第29話 潜入

 人の気配がした。バルハラとラスキウスはすぐに柱の陰に隠れた。息を殺して様子を窺うと、雑談しながら通過していく二人の男がいた。どうやら彼らはこの屋敷の私兵のようだった。

「遅いですわね」

 ラスキウスが静かに言った。遅いというのは、勿論シトニアスの街で依頼を行っている二人のことである。

「大丈夫ですよ。もう依頼を終えてこちらに向かってるでしょう。かすかだが近付いてくる彼らの魔力シルフを感じる」

 バルハラは自分より少し低い位置にある顔に微笑んでみせた。

 表向きはスティアの依頼の続きといった感じだが、バルハラがこの屋敷を訪れたのは別の目的もあった。

「私たち兄弟の無理を聞いてくださり、ありがとうございます。私たちの仲間は多くが捕らえられ、殺されてしまいました。彼らの無念を晴らすことが出来るのだと思うと……」

 ラスキウスは、バルハラに頭を下げた。バルハラは、そんな彼女に笑いかけた。

「いえ、協力をしてもらって助かっているのはこちらです。まさか、貴方たちが人間に化けた魔物だとは思いませんでしたけど」

「私たちフーヘイは、化けるのが得意なんです」

 ラスキウスは小さく笑みをこぼした。

 決行の時は近い。バルハラは杖を召喚した。


 噴水に落ちた時に濡れた服も、だいぶ乾いてきた。グリモワール家が見えてきたのは、そんな頃だった。

 グリモワール家は魔道の名門だ。バルハラやマギィのように、魔力の流れを感じ取ることが出来る人物がいる可能性がある。屋敷の付近は、下手に魔法を使えない状況下にあった。

 立派な屋敷の目の前に来た時、ハウウェルとデジールの足下に見覚えのある魔法陣が浮かび上がった。突然現れたそれに一瞬驚いたハウウェルだったが、それが誰の放った魔法かすぐにわかったため、ほっと肩の力を抜いた。


 バルハラの召喚魔法で呼び寄せられた二人は、ひとまず再会を喜んだ。

「バルハラさん、依頼終わりました」

「姉さん、無事でよかった」

 バルハラは頑張ったね、と弟子の肩を軽く叩いた。ラスキウスの方は弟の無事な姿に目を細めた。

 【太陽の魔道士】は柱の陰から屋敷を見上げた。そして、弟子の方を振り返るといつものように微笑んだ。

「さあ、のんびりはしてられないよ。屋敷の中であの子が頑張ってくれてるだろうし」

「あの子……?」

 バルハラはハウウェルが首を傾げたのを視界の端に捉えたが、その腕を掴んで歩き出した。


 メルチェイは、通された部屋の中をぐるりと見渡した。向かう道中で誰にも会わなかったのが幸いだ。

 一目で高価な物だとわかる家具が並んでいる。壁には時計と一枚の絵画が掛けられていた。流石はお嬢様の私室だ。

 目を見張っている友人の手を、マリティアは優しく引いた。そして椅子の前まで導くとそこに座るよう促した。

「ここに座ってくださいな。わたくし、もっと貴方とお話ししたいのです」

「ええ、あたしも」

 こんな高そうな物が並ぶ部屋では下手に動けない。何か壊してしまったら大ごとだ。

 メルチェイの視線がふと、絵画のところで止まった。そこには三人の子どもが描かれている。中心には、マリティアであろう少女、その両隣には知らない少年たちが笑顔を向けていた。左側に立つ少年の顔は、誰かに似ているような気がしたが、わからなかった。

 時計を見ると、十三時を回ったところだった。決行までまだあと、三時間ある。

 メルチェイは友人に向き直ると、明るい笑顔を向けた。

「あたし、今日は学園が休みだから長くいられるの。あんたといっぱい話したいな」


 豪奢なシャンデリアが室内を照らす。壁に掛けられた絵画はどれも有名な名画ばかりで、床に敷かれた絨毯は埃一つ落ちていない。まさに豪華絢爛、という言葉が当てはまる。

 そんな部屋の奥に据えられた椅子に腰かけている男は、にんまりと笑みを浮かべた。彼の着る服は上等な布地で出来ていることが一目でわかる。黄金の指輪を幾つもはめた手で、傍にある呼び鈴を鳴らした。

 ほどなくしてお呼びですか、と現れた使用人に命じた。

「マリティアを呼びなさい」

 命を受けた使用人は速やかに退室する。再び、部屋にはこの男一人となった。

 彼は立ち上がり、椅子の隣に置いてある箱を開けた。その中に入っていた物を見て、満足げに笑った。それは非常にいやらしい笑顔であったが、愛娘の声が扉の外から聞こえた途端に男は慌てて椅子に座り、厳格な顔つきになる。

「マリティアです」

「うむ。入れ」

 淡い青髪を揺らしながら入室してきた娘に、男はだらしなく緩んだ頬を隠しきれなかった。

 一方、そんな父の表情に気付かぬマリティアは、何用かと問うた。娘の鈴の鳴るような声を聞いた男は、更に表情が崩れていく。もはや先程急いで取り繕った厳格さのかけらも無い。

「お前にこれをやろう」

 マリティアと共に入室してきた侍女が、椅子の傍の箱を開け、その中の物をマリティアに差し出した。

 それは純白の毛皮の羽織であった。毎日庭で魔物と戯れているマリティアは、すぐにこれがルーンの毛皮だとわかった。

 この毛皮の持ち主だったルーンは、殺される時、皮を剥がれる時、どれほどの恐怖と痛みに怯えていたのだろう。人間の嗜好のためにこうして殺されるのは間違っている。

 これは父が自分のためを思ってくれた物。そう思うと、純粋なマリティアには悲しい表情など出来る筈がない。健気に笑顔を作り、父に礼を言った。

「ありがとうございます、お父様」

「気に入ってくれたか」

「……ええ。大切にします」

 マリティアは毛皮をきつく抱き締めた。その行動が、父には娘ががよっぽど毛皮を気に入ったように見えたらしい。

 嬉しそうに笑う父を悲しげに一瞥すると、マリティアは退室しようと踵を返した。

 その瞬間、青く大きな魔法陣が部屋の床に浮かび上がった。

 マリティアは魔法陣の中から現れた人物たちを見て、目を見開いた。

 突如としてこの場に降り立ったのは、淡い青髪の青年と栗色の髪の少年、黒髪の男女、そして、自身の友人である桃色の髪の少女であった。

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