第5章 幸せのいつもそばに


 三度みたび異界へと渡った我は、さて、と地面に降り立とうとしたが一向に地に足がつかなかった。比喩ひゆなどでは無く、本当に地面に立てなかったのだ。


「う、うむぅ!?な、なんだこれは!我は、浮いて、浮いておるぞ!?」


 我は慌てて空中で足をバタつかせたが、事態は何も変わらず、挙句あげくの果てに我は上下逆さまになってしまった。これは一体どういう事か!?


「あ、アンナ!アンナー!!な、何事だこれは!?説明せぬかぁー!!」

『あぁ、はいはい。ちょっと待って下さいアーサーさん』

「う、ぉ、お、お、ぉおおおおおお!???」


 そうこうしてる内にも我の体は緩やかに回転し続けていた。あまりの事にまわりの景色など一切目に入らぬ。


「――コチラへ。捕まって、くだサイ」


 突然声が聞こえ無我夢中で手を伸ばせば、何者かによって体を引き寄せられた。

 おかげで我は地面……壁?に足をつけて姿勢を正すことができた。


「ふむ!た、助かったぞお主――」


 咄嗟とっさに礼を言おうとしてその掴んでいる相手を見れば、その者はなんとも面妖めんような姿をしていた。


「お、お主!?な、何者だ!?一体どういった人間なのだ!?」

「……にん、ゲン?私、ハ、人間ではありまセン」

「は?人間ではない?なにを言っておる?確かに変な格好をしておるがお主は」

「いいエ、私は人間でハありまセン。――私ノ正式名称はP-07-Gui-Ne-Ver2。アンドロイドでス」

「あ、あんど……ろいど?」


 その言葉もこの状況も理解できなさすぎて、思わず我は固まった。


『アーサーさん。アーサーさん。この世界がどのような世界か分かりました。ジャンルは"SF"。タグは"宇宙"、"人工知能"、"恋愛"。いま私達がいるここは宇宙です』

「は?なんだうちゅう、とは?えすえふ?じんこう、ちのう?何一つ分からぬぞ!もちっと分かる様に説明せぬかアンナ!」

『えぇーっと、うわーこれどうやって言ったらいいんだろう。アーサー王伝説とはかけ離れてるしなぁ……えっと、宇宙っていうのは空の上です。ずっとずっと上です。そこが宇宙です』

「は?空の上とは天上てんじょうのことか?馬鹿を申せ!天上てんじょうとは神々の住まう土地ぞ!こんな場所であるはずがなかろう!」

『うわー!そうなるのかぁー!難しいー!!SF難しーよう!!どうやって説明したらいいんだろう!?』

「まぁよい!ここが摩訶不思議まかふしぎな場所であるという事は一目瞭然りょうぜん。だがいかな場所であろうとも我の成すべき事は変わらぬ!勇往邁進ゆうおうまいしんである!!」

『さ、流石ですね、アーサーさん。………………脳筋だなぁ』

「なにか申したかアンナ?」

『いえ何も!』


 何やらアンナも含む所がありそうだが、まぁいい。今は目前の事に集中である。


「おぬし、人間ではない。と申したが名はあるのであろう?先程言っていた……ぴ、ぴーぜろなな……なんとか、という奴がお主の名か?」

「ハイ。正確には名前、トいうわけでハありまセンが。他の個体ト識別するタメの物なのデ、その認識デも間違いでハありまセン」

「ふむ、もう一度聞いてもよいか?今一度、なんじの名を問おう」


 我がこの者に名をたずねると、いきなり目の前に蒼い膜のようなものが出てきた。


「うぬぅ!?な、なんだこれは!?」

「私ノ名称は、P-07-Gui-Ne-Ver2。超長期施設保守管理用学習AI搭載人型汎用アンドロイドでス」


 その言葉と共に蒼い膜に数字とアルファベットが映し出された。


「こ、これがお主の名か……ふむ、実に面妖めんような……ぴ、ぴーぜろなな、ぐぃ、えぬ……」

『ギィ、ネー、バー2。ですかね?』

「ギィネバー?……いや待て……ギ、ギネヴィア……?」


 その名は、我が生涯ただ一人……神の御下みもとで変わらぬ愛を誓った者の名。無骨で無鉄砲な我を余すところなく慈愛で包んでくれた愛すべき妻。


「ギネヴィア……我が最愛の人……」

「……?あイ?あいとハなんですカ?」

「なに?お主、愛が分からぬと申すのか?」

「はイ。登録されテいる言葉の意味とシテは理解できまスガ」

「馬鹿な!愛とは幸せの象徴しょうちょうぞ!人と共にある原初の感情!人を動かす原動力ぞ!」

『アーサーさん。先程言っていたように、この子は人間ではないんですよ』

「そんなわけがあるか!こうして我と対話しておる!話が通じておるではないか!」

『この子は機械……えっと、人形のような物なんです。感情が、ないんですよ』

「そんな、馬鹿な……」


 目の前の者は首をかしげるようにして我を不思議そうに見ている。こんな人間臭い仕草をしていながら人間ではない?人形?とても信じられぬ。


「お主は、それでいいのか?人間ではないと言われ……それでは、自由など、意思などないと言われているのと同義だぞ!!」

「……はイ。私にハ自由と言われる物ハ許可されておりまセン。私の製造目的はこの観測コロニーを管理するコトのみでス」

「ではお主には、何の望みも無いと申すのか!!何もいらないと申すのか!?それではお主は、本当にただの人形になってしまうのだぞ!!」

「……望ミ……私の、ノゾみ……?」

「そんな事は許さぬぞ!お主は我と出会ったのだ!この騎士王アーサーと対話しておるのだ!!我は望む!!お主に自我と誇りを!愛を求める!!我が最愛の妻と同じ名を持つ者が、そんな悲しい事を言わないでくれ!!頼む!!」

『アーサーさん……』


 我はもう自分で何を申しているのか分からなくなってしまった。無茶苦茶な事を言っている自覚はある。だが、この者の言を聞き、瞳を見て、居ても立ってもいられなくなったのだ。

 ほんの数瞬、沈黙が流れたが。ふとこの者は口を開いた。


「……私ハ、アナタの言う……愛が、幸せが、知りたい、デス」


 そうしてギネヴィアを残し、世界は色あせてブレた。


「…………」

『……どうやら、この物語の終着点はあの子。ギネヴィアが愛を知る事、みたいですね』

「なんだ、それは……」

『アンドロイドとは、感情がありません。どうやって愛を教えるのか、そこが重要に―』

「ないわけがなかろうッ!!」

『…………』

「あやつは、ギネヴィアは言った!最後に言ったではないか!!愛が、幸せが知りたいと!!それはもう意思だ!自我なのだ!!意思ある所に魂がある!!そこに命があるのだ!!それなのに感情がないわけがなかろうがッ!!」

『……アーサーさん……』

「あやつは人間だ。誰がなんと言おうとも、この我が認めた一つの命だ!次にあやつに会った時、我は我の全力を持って、あやつに幸せを見せつけよう!我の誇りにかけて!!」


 我が決意を新たにした時に世界は色を取り戻していく。

 だが、我は同じ場所に降り立ったというのに、先程とは様子が違っていた。

 全体的に暗く、所々火花が散って、遠くからけたたましい音が響いておる。

 我は辺りを見回すと、今にも崩れ落ちそうな壁に背中を預けギネヴィアが座っていた。


「お、お主!どうしたのだ一体!?これは――」

「……アナタは……ここニ、いてはいけま、セン。……ここは、じきニ、崩壊しま、ス」


 つたなく喋るギネヴィアをよくよく見ると下半身が無くなっていた。

 なにやら鉄の棒などがはみ出ていて、液体も流れ出ている。

 この時我は初めてアンナが言っていた人間ではない、という事の意味を知った。


「お主……なぜこんなことになっておる……そのままでは、死んでしまうぞ!!」

「……死、とは……機能、停止……といウ、意味、でしょう……カ。それ、ならバ、仕方ありま、セン。もはや、私を、直せル、人類……ハ、存在、しない、ノです……かラ」

「な、なんだと?」

『……そうか、この世界にはもう、人間は生きていないのか……』

「どういう事なのだアンナ!?」

『この子は……たった一人、このコロニーに忘れ去られていたんです。主の人間が滅んでいなくなっても、ずっと……たぶん、何十年、何百年と……』

「……そん、な……」


 我はアンナから聞かされた衝撃の事実に、掛ける言葉を失ってしまった。それならば、我は幾年いくねんも一人で生きていたこの者に、何も知らず不躾ぶしつけに自由だ愛だなどと申していたのか?

 滑稽こっけい、じつに滑稽こっけいではないか。

 人がいなければ愛することなど出来ぬ、人は一人では生きられぬ。それなのにこやつは……。


「……聞いて、も……よろしイ、です……カ?」

「な、なんだ?なんでも、聞くがよい、ぞ!」

「はイ……アナタ、の名前、ヲ……」

「名前……」


 そうだ、我は先程名を尋ねたが、我は名乗っておらなんだ……。


「な、何故この期に及んで、我の名なんかを……?」

「……私、ハ……もうスグ、壊れ、マス。その前、ニ……何故か、知りたイと、思った、のデス」

「………………」


 今際いまわきわに、我の名を刻みたい……と?

 そんな、そんな人間臭い事を言う者が……自分の事を人間ではないなどと……。


「――ッ!!心して聞くがいい!そしてその身に、心に刻めッ!!我が名はアーサー!!誇り高きブリテンの王!!円卓の騎士を従えし、愛を掲げる不屈の騎士王!!世を、人を、民を分け隔てなく愛し、幸せを守り通す事を!決して諦めぬ事を誓った!一人の騎士なりッ!!」

「…………アーサー……」

「ギネヴィアよ!!心ある愛しき者よ!!なんじの名も同様に我の中に刻まれた!!この名は生涯、いや例え我が力ち果てようとも消えるものでは無いッ!!なんじは我の中で生き続ける!!我のそばで生き続けるのだッ!!」


 世界が色あせ始めた、我とギネヴィアを分かとうと、世界はブレ始める。


「―ッ!!なんじを忘れなどせぬ!!だから、なんじも我を忘れるなッ!!愛を、幸せを忘れるな!!命尽きるその時まで!我はなんじの名を叫び続けようぞッ!!」


 どんどんギネヴィアとの距離が、世界が離れていく。もはや見えぬぐらいになった時、微かにその声が聞こえた。


「――ありがとう、アーサー。……誇り高き、深愛の王よ……」


 そうして世界は完全に断絶された。


「………………」


 ただただ流れていく世界の中で、我は拳を強く握りしめる事しか出来なかった。


『……アーサーさん……』

「……アンナよ……あの世界は、どうなったのだ……?」

『…………』


 その疑問に帰ってきたのは沈黙だった。いや、これはアンナの優しさだろう。

 我は、改めて深く刻んだ。強く強く、己の魂へと。

 そしてエクスカリバーをかかげ、言葉にはせず祝詞のりとをあげた。


 我、騎士王アーサー。汝、ギネヴィアを生涯愛し。いついかなる時も、そばにあり続けんことを、その気高き魂に、己の心に、剣に誓う。


 そして空を一閃する。次の世界への扉を開く。我は歩き続ける、残してきた者の思いを無駄にしないためにも。



 祈りは天に届いたであろうか。天上てんじょうに住まう愛しの君へと、届いたのであろうか……。



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