第28話 元泥棒

 どうにも気まずい空気が漂う。デジールは彼らの間にあった出来事を知らないため、首を傾げた。

 ややあって、少年の方が口を開いた。その視線はハウウェルから離れようとしないルーンに向けられている。

「……何でコイツが懐いてんだよ。オレ以外にこんな甘えてくることはなかったのに」

「それはこっちが聞きたいよ。いきなり飛び付いてくるし……」

 ハウウェルはルーンを見下ろした。甘えるように自分の腹に頭を擦り付けている。この魔物がとても人に警戒心を抱くようには思えない。

 そこで、デジールが依頼の資料を覗き込んで言った。

「この子で間違いないよ、迷子は」

「やっぱりそうですか……。ルーンなんて珍しいし」

 おい何を話してるんだと少年が割り込んできた。彼はハウウェルからルーンを引きはがそうとするが、ルーンはそれを拒み、前足と後ろ足でハウウェルにしがみついた。

「ね、ねえ、このルーンとはいつ頃から一緒にいるの?」

 ルーンにしがみつかれているため身動きが取れないハウウェルは、顔だけ少年の方へ向けて問うた。その声に、少年は鬱陶しそうな顔をした。

「はあ?半年前ぐらいからだけど。それがどうかしたのかよ」

 ハウウェルは心の中で苦笑した。この少年、マギィ以外には態度がすこぶる悪い。愛想のかけらも無い。……いや、そんなことは今はどうでもいいのだ。

 少年は半年前にルーンと出会った。そしてそれは、今回捜しているルーンが失踪した時期と重なる。デジールが言ったように、迷子になったのはこのルーンで間違いないようだ。

 ハウウェルは手短にそれらの事情を少年に説明し、ルーンを引き渡すように頼んだ。頼みながらも、目の前の少年が簡単に頷く筈がないと思った。

「んなこと出来るかよ。コイツはオレが拾ったんだ。コイツが逃げ出すような飼い主になんて預けてたまるか」

 予想通り、少年は目を吊り上げて不機嫌そうに吐き捨てた。しかしこればかりは報酬のかかった依頼なので譲れない。ハウウェルは少年を説得しにかかる。

「飼い主さんはすごく心配してるよ。だから……」

「渡さねえったら渡さねえの!飼い主がコイツの目玉とか牙は薬になるからって売ったらどうすんだよ!」

「……それは…………、でも、そんなことはしないよ」

 飼い主がどんな人なのかは知らないが、金に目がくらんでルーンを誰かに売り渡すことが絶対にないとは言えない。しかしシトニアス街にそんな商人が出入りすることはハウウェルの記憶上ないし、魔物を原料にした薬は特別な許可がない限り製造することは禁止されている。だからよほどのことがない限りルーンを売りに出す者はいないだろう。

 それまで黙っていたデジールが少年に質問した。

「……そんなにその子が大事?」

「当たり前だ!」

「じゃあここに飼い主さんを連れてこようか。直接話し合うのがいい」

 ハウウェルも少年もデジールの発言の意味がわからず、彼を見つめることしか出来なかった。

 二人をよそに、デジールはその場で目を閉じ、両手を組んだ。

「プロスクリスィ……メトコス、ルーン」

 その瞬間、黒い魔法陣がデジールの前に現れた。妖しい輝きを放つそれに、ハウウェルと少年は目が釘付けになった。

 魔方陣は二度強く輝くと、その中に人の影を残して消えた。

「え……どこ……?」

 魔法陣より呼び出されたのは、一人の女性であった。その両目は眠そうで、ぼんやりと辺りを見渡した。彼女は緊張感などの感情とは無縁そうな雰囲気だった。

 そんな彼女に、デジールは優しく声をかけた。

「急に呼び出してしまってすみません。貴方にお聞きしたいことがあって」

「なるべく手短にね……あたし眠い……」

 人目もはばからずに大きなあくびをした女性に、ハウウェルは苦笑いを浮かべた。

 一方、少年の方はこののんびりした女性に怒りを募らせていた。こんなヤツがルーンを飼ってたのかよ、やっぱり信用出来ねえ。

「オマエがアイツの飼い主か?」

 女性は、少年が指さした先にいた、ハウウェルにすり寄っているルーンを見た。するとだらしなく頬を緩め、笑顔になる。

「そうだよ……、あれ、あたしのルーン……」

 その笑顔にますます苛立った少年は女性を突き飛ばした。ふらふらと尻もちをつきそうになったが、間一髪、デジールが受け止めた。

「オマエが大切にしないから逃げ出したんだ!どうせ育てるとこまで育てたら、商人に売るつもりだったんだろ!」

「ちょっと、やめなよ」

 女性を抱き留めたデジールごと蹴り飛ばさん勢いの少年を、ハウウェルは羽交い絞めにして止めた。少年は解放を求めてもがいた。ルーンはその様子を心配そうに見つめている。

 この状況の危険さを全く理解していないであろう女性は、不思議そうに首を傾げた。

「え……?売るつもりなんてないわ……。あたし、ルーンを野生に返したのよ……」

「は……?」

 少年は女性の答えに怒気を削がれ、眉を寄せて目を見開いた。なんとも間抜けな面である。

 二の句が継げないでいるハウウェルたち三人に、女性は事情をのんびりと説明し始めた。

 女性は魔物を研究者で、ある日アンの森付近で子どものルーンを拾った。そのルーンはまだ子どもだからなのか非常に人懐っこく、多くの人に警戒するそぶりは見せなかった。それをいいことに、彼女は七年の間研究を兼ねた飼育をした。

 しかしある時から野生に返して自由にすべきだと思うようになり、一から狩りのやり方を教えた。呑み込みの早いルーンは、およそ一週間でそれを覚えた。ほどなくして、ルーンはアンの森に放された。凶暴な魔物が多いと噂のアンの森だが、強くなったルーンならば問題ないだろう、と女性は思った。

 何の障害もなくルーンを野生に返すことは成功したように見えた。……が、一つ大きな障害があった。それは、女性の母親である。彼女は七年もの間世話をしてきたルーンが可愛くて仕方が無く、情が移ったらしい。【太陽の魔道士】にルーンを取り戻してもらうため、娘に内緒で依頼を出したという。

「……もう野生に返したんだから、あたしは関係ないの……。確かにあの子は可愛いかったけど……あんたがそんなに飼いたいんなら飼ってくれてもいいよ……」

 少年はルーンを見た。ルーンは純粋な瞳で彼を見つめ返す。白い魔物のその純粋な瞳を見て、少年の心は決まった。

「オレ、コイツと一緒にいたい。……何か腑に落ちねえけど」

 ルーンの頭を撫でながら、少年は笑顔を見せた。勝手にどうぞ……と、女性はあくびを繰り返しながら噴水広場を後にした。

 女性の姿が見えなくなると、デジールはハウウェルの手を引いて歩き出した。

「さあ、姉さんたちが待ってる。グリモワールの屋敷へ急ごう」

 ハウウェルはその道中、うやむやになってしまったこの依頼をどう報告すべきか悩んだ。

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