第7話 食べ物泥棒
早朝。シトニアスの街に、悲鳴が響いた。
「うわあああああああああ!!」
昨夜、依頼で魔法器具の制作の手伝いをして疲れたハウウェルは、ぐっすり眠っていた筈なのにその悲鳴に叩き起された。
「何かあったんですか……?」
寝ぼけ眼をこすりながらキッチンへ入ったハウウェルは、目の前に広がる光景に、いきなり冷や水を浴びせられたような気持になった。まだ眠っていたいとごねていた筈の自分の目が、途端に覚めていくのがわかる。
ハウウェルに気付いたバルハラが、すがるような視線を向ける。
「ね、ねえ……起きたらこうなってて…………」
テーブルクロスは無残に引き裂かれていて、あちらこちらに調理器具が散らばっている。棚という棚は開け放たれていて、中にしまってある筈の食べ物が全てなくなっていた。
まるで泥棒が入って荒らした後のようだ。ハウウェルは何か言葉を言おうとしたが、口から空気がただ出入りするだけだった。
「あ、そ、そうだ、君は学校があるんだったね。ここは俺が片付けておくから、支度が出来たら学校へ行っていいよ」
ハウウェルは壁にかけてある時計に目を向けた。学校へ行くには早すぎる時間だ。まだ学校の門も開いていないだろう。
「いえ、まだ時間はあるので僕もやります。ここ、僕の家だし」
「そうか、助かるよ」
二人はさっそく、キッチンの片付けにとりかかった。割れた皿やカップは捨て、棚の中に調理器具をしまう。
「……しかし誰なんだろうね、こんなに荒らして、食べ物を取ってったのは……。夜はちゃんと番犬魔法をかけてあるのに」
番犬魔法とは、上級魔法の一種である。その名の通り、魔法をかけた場所に不審な人物が近付くと幻獣が召喚され、その人物を追い払う仕組みになっている。そんな魔法がここにかけられていることに気付かなかった。
ハウウェルは、そんな高度な魔法をこんなおんぼろアトリエで発揮しないでください、どうして言ってくれなかったんですか、と言いそうになるのをこらえた。
「え、それ……初耳なんですが」
「そりゃあ言ってなかったからね。何か問題でもあるのかい?」
「もしノルエ……友達とか、依頼する人が来たらどうするんですか」
幻獣がアトリエを訪れたノルエやシルヴァンを襲ったら……と思うと、思わず鳥肌が立った。
バルハラは、友人の悲劇を想像して怯えるハウウェルに優しく笑んだ。
「心配ないよ、幻獣は賢いから、危害を加える人かそうでないかは区別がつく。魔法をかけるのは真夜中だけだし、依頼人も少ないと思うな。それに、そんな時間に友達は来ないだろう?」
「そうですけど……」
「なら問題ないね。さあ、早く片付けちゃおう」
二人はそれ以降ほとんど会話をすることなく、ひたすらにキッチンの片付けを続けた。
「ハウ大丈夫だったか!?」
教室へ入るなりノルエに肩を掴まれたハウウェルは、困惑した。
「え……ノルエ、何かあったの?」
「お前んとこにも泥棒が入ったんだろ?大丈夫だったか?何かされてないか?」
「あ、あの、落ち着いて…………、どうして僕の家に泥棒が入ったことを知ってるの?」
確かに、アトリエに泥棒は入った。しかしそれは、つい昨日、それも夜中のことだ。何故それをノルエが知っているのだろうか。
するとノルエは、はあ……と疲れたように息を吐いた。
「それがさ、俺の家も泥棒に入られてさ。食い物を全部持ってかれたんだ。クラスの奴らのほとんどが同じ目に遭ったんだと。だからお前の家も泥棒に入られたんだろうなって」
周りを見れば、確かに、いつもの他愛のない会話をしているように見えるクラスメイトたちの表情はどれも曇っていて、雰囲気も暗かった。
もしかしたら、泥棒の被害に遭ったのはこのクラスだけではないかもしれない。しかも、どこの家も盗まれたのは食べ物だけ。犯人は共通していると考えられた。しかも、夜中に街中の家に盗みに入ったとあれば、複数人の可能性もある。
考えを巡らせていると、ふいに背中に衝撃が走った。
「ハウくーん!」
「わっ、シルヴァン?」
後ろを振り返ったハウウェルの腰には、後ろからシルヴァンの腕が回されていた。彼は抱き着いたきり、離れる様子はない。
「ヴァンの家も泥棒にやられたんだよ」
「そう、そうなの!ちゃんと番犬魔法もかけてあるのに!」
シルヴァンは顔を上げた。その目は涙で少しうるんでいる。
シルヴァンの家……マーヴェルノース家は魔道の名門である。ハウウェルのグランフェリデ家と同じだ。しかしその住居はアトリエ・シルフィのような小さな建物などではなく、そこらの豪商と比べてもひけをとらない大きな家である。番犬魔法も家の隅々までかけてあると以前言っていたのを思い出す。
ハウウェルの家だけでなく、シルヴァンの家の番犬魔法も作動しなかったのだ。これはただの偶然ではなさそうだ。
その日ハウウェルは授業に集中できず、普段よりもさらに失敗が多くなってしまった。
学校を出て、賑やかな街道を歩く。夕暮れ時のこの時間帯でも、どの店も活気に満ち溢れている。シトニアスの住人も街も、まだまだ静かにはならなさそうだった。
「ちょっと、ハウウェル!」
「……メルチェイ」
ハウウェルの後ろから走ってきたメルチェイは、その隣に並んで歩き出した。ハウウェルの背に、少しの緊張が走る。
「勘違いしないでよね。あたしはあんたと一緒に帰る気なんてぜんっぜんないから。【太陽の魔道士】に会うだけよ」
どうやら彼女は、バルハラに会いたがっているらしかった。きっと、また魔法を教えてもらおうとしているのだろう。
「【太陽の魔道士】はアトリエにいるのね?」
「たぶんね」
「たぶんって……あんた、【太陽の魔道士】がアトリエにいなかったら責任とりなさいよ!」
「え、無理だって……」
「もうっ、これだから……」
天才少女のわがままな発言に、ハウウェルはたじろいだ。早くこの場から逃げ出したい。メルチェイと離れたい。
いかにしてメルチェイから逃れようか……と考えを巡らせていると、後ろの方から、誰かの叫び声が聞こえてきた。ハウウェルもメルチェイも、思わず振り返る。
その瞬間、ハウウェルの隣を、強い風が駆け抜けていった。
「バーカ!オマエがちんたら歩いてるからいけないんだぞー!」
……いや、風ではない。自分とそう背丈の変わらぬ少年が、街道の向こうへと走って行くのが見えた。しかも、器用に後ろ向きに走っている。その金色の瞳には、挑発の色が十分に含まれていた。
「こら待てーっ!」
聞き慣れた声がした。次の瞬間、ハウウェルは視界の端に見慣れた青い髪を捉えた。それはメルチェイも同じだったようで、彼女は少年を追って遠ざかっていく人影を凝視していた。
「えっ……【太陽の魔道士】!?」
「バルハラさん!?」
少年を追っていたのは、箒に跨ったバルハラであった。その目は険しく、とても小さな少年に向けるものとは思えない。
自身を追ってくるバルハラの表情に危機感を覚えたのか、少年はくるりと背を向け、前を向いて走り出した。
バルハラと少年の距離は縮まっていく。あと少しで、彼の手は少年の背に届くだろう。
バルハラが少年へと手を伸ばした瞬間だった。彼の頭に、突然現れた、金属でできたたらいが落ちてきたのだ。
「いっ……!?」
「あははっ、バカヤロー!」
バルハラはバランスを崩し、箒から落ちてしまった。
「また盗られた……」
地面に倒れたまま悔しそうに息を吐くバルハラ。
ハウウェルとメルチェイは呆気にとられ、ただ少年が消えて行った方向を見つめることしかできなかった。
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