第38話 追放

「これでも喰らいやがれっ!」

 鋭く伸びたフェンリルの爪が、風切り音を立ててルシファーへ殺到する。

 ルシファーは魔力シルフで障壁を作り、爪の餌食になるのを防いだ。その直後、火炎魔法を放つ。フェンリルは炎を紙一重で避けた。

 一進一退、攻と防を変えながら二人の悪魔は戦っていた。永遠に勝敗が付かないように思えた。

「…………う……」

「マギィ!」

 ふいに、隣で小さな唸り声が聞こえた。まさかと思い目をそちらに向ければ、気を失っていたマギィがうっすらと目を開けていた。ハウウェルは慌てて彼女を助け起こす。

「大丈夫?しっかりして……」

「……ハ、ハウくん……?…………悪魔、フェンリル……倒さないと!」

 一瞬、状況が解らずにぼんやりと天上を見たマギィだったが、急に目を見開いて立ち上がった。そして、ルシファーと対峙するフェンリルめがけて走り出す。

「クリスタリゼイション!」

 鋭利な結晶の粒がフェンリルに牙を剥いた。目の前のルシファーに気を取られていたフェンリルは、飛来する結晶に気付くのが遅れた。慌てて飛び上がり回避したが、その頬は避けきれなかった結晶により薄く切れ、血の糸が垂れた。

「邪魔だ小娘!」

「きゃああっ!」

 フェンリルは怒りに目をぎらつかせ、マギィの胸倉を掴み投げ飛ばした。彼女は倒れ伏して動けないでいたメルチェイの上へ落ちた。メルチェイは「ぎゃあっ」と場違いな悲鳴を上げる。

「邪魔ばっかりしやがって…………まとめて始末してやるよっ!」

 フェンリルは二人の少女に向かって飛び掛かった。二人は、身を固くして抱き合った。

 その時だった。少女二人へ襲い掛かろうとしていたフェンリルの腕の動きが止まった。彼は忌々しそうに舌打ちをし、自身の攻撃の邪魔をした相手を睨もうとした。

「邪魔すんなって言ってんだよ。…………な、お、まえ……!」

 相手の顔を見た途端、フェンリルの顔はすっと青ざめていく。瞳は、恐怖に打ち震えるがごとく、僅かに揺らいでいる。

「何で、マギィとメルチェイを傷つけるの」

 ハウウェルは、激しい怒りに囚われていた。そのためか、悪魔のフェンリルの繰り出した腕を捕らえ離さない。クラスの中で非力な部類に入る彼にとっては、異常な力であった。

 全く身体が動かない。どうしたことだ。悪魔の頂点に君臨する一人であるこの俺が、目の前の少年に気圧されているとでもいうのか。

 ――まさか、こいつは……。

 凍りついたように動きを止めたフェンリルに、ハウウェルはなおも問うた。

「何故、僕を殺さないの」

 ハウウェルの漆黒の瞳が、憤怒の炎をたぎらせている。フェンリルは、その瞳に見覚えがあった。

(こいつは…………サタンか!?)

 質問にも答えず、ただ黙って怯えたように見つめるだけのフェンリルに、ハウウェルは苛立った。

「だから……僕を…………」

 瞬間、ハウウェルの中で何かがはじけた。

「殺せって言ってるんだよおおおおおおおおっ!」

 ハウウェルを中心に、衝撃波のようなものが生まれる。フェンリルはそれによって吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。彼の口から、血が吐き出された。

「…………フェンリルよ、今すぐ退け。お前では私に敵わない」

 突如厳かにそう言い放ったハウウェルを、メルチェイは怪訝な目で見た。まるで、中身が別人に変わってしまったかのようだ。

 一方でマギィは、ハウウェルの豹変した理由を知っていた。

「サタンが……魔王サタンが覚醒した……」

 そう、今フェンリルに杖を向けているのは落ちこぼれのハウウェルではなく、古の十二の悪魔の一人、【憤怒】を司る魔王サタンなのだ。

 少年の姿をした魔王に睨まれ、【破壊】の狼は後ずさった。

すげえ威圧感だ……。……けど、)

 しかし、震える足を押しとどめ、魔王めがけて疾駆する。

「ここで引き下がるなんざ、俺のプライドが許さねえんだよっ!」

 向かってくるフェンリルに、ハウウェル――サタンは落胆したような表情を浮かべた。そして、両腕を大きく広げる。

「残念だ。我が幻獣の餌食となるがよい」

 サタンを守るように、何匹もの幻獣が出現した。サタンが手を軽く振ると、彼らは一斉にフェンリルに襲い掛かった。

 フェンリルは幻獣たちを払いのけようとしていたが、ふいに、その動きを停止した。それと同時に幻獣たちは消滅する。

 ノルエの身体から、小さな光の粒が飛び出した。その光の粒に向けて、サタンは言う。

「せめてもの慈悲だ、魂の欠片だけは残しておいた。……早く失せろ!」

 どうやら、それがフェンリルの魂のようだ。光の粒はサタンの言葉に怯えたように小さく跳ね、姿を消した。


「サタン……」

「久しいな、ルシファー」

 二人は、手を取り合って再開を喜んだ。

「ずっと心配だった。君が消えてしまったんじゃないかとも思った」

「私が消える筈がなかろう。お前も、無事でよかった」

 悪魔と悪魔、というよりは、ただ互いの無事を喜ぶ人間のようだった。

 二人は暫く見つめ合っていたが、ルシファーの黒い瞳が紫に戻ったことで現実に引き戻された。

 ハウウェルの身体から力が抜けた。仰向けに倒れゆく弟子を、バルハラは優しく抱き留めた。

「お疲れ様」

 どこか安堵したような表情で眠るハウウェルと、その頭をを撫でるバルハラを、夕日が照らした。

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