは、すぐにたじろいて、アマガの後ろへと隠れる。追い詰めるようにして、エツラが口を開いたが、わざとアマガが「やめろ!」と口をはさんだ。

「ミナベの前で、馬鹿みたいな言い争いをするな。 俺たちが、互いを信じないでどうする。 俺の話を最後まで聞け」

 ミクサは、自分を擁護するような言葉を聞けずに顔を伏せ。エツラは、舌打ちをしながら机を蹴る。

「この犯人捜しは、一人だけ潔白な奴がいないといけない。 俺は、第三者が証明できるアリバイがあるんだ。 それに、俺は、お前たちをだと仮定して追い詰めるわけじゃない……ミナベがいるんだ。 外で話そう」

 感情的になっていた二人も、この言葉が刺さったのだろう。同じタイミングで、血で汚れた死体に目をやると奥歯を食いしばって、美術室を出た。

 アマガは、その姿を見て救われたような気がした。

 どうしようもなく、二人が感情的に動き、互いを憎しみあっているのでは腐っているのと変わらない。一度、腐り切った物を戻すことなんてできないのだ。

 今はまだ、恐怖が、彼女の死を意地悪く盲目でいさせているだけなのだ。

 しかし、その安堵を揺さぶるようにしてギイが、後ろから呟いた。彼の手には、小型のラジオが握られている。

「ピエロは、自分の失敗で人を笑わせる。 だが、本当は完璧だ。 サーカス団の誰よりも素晴らしい技術を持っている。 それでも、ピエロは、泣きながら他人を笑わせるんだよ、自分の技術をひた隠しにして……どうしてだと思う?」

「何言ってんだよ」

 ギイは、ラジオに電源を入れる。曇ったノイズが鳴り出して、嫌に鼓膜を揺らしていたが、そのうち音を拾った。まだ、ノイズ交じりではあるが、微かにラジオが流れる。

「俺は、ピエロであり、エンターテーナーであり、作者だ。 観客を楽しませる義務がある。 そして、君はトリなんだよ。 この物語で、空を飛べる唯一の存在さ」

 ギイの不気味な笑みとラジオパーソナリティーの男性らしい笑い声はミスマッチで、吐き気がする。込み上げてきそうな胃液を飲み込むために、息を大きく吸った。アマガの肺を甘ったるい絵具の匂いが充満して気持ち悪くなる。

 何も答えず、美術室を出て水道へと向かう。

 その背後で、

 ――それではニュースです。 今朝未明、交番から拳銃1丁と銃弾6発が盗まれました。

 とラジオが言った。


 美術室に居た4人の生き物の内、ギイを除く3人だけが廊下に出た。

 引き戸を閉める直前、隙間から足元にラジオを置き、椅子の上で足を組みながら文庫本を読むギイが見えた。

 ミナベの死体とあるギイの姿は、美しく咲く花へ過剰に水をやる残酷さがあった。

 引き戸が音を立てても、ギイは、見向きもしなかった。

「はっ、アマガ、ヒーロー気取りもいい加減にしろよ」

「ヒーローなんて気取ってないよ。 ただ、俺は、ミナベのことを大切にしてやりたいだけだ」

 エツラの表情は、どんどん険しくなり、耳を塞ぎたくなるような暴言が飛んでくる。いつもそうだ。誰かが称賛されている時、テスト返却の喧騒、転んでしまって慰められている子供を見た時でさえ、エツラは暴言を吐く。

「いくら、お前にアリバイがあろうとも殺そうと思えば殺せるだろ」

「……俺は、お前らを疑いたいんじゃない。 これは、ゲームなんだよ」

 鼻で笑われる。

「ついに本性が現れたのか? アマガも、最低な男だな」

「違う、よく考えてみろ。 不登校だったあいつが、急にどうして学校に来た? それも、休日にミナベと関係のある俺たちと出会う……偶然には出来すぎてる」

 ミクサが小さな声で「確かに」と呟く。

「俺は、ギイが犯人だと踏んでいる。 だから、俺たちが互いを疑ってたんじゃ、あいつの思い通りなんだ。 このゲームの勝利方法は、俺たちのアリバイの証明」

「なるほどね。 アマガにしてはやるじゃねぇか。 あのクソ不登校野郎にかましてやろう」

 エツラが、分かりやすく笑っている。ギイの弱点をまた知ることができ、かつ、自分への疑いが向いていないと知ったからだ。

「で、でも、僕のアリバイは? 僕は、ミナベさんからメッセージ貰って30分も待たせちゃってる。 そこを突かれたら……」

「大丈夫だよ、ミクサ。 心配するな。 とにかく、順番に解決していこう。 まずは、エツラ……お前のアリバイだ」


   *


 誰も閉めなかった窓からは、冬の冷たい風が吹き込んでくる。だが、ギイにとっては、その風すらも物語の一部であり、欠けてはならない大切な物なのだ。

「やっと、物語が動き出したよ。 結末は何になるのかな……楽しみだ」

 何も書かれていない文庫本の3分の1くらいページをパラパラと捲り、そんな独り言を呟いた。

 ノイズ交じりに音を流していたラジオが、いまではノイズだけを流している。それを足で小突いてみる。音を立て転がり、死体の太ももで止まった。

「機械は苦手だ。 楽しませ方が分からない」

 また独り言だ。でも、それに答えるようにラジオが、再びニュースを吐き出した。

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