第23話 夕方の来客

 古本屋からの報酬は銀貨数枚と魔法器具の古い研究資料であった。

「おかえり。報酬を貰いに行ってきてくれたんだね」

 そう言った師に、ハウウェルはあいまいな返事をした。

 師は貰ったばかりの研究資料を棚に戻した。エプロンをしていないところを見ると、もう魔道器具製作は終わったようだ。

 師に自分のことを話さねば。ハウウェルは意を決して口を開いた。

「今日はもう休んで。明日学校があるんだろう?」

 しかしそれは、優しげな師の声で遮られた。

「で、でも、依頼の手伝いは……」

「大丈夫だよ、さあ行った行った」

 師は笑顔で弟子を強引に応接間から追い出した。


 翌朝、ハウウェルは学園へ登校すべくいつものように支度を整えて自室を出た。

「これあげるよ」

 バルハラの声が聞こえた瞬間、何かが入った革袋が視界を支配した。いきなり目の前に革袋を差し出され、ハウウェルは目を丸くした。

 その様子がおかしかったのかバルハラはくすりと笑った。

「昨日の報酬の銀貨だよ。これで何か好きな物を買っておいで」

「え、でも、これ……報酬じゃないですか。それを自分の欲しい物を買うために使うなんて……」

「ちょっとくらいなら平気さ。ほら、学校に遅れちゃうよ」

 昨日と同じように、強引にアトリエから追い出されたハウウェルは、桃色の天才少女のように頬を膨らませた。


 今日の授業は、幻惑魔法についての講義だった。

 教師は一つ咳払いをし、口を開いた。

「幻惑魔法とは、一部の魔物や低級悪魔が使う魔法です。奴らは我々の親しい人物に化けることで惑わし、最後には魂まで喰らってしまうのです。で、幻惑魔法の見破り方は……」

 ハウウェルは、ぼんやりと教師の説明を聞いていた。……いや、聞いてはいなかった。何故なら、彼の頭は悪魔のことで一杯だったからだ。

 そんな彼の右頬に小さな衝撃が走った。まるで平手打ちでも食らったような。

 そろそろと教室を見回せば、怒りで釣り上がった目がこちらを向いていることに気が付いた。彼女の口が動いたが、それが何を言いたいのかはわからなかった。


 一日の授業が終わり、ハウウェルが帰り支度をしていた時だった。どん、と背中に何かがぶつかってきた。

「ハウくん、一緒に帰ろ?」

 腰に抱き着いてこちらを見上げてくるのは、やはりシルヴァンだった。普段なら一緒に帰りたいところだが、今日は誰とも帰るわけにはいかなかった。

 目をきらきらさせているシルヴァンに、ハウウェルはごめん、と手を合わせた。

「今日は用事があって一緒に帰れないんだ……ほんとにごめん」

「ううん、大丈夫だよ。ハウくんと一緒にノルくんの様子を見に行こうと思ったんだけど……」

 ノルエはまだ休んだままでいる。彼のことは心配だが、それはシルヴァンに任せることにした。

 いそいそと廊下に出て、学園の門を目指して走る。あの少女に出会わないように……と願いながら。

「ちょっとハウウェル!」

 願った瞬間、あの少女が自分を呼ぶ声がした。聞こえないふりをして走り続けようとするが、声の主が追い付いてきた。

「無視するなんていい度胸ね!」

「メ、メルチェイ、何の用!?それと今日は一緒に帰れないからね!」

 ハウウェルは予防線を張った。

「誰が一緒に帰りたいなんて言ったのよ!あんた、授業でぼーっとしてたでしょ!せっかくあたしが起こしてあげたのに!」

 あの平手打ちされたような衝撃はメルチェイの魔法だったのだ。彼女は自分を心配してくれたのか。しかし、「心配してくれたの?」なんて聞いたらたちまち魔法をお見舞いされそうなので黙っておいた。

 そこで自分の用事を思い出す。こんなことをしている場合ではない。

「じゃあ僕急ぐから!」

 ハウウェルは走るスピードを上げ、目的地へと向かった。


「はぁ……は…………つ、着いた……」

 息を切らしたハウウェルの前には、すっかり見慣れたあの古本屋が建っていた。ここに用事があったのだ。

 今朝バルハラから渡された皮袋を鞄から取り出し、店の中へ入る。

「お、いらっしゃい!」

 すっかり店に馴染んだらしい元狩人の声が手を振ってきた。彼に挨拶を返すと、ハウウェルは目当ての本をのある本棚へまっすぐに向かった。

「あった……」

 ハウウェルの手にある本の表紙は、【12】という文字しか読めない。そう、あの悪魔のことが記されている本だった。

 これください、と元狩人に本を差し出すと、彼は「毎度!」といつものように笑った。


 アトリエの応接間では、バルハラが依頼の資料をまとめていた。

 弟子の帰宅に気付いたバルハラは、おかえり、と片手を挙げた。

「おや、何かいい物でも見つけたかい」

「あ……はい、まあ……」

 ハウウェルの抱えている紙袋を見たバルハラは、ふっと笑んだ。そんな彼の手にある依頼の資料の束は、まだまだ処理出来そうになかった。

「バルハラさん。依頼の方はどうですか?」

「この通り、まだ片付きそうにないよ。頑張ろうね」

「は、はい!じゃあ僕、夕食の用意しますね」

「ああ、頼むよ」

 ハウウェルは台所へ向かった……いや、向かおうとした。突然ノック音が聞こえてきたからだ。

 外は夜の闇が勢力を増しつつある。アンの森の魔物に襲われる恐れがあるため、この時間帯、街の住人たちはあまり外を出歩かないのだ。それ故に、アトリエを誰かが訪れることはほとんどない。

「珍しいね、こんな時間に依頼かな。すまないけど、資料の整理が終わるまで依頼人の相手をしててくれるかい?」

「はい、わかりました」

 ハウウェルは扉を開けた。その直後、どさりと自分に何かがもたれかかってきた。

「わっ!?」

 もたれかかってきたものを見れば、自分よりも背の高い男のようだった。ハウウェルはどうしてよいかわからず、うろたえた。

 弟子の様子がおかしいことに気が付いたバルハラは、整理の手を止めると玄関へ顔を出した。

 そこには、黒い髪の男を抱き留めている弟子と、彼に詰め寄っている女の姿があった。女はバルハラを見ると、その瞳に涙を溜めて訴えた。

「デジールを…………弟を、助けてください!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る