第6話 落ち込み

 ハウウェルとバルハラは、アンの広場――”森の開けた場所”では長いため、バルハラが名付けた――にて無事にカーバンクルを保護した。そして、依頼主の家まで届けた。

 カーバンクルは、小さな虫を追っていくうちに家から出て森へ迷い込んでしまったようであった。

 依頼主は何度も頭を下げ、礼を言いながら二人に依頼の報酬として約束していた銀貨と数種類の果物を差し出した。それらを受け取った二人は、歩いてアトリエまで帰ることにした。

「どうだった?初めての依頼は」

「……凄く疲れました。あんな風に魔物と戦ったことなんてなかったし」

「あはは、すぐ慣れるよ。きっとそのうち魔物退治の依頼も来るようになるんじゃないの?」

「そ、それは困ります!」

 たった一匹、しかも低級の魔物すら倒せなかったの自分に、魔物退治の依頼がこなせるとは到底思えない。何より自分は落ちこぼれなのだ。魔物になす術もなく食われている自分の姿が頭に浮かんできたので、慌ててそれを打ち消した。

「まあ、俺が補助するから大丈夫さ。今ある依頼をこなしてけば、きっと実戦経験のない君でも、低級の魔物ならすぐ倒せるようになるよ。……自分は落ちこぼれだとか考えないでね?というか、今考えてただろう」

 バルハラに考えを見透かされ、ハウウェルは唸った。

「うっ……し、仕方ないじゃないですか。ほんとに、「グランフェリデのハウウェルは落ちこぼれだ」って言われたことがいっぱいあるんですから」

 この時ハウウェルの脳裏にちらついたのは、自分を馬鹿にするメルチェイの笑い声だった。彼女以外の、名前も知らない生徒から馬鹿にされたこともある。たまたまグランフェリデ家に生まれただけで魔法が出来ないとすぐに馬鹿にされるので、ハウウェルは自分の名字が少し苦手だった。

 どんっ、とハウウェルの身体に衝撃が走った。ハウウェルは尻もちをつく。

「いたた……」

「あっ、こら!」

 痛む尻をさすりながら立ち上がろうとすると、バルハラの声が耳に入った。彼の声

は、街道の向こう側へと向けられているようだった。見ると、小柄な人影が駆け足で自分たちから遠ざかっていくところだった。

「大丈夫かい?どこか痛むところは?」

「いえ、大丈夫です……。……あ、果物!」

 ハウウェルは、自分が抱えていた果物がすっかりなくなっていることに気が付いた。

「きっとさっきぶつかってきた子が取ったんだ。残念だね。もう遅いし、魔法は依頼をやっていく中で教えるよ」

「わかりました。……ああ、せっかくの報酬が……」

 がっくりと肩を落とし、二人はアトリエへと帰った。


翌朝。ハウウェルが支度を整えてキッチンへ向かうと、既にバルハラがいた。もはや彼の指定席となっている椅子に座り、いつものようにパンをかじっている。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。まだ片付けなきゃいけない依頼はいっぱいだよ。頑張らないとね」

 バルハラは既に出掛ける用意が出来ているようだった。朝から依頼にとりかかるつもりなのだろう。しかし、ハウウェルはそうはいかない。今日は平日で、普通に学校がある日だからだ。

「すみません、あの……依頼は、僕が学校から帰ってきてから……」

「あ、そうか。でも結構たくさんあるから、君がいない間は俺一人でやるよ」

「い、いいんですか?」

「ああ、勿論」

「ありがとうございます」

 ハウウェルはパンを食べ身だしなみを整えると、鞄を持って玄関へ向かった。

「あ、そうだ。帰ってきたら、魔法を教えてあげるよ」

「え……」

 突然の師匠の申し出に、ハウウェルは少しの嬉しさと、困惑の気持ちを感じた。

「……魔法、ですか?」

「うん」

「でも……僕に出来るんですか?」

 後ろ向きな答えをした弟子の頭を、師匠は軽く叩いた。

「こら、そんなこと言わない。前向きな気持ちが大事って言っただろう。それに、君には大きなシルフの流れを感じる。素質はちゃんとある筈なんだ」

 ほら学校遅れちゃうよ、とバルハラは弟子の背を押した。


 ハウウェルは、教室の一角にちょっとした人だかりができているのが目に入った。確か人だかりの中心は、メルチェイの席だったと思う。

「それでね、魔法でやっつけてやったの。そしたらあいつ尻尾丸めて逃げてったわ!」

 やはりメルチェイのようだった。人だかりの中心から、彼女に騒がしい声が聞こえてくる。

 その様子を遠巻きに見ていたノルエに、ハウウェルは尋ねた。

「おはよう、ノルエ。何かあったの?」

「お、ハウおはよう。……ま、簡単に言えばメルの自慢話だな」

 ノルエは半ば呆れたようにため息をついた。

「自慢?」

「そう。あいつ、自分を襲ってきた魔物を撃退したんだとよ」

「へぇ……」

「まあ、自慢もほどほどにしてもらいたいけどな」

 その時のノルエは、子どもたちを見守る父親のようだった。


 今日の授業は、冷却魔法の実践だった。バルハラとハウウェルが出会ったあの日、倒れたハウウェルにバルハラが使用した魔法である。数多の魔法の中でもそれは低いレベルに入るらしく、メルチェイをはじめとするクラスメイトたちは、次々と冷たい空気を発生させていく。

「……えいっ、それっ!…………上手く行かない……」

 ただ、ハウウェルだけはどうしても魔法を発動させることはできなかった。いくら冷たさをイメージして呪文を唱えようと、心をこめて祈ろうと、魔道書に潜んでいる筈の氷の精霊の気配は感じられない。

 周囲の目が、メルチェイの笑い声が、自分に向けられるのが解る。おい、あいつまだ出来てないぞ、なんて声も聞こえてくる。ハウウェルは、次第に焦りを感じ始めた。魔道書を睨み、がむしゃらに呪文を唱えた。

「ハウ、一旦落ち着け」

「ノルエ……」

 ノルエが優しくハウウェルの肩を叩いた。

「大丈夫だ、焦るな。ゆっくりやればいけるさ」

「……うん」

 意識を集中させ、周囲の音を遮断した。メルチェイの声も、雑音も、何も耳に入れいないように、頭の中を真っ白にした。そして授業で習った通りに魔道書の呪文を詠唱し、目を閉じる。しかし、何も起こらない。

「あっははははは!やめなさいよ、ノルエ。落ちこぼれが出来るわけないじゃない。ていうかさ、あんた【太陽の魔道士】が師匠なんでしょ?なのに魔法は全然じゃない!【太陽の魔道士】だってきっと呆れてるわ」

「おい!ハウはちゃんと出来るんだから馬鹿にするな!」

 腹を抱えて笑い転げるメルチェイに、ノルエは目を吊り上げて吠えた。

(どうせ僕は……落ちこぼれなんだ。バルハラさんみたいな天才じゃないし、ちょっと前向きになったからってそう簡単に変われるわけがないじゃないか)

 笑うメルチェイと唸るノルエの間で、ハウウェルはただ俯いて立っていることしかできなかった。

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