第11話 墜落
ハウウェルとバルハラは、アトリエにてまだ山のようにある依頼を片付けるのに苦労していた。依頼と依頼の合間を縫って、バルハラがハウウェルに魔道を教えることもあった。
街の人々はハウウェルたちの忙しさを知る筈もなく、次から次へと依頼を投げ込んでいく。そろそろ二人の頭が忙しさで爆発しそうだった(主にハウウェルだが)。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
ガラス製の魔道器具を受け取った老人は、笑って二人に礼を言った。
今日も朝から魔道器具の素材集めに街の中と外を走り回り、今それがやっと終わったところであった。
街道を歩きながら、ハウウェルはまだ残っている依頼を思ってため息を吐いた。
弟子のため息はばっちり師にも届いていたらしく、「疲れたかい?」と自分より少し低い位置にある顔を覗き込んだ。覗き込まれた弟子ははっと顔を上げ、「そんなことないです!」と首を勢いよく横に振った。
「ふふ、君面白いね。……でも、たまには気分転換でもしよう」
「……え?」
「帰ったら箒で飛ぼうか」
その言葉に、ハウウェルはその場に凍り付いた。
「嫌です!僕は下で見てますからっ!」
「飛んだら恐怖なんて忘れるさ。ほら、おいで」
「嫌だあああっ!」
ハウウェルはあのアンの森での件以来、箒での散歩が苦手になった。
それ以前は箒で自由に空を駆け巡れたら楽しいだろうな、と箒屋のショーウィンドウを見ることもあった。初めて乗ったのが【太陽の魔道士】の箒ということにも、最初は密かに喜んだ。
しかしその箒の主はハウウェルのことなどお構いなしに箒を飛ばし、アンの森の中へ急降下した。初めてがそんなものだったので、その日から、箒への恐怖心がハウウェルの心へ根を下ろしたのだ。
空から探し物をする時などはゆっくり飛ぶが、こんなふうに何の目的もなく飛び回る時は、バルハラは箒をかなりの速さで飛ばすのだ。
箒に跨って上機嫌なバルハラから逃れようとしたが、彼が放った幻獣に首根っこをくわえられ、箒の上へ乗せられてしまった。もう逃げられない。
「い、嫌です、降ろして……!」
「ちょっと飛ぶだけだろう?いい子にしてて」
「じゃあゆっくり…………ゆっくり飛んでください。いつもみたいにびゅんびゅん飛ばさないで……」
「えー……つまらないじゃないか」
ハウウェルの必死の願いに仕方なしに折れたバルハラは、文句を言いつつ普段よりもゆったりと、箒を舞い上がらせた。
ハウウェルは、高い場所が怖いわけではない。だから、こうしてゆっくり箒で空を飛ぶ時はまだ心の余裕があった。
「やっぱり空は気持ちいいねえ」
前のバルハラは、上機嫌で時々鼻歌を歌っている。
「昔、弟ともこうやって空を散歩したんだ。たまに空を飛ぶ魔物の群れと一緒になったこともあったな」
「二人乗りですか?」
「うん。これも、元々弟と乗るために少しだけ大きめに作ったんだ。その時は子どもだったから、今じゃ完全に一人乗りの大きさだけど」
弟のことを話す時のバルハラは、いつもとても幸せそうな表情で話す。出会って、依頼をいくつかこなしていくうちに、ハウウェルは自分のバルハラに対するイメージが変わってきたのを感じた。
二人を乗せた箒は、シトニアスの街を通り越し、南の方へと向かった。
街の南には、隣のエフィル街との境目になっている【境の森】がある。そこは人を襲う魔物はいないため、学園の課外授業でもよく使われる場所であった。
森を眺めていると、見覚えのある物を見つけたハウウェルは、思わず声を出していた。
「あ……」
「どうしたんだい?」
「……あそこの木、僕が枯らしちゃったんです」
青々と葉を茂らせている木々の中に、ぽつんと真っ黒で所々がぼろぼろになっている木があった。それは、課外授業でハウウェルが成長魔法を練習した時に、何故か火炎魔法が発動し、焼いてしまったものだった。木の精霊の加護を受けていて、元々丈夫な種類だったのもあり、なんとか灰にはならずに済んだが、もう生きていないだろう。あの時、メルチェイからは笑われ、一部のクラスメイトから責めるような視線を注がれたのを覚えている。
「……そう。気にすることはないよ。そんな思いつめないで」
「はい……」
急に、バルハラが箒の方向をシトニアスの街の方へ変えた。
「そろそろ戻ろうか。依頼はまだたっぷりあるからね。大変だよ」
「う……はい」
箒はアトリエへ向けて、ゆっくりと進みだした。
その時だった。
(誰か!誰か助けて!)
ハウウェルの頭の中に、誰かのすがるような叫びが響いてきた。驚いて辺りを見回すが、青い空には自分たち以外の生き物は見つからない。
「えっ……?」
幻聴かと思った。しかし、その次の瞬間に自分たちの前に躍り出た影を見て、それが現実だということを理解した。
「ユニコーン!?」
そう、ハウウェルの目には、ほのかに光を放つ一本の角を額にもつ馬――ユニコーンが、何かから逃れるように空を駆けて行ったのが見えた。普通、翼のないユニコーンは空を飛ぶことは出来ない。しかし、今目にしたそれは、翼のないユニコーンである。大地を走るように空を駆けていた。
去っていくユニコーンを見つめていたハウウェルは、ふいに自分の左腕が、焼けるような熱を帯びたのを感じた。それは、次第に激しい痛みに変わっていく。
「弓矢だ!俺たちを狙っているのか!?」
バルハラが、驚き、焦ったように叫ぶ。その言葉が合図になったかのように、次々と地上から、二人を乗せた箒をめがけて矢が飛んできた。
ハウウェルは、自分の左腕を呆然と見つめていた。
矢が突き刺さり、とめどなく溢れる赤い血。真っ赤な腕。
(痛い…………、頭が、くらくらする……)
バルハラは、矢の包囲網から逃れるのに精一杯で、後ろの弟子が負傷したことに気付いていない。
一本の矢が、バルハラの前髪をかすめた。
「くっ……!しっかりつかまってて!」
強引に方向を変えたため、箒は大きく傾いた。
バルハラにしがみつく力もないハウウェルは、箒から投げ出された。
「あ……!」
後ろを振り返ったバルハラは、顔を青くした。
変な浮遊感を感じる。風が強い。……意識にもやがかかり始めているハウウェルは、状況を理解することが出来なかった。
ただ、朦朧とした意識の中で、師の叫び声が聞こえていた。
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