第32話 火傷
ハウウェルの身体の炎は、メルチェイの放った水流魔法によって消された。全身水浸しのハウウェルはその場に倒れ込み、苦しげに呻いた。その光景を見たバルハラも驚いたように杖を引っ込めた。
メルチェイは今にも泣き出しそうな顔でハウウェルを抱き起こす。
「ハウウェル、あんた何やってんのよ……!何であんな奴庇うの!?」
メルチェイは、いまだに地面に座り込み、身体を震わせているアロガンを指さした。彼は身体の所々に火傷を負ったハウウェルを、怯えたように見つめていた。
「……ヴァイス」
自分の弟とそっくりの容姿の弟子が、自分の放った炎に飛び込み火傷を負った。その光景は、幼い日にこの屋敷を脱出した時を思い出させた。
バルハラは呆然と立ち尽くしていた。
「ねえ!」
突然、メルチェイの大きな声が室内を揺るがした。その場にいる全員の視線が彼女へ向く。
「何でハウウェルが怪我しなきゃいけないのよ!ハウウェルは何も悪いことしてないのに!何で…………!」
涙を流しそう訴えかける彼女の手に、別の人物の手が重ねられた。見れば、それは赤くただれていた。
「…………メルチェイ、もういいよ。それよりも先に、依頼を……」
「こんなの依頼なんかじゃないわよ。【太陽の魔道士】の個人的な復讐。……そうなんですよね?」
メルチェイはバルハラを睨みつけた。彼女の声で我に返ったらしいバルハラは、ややあって口を開いた。
「……ああ、そうだね。これは依頼じゃない、母と弟を奪ったこの男を殺すことが目的だった」
尊敬する【太陽の魔道士】に今にも掴みかかりそうなメルチェイの腕に、ハウウェルは必死でしがみついた。彼女はそれを振り解こうとしてもがいた。
「バルハラさん……、いくら憎くても、人を殺すのは駄目です……」
必死に訴えかけるハウウェルの姿が、幼い日の弟のそれと重なった。自らの命を犠牲にして、自分を逃がしてくれた優しい弟。弟子は、本当に弟の生き写しだった。
俺は本当にこの顔に弱いな、とバルハラは思った。
「………………今後、魔物狩りを一切やめるというのなら命は奪わない。どうする」
バルハラは厳しい眼差しと声をアロガンに向けた。アロガンは涙を流しながら、何度も何度も頷いた。それを確認すると、バルハラは表情を緩めてハウウェルらを振り返った。
「さ、帰ろう。まだまだ依頼はあるんだから」
その表情は、普段の【太陽の魔道士】バルハラのものだった。
屋敷を去る時、その門まで、マリティアが見送りにきた。
「……ごめん、マリティア」
「いいえ、気にしないで。サクお兄様にも会うことが出来たんですから」
それに、貴方とわたくしはずっとお友達です、とマリティアはメルチェイの手を握る。友人を裏切る形となってしまって気持ちが沈んでいたメルチェイは、つられて笑った。
「ありがとうマリティア。……また、遊びに行ってもいい?」
「ええ、勿論」
二人は別れを惜しむように、だが嬉しそうに互いに笑い合った。
「本当は転移魔法を頻繁に使っちゃいけないんだけど……。今日は疲れたからいいよね」
バルハラは転移魔法の魔法陣を発動させた。メルチェイもハウウェルに手招きされ、言われなくても行くわよと言葉をぶつけた後に魔法陣の中へ入った。
魔法陣が消滅する間際、バルハラは、マリティアが自分を見ていることに気が付いた。
(お兄様……、また、来てくださいますか?)
(ああ、勿論)
同じように返事を魔力に乗せると、妹は安心したように微笑み、手を振った。
アトリエに帰還したハウウェルは、師に治癒魔法を幾重にもかけられることになった。あちこちにある火傷を見て慌てふためく師に、ハウウェルは困惑した。
バルハラの呼びかけに呼応し、癒しの精霊ヒーリアの力が彼の右手に与えられた。
ハウウェルは柔らかな治癒の光に包まれた。
「そんなにかけなくても……。ヒーリアもびっくりしてますよ、きっと」
「こんな大火傷をしたら、誰だって心配するよ。…………これで、よし」
魔法とは便利なものである。治癒魔法は傷を塞ぐだけでなく、その痕跡さえも消してしまう。ただ、あまり魔法に頼り過ぎると人間の身体がもつ本来の能力が退化してしまうため、頻繁には使えない。
弟子の治療が終わると、バルハラはラスキウスとデジールの方を振り返った。彼らは屋敷を出る際に、仲間の毛皮をアロガンから受け取っていた。
ラスキウスはバルハラと目が合うと、美しく微笑んだ。
「私たちは森へ帰ります。弟を助けてくださった上に、願いまで聞き入れてくれて……本当に、感謝してもしきれないくらいです」
「ありがとうございました」
姉に続き、デジールも頭を下げた。
元の姿――フーヘイに戻った姉弟は、草むらの中に消えた。
「そういえば、報酬って何なの?また貰ってないじゃない」
メルチェイが机に肘をついてぼやいた。彼女は自分の行いが報われず、不満なのだ。バルハラの指示で爆発魔道器具をグリモワールの屋敷中にばら撒いたが、結局それは依頼に何ら役に立つことなく、指示した本人であるバルハラによって全て撤去されてしまった。
友人を裏切るか与えられた任務をとるかで葛藤したが、全く無駄だったのである。
その気持ちを読んだ(正確には、不満が彼女の顔に出ているのである)バルハラは、申し訳なさそうな表情を作った。
「ごめんね、メルチェイさん。これは前のユニコーンとグリフォンの依頼の延長線なんだ。だから報酬はないんだよ」
「はあ?じゃああたしは何のためにあんな怖い思いをしたのよ……」
盛大なため息を吐いて机に突っ伏してしまったメルチェイ。バルハラの眉が下がった。
ハウウェルは、目の前の落ち込む天才少女の機嫌を直そうと試みた。
「君にもちゃんと得られたものがあるじゃないか」
「何よ、落ちこぼれ」
メルチェイに落ちこぼれと言われるのは、もうすっかり慣れてしまった。
「マリティアさん……だっけ。大事な友達が出来たじゃないか」
ハウウェルの発言を聞いた途端、メルチェイは、目を釣り上げて足を踏み鳴らした。ハウウェルの口に、どこからともなく飛んできた白布が巻きつけられた。……多分彼女の魔法だ。
「それとこれとは話が別!報酬として高度な魔法教えてもらいますからね!」
急に矛先を向けられたバルハラは、ぎこちなく笑顔を作る。
「あとは任せたよ!」
弟子にそう言うと、バルハラは瞬時に魔法陣を召喚し、その中に消えた。
逃がさない!と天才少女も、すぐさまアトリエから飛び出していく。
「……はぁ…………疲れる……」
取り残されたハウウェルは、白布を外すと、大きなため息を吐いてソファに倒れ込んだ。
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