第31話 サクリファス

 バルハラは自嘲気味に笑った。

「俺は、バルハラ・ローウェンディートじゃない。本当の名は、サクリファス・フォル・グリモワール。このグリモワール家の十番目の妾の子さ」


 グリモワール家は、世界に名を轟かせる十二の魔道の名門の一つである。悪魔王ルシファーの血を引いていて、人間を操ることに長けていた。

 当時のグリモワール家当主アロガン・ドーラ・グリモワールと十番目の妾であるテリオという女との間に、二人の子どもが生まれた。テリオは屋敷の使用人として働いていて、その神秘的な雰囲気をアロガンが気に入り、妾となった。ただ、彼女は使用人として働く前の経歴は一切明らかにしておらず、妾となって人より少し目立つようになるとその存在を訝しがる者もいた。しかし、当主のお気に入りということで下手に手出しは出来ない。

 アロガンとテリオの子は、最初に生まれた方がサクリファス、後に生まれた方がヴァイスと名付けられた。どちらもテリオが命名した。

 二人の子どもはすくすくと成長し、後に生まれた他の妾の子と遊んで暮らした。ヴァイスが生まれた翌年に十一番目の妾が生んだマリティアとは特に仲が良く、三人で庭園を駆け回ることも多かった。


 サクリファスはルシファーの血を色濃く引いていて、容姿も伝承の中の悪魔王そっくりだった。そのため、グリモワール家の者たちは我らの祖先が再臨したと喜び、彼を特に大切に育てた。


「サクお兄様、ヴァイス、早くー!」

 可愛い妹が遠くの方で手を振っている。身体の弱い弟と同じ歩調で進んでいたため、先を行く妹から離れてしまったのだ。

 今行くよ、と返しながら再び歩き出す。

「兄さん、先に行きなよ。マリティアが待ってる」

「いいよ。ゆっくり行こう」

 サクリファスの弟ヴァイスは生まれつき身体が弱く、激しい運動は禁じられていた。ただ歩いただけで疲れを感じるのだから、激しい運動など出来まい。そんな彼は兄やマリティアを気遣って控えめに振舞うことが多く、それがサクリファスにとって心配の種だった。

 マリティアは活発な娘である。いつも三人の先頭に立って残りの兄弟を引っ張っていた。

 庭園で花輪を作ったり、魔物と遊んだり……。この穏やかで無邪気な日々は、ずっと続くものだと信じて疑わなかった。


 その日々の終焉は、テリオの素性が明らかになったことにより訪れた。

 テリオは、グリモワール家が忌み嫌い、過去に迫害の的となっていた黒魔女一族出身だったのだ。

 そのことが皆に知れ渡ってしまったのは、彼女が息子たちにつけた名前のせいであった。

 黒魔女たちが使う言語とそれ以外の者たちが使う言語は、同じ言葉でも違う意味をもつことがあった。サクリファスという名は、黒魔女たちの中では「幸福」という意味だが、それ以外の人間たちにとっては「生贄」の意味で、ヴァイスも、黒魔女らの間では「天使」、それ以外の者にすれば「悪魔」という意味をもつ。

 実の息子たちにそんな名前をつけることを不思議に思った周囲が、使用人数人にテリオの経歴を調べさせたのだ。

 テリオが黒魔女であることを知ったアロガンは、忌むべき存在の子を成してしまったことを世間に知られるのを恐れ、すぐさま彼女と彼女の息子であるサクリファスとヴァイスの処刑を命じた。

 夫を信じていたテリオは彼の言葉に騙され、ある夜息子らの前で火あぶりに処された。

 テリオの処刑が済めば、当然その子どもである二人に手が伸びてくる。

 母親が殺された翌日、二人は使用人たちに拘束された。

 縄で縛り上げられ、処刑台に乗せられた。まだ十にも満たぬ子どもであった兄弟は、恐怖に打ち震えた。

 しかし、処刑が執行されようとしたその瞬間にヴァイスが転移魔法を使用し、兄を母の故郷である黒魔女の里へと飛ばした。

 サクリファスが転移魔法で掻き消える直前に見えたものは、炎の中で自分に微笑みかけている弟の姿であった。


 黒魔女の里で母の親戚に保護されたサクリファスは、バルハラ・ローウェンディートと名を変えて放浪の旅に出る。容姿、実力共にルシファーの生き写しであったことから、彼は瞬く間に名が知れ渡った。その太陽のような微笑みや輝かしい功績、偉大な存在から【太陽の魔道士】という異名がついた。

 【太陽の魔道士】バルハラ・ローウェンディートは、父親に復讐する機会をうかがっていた。その中でグランフェリデ家のハウウェルと出会い、アトリエで依頼をこなすようになった。

 ユニコーンのスティアの依頼で魔物狩りの元凶が生家にあることを知った彼はそれを好機と見てすぐさま行動に移した。

 表向きはグリモワールの屋敷の爆破だが、実際はバルハラ自身の復讐のためだったのだ。

 計画を実行する前夜に、人間に化けたフーヘイの姉弟――ラスキウスとデジールが姿を現し、彼らと利害が一致したため協力を仰いだ。


 そこまで語り終えると、バルハラは男――アロガンを睨みつけた。

「随分話しちゃったな。……わかっただろう、マリティア。お前の父は保身的で、欲にまみれた醜い男だと」

「そんな……、ヴァイスは、病気で亡くなったのでは……」

 自分が父から聞かされていたことは、全て嘘だったというのか。

 マリティアは衝撃のあまり、眩暈を起こして倒れてしまった。地面に身体が打ち付けられる寸前で、デジールが受け止める。

 デジールの腕の中で嘆く娘に、アロガンは必死に訴えた。

「ち、違うのだマリティア!この者が言っていることは全て作り話……」

 アロガンはやっとのことで椅子から立ち上がりマリティアのもとへ行こうとするが、一本の杖と怒鳴り声に遮られた。

「見苦しい、潔く死ね!」

 普段の物腰柔らかな師からは想像出来ない、怒りと憎しみに満ちた声。そして、彼の瞳も普段の宝石のような紫の瞳ではなく、漆黒に染まっていた。黒い瞳は悪魔の血を引いている証拠である。

 バルハラの持つ杖の先から、イクスプロージョンの炎がほとばしった。それは腰を抜かして動けないでいるアロガンめがけて飛んで行く。

「ひいいっ!」

 アロガンの、大の男とは思えぬみっともない悲鳴が響き渡った。


 ハウウェルの身体は、勝手に動いていた。

「ハウウェルっ!」

 メルチェイの自分に向けた叫びが耳に入った。

 身体が焼けるように熱い。いや、実際に炎に焼かれているのだ。

 反射的にアロガンを庇うように立ちはだかったハウウェルは、バルハラの放った炎をまともに食らってしまった。服にまとわりつく炎はそう簡単に消える筈もなく、燃え広がるばかりだった。

 ハウウェルは動くことも出来ず、ただ炎に包まれたまま立ち尽くしていた。

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