第10話 少年と魔物
息をひそめて見守る中、その少年は姿を現した。
薄暗い中でも、家の中へと足を進める彼の瞳は貪欲な輝きを放っていた。
彼は、テーブルの上に載っていた果物の入った籠を掴むと、もう用はないといったように、家の外へ向かった。
バルハラとマギィは、既に少年を追跡する準備を始めていた。しかし、他の二人……ハウウェルとメルチェイは違った。
小さな棚の陰に四人で身を寄せ合って隠れていたため、当然狭い。メルチェイは自分の空間を確保しようとして、ハウウェルを強く押した。
「ちょっとハウウェル、もうちょっと向こうへ行きなさいよ」
「えっ、む、無理だって…………うわぁっ!」
ハウウェルは、情けない声とともに床を転がった。
(しまった!泥棒が……)
顔を上げると、棚の陰から転がり出た自分を、泥棒の少年が驚いたように見つめていた。
時すでに遅し。少年は一目散に家の外へ駆けだした。
「見つかっちゃったか……」
「ちょっと何やってんのよ!逃げちゃったじゃない!」
「メルチェイが押すからでしょ……」
自分のことを棚に上げ、手に腰を当てて怒るメルチェイに、ハウウェルは隠れてため息を吐いた。
外灯だけが照らす街道を、少年は必死で駆ける。その後をハウウェルたちは追った。箒を持っているのがバルハラのみ、そしてその箒には四人も乗せることは出来ないため、走って追いかけた。
「……はぁ、は…………っ…………も、もう無理……」
走るのが遅く、その上体力もあまりないバルハラは、元気に自分の前を走る少年少女たちを羨ましそうに見た。
いくら走っても追ってくるハウウェルたちに焦りを覚えたらしい少年は、片手を後ろへ突き出した。
「淡い
彼の手から小さな雷が放たれた。それはマギィの足下に落ちる。
「マギィ大丈夫!?」
「ええ、大丈夫。あの子、魔法が使えるんだね……。気を付けないと」
「あの子の、魔法、は、俺が防ぐ。だから君たちは走っ、てればいい、よ……」
やっとのことで追いついたバルハラが、息も絶え絶えにそう言った。
必死に逃げる少年を追ってたどり着いたのは、アンの森だった。森の奥は夜の闇に覆われ、よく見えない。以前ツリーゴーストと戦ったことを思い出す。あの時はただ必死で、バルハラの言う通りにするの精一杯だった。
「うわっ!?」
少年の声と、草がなびく音がした。ハウウェルははっと我に返って前を見る。
そこには、木の根に足を躓かせて転んだ少年の姿があった。彼の手にあった籠は放り出され、中の果物はそこかしこに散らばってしまっている。
「あ、果物……!」
慌てて立ち上がり果物へと伸ばされた少年の右手に、小石が当たった。少年は痛みに思わず手を引っ込める。そして、こちらをねめつけた。
ハウウェルは最初、自分が睨まれているのかと思った。しかし違ったようだ。
「この泥棒っ!あんたのせいで街の人は困ってんのよ!」
何故ならメルチェイが、少年に向けて石を投げつけようとしていたからだ。慌ててハウウェルはメルチェイの服の袖を掴んだ。
「やめなよ、石をぶつけることないじゃないか」
「落ちこぼれがあたしに指図しないで!あんたなんか……」
「今はあの子のことが先だよ」
今にもハウウェルを殴り飛ばしそうな勢いで怒るメルチェイに、マギィが厳しい声で言った。メルチェイは今度はマギィに向かって口を開きかけたが、バルハラが「メルチェイさん」ととがめるような声を出したため、不服そうにしながらも黙り込んだ。
マギィは、少年を刺激しないようにゆっくりと近づいた。
「石を当てたりしてごめんなさい。彼女は気が昂ぶってるだけなの」
「…………」
少年は何も言わない。ただ、マギィの顔を警戒の念が込められた目で見つめているだけだ。
マギィはそこで、少年の右手の甲が、当たった石のせいで切れて血が出ているのを見た。彼女はそっと少年の手を取り、その上に手を重ねた。少年の肩が小さく跳ねる。
「……怪我してるね、ちょっとだけじっとしてて」
マギィは目を閉じ、小声で呪文を呟いた。それは、治癒魔法の呪文であった。
「…………オレは泥棒だよ。アンタ何がしたいの」
「怪我してるから治したの。……いけなかった?」
「……いや………………ありがと。……でも……」
ぶっきらぼうに礼を言った少年に、マギィは微笑んだ。傍で見ていたハウウェルも、彼女の優しい笑顔に胸が高鳴る。
「でも、何?」
「……あいつも怪我をして動けないんだ。だから…………その、……」
ハウウェルは少年の言わんとしていることは予想できた。それはマギィも同じだったようで、少年にやわらかく微笑んだ。
「他にも怪我してる子がいるんだね。ちょっとその子のところへ案内してくれないかな」
「!…………こっち」
少年は弾かれたように顔を上げ、マギィの手を掴んで走り出した。もはや彼の中に、マギィへの警戒心は微塵もないようである。
「あ、待って……」
「来るな!」
ハウウェルたちも続こうと足を踏み出したが、それは少年の鋭い声で制止された。
他人に指示されることがあまり好きではないメルチェイは、彼の言葉に目を吊り上げた。
「何でマギィはよくてあたしたちは駄目なのよ!」
「うるさい!オマエらをあいつのところに連れてっても、どうせ牙と目玉を取ろうとするだろ!」
「え、牙?目玉?そんな、『あいつ』が何かもわからないのに……」
牙に目玉。自分たちはそんな物に興味はないし、「あいつ」が何かさえわからないのだ。
「【太陽の魔道士】たちはここで待っていてください。私は大丈夫ですから」
そう言い残して少年と共に走り去っていくマギィを、残された者たちはただ見つめることしかできなかった。
「あの、バルハラさん」
「うん?」
マギィを待つ間、ハウウェルは以前から気になっていたことをバルハラに尋ねた。
「ずっと不思議だったんですけど……、どうして、急に僕の師匠になんてなったんですか?……最近、僕が落ちこぼれって言われなくするためじゃない……と思うようになったんです」
俯いて早口で言いきって、恐る恐るバルハラの顔をうかがう。すると彼は、しばらく考え込んだ後、「ほんとはね、」と切り出した。
「君が、弟にすごく似てるからだよ」
「え……」
「俺の弟は、君と瓜二つかっていうくらいそっくりなんだ。だから、どこか懐かしく思っちゃって。弟は俺が子どもの頃に死んじゃったけど」
「弟さん……ですか」
そうか。それならば納得が行く。バルハラは、死んだ弟を自分に重ねていたのだ。
心に引っかかっていた糸がほどけるのと同時に、ハウウェルはどこか寂しさを感じていた。
傍でそれのやり取りを聞いていたメルチェイは、意地悪そうに口角を上げた。そして、強張った顔をしたハウウェルの耳元に口を寄せた。
「ハウウェル、あんた結局【太陽の魔道士】の弟の代わりだったのよ」
「…………やめてよ。わかってるんだから」
「あ、マギィさんだ」
バルハラの声で、ハウウェルとメルチェイは顔を上げ、森の奥の方を見た。
「遅くなってごめんなさい!」
帰ってきたのは、マギィのみだった。
彼女によれば、少年の言っていた「あいつ」とは魔物のことであり、その魔物の牙と目玉は万能薬になるらしい。それを狙った狩人に弓で射られて動けなくなっていたところを少年が助けたという。小さな村の孤児院で暮らしている少年は、孤児院の配給だけでは魔物が飢え死んでしまうため、シトニアスの街にて泥棒をはたらいたということだ。
話を聞き終えたハウウェルは、深く頷いた。
「決して褒められたことじゃない…………けど、あの子は魔物を守るために必死だったんだね」
「ええ。あの子も魔物も、元の村へ帰っていったよ。あと、もう泥棒はしないって。これからは私もたまに孤児院に行って、食べ物をあげたり、お手伝いしたりしようと思うの」
「ねえ、もう帰りましょ?あたし疲れたんだけど」
メルチェイのため息まじりの一言で、ハウウェルたちは元来た道を戻りだした。
そして、街の大通りで、それぞれの家路をたどるべく、ばらばらに別れた。
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