第21話 12の血

「おお、素晴らしい!わざわざありがとう」

 店の奥の小部屋でしきりに壺を磨いていた店主は、ハウウェルの手の上にあるブローチを見ると目を輝かせた。恐る恐るといった体で持ち上げ、様々な視点から観察する。

 ハウウェルはブローチに夢中になってしまった店主を放って自分だけ退出するわけにもいかず、ただじっと立ったままでいた。

 それを見かねたのか、傍に控えていた元狩人がハウウェルの肩を叩いた。

「店主はああなるとしばらく自分の世界に入っちゃうんだ。俺が見計らって報酬の話をしとくから、君は店の本を読んで待っててくれ」

「はい、わかりました」

 ここならば授業で習わなかったような魔法のことを知ることが出来るだろう。

 ハウウェルは内心わくわくしながら奥の部屋を後にした。


 店内はどこかかび臭く、埃を被ったような懐かしい雰囲気だった。

 ハウウェルは目に留まった本を手当り次第に読み漁った。バルハラが魔法器具の設計に使う技術、古代文字、伝説、精霊の歴史……ありとあらゆる知識が、ハウウェルを夢中にさせた。勿論ハウウェルがその全てを理解できたわけではなかったが。

 もう二、三時間は経ったのではないだろうか。店主も元狩人も、姿を見せなかった。

 げんなりしたハウウェルが、再び本を漁ることに戻ろうとした時だった。

「……あれ?」

 ふいに、一冊の本が本棚の上から転がり落ちてきた。表紙がぼろぼろで、タイトルも【12】という数字しか読めない。相当古い物らしい。ハウウェルは興味をそそられ、本を開いた。

 最初のページには、ほんの二、三行の文章があった。それも、何かをこぼしたような染みで最後の方が不明だ。指で文字を追いながら、小さく声に出して読んでみる。

「……ここに12の上級悪魔を記した。現在いまも悪魔の血は受け継がれている。最も悪魔の血の濃い者は、精霊までもが忌み嫌う…………」

 ハウウェルは悪魔を見たことがない。以前悪魔のことを教師が「悪魔は憎むべき敵」と話していたのを聞いただけである。

 悪魔の血を受け継いだ人は大変だな……などとぼんやり考えながら、ページをめくった。

 二ページ目には、何かの紋章のような模様が十二個描かれている。それぞれの模様の隣に小さく手書きの文字で説明書きが記されていた。

 それらを眺めていたハウウェルの目は、とある模様まで来て止まった。

「……これ、うちの紋章だ……」

 一対の翼が宝玉を抱き込んでいる紋章は、間違いなく自分が生を受け育ったグランフェリデ家のものだった。その隣に、やはり小さく書かれているメモがあった。

 ――地獄の支配者サタンの紋章。サタンは魔物を多く従えており、力に目覚めるとそれらと意思疎通が可能になる。サタンの血を受け継ぐグランフェリデ家の者は魔物の扱いに長けている――

 本に書かれた文字を目で追ったハウウェルは、軽くめまいを覚えた。

「う…………嘘だ……。僕が、悪魔の血を引いてるなんて……」

 もしここに記されていることが真実ならば、自分は、ハウウェル・グランフェリデは、悪魔サタンの血を引いていることになる。信じられなかったが、そこに嘘が書かれているとも思えなかった。それに、「最も悪魔の血の濃い者は、精霊までもが忌み嫌う」とあることから、精霊に嫌われている自分が魔法を自力で発動させられないことにも納得がいく。それと同時に、自分が引く悪魔の血が最も濃いという可能性も浮上する。

 ハウウェルの身体を言い知れぬ不安が包んだ。自分の身体に悪魔の血が流れていることを知ったら、ノルエたちは自分をどんな目で見るのか。軽蔑か、嫌悪か。

 脳裏にふと師の顔が浮かんだ。【太陽の魔道士】である彼が悪魔退治をした話も知っている。彼も自分のことを冷たい目で見るのだろうか。

「何読んでるんだい」

 背後から聞こえた声に、ハウウェルはほぼ反射的に本を閉じ、自分の上着の中に隠した。振り返れば、笑顔の師が立っていた。聞けば、弟子の帰りがあまりにも遅いので、ここまで来たという。ハウウェルはこうして数時間待たされている事情を説明した。

「……なるほどね。あのおじいさん、夢中になったらこっちのことなんか忘れちゃうから、多分あのブローチを取り上げるかお客さんが来るかしないと元に戻らないよ」

「え、じゃあ報酬は……」

「あの狩人に任せよう。きっと報酬の連絡はしてくれるだろう」

 バルハラは踵を返し、古本屋の出口へ向かった。ハウウェルは素早く上着から本を取り出し、それを本棚に戻すと、後を追って古本屋を出た。


 帰り道、ハウウェルはずっと黙ってバルハラの講義を聞いていた。いや、耳に入ってはいたが、聞いているわけではなかった。バルハラの声は、別のことが頭を占めているハウウェルの耳を右から左へ通り抜けていくだけだったのだ。

「大丈夫かい」

 ずっと俯いている弟子に気付いたバルハラは、その肩を強めに叩いた。意識がこちらに戻ってきたらしい彼の身体が、びくりと震えた。

「どうしたの、何か悩みでもあるのかい」

「あ……すみません。何でも…………ないです」

「そうか、それならいい。まだ依頼はあるからね、頑張ろう」

「はい……」

 師の言葉に返事をしたハウウェルの脳裏には、あの古本の手書きの文字がこびりついていた。

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