第22話 悪魔
古本屋から帰ると、バルハラは魔法器具製作のためすぐに作業場に入ってしまった。
「バルハラさん」
「うん?」
師の返事がアトリエの作業場から返ってきて、しばらく時間が経った。次の言葉……師に伝えたいことを言わねばならないのに、口は思うように動いてくれない。
「どうしたの?」
自分から名を呼んでおいて何も言わない弟子を不思議に思ったのか、師は作業場から顔を出した。彼を前にして、ここに来るまでに固めた筈の決意が揺らぐのを感じた。エプロン姿の師は、純粋な疑問を含んだ瞳を弟子に向ける。
完全に決意は崩れ去った。ハウウェルは内心うなだれた。
「……あ…………ごめんなさい、やっぱり何でもないです。仕事の邪魔をしてすみませんでした」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
いきなり呼び出したかと思えばばたばたと逃げるように走り去っていく弟子の行動が理解出来ず、バルハラは頭を掻いた。
バルハラにこのことを言うのは、もう少し悪魔のことを調べてからにしよう。自分が悪魔の血を引いているかもしれないということを言う勇気がなかった理由をそう決めつけたハウウェルは、再び古本屋に向かうべく、街道を歩いていた。
「ハウくーん!」
どんっ、と真正面から来た衝撃。この声を聞くのは久し振りだ。
ハウウェルは辛うじて衝撃を受け止めると、その名を呼んだ。
数日間風邪で学園に来ていなかったこの無邪気なお坊ちゃんは、休む前と変わらぬ屈託の無い笑顔を見せた。
「シルヴァン」
「へへっ、久し振りだね」
「もう……落ち着いたの?」
ハウウェルの質問の意味することがわかったらしく、シルヴァンはこくんと頷いた。
「やっぱりハウくん、僕が風邪で休んだんじゃないってこと気付いてたんだね。いつまでもあのことを引きずってても駄目だって思ったんだ」
ハウウェルの自分を気遣うような視線が嫌だったのか、シルヴァンは「ほんとに大丈夫だって!」とむくれてみせた。
シルヴァンと別れたハウウェルは、古本屋に入った。相変わらず、埃っぽい。
「おっ、どうした?忘れ物か?」
あの本のあった本棚を目指して歩いていると、元狩人に出くわした。どうやら今から報酬を渡しに行こうとしていたらしく、ちょうどいいやと報酬の入っている紙袋をハウウェルに渡した。
「いえ、ちょっと気になる本を見つけたので……」
「おお、そうか。ゆっくりしてけよ」
元狩人が去り、ハウウェルはあの本棚へ向かった。目当ての本を探していると、聞きなれた声が背後からかかった。
「ハウくん」
「マギィ?」
何が入っているのか、大きな籠を持った黒魔女の少女は、いつものように微笑んだ。
「ハウくんは本を探してたの?」
「う……うん。マギィは?」
「私は村の孤児院へ行くの。読み聞かせに使えるような本はないかなって思って」
そういえば、マギィはあの泥棒騒動の犯人である魔物連れの少年に懐かれ、事件以降は孤児院に手伝いに行っているのだった。
「私、ここの本棚にある本は全部読んじゃったんだよね。だからハウくんが探してるのも見つけられると思うな」
マギィの言葉に、ハウウェルは硬直した。
彼女がここの本棚の本を読破してしまったのなら、あの本も読んだのだろうか。読んだとして、その内容を覚えていたら……。ハウウェルは次の言葉を紡げないでいた。
黙り込んでしまったクラスメイトを不思議に思ったのか、マギィは首をかしげた。
「ハウくん?」
「…………え、あ、ああごめん。大丈夫だよ、多分すぐ見つかるから」
「そっか。ここの本、学校で習わない悪魔のことが書いてある本もあるから、勉強になると思うよ」
「えっ、あっ、悪魔!?」
気が付くと、ハウウェルはマギィの肩を強く掴んでいた。マギィは一瞬驚いたものの、すぐに「うん、悪魔の本もあるよ」と頷いた。
ハウウェルは焦り、意を決して一番気になっていた疑問をぶつけた。
「ね、ねえ、僕の家……グランフェリデ家が、悪魔の血を引いてることって……」
恐る恐る尋ねたハウウェルに、マギィは普段の笑顔で答えた。
「そうだね。ハウくんの家はサタンの血を引いてるよね」
「し、知ってたの……?」
マギィは、まるでずっと前から知っていたような口調で話す。彼女も自分のことを内心軽蔑していたのでは、と、ハウウェルは不安になった。
「うん。このことは黒魔女一族しか知らないみたいだから。でも、悪魔の血を引いてるのは、悪いことじゃないよ」
「え?」
「だって、ただ悪魔の血を引いてるってだけじゃない。悪魔だって、悪いのばっかりじゃないし。……まあ、ハウくんが暴虐の限りを尽くしてるなら違ってくるけど」
確かに、マギィの言う通りである。自分は悪魔の血を引いているという事実だけで、それで自分が悪魔になるわけでもない。しかし、魔法を司るといってもいい精霊も拒むほどの存在がその悪魔なのだ。マギィの言葉に元気付けられた反面、彼女の言葉で悪魔の血を引いていることが確かなものとなり、ハウウェルは複雑な気持ちになった。
そんな彼の気持ちを悟ったのか、マギィはそっと慰めるように微笑んだ。
「私はハウくんが優しいのを知ってる。私だけじゃない、メルちゃんも、ノルくんも、ヴァンくんも…………みんな、貴方の味方だよ」
孤児院へと向かうマギィと別れたハウウェルは、しばらく魔道の本を読み漁った後にアトリエへ戻った。まだまだ片付けなければならない依頼がたくさんあるのだ。
自分が悪魔の一族であることは正直に師に話そう。軽蔑されたら、そこで師との関係を断てばいい。
ハウウェルは紙袋を抱え、急ぎ足でアトリエへと向かった。
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