第25話 美男美女

 ハウウェルの作ったスープを飲み、ようやく女は落ち着いたようだった。

 男は応接間のソファにて寝かせてある。バルハラによれば、気を失っているだけで命に別状はないらしい。

 女は長い黒髪で俯いているため、顔があまり見えない。しかし、先程詰め寄られた時に見えた瞳は濁りのない綺麗な赤色をしていた。

「先程はありがとうございました。弟と街道を歩いていたところ、魔物に襲われてしまって……」

 消え入りそうな声で女は礼を言った。向かいの椅子に座るバルハラは、いいえ大丈夫ですよ、と微笑む。そして、台所にて夕食を盛り付けているハウウェルを振り返った。

「この人たちの分の夕食はありそうかい?」

 ハウウェルは周囲を見回した。たった今作ったスープは明日の朝の分を回せば足りるだろう。主食のパンも余るほどあるので問題ない。しかし、サラダはきっちり二人分しか用意していない。

「サラダが足りないので、野菜を採ってきます」

「あ、そんな……!」

 野菜を採りに裏庭へと出て行ったハウウェル。彼に対して悪いと思ったのだろう、女は慌てて立ち上がった。バルハラはそれをやんわりと押しとどめた。

「いいんですよ、お疲れでしょう。弟さんが回復するまで、ここにいてください」

「……突然押しかけた上に、食事まで……。本当に申し訳ありません……」

 深々と頭を垂れる女に、バルハラは困ったように眉を下げて苦笑した。


 女の名はラスキウスというらしい。彼女は弟のデジールと共に各地を旅して回っていると話した。行く先々で二人揃って野盗や魔物に襲われることが多く、比較的治安のよいこの街で油断していたところを魔物に襲われたということだ。デジールも姉同様漆黒の髪に赤い瞳、そして白い肌を持ち、ほっそらとした体型のため、男といえどもそれほど力があるようには見えない。それも野盗などに襲われる原因の一つなのかもしれない、とハウウェルは思った。

「ラスキウスさん、あとで寝室に案内しますね」

「いいえ、私はお邪魔にならない場所で休みます。突然押しかけた身ですもの」

 彼女の言う「お邪魔にならない場所」は、この狭いアトリエの中では、夜に人の立ち入ることのない作業場かその辺の床しかない。作業場に余所の人間を入れるわけにもいかないので、残ったのは床である。そして当然、バルハラにもハウウェルにも彼女を床で寝かせるというようなことはするつもりはない。

 バルハラは自分の寝室で眠るよう言ったが、ラスキウスはいいえ、出来ませんわと首を横に振った。

「女性を床で寝かせて、自分だけベッドで眠るなんて真似は出来ませんよ。私の寝室を使ってください」

 一歩も退く気のないバルハラに、ラスキウスの方が折れた。彼女は再び深く頭を下げた。


 本格的に夜となった。

 ラスキウスは既にバルハラの寝室にて休んでいる。バルハラは資料の整理、ハウウェルはデジールの傍についていた。明日は学園は休みなので、少しくらい夜更かししても問題ない。

 窓から差し込む月明かりに照らされたデジールの顔は青白く、まるで本当に死んでいるかのようだった。

(綺麗な顔だな……。人形みたいだ)

 何もすることがなく、じっとソファで眠る男の顔を見つめていると、ふいにその瞼が動いた。赤い瞳はしばらくぼんやりと天井を見つめていたが、やがて意識がはっきりしてきたのか、きょろきょろと辺りを見回した。その瞳は傍に座っていたハウウェルで止まる。

「気が付きました?」

「……ここは?姉さんは?キミは誰?」

「ここはアトリエ・シルフィ。僕はハウウェル・グランフェリデです。ラスキウスさんは寝室で休んでます」

 デジールはそう……と呟いてゆったりと身体を起こした。見知らぬ場所にいてもさして慌てていないようである。ハウウェルは少しだけ不思議に思った。

「慣れてるから。目が覚めたら知らない場所にいるのは」

「え……。あの、それは…………」

 ラスキウスの言った野盗などに誘拐でもされるのだろうか。

「そ。賊に誘拐されることが多くて」

 まるでハウウェルの心を読んだかのような発言をしたデジールに驚いて目を見開いた。それを見たデジールはくすくすと笑う。

 以降、しばらく無言の時が続いた。ハウウェルは周囲を見渡した。いまだに整理をしている師匠。ソファに腰かけているデジール。ハウウェルの口から一つあくびがこぼれた。

「デジールさんも起きたことだし、もう寝ていいよ。無理させちゃったかな」

「いえ、そんなことないです。……じゃあ、おやすみなさい」

 睡魔に勝てず、ハウウェルは大人しく寝室へ向かった。


 ベッドの上で、ハウウェルは今日買ったあの本を開いた。

 古びた文字を指で追いながら、慎重に読み進んでいく。ページをめくる度、ハウウェルの心は重くなった。

「――黒い瞳を持つ者は、悪魔の力が強く表れている証拠。時に、悪魔の魂の憑代となることもある…………って、僕は!」

 ハウウェルは慌てて立ち上がり、机の引き出しを開けた。そこには、手鏡があった。

 バルハラ、マギィは紫、メルチェイは金色、ノルエは緑、シルヴァンは栗色。自分の周囲に、黒い瞳の者がいないことに今更ながら気が付いた。問題はそこではない。

 ハウウェルは手鏡に自分の顔を映した。鏡に映る自分の瞳は……黒。

 もう何があっても驚くまい。自分は悪魔の血を引いている。ただそれだけだ。

「……そういえば、まだバルハラさんにこのこと言ってない……。……明日でいいか」

 眠気に耐えきれず、ハウウェルは本を机に置くとベッドへ戻り布団を被った。

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