第2話 殺人現場の生き物たち

 西階段を息を上げながら駆けあがると正面に美術室がある。

 開いている引き戸の前には、悲鳴を上げたであろうミクサが、腰を抜かして小さく震えていた。

「ミクサ、大丈夫か?」

 上がった息を整えながら声をかけたが、息を吸うたびに鼻腔を刺激し、肺に入る空気は甘ったるく気持ち悪い。

「ナオくん……あれ」

 ミクサが、美術室の中を力なく指をさす。風でカーテンが大きく揺れている。それだけを確認して視界を、遅れて階段を上がってきたエツラに遮られる。

「おい、マジかよ」

 階段を駆け上がったからエツラも、肩で息をしていた。

 アマガは、そんなエツラに「大丈夫か?」と声をかけ、遮られていた視界の向こう側を見ることになる。

 知らないことが、どれだけ美しく平和であるのかを思い知らされた。

 美術室の中、血で汚れたセーラー服で、血の水溜まりに座り込む<ミナベ アオイ>は、糸の切れたマリオネットの様だった。一番出血の激しい右胸から流れ体から滴る血が、血の水溜まりに波紋を作り、それが非現実さを誇張させている。

「どういう事だよ……どういう事なんだよ! ミクサ!」

 アマガの声は、誰から見ても怒りに満ちていた。

 だが、それも仕方がない。

 アマガは、ミナベに恋をしていた。ミナベも同様に、アマガに恋をしていた。

 最寄駅から家まで、自転車を二人乗りして帰った時の照れくさい沈黙が心地いいみたいに、純粋な恋を二人は楽しんでいたのだ。

 それを、こうも残酷に切り捨てられ、冬の風に晒されている。

「わからないよ! 僕だって、ミナベさんに呼び出されてここに来たんだ!」

 アマガの威圧に怯えながら、自分のスマホを掲げる。確かに、アマガやエツラと同じ文面がそこにはあった。

「これって……ヤバくないか」

 珍しくエツラが弱気だった。怯えるミクサを見下すことも、犯人を愚弄することもせず、へ単純に恐怖していた。

 いや、エツラだけではない。ミクサだって、アマガだって、飲み込めない状況が、堪らなく恐ろしかった――たった一人を除いては。

「くくく……素晴らしい語りだしだ」

 含み笑いが混じった喋り方をする男の声は、誰の物でもない。

 ミナベを知っている三人が振り返り、その声の主――<ギイ>を視界へ捉える。

「不登校野郎……お前、なんで笑ってんだ? 人が死んでんだぞ!」 

 エツラの叫び声が響く。

 しかし、ギイは気味の悪い笑みを浮かべていた。

「あぁ、死というのは悲しい。 だけども、俺は、死を悲しみだけで終わらせたくない。 貴重な舞台じゃないか」

「いい加減にしろよ!」

 エツラが、ギイの襟首へと掴みかかる。それでも、ギイは、笑みを浮かべ続けている。

「なぁ、知ってるか? ミステリーやホラーの物語で、悪役や最初の死人は、一番最初に騒ぎ立てた奴なんだよ」

「何言ってんだ? じゃ、俺がミナベを殺したっていうのかよ!」

 ギイが、気味の悪い笑みをより一層大きくする。

「殺した? 彼女は殺されたのか? 君は、彼女が殺されたところを見たっていうのか?」

「はぁ? んなこと誰も言ってねぇーだろ! なぁ、アマガ――」

 エツラが、振り返るとアマガもミクサも目を伏せていた。誰一人として、彼の味方をする者はいない。

「ふざけんなよ……俺が殺したっていうのか! そうだ、アマガ、お前、俺と一緒にいたよな? なぁ!」

 アマガの肩を激しく揺らし、言い寄る。

「……あぁ、俺といた。 それに、エツラは、アオイに呼び出されて学校に来た」

 エツラは、安心したかのように美術室の椅子へと座り、髪を掻き上げ「なんなんだよ……くそ」と嘆く。

 アマガだって、エツラを犯人だとは思っていない。だが、ミナベの死は<殺人>ではないのか、と思っていた。

 彼女の制服は、右胸の部分に酷く血が滲んでいた。きっと、水溜まりを作るだけの出血をする傷があるのは、一目瞭然だ。

 それに、自殺だとするなら右胸を攻撃するための凶器が落ちていてもおかしくない。だが、それらしい物は見当たらない。

 それに、彼女が自殺をするだなんて考えられなかった。

 ミナベは、誰かに胸に大量出血をするほどのケガを負わされたのだ。

「警察を呼ぼう。 それしかないよ」

 アマガの精一杯の言葉だった。怯えるミクサとエツラを安心させる目的もあるが、一番の理由は、死んだミナベの口癖だ。

 ミナベは、いつも「みんな、仲良くしなきゃだめだよ」と言っていた。

 このままでは疑心暗鬼が続き、ミナベが報われない。こんな時に、仲間内で疑い合っているのが、一番最悪なのだ。

 しかし、それを見事に否定したのはミクサだった。

「駄目だよ! 僕のアリバイはない! それに、僕は受験があるんだ! 今、警察に通報されたら、取り調べやらなんやらで受験勉強なんてできやしないよ!」

「これだから、がり勉蛆虫なんて呼ばれんだよ! 警察に任せれば、俺たちの身の潔白が……わかった。 がり勉ミクサ、お前が、ミナベを殺したんだろ!」

「違う! エツラくんが殺したんじゃないのか? さっきから、誰かを犯人にしたてようとしてるんだろ!」

「ふざけるな!」

 エツラとミナベの言い合いは、誰も報われない最悪の結果となった。 

 全く違う人格である4人を綺麗にまとめていたのは、全てはミナベなのだ。

 口が悪く、屁理屈ばかり言うエツラにもミナベは、笑って許してあげられる。

 勉強に追い込まれてばかりいるミクサを無理やりにでも外へ引っ張り出して、ストレスを発散させてやる。

 そんな彼女の優しさに、アマガは恋をしたのだ。

 しかし、その大切な糸を失った。後は、バラバラに崩れていき、腐っていくだけだ。

「そこまでだ、生き物たち! 中身のない言い合いは、エンターテイナーじゃない。 こんなに素晴らしい舞台が用意されてるなら、登場人物の生き物は、観客を楽しませなきゃいけない義務がある」

 ギイの言葉に、二人の言い合いは止まった。

 机の上に登り、コメディ映画のような大げさな一礼をして、話を続ける。

「警察なんてものは、いわばチート。 物語の質を下げる。 それに、ウサギくん、僕だってアリバイがない。 語り手が、犯人なんて物語つまらないだろう?」

 ミクサの方を指さして「ねぇ、ウサギくん」と尋ねる。

「僕が、ウサギ?」

「そう! 臆病者だからウサギ。 嫌われ者だからカエル。 自由で人気者だからトリ。 そして、エンターテイナーであるからキツネ……それかピエロだ」

 ギイは、ミクサ、エツラ、アマガの順に指をさし、生き物の名前を付けた。そして、最後に自分の胸に当てて名前を付け、話を続ける。

「これは、ゲームなんだよ。 時間が経てば犯人は、アリバイ工作や証拠隠滅ができる。 だが、この場にいるのなら生き物たちが邪魔を出来る。 美しい蝶を殺した害獣を見つけるゲームなんだよ」

 目を見開き、大きな笑みを作るギイは不気味で仕方がなかった。

 それに、エツラが食ってかかる。

「どうせお前が犯人なんだろ! つまらな――」

 口の悪い言葉を吐き出そうとしているのをアマガが制止させ、ギイへ言った。

「ギイの言い方はどうであれ、俺たちは犯人を捜すしかないようだよ。 ここにいる誰もがアリバイがない。 それに、ミナベからあんなメッセージを受けてるんだ。 少なくとも俺たち三人は疑われるだろうな」

「はぁ? じゃ、なんだ、この不登校野郎は犯人じゃないっていうのか?」

「今は、そうだ。 だけど、ミナベが自殺をするわけがない。 必ず犯人がいるんだ。 犯人を見つけて自首させる……それでいいだろ、ギイ」

 もう、平和的にミナベの言葉通りに事を運ぶ方法はない。確実に、アマガたちは崩れて、腐っていく。犯人を見つけ出すことだけが、アマガたちを修復する最後の手段なのだ。

 机の上から見下すような双眸と目を合わせる。感情の読めない目だ。

「あぁ、物語は始まっているんだ。 最高のハッピーエンドを期待してるよ」


 美術室に午後五時を告げるチャイムが鳴り響いた。

 日暮れのオレンジは、いつの間にか消えており、室内を闇と異常が充満している。

 だが、その異常に気付いているのは、誰もいなかった。

 なぜなら、この場にいる全員が、彼女を殺したい動機があるのだから。

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