第26話 聞き込み
ハウウェルが目を覚ましたのは、まだ早朝とも呼べる時間帯だった。再び眠ろうとも思ったがすっかり目は覚めてしまったので、アトリエの周囲の掃除をすることにした。
昨夜は寝間着に着替えずに眠ってしまった。昨日の朝から着たままの制服を脱ぎ、私服に袖を通した。そして、掃除用の箒を持って外に出る。
外は朝方だけあって少し冷え込んだ。掃除をしていればこの冷え込みも気にならなくなるだろう。ハウウェルは、箒をアトリエの壁に立てかけると、井戸へと向かった。
こぢんまりとした井戸は、裏庭にある。水をくみ上げ、傍にあった小さな桶に注いだ。その水を手ですくい、勢いよく自分の顔にかけた。身を切るような冷たさに、一瞬身体が硬直した。
手早く顔を洗うと、アトリエの前に戻り掃き掃除を始めた。今は春だ。そこまで落ち葉が落ちているわけでも、ごみが落ちているわけでもないので、掃除をする必要はあまりない。
しばらく掃除をしていると、ハウウェルの目は見知った人影を捉えた。そして反射的にアトリエの陰に隠れた。
数秒待って、そっと顔の半分を出して様子を窺う。
「メルチェイ……?」
白いワンピースの上に髪と同じ桃色の上着を羽織り、街道を走っていくのはメルチェイだった。こんな早朝から用事でもあるのだろうか。しかし声をかけてみようとは思わない。
ちょうど掃除がきりのいいところにきたので、箒を持ってアトリエの中へ戻った。
掃除をしていた時は自分以外誰もいなかった応接間には、パンをかじっているバルハラ、紅茶を飲んでいるラスキウス、デジールの姿があった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。ちょっと頼みたいことがあるんだ」
弟子を見た師は、パンを皿に置いて依頼の資料の束を手に取った。そしてその中から一枚を抜き取ると、弟子に渡した。
それは迷子の魔物捜しの依頼だった。ハウウェルは、それを渡された意味をうっすらと察した。
「……まさか、これ、僕一人で……?」
「いや、一人じゃないよ。デジールさんと行ってもらう」
ハウウェルは、バルハラの言葉にほっと胸を撫で下ろした。迷子捜しとはいえ、捜す場所によっては前回のように魔物と交戦することになる可能性がある。杖がなければ不発か、全く違う効果が現れるかのどちらか……そして、杖があっても非常に威力の小さなものになってしまう。そんな落ちこぼれである自分が一人で依頼を任されていたら……と思うと落ち着いてなどいられない。
しかし、依頼に同行してくれるというデジールの体調は回復したのだろうか。それが心配である。
「デジールさんは体調、大丈夫なんですか?」
「ちょっと
「ボク、頑張る。よろしく」
差し出された手を握り返すと、デジールは薄く微笑んだ。
「俺とラスキウスさんは隣街のお屋敷を叩いてくるよ」
バルハラの発言の意味がわからず、首を傾げた。
「と、隣街のお屋敷を……叩く?」
「そう。前、スティアさんたちを狙ってた狩人がいただろう?そいつらをけしかけていたのが、隣街のグリモワール家だって、あの古本屋の狩人から聞き出したんだ」
スティアとゼティスをアトリエへ連れて帰った時、バルハラはあの狩人を尋問していた。あの時のことか。
「今更って思うかもしれないけど、色々準備が必要だったんだ。君とデジールさんも、もし迷子捜しが早く終わったらグリモワール家に来てくれないかい?」
意見を求めるようにデジールの方を向くと、彼は一つ頷いた。
朝食を済ませ、バルハラとラスキウスは隣のエフィル街へ、ハウウェルとデジールはシトニアス街へ出た。
何を探すにも、その対象の姿や特徴が必要だ。ハウウェルとデジールは、依頼の資料を見た。そこに描かれているのは、白い狼のような魔物――ルーン。人間に対して心を開くことが少ない魔物で、そのことから人間が飼育をすることはあまりない。ルーンを見た住人がいる可能性も十分にあるので、二人は聞き込みから始めることにした。
「ルーン?そんな珍しいのは見てないねえ」
「ルーンをこんな街中で離しちゃったら飼い主も大変だろうよ」
「ルーンかあ……私も懐かれて、もふもふしてみたいなあ……」
街の商店の従業員、通りすがりの住人、ばったり会ったクラスメイトなど、手当り次第に尋ねてみたが誰もが首を横に振るばかりで全く行方がわからない。街の噴水広場で、噴水の端に座った二人は途方に暮れた。
「なかなか見つからないね」
「はい……。手掛かりすら見つからない」
ルーンはある特定の人間以外には懐かず、警戒心を抱くという。何も知らない住人が不用意に触ろうとすれば、ルーンが人に危害を加える恐れがある。一刻も早く見つけ出し、飼い主のもとへ届ける必要があった。
「それにしても、随分前にいなくなってたんだね。何ですぐに依頼を出さなかったんだろう」
資料には、ルーンが失踪したのは半年前になっている。日付は、ハウウェルの両親が亡くなって二日後。そしてこの時には街中にグランフェリデ家の訃報が届いていた。ハウウェルは、何故依頼主がすぐに依頼を出さず、半年経った今になって出したのかがすぐに理解出来た。
両親は優秀な魔道士だったが、彼らから生まれたハウウェルはまぎれもない「落ちこぼれ」だ。落ちこぼれが経営しているアトリエに、住人たちが依頼する筈がなかった。一人で思い返し、ハウウェルは少し悲しくなった。
「ここにいても時間が無駄になるだけだ。聞き込みを続けよう」
「そうですね」
再び聞き込みを続けようと、二人は立ち上がった。
その瞬間、白い何かが真正面からハウウェルにぶつかってきた。ハウウェルその衝撃に耐えられず、後ろにあった噴水に落ちてしまった。
突然の出来事に、デジールはうろたえた。
「大丈夫……!?」
「は、はい、何とか……」
ハウウェルは、自分にのしかかり、くんくんと子犬のような鳴き声を発しているものを見た。それは、先程まで捜していた白い毛の魔物――ルーンだった。
「おーい、大丈夫かー!?」
ルーンを発見し、水に浸かりながらほっと一息ついたハウウェルの耳に、聞き覚えのある声が入った。
声の主は、噴水の中を覗き込んだ。
「大丈夫だったか?ごめんな、コイツがいきなり………………げっ、お前……」
「君、あの時の……」
声の主と目が合った。途端に、両者は顔を引きつらせた。
大きな金色の双眸、雑に切っただけの短い茶髪。やんちゃそうな顔をした少年は、過去にこのシトニアスの街を騒がせた食べ物泥棒だった。
少年は何も言わないハウウェルの手を掴み、噴水の中から引っ張り上げた。
「……オマエかよ」
少年は、むっと顔をしかめた。
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