3・ウヌグ
ビルガメシュはエアンナの廊下を進んでいた。
ウヌグに戻った次の日だ。
エンキは死んだ。イシュタルはイナンナとして神殿に戻り、館に戻ってすぐにエンリルから呼び出しがあった。懲罰があると予測していた。
フワワは館に軟禁してある。
マントの下に小さな棍を忍ばせていた。今日ここで殺されるかも知れぬ。動かせる兵はいない。バハトゥラと、侍従を数人、エアンナの外に控えさせるのが精一杯だ。
おれはビルガメシュだ、と自分を鼓舞する。狭い神殿の中には、多くの兵は隠せない。襲われたとしても、活路をひらいて逃げ切る自信はあった。
扉の両脇に立つ、アンの神官がビルガメシュを睨みつける。左側の者は隻眼だった。キシュまで出向いてきた、アンドゥだ。ビルガメシュは無視して扉に向かった。
ビルガメシュは大きく息を吐いた。大きく両腕を広げ、左右に扉を開く。
正面にアンが座っている。その左にイナンナ。右にエンリル。
ビルガメシュの左側にはウトゥ。
右側は空席。
であるはずだが、そこにはイシムが座っていた。
ビルガメシュはとっさに声が出なかった。少年はまるでエンキと同じように、亜麻布の衣を身体に巻き付け、澄まして正面を見つめている。
「来ましたね、王よ。では、フワワとの交渉について報告してもらいましょう」
エンリルが言った。
ビルガメシュは椅子につかずに声を上げた。
「エンキは?」
エンリルが落ち着きはらって答える。
「そこにいますよ」
「彼はイシムだ」
「イシムとは?」
「エンリル様もご存じでしょう。エンキ神殿の神官で、先の戦いでは、私のところで働いた」
「他の神の神官の名前まで、私は記憶していません。しかしエンキを神官呼ばわりするとは、不敬ですよ。知恵の神は、そんな冗談も許しているのかもしれませんが」
ウトゥが吐き捨てるように言う。
「いいから、座れよ。ビルガメシュ」
太陽神を睨むと、ウトゥはさっと目をそらした。女神に視線を向けると、イナンナは口をつぐんで身を縮めた。
天空神はもとより、何の動きも見せない。
「良いですか、ビルガメシュ。フワワとの交渉について話してください」
神々が説明しようとしない以上、問い詰めることに意味はない。
ビルガメシュは椅子を引くと、わざと大きな音をたてて腰かけた。
記憶をもとに、取引について報告する。
グアンナに襲われたこと、エンキの身に起こったことなど、帰路での出来事は省いた。大麦の支払いについてエンリルがひとくさり厭味を言い、散会を告げた。
アンが消え、エンリルが消えた。ウトゥも続いた。エンキ=イシムは何も発言しないまま、会議室から去った。
イナンナとビルガメシュが残った。女神は立ち上がって背を見せた。
「どういうことです」
その後ろ姿に、ビルガメシュは言葉を叩きつけた。イナンナがわずかに振り向く。
「ここでは……。場所を変えましょう」
「館においでになられますか」
イナンナはかぶりを振った。
「篝火で息がつまるわ。外へ連れ出してちょうだい」
城壁の上をめぐる腰の高さの高欄に、イナンナは腰を下ろした。女神は黒髪を秋風がなぶるにまかせ、胸をふくらませて大きく息を吸った。女神と王の供は、階下で待っている。
「いい風ね。少しは気が紛れる」
ビルガメシュは高欄に片手をつき、女神に向かって身を乗り出した。
「彼はエンキではない。それとも、おれの目がおかしくなったのか」
性急な王に呆れるように、イナンナはほうと小さくため息をついた。
「あれはまぎれもなくエンキよ。神々はみなそう言うわ」
「では、人は。我々にも、そう言えと?」
「人は神に従うのよ。ウヌグの民は、これまでと同じにエンキを奉じるでしょう」
「彼はエンキではない。エンキはおれの友だ。あいつはおれに目もくれず、口もきかなかった。あいつがエンキであるはずがない。民が祈りと供物を捧げようとも、おれは認めない」
心細げに、イナンナが両肘を抱える。
「ひとつだけ保障するわ。あなたが狂ったのではない。それから、受け入れなさい。これが、神があるということなの。何千年も続いてきたことだし、これからも変わらないでしょう」
「お言葉ですが、納得できません」
「なぜです、我が夫、ウヌグの王よ。キシュを倒して盟主となり、北方のフワワも手中にある。天牛に立ち向かってこれを打ち倒した。エンキは変わらずその座にある。キエンギとアガデの王が、悲嘆にくれることは何もないわ」
「エンキは死んだ」
ビルガメシュは短く言った。イナンナが気圧されたように身を引く。王は言葉を継いだ。
「なるほど、栄耀栄華は目の前にある。美しい女神が妻としてそばにいる。だがおれは、不死のはずの神を人間の運命が襲うのを目の当たりにした。天地を、人間を作り、永遠であるはずの神々が永遠でないとしたら、おれは何に拠ってウヌグを治めればいいのです。何に拠って生きればいいのです」
高欄に背をあずけ、ビルガメシュは座り込んだ。
「神の営みが永遠でないとしたら、その一部として死ぬことに、どれだけの意味があるのです」
「……そんなことを考えていたの?」
「エンキが言っていた。死に瀕して、自分は語る言葉を持たないと」
イナンナが横に身体を添え、そっと王の肩を抱く。
「今は休みなさい。それから、たくさん食べなさい。水浴びをして、精一杯着飾って、宴をひらいて踊りましょう。子供をつくりましょう。そうして日々の喜びの中にあれば、いずれ胸のうちの悲嘆は消えていくわ」
イナンナの手に、ビルガメシュは自らの手を重ねた。
「そう言ってくれるあなたは、いつまであなたでいるのです」
イナンナの指が強張る。
「前から思っていたことだが、ドゥムジを蟇蛙のように打ち殺したというイナンナと、おれに対するときのあなたは、どうしても一致しない。いつかエアンナに来たとき、おれがまるで知らない女神がそこに座っていたというようなことが、起きるかもしれない。ウトゥ様も、まるで以前とは態度が変わってしまった」
イナンナは王の隣に脚を投げ出して座り、憮然として空を見上げた。
「そうね。……兄の兵を信用していたのに、まるで役に立たなかった」
「神の身には、人にはあり得ないことが起きるのでしょう。それは何故なのです」
イナンナは首を横に振った。
「駄目よ。話せない」
「どうして?」
「キエンギとアガデは神々を中心に成り立っている。人々が拠り所を失ったら、もうこの地を治めることはできなくなる。あなたがわかっている通りよ」
「王であるおれが、その拠り所を失いかけているのです。おれに道を示してほしい。標を示してほしい。大海を渡れというなら、迷わずそうします」
イナンナが遮るように、開いた右手を上げる。
「あなたのことはわかった。でも、じゃあ、聞くわ。わたしはどうなるの?」
「どういう意味です」
「あなたはわたしと契らなかった。わたしがアンの娘だから。でも、邪険にもしなかった。わたしが女神だから。わたしが力を貸さなくても、あなたはいずれ真実に辿り着く。神々が隠していることを知ったら、わたしは無用になるわ」
イナンナの眦に、じんわりと涙が溜まる。
ビルガメシュは空を見上げた。薄い秋の雲が、風に吹かれて飛んでいく。
「おれは、イシュタルという少女と旅をした」
イナンナが王にならって顔を上げる。それにつれて涙が頬をつたう。ビルガメシュは続けた。
「楽しかった。エンキが死んだあと、抱いていてくれた。あの温もりを、おれは忘れない」
イナンナが右手で涙を拭う。
「わたしは自分の身が可愛いだけ。あなたを誘惑してきたのも、旅に同行したのも、ウヌグで神であり続けるためよ。あなたに寄り添ったのだって、わたし自身が不安だったから。怖かったからよ。わたしはあなたを利用しようとした。でも、うまくいかなかった」
イナンナは両手で顔を覆った。ビルガメシュはためらってから、女神の肩を抱いた。女神は拒まず、しゃくりあげてから、指の間から言葉をもらした。
「暖かい」
「おれには、あなたが必要です」
「そうね。ウヌグの王にはイナンナが必要だわ。でもそれは、あなたがまるで知らない女神でも同じことよ」
「エンキがあいつだけであるように、おれにとって、イナンナはあなただけです」
「でも、あなたは申し出を断った。わたしと共に生きる気はない」
イナンナは、王の手を肩から押しやり、立ち上がった。
「あなたはわたしを信用していない。わたしだって、あなたを信用しきれないのよ」
イナンナが足を踏み出す。ビルガメシュは言った。
「おれはもう、神を信じる気にはなれない。だが、あなたのことは信じたいと思っている」
女神の足が止まる。王は続けた。
「あなたには女神ではない部分がある。イシュタルという少女が、あなたの中にいる。神としての立場が彼女を苦しめているとしても、少女はおれを助けてくれるのではないかと」
「やめて。彼女はもういない」
「そうは思いません」
イナンナは背を向けたまま、わずかにうつむいた。
「不死のものを探しなさい」
ビルガメシュは腰を浮かせた。
「今、なんと?」
女神が振り向くと、黒髪が宙で円を描いた。突き出した両手は、王を拒んでいる。
「近づかないで。そのまま聞いて。いい?」
ビルガメシュは背を伸ばし、頷いた。イナンナが言う。
「不死なのは神々だけではないの。その者を探しなさい。神のまじないを、わたしは使えない。だけどその者は扱うことができる。生と死と不死、エンキの残したまじないの中身も、見つけ出しさえすれば、解き明かすことができる」
「ウヌグを守護する女神が、まじないを扱えないのですか?」
イナンナは薄く笑った。
「神であろうと、女は政の道具。道具に知恵は無用だと、アンもエンリルも思っているわ。実際、反逆を試みるあなたに、こうして余計なことを話している」
「不死者は、どこに?」
「言えないわ。神々を裏切れない。自分で探しなさい」
ビルガメシュは膝をつき、胸の前で両腕を交差した。
「感謝いたします。イナンナ様」
「言っておくけど」
イナンナの瞳が冷気を帯びる。
「無事にたどり着けるとは限らないわよ。わたしがあなたを殺そうとして、わざと危険な地に追いやろうとしているのかもしれない」
「……そうは思いません。どこであろうと、おれは行って、帰ってきます」
ビルガメシュは、女神の瞳を見つめ返した。
イナンナは素早く目をそらし、身を翻した。
「好きにしなさい。わたしはわたしで、生き延びるためにできることをやるわ」
ビルガメシュは無言で、頭を垂れた。
城壁を離れ、ビルガメシュは館へ向かった。バハトゥラをはじめ、部下が後をついてくる。王はひとり物思いにふけった。
エンキは北の果てで、ビルガメシュに看取られて死んだ。
弔うものはない。死後、伝説で言われるような、埃と粘土を食らう暗闇に友がいるとすれば、誰が彼を慰めてやれるのか。
むしろ死んだことすらなかったこととされている。そもそも彼が、本当にこの世にいた証はあるのだろうか。エンキ神殿は変わらずそこにあるが、今は別のものがそこに君臨している。同じ魂魄がその身に宿っているなら、なぜエンキ=イシムはビルガメシュに何も言わないのか。
イナンナはいくつかのことを言った。
不死なのは神々だけではない。
不死者は神々の呪いを扱える。解き明かせ。
死と生、そして不死について、ウヌグの神々からは聞き出せない。それを語ることは神々への裏切りになる。
そしてエンキの粘土板。知恵の神はいまわの際に、何を遺したのか。女神はビルガメシュに標を示すにとどめた。神ではない不死のものを探し、神ならぬ身でまじないを解けという。
ビルガメシュは額に手を当てた。中々に困難な問題だ。
助言が欲しい。知恵に秀でた、エンキのようなものからの助言が。
知恵の神がいなければ、おれは何を支えに――。
ビルガメシュはふいに足を止めた。背後で部下たちがどよめく。
エビフへの道中で同じように嘆いた時、イシュタルは言った。人間の在り方について、都の古老が伝えていると。またエンキも、エビフで言った。イナンナについて、確かな知恵を伝えているのが神話だと。
戸惑い顔で道に跪くバハトゥラに、王は言った。
「バハトゥラ、すまんが、頼まれてくれるか」
明瞭な王の言葉に安心したように、将軍は口元に笑みをたたえた。
「何なりと。我が王、ビルガメシュ」
「神話、伝承に詳しい者を呼んでくれ。館で聞きたい」
バハトゥラが右の眉を上げる。
「は。いい気晴らしになるでしょう」
「違う。政務だ」
将軍は、今度は左の眉を上げた。
「神話は、星の数ほどございます。全てを語らせれば、季節が変わりましょう。王がお聞きになりたいのは、どのようなものですか」
「エンキだ。知恵の神が出てくるものはすべて聞きたい」
バハトゥラは胸の前で手を組み、頭を垂れた。
「それから、フワワはどうしている? 何か言ってきているか」
「いえ。今のところ、大人しくしています」
ビルガメシュは頷いた。エビフの地、スビル族の長の処置も考えねばならない。
館に盲の老婆が呼ばれた。老婆は置物のように座ったまま、語り始めた。
神話は天地創造から始まる。神々が生まれ、エンキが労働者として人間を創った。
エンキはキエンギの地を祝福し、鯉の洪水をもたらした。蛮族を征服し、遠方のメルッハ、マガン、ディルムンから金、銀、紅玉髄を運ばせた。ブラヌンとイディギナの流れを生み、雨を呼び、穀物を実らせ、羊舎と牛舎を作った。遥かな下の海(ペルシア湾)の高波とその幸も、エンキが統括するところだった。
イナンナに女性としての魅力と、戦神としての力を与えたというところで、ビルガメシュは眉を上げた。2柱の神には、太古から関わりがあったのだ。
エンキは何柱もの女神と床を共にしたあげく、妻ニンフルサグの嫉妬がもとで病に伏す。姿を隠した妻を探しあて、ようやく治療してもらう。ビルガメシュは唇の端で笑った。
イナンナは野心を抱いて、冥界に下ったことがある。だが、冥界の女神エレキシュガルに「死の眼差し」で殺されてしまう。エンキは爪の垢から泣き女と神官を生み出し、生命の草、生命の水を持たせて、イナンナを蘇らせる。
生命の草、生命の水、とつぶやく。
シュルッパクの都市が栄えていたころ、エンリルは人間に破局をもたらすべく、大洪水を起こすことにした。エンキはその計画を聞き、シュルッパクの王、敬虔なジウスドラに、生き延びるため方舟を作れと命じた。ジウスドラは巨大な方舟を作り、金銀と全ての生き物、家族を乗せた。エンリルは嵐を呼び、大洪水が七日七晩にわたってキエンギとアガデの地で暴れた。
洪水がひくと、ジウスドラは生贄を捧げた。エンキはエンリルの短慮を責め、エンリルはそれを受けて方舟に下り、告げる。
『生命は神々の手の中にあるが、お前とその妻は、神々の援けを得て、神々のように永遠の生命を享受するように』――。
ビルガメシュは膝をたたいた。
神ならぬ不死なるものだ。
老婆は語りを続けている。
エンリルは人と生き物を助けたジウスドラを賞し、大海の彼方、ディルムンに住まわせた。
行くべき場所、会うべき人物だ。
既に夜は更けていた。
見張りの兵に一言ねぎらいの言葉をかけて、ビルガメシュは部屋に入った。
山盛りのなつめやしと麦焼きの向こうに、フワワが腰掛けている。
「不便はないか?」
じろりと、スビルの長は王をにらんだ。
「私を、いつまでこうしておくつもりだ」
ビルガメシュはフワワの向かいに腰掛けた。ちらりと寝台を見る。夜具に乱れはない。長が眠った様子はなかった。
「ディルムンへ行く」
互いに問いに答えていないのを承知で、ビルガメシュは言った。フワワが顔をしかめる。
「何をしに?」
「ジウスドラを探す。永遠の命をもつ人間だ。まだ生きているのか、確かめに行く」
「メバラゲシと私に名乗った男はエンキ、知恵の神だな」
エンキが討たれたとき、フワワは御者台にいた。その後のやり取りも聞いていた。ビルガメシュは少し間を置いてから、頷いた。
「ただ、あなたがウヌグでそれを言い立てても無駄だ。エンキは生きて神殿にいる」
「……私は、彼が死んだのを見た」
「それがわからない。あの男はおれが知っているエンキではない。生と死、不死について知るために、おれはディルムンに行く。神々というものを理解するために」
フワワが卓の上で指を組む。
「それをなぜ、私に話す」
ビルガメシュは静かに、深く頭を垂れた。
「あなたに同行してほしい。頼む」
返事はなかった。顔を上げると、フワワはなつめやしを一つ手に取り、ゆっくりとかじった。
「私をそばで監視していたい、というわけか」
「助力を頼めるのがあなたしかいない。部下はウヌグに置いて、イナンナを守らねばならない。留守の間、おれが王でなくなっていたら元も子もない」
果実を持った手で、フワワが王を指さす。
「王位を危険にさらしてまで、なぜ旅に出ることがある。それにウヌグの民はビルガメシュ、貴様を必要としているはずだ。王にふさわしい振る舞いとは言えまい」
「エンキはおれの友だった。あいつは殺されたのだ」
ビルガメシュは拳を固めた。
「アン、エンリル、奴らがエンキを殺した」
「貴様らの神は不死なのだろう。エンキは神殿にいると言ったではないか。おかしな物言いだ」
「不死のはずのものの死、その謎を突き止めるのだ。ジウスドラを探し出せば、神々の不死について、いくらかでも知ることができるかもしれない」
「アン、エンリル。神々を殺すのが貴様の望みか。つまりは復讐だ。ビルガメシュ、ウヌグ王の貴様が自ら、国の平穏を乱そうというのか」
フワワはなつめやしの種を床に吐き出した。
「それが、国を治めるもののすることか」
ビルガメシュはしばし口を閉ざしてから、身を乗り出した。
「おれは、人間が何に支配されているのか知りたい。神も死ぬと言うなら、人と変わりはないではないか。我々は何に支配されている? 死んだはずのエンキの地位に、別の者が何食わぬ顔でおさまっている。そんなことがあっていいはずがない」
フワワが顔をしかめて頭を掻く。
「エンキが別のものに成り代わられた、ということなのか?」
「おれはそう考えている」
フワワは腕を組んで黙り込んだ。ビルガメシュは床をにらんで唇を噛んだ。
同意は得られそうにない。
この男は、はるかエビフからウヌグまで自分とイシュタルを送り届けてくれた。その好意にさらに甘えようというのが、虫が良かったのかもしれない。
自分と同行しなければ、おそらくフワワは殺される。アンとエンリルはスビル族へ与える影響よりも、神々の秘密を守ることを優先するだろう。神々の死の手の警告も、フワワはものともしなかった。それだけに、失いたくない人物だった。
「いいだろう。共に行こう」
顔を上げ、目を見開く。フワワは苦い顔で、なつめやしをもうひとつ手にとった。
「何だ、その顔は。黙っていたが、メバラゲシがエンキであること、私は初めから知っていた」
ビルガメシュは耳を疑った。
「何だと? そんなことはあり得ない」
「あの男は私の息子も同然だ。荒野で生まれ、彷徨っていたのを拾い、育てたのだ。この旅では、自らスビルまで、その頃の礼を言いに来てくれた」
「そんなことがあるものか。あっていいはずがない」
「信じずともよい。息子を奪われた父親の無念、わかってもらおうとも思わぬ」
フワワが寂しそうに笑う。
「王よ。貴様の知らぬ間に、我々スビル族はエンキに大きな便宜を図ってもらっていた。散々考えたが、スビルに及ぶ危険を承知の上で、私はその恩に報いねばならぬ。誓いがある」
「ヴァルナか」
「覚えが良いな。そう、ヴァルナだ。たどるべき道、守るべき誓い。部族に恩のあるものを殺されながら、それを忘れるのは正しい行いではない。ビルガメシュ、ディルムンに赴くことが最善だとあなたが言うのなら、私はそこまで同行しよう」
ビルガメシュは額に手をあてた。頭が熱をもっている。フワワの表情がぼやけ、顔面を腸がのたくっているように見え始めた。
ある神は死に、または敵となり、蛮族が神の親だと名乗る。川底から地上を見上げたときのように、様々な事柄がゆらめき、色を変えて、別の姿をとり始めている。
ジウスドラに会えば、川面から頭を出せるだろうか。ビルガメシュは目をこらし、懸命にフワワの顔に焦点をあわせた。
「ディルムンとウヌグは取引がある。商人を選んで、道案内をさせるつもりだ。手はずが整うまでここで待機してくれ。必要なものはそろえる」
「人選は慎重にな。命を大事に思うならば」
いのち、とつぶやく。
「わかっている。おれとて死にたくはない。このまま死んでたまるか」
ぞんざいに会釈をし、ビルガメシュは立ち上がった。
信用に値すると思われる商人を探し出すのに2日かかった。
夜陰にまぎれ、ビルガメシュとフワワは館を抜け出した。二人とも荷物は背嚢ひとつだった。
バハトゥラに命じて、南西の門に見張りが立たぬ時間を作った。その隙に、王と長はウヌグの城壁を抜けた。
外には手筈通り、驢馬車が待っていた。御者台には顔に覆面を巻きつけた男が座っている。ビルガメシュとフワワが荷台に飛び乗ると、男は驢馬車を進めた。
ウヌグが遥か地平線に消えたころ、東の空が暁に染まり始めた。
彼方の山脈を越えて日輪が姿を現す。ビルガメシュは目を細めてその様子を眺めた。あの山の彼方に、父ルガルバンダが征服したアラッタがあるはずだ。少なくともそう伝えられている。アラッタ、ディルムン、いずれも自分は物語でしか知らない。
手綱をとる男が振り向き、覆面をとった。
黒い髪、浅黒い肌。大きな目が大きな鼻の両側でぎょろぎょろしている。頬と顎は黒い髭で覆われ、皺はない。まだ若者らしいその男は、厚い唇でにっと微笑んだ。
「夜中にご出発たぁ、穏やかじゃないですな」
ビルガメシュは座ったまま男をにらみつけた。
「言ってあるはずだが、我々のことは詮索するな。無事に送り届けてもらえれば、礼ははずむ」
「わかってまさ。ただねぇ、ディルムンまではちょっとした距離がある。盗賊が出ることだってね。あたしがいなけりゃ行くことも戻ることもできないし、ジウスドラに会うこともできないでしょう」
「何が言いたい?」
あえて、声にわずかに怒気をこめる。男に、ひるんだ様子はなかった。
「あたしはあんた方をディルムンまで案内する。あんた方はあたしに報酬を支払う。これは、お互いに対等な立場での取り引きなんだ。あんた方が神官だろうが、将軍だろうが関係ない。そこんとこをわかっといてもらわないとね」
ビルガメシュは座り直し、腕を組んだ。男はまだ若く、体も大きくはない。だが態度は堂々としており、その言葉には理がある。砂漠で行う商いには、この押し出しが要るのだろう。
ならばこそ期待できる。
「よくわかった。互いに信じられるように努力しよう」
男の笑みがさらに広がった。愛嬌のある顔だ。
「そんじゃあ、自己紹介でもしましょうか。あたしはアブラム。もとはウルの羊飼いですが、一族を養うためにちょいちょい南へ渡ってます。お若い旦那、何と呼べばよろしいかな?」
「ニヌルタだ」
ビルガメシュは考えてあった偽名を名乗った。
「にむろど、ですかい」
「酷い訛りだな。ニヌルタ、だ」
アブラムは頭に手をやって、また白い歯を見せた。
「街の人とは言葉がちっと違うこともありますわな。ご老人、あんたは?」
フワワは面白くなさそうな顔をしている。
「ザオタルとでも呼ぶがいい」
「もっと笑ったほうが、人生楽しいですぜ。ザオタルさん」
フワワは表情を崩さない。
「要らぬ世話だ」
「堅いねぇ。さて、先は長いんだ。お客さんがた、少し眠ったらどうです」
ビルガメシュは苦笑し、商人の言葉通り、大麦のつまった革袋に背中を預けた。
昼はブラヌンの流れに沿った道を進み、夜は天幕を張って野営する。焚き火を囲んで食事を取る間、アブラムは常に愛嬌を振りまき、ビルガメシュは話を合わせて笑いあった。フワワは考え込むような顔をしたまま、一定の距離をとっていた。
幾度も日が沈み、また昇った。道ははっきりしており、ブラヌンの支流にも必ず橋が掛かっていて、進むのに支障はなかった。両側に丘が張り出し谷になった場所では、武器を取り出し、警戒して進んだ。
3日過ぎた。 ビルガメシュは鼻腔の奥に違和感をおぼえた。
ねばりつくような感覚はやがて、はっきりした生臭さに変わった。嗅いだことのない臭気だ。
身体を起こし、アブラムに呼びかける。
「妙な臭いがするな。何だ?」
商人は振り向いて愛想笑いをした。
「海ですよ。下の海(ペルシア湾)が近いんです。南東のほうに見えますよ」
ビルガメシュは首を伸ばした。地平線の彼方、何かが白く輝いている。言われれば、ブラヌンやイディギナの川面が陽の光を照り返すさまに似ていた。
はるかに海を望んで、道はやや右へ折れた。
「近づかないのか?」
「道がなくなります。河口近くは、湿地帯ですからね。南に下ってから、東に向かいます」
「海、か」
下の海を統治するのは東の国シララの女神、ナンシェだ。ウヌグで聞いた昔語りでは、そう定めたのはエンキ、その人だった。
だがその海は、どのように生じたのか。
「そもそも天と地は、どうやって生まれたのだろうな」
何気ない疑問が口からこぼれた。昔語りでは、そのことに言及はなかった。
アブラムが答えた。
「そりゃあ、神様がおつくりになられたんでさ」
「ウルの都市神は、月の女神か。ナンナが全てを作ったというのか?」
「街の方々はその女神様を拝んでますがね。我々羊飼いは違いまさ」
「ならばアンか? エンリルか?」
アブラムは前に向き直り、やや厳かな口調に改めた。
「いえ。我々の神、主は、ヤハウェ、といいます」
「……知らぬ名だ。どこにいる?」
アブラムは右手の人差し指を立てて、上を指した。
「天の上、ともっぱら言われてますがね」
ビルガメシュは空を仰いだ。蒼い空に薄い雲が流れている。
「空の上に何者かがいるわけがなかろう。アンは天空、ウトゥは太陽の神だが、いずれもウヌグに居を構えている。我々の神は、みなどこかの神殿にいるぞ」
「街の人の神が全てってわけじゃあない」
笑い声混じりに、アブラムは言う。ビルガメシュは御者台の、アブラムの後ろににじり寄った。興味を覚え始めていた。
「面白いな。ウルの羊飼いは、姿も見えないものを信仰するのか」
「見えないわけじゃないでしょう。毎日お天道様が昇ること、嵐の夜に雷が鳴ること。豪雨に疫病。どれも人の手じゃどうにもならないことだ。それに我々人の子がこの世にいることこそ、主がおられる何よりの証拠です」
「……なるほど。それでは、そのヤハウェは、なぜ人間を創ったのだ?」
「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配するようにです。産み、増え、地に満ち、地を従わせるように、と」
ビルガメシュはにやりと笑った。
「それは羨ましい。キエンギの民は、神々に奉仕する労働者として創られたのだ」
「高貴な身分の方が羊飼いを羨ましがるたぁ、めったにないものを見られましたよ」
ビルガメシュはアブラムに背を向けて座った。
「我々は王を通じて神の意思を知る。たくさんの大麦を献納して、神々と神官を養っている。天の上にいるその神とは、どうやって意思を通じるのだ?」
「族長が主の御姿を見て、言葉を交わすことがあります。それから我々の主には、牝牛や雌羊を犠牲として、祭壇で焼き尽くすんです。焼いた煙は天に昇っていくでしょう? 一度に数頭。街の神々ほど大食らいじゃありません」
「羊飼いの神は肉食か。面白いな」
「主についてあんまり口外しないでくださいよ。年寄りが、不敬だなんだってうるさいんだ」
異なる神が、異なる目的で民を創る。アブラムの神は支配者として彼らを創り、キエンギの神々は従僕として民を創ったようだ。
野営するとき、フワワは必ず儀式を行った。
周囲を清め、器をふたつ用意する。一方には水をくみ、他方には火を焚く。
その前に足を組んで座り、水には2種の草の汁と、牛乳を振り入れる。火には薪と香木、それにひとかけらの獣脂をくべる。それからしばらく、器を見つめる。
その間、ビルガメシュとアブラムは、離れた焚火で大麦粉を練って焼きあげる。
4日目の夜、焚火のもとに戻ってきたフワワに、ビルガメシュは訊いた。
「祈りか」
フワワは頷く。
「供物を捧げることで、水のアーパス、火のアータルに力を与える。神々はその力で、我々の繁栄を助ける」
夜の風は冷たい。左手を火にかざしながら、右手で麦焼きを口にはこぶ。
「確かに火も水も、有難いものだな」
フワワも麦焼きをかじりながら、言った。
「それにな。死者が霊に受け入れられるまで、三十年かかる。その間は、生きた者が供物を捧げてやらなければならない」
アブラムが舌を突き出す。
「そりゃあ、ちょっと長いですね」
ビルガメシュは左手を突き出して、商人を制した。
「死者の話だ。敬意を忘れるな」
アブラムが神妙に、膝の上に両手を置く。フワワが力なく笑う。
「感謝する」
フワワはエンキのために祈っている。ビルガメシュにはわかった。
ビルガメシュはふと、フワワを見つめた。赤い火が老人の横顔を照らしている。
「お前が死んだら、誰が祈る? お前のために?」
フワワは目を閉じ、首を横に振った。
「私に、ほかの息子はいない」
沈黙。
薪が爆ぜる。
耐えきれなくなったように、アブラムが言う。
「あたしゃ、なかなか子供ができなくってね。他人事じゃありませんや」
ビルがメシュは眉をひそめたが、フワワはにやりと笑った。
「小僧の分際で何を言う。妻との間にできなければ、側女に産ませればよかろう」
どうやら、雰囲気をまぎらそうという若者の試みを、フワワは評価したらしい。アブラムがほっとしたように、声をあげて笑う。
「族長にでもなればそれもできるでしょうが。この暮らしじゃあね」
ビルガメシュは革袋の酒を口にふくんだ。アブラムの軽口をフワワが受けた。本心はわからないが、旅の道づれと上手くやっていきたいという思いはあるようだ。
さらに6日進んだ後、一行は道を東に折れた。7日目の朝、道の両脇に天幕が並び始めた。
入口には袋が並び、大麦やなつめやし、いちじくが無造作にこぼれている。材木を山のように積んでいる車が止まっている。脇には驢馬がつながれ、人間の姿もある。みな忙しげだ。
「着いたのか」
「ええ。このあたりからディルムンです」
ウヌグを出て10日目。エビフとそう変わらない距離だった。
「もっと大きな街かと思っていた。これでは野営地とあまり変わらないな」
「彼らはここに住んでるわけじゃない。あたしと同じ商人だ。品物を仕入れてそれぞれの土地に持ち帰り、商売をするんです。だから、決まった場所に家はありません。ただ、その野営地の広がりは、ウヌグより広いかもしれませんぜ」
「ジウスドラも旅をしているのか? だったら、会えないかもしれないな」
「あの方は別です。小さな木の館に住んでる。ま、その前に海辺に向かいましょう」
フワワがずいと身を乗り出してくる。
「何をしに行く? ここまでで10日かかっている。私たちは急いでいるのだ」
アブラムが振り向き、厚い唇で愛想よく笑う。
「物事には順序ってものがあるんですよ、ザオタルの旦那。それに、ウヌグの方々は海を見たことがおありかな? ないなら、一生に一度は見ておいたほうがいい」
「アブラムに任せよう、ザオタル。我々はディルムンに通じていない」
砂の丘の前で、天幕と道が途切れた。驢馬が止まる。その足元は細かい砂に軽く沈んでいる。アブラムが御者台を降りた。
「ここからは歩きです。丘の向こうへ」
ビルガメシュとフワワは従い、アブラムの後を追って砂丘を上った。
視界が開けた。白い光が地の向こうで無数に輝いている。光はゆらめき、うねり、耳に心地よいさざめきさえたてていた。アブラムが両腕を広げた。
「これが海です」
大地が終わっている。水が地の際に打ち寄せ、見渡す限り広がっている。太陽の光を跳ね返し、輝いているのはその水だった。見えるところの先まで水は続いている。
足元の砂は水際まで続いている。ビルガメシュは見回しながら歩を進める。履物から出た足の指に、熱い砂がかかる。浜には船が着いていた。葦を束ねた船だ。ただしブラヌン河畔で使うものよりも、何倍も大きい。周囲で人影が忙しく動き回っている。船から荷を降ろしているようだった。アブラムが王を追い越しながら大きく手を振る。
「スルスナブ!」
船の上の影が、それに応えて手を振り返した。その姿はまるで、全身に瀝青を浴びたように黒い。影ではない。太陽は大きな水の向こうから、天空に昇りつつある。
「あれは何だろうな、フワワ?」
ビルガメシュは足を止め、スビルの長に顔を寄せて訊いた。
「人の姿をしているが、肌が黒過ぎる。妖魔の類なのだろうか?」
アブラムが船に近づいていく。フワワは顎の髭を撫で、目を細めた。
「あるいは。だが何にせよ、アブラムの様子から、彼ら互いはよく知った仲なのだろう。商売上の仲間、取引相手というところではないだろうか」
黒い人は船から浜に降り、アブラムと親しげに話している。眼球の白さが黒い顔の中で目につく。時折大きな口を開け、紅い舌を見せて笑っていた。
「そうだな。世界は広い。何が相手でもおかしくはない」
ビルガメシュは歩を進め、アブラムの後ろから、黒い人に軽く会釈した。その問うような目線に気付き、アブラムが振り向く。
「紹介しましょう。こいつはスルスナブ。ジウスドラ殿の僕として、貿易を手掛けています。スルスナブ、この方々はウヌグから商売にいらした貴族だ。若いほうの旦那はニヌルタさん、そうじゃないほうの旦那はザオタルさんだ」
「それはそれは。遠いところをようこそ、ディルムンへ」
スルスナブが一礼する。髪が焦げたように縮れている。
「貿易が仕事か。何を商っている?」
ビルガメシュより先に、フワワが鷹揚に聞く。黒い人は白い歯を見せて笑う。
「メルッハ(インダス河流域)から金銀、紅玉髄を。売り物は器と瀝青、それに羊毛です」
「器を?」
「キエンギの土からはいい器が作れる。メルッハではいい値がつきます」
ビルガメシュは葦船に軽く触れた。硬く束ねられ、しっかりした造りた。ウヌグの大麦を、この船が海を越え、遥かメルッハまで運んでいるのだ。代わりにもたらされた紅玉髄は職人の手で加工され、例えば、イナンナの白い乳房を飾る装身具になる。
空想の中で、肌もあらわな女神が微笑む。ビルガメシュはその虚像を振り払って、言った。
「そなたの主人、ジウスドラに会いたい。案内してもらえないか」
「商談、ですか。しかし主人は、よほどでないと知らぬ者には会わないのですよ」
「求めるものは言えないが、ウヌグの大麦1年分を買える銀を用意している」
スルスナブは目を丸くした。
「それは大きく出ましたね。しかし、何が目的なのか教えていただかないことには、取り次ぐわけにはいきません。うかつに主人の手を煩わせれば、俺の信用に傷がつきますからね」
「そう言いなさんな、スルスナブ」
アブラムが話に割り込む。
「ジウスドラ殿がお忙しいのは、旦那方も重々承知されている。それでも、お互いにとって多大な利益がある話だから、はるばるお越しになられたのだ。あんたのせいで大きな取引を逃すようなことにはしたくないだろう?」
スルスナブがアブラムを睨む。
「俺を侮辱するのか? 間抜けなお前のように、商機を逃したことはない」
アブラムはスルスナブの手をとり、何かを握らせた。
「あんたが優秀なのはわかってる。それでも明かせない事情が、旦那方にはお有りなんだよ」
スルスナブは手の中で受け取ったものを転がし、眺めた。重さを確かめているようでもある。
「いいだろう。旦那方、ついて来てください」
スルスナブは先に立って歩き始める。続きながら、ビルガメシュはアブラムにささやいた。
「何を渡した? 賄賂か?」
「ちょっと違いまさあね。商人が動くのは『利』につきます。旦那方をジウスドラに紹介する手間賃として、金の塊を渡しました。スルスナブはその値踏みをして、主人に叱られる危険を冒す意味があるとみたんです。あたしが言ったとおり、優秀な男ですよ、あいつは」
小さな家の前に着いた。柱、壁、屋根も、立派な木材で組んである。フワワが片眉を上げる。
「総て木で家を造るとは。贅沢なことだ」
スルスナブは木戸を開けて中に入り、少しだけ待たせてから再び姿を見せた。
「ご主人が会う。ただし一人だけだ」
「おれが行く」
ビルガメシュは足を半歩だけ踏み出し、連れの二人に言った。
「すまないが、二人は待っていてくれ。驢馬車で落ち合おう」
「まあ、仕方ないですね。それじゃあザオタルの旦那、あたしたちは市場を見て回りましょうか。ディルムンには、いい取引がいろいろありますよ」
「言っておくが、お前の口車に乗って胡散臭い取引に応じるつもりはないぞ」
フワワは身を乗り出し、王の腕をつかんだ。
「力であなたが負けるとは思わん。だが、心しておくのだ。知恵であなたを上回るものがいるから、今こんな南の果てまで来ているのだと」
ビルガメシュは笑みを返した。
「的確な助言だ。ありがとう。気をつけるよ」
スルスナブが目配せをする。促されて、ビルガメシュは家の中に入った。
色鮮やかな布が壁を彩り、棚に香辛料の壺や鉱石が無造作に並んでいる。小さな円卓がある。奥にはもうひとつ木戸があった。スルスナブがその戸を開け声をかける。戸に吊り下げられた青銅の連鈴が涼やかに鳴る。奥から小ぶりの壺を持った女性が現れる。黒い商人は言った。
「ジウスドラ様は仕事中です。待つ間、このシドゥリがあなたをもてなします」
スルスナブは外への戸を開けて言った。
「俺は仕事の続きがあります。くれぐれも失礼のないようにお願いしますよ」
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