第51話 プロ見習いは旅をする
「ハンカチ持った?」
「いらん」
「ティッシュは?」
「いらん!」
「これ、夜用のわたし自撮り画像」
「いら――一応もらっとく」
開いたらたぶんまた地鶏だと思うが。
「本当に行くのね」
玄関まで見送りに来たニゲラが、呆れたような顔をしていた。
「聞いたことないのだわ。仮想世界で山籠もりって」
「そんな大層なもんじゃねーよ。行ったことないエリアやダンジョンをぐるっと回ってくるだけだ」
「武器も持たずに?」
……オレはPvE用に愛用していた槍も、《トラップモンク》用に用意した仕込み刀も、武器になるものは何も持っていなかった。
あるのはただ、自分自身の手足だけだ。
「……《拳闘士》はだいぶ使えるようになってきた。でも、どういう風に使うかはまだてんで見えてこない――たぶんブランクがありすぎて忘れちまったんだ。自分が拳をどう使っていたかを」
あのゲームセンターという戦場で、オレがオレ自身を支えるために、どうやって闘っていたのかを。
「それを思い出すには、これが一番だと思った。知らない場所に行って、知らない奴と闘い、わけもわからず死んだり、あるいはかろうじて生き延びたり。……そういう孤独が、きっと必要なんだ」
オレには、この世界に降り立ったその瞬間から、リリィという案内役がいた。
プロゲーマーという世界に飛び込んだそのときも、コノメタやニゲラがいた。
それが悪かったとは思わない。
彼女たちがいたからこそ、今のオレがあるはずだ。
だが、これからのオレに必要なのは、誰かの導きじゃない。
「……これだからワンダリング・ビーストは。泥臭いったらありゃしないのだわ」
ニゲラは不服そうに呟いて、ふいっと背中を向けた。
「ありがとうな。練習に付き合ってくれて」
「別に! ……ま、せいぜい、スタイル登録の締め切りを忘れないようにすることね」
「ああ……」
ニゲラがリビングに戻っていくと、オレは残ったリリィに向き直る。
「ごめんな。約束のデート、もうちょっと後回しになりそうだ」
「……ジンケ。やっぱり、わたしも――」
「ダメだ」
オレは、オレ自身が迷わないように、きっぱりと告げた。
「一人じゃないと意味がない。……名残惜しいけどな、マジで」
そっとリリィの頬に触れると、リリィはその手に自分の手を重ねてくれる。
「……待ってる」
「ああ」
「デート、行こ」
「本戦の直前に行こうぜ。決起集会代わりにさ」
「うん」
そして、オレはリリィの頬から手を離した。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
オレはアグナポットを出て、各地を放浪した。
まず教都エムル南東、初心者用の狩場である《スカノーヴスの森》のさらに先、初心者狩り専門PKerの巣窟たる《フリーダムプリズナー・エリア》に殴り込んだ。
前線基地を4つ潰したところで出てきた《初狩り王》と渾名される男と拳を交え、これを撃破。
そこで得た高性能の馬を駆り、エムル南側のエリアを漫遊した。
途中、迷い込んだ岩山が連なったエリアで、戦闘機ほどもある大怪鳥に襲撃されたが、上を下への大騒ぎの末、なんとか討伐する。
それから、この世界――《ムラームデウス島》の最南、《サウスドリーズ樹海》に足を踏み入れた。
このエリアについて、MAOの攻略wikiにはこのように解説がある。
【危険度:SSS】
【推奨レベル:100~】
【ほとんどのプレイヤーが太刀打ちできない超強力モンスターが当たり前のように湧いてくる超絶危険地帯。状態異常を与えてくるモンスターも多く、レベル100オーバーの廃人でも気を緩めれば即死する。
ただし、最高級カカオを始めとしたレア度8以上の食材アイテムは現状ここでしか手に入らない。もし入手することができれば、デスペナルティを補って余りある利益を得ることも可能である】
要するに、行くなら相応の覚悟をしろよってことだが、オレは「まあまあ何とかなんだろ。おいしいもの欲しい」という不用意極まるノリで突入し、5分で死んだ。
ゴリラ型のモンスターに一発ぶん殴られただけであの世行きだった。
確かにある種の危険を求めての旅ではあるが、ものには限度ってもんがある。
それで反省したオレは、今度は《セローズ地方》に向かった。
アグナポットやエムルがあるムラームデウス島南部から南東部は《フォンランド地方》と呼ばれる。
《セローズ地方》はその西にある地方である。
大小様々なプレイヤー国家が割拠し、MAOで最も大規模戦闘――RvRが絶えない土地だ。
そこでたまたま見つけた傭兵募集に飛び込み、戦争ってやつを経験した。
対多数の戦闘にはほとんど経験がなかったから、20人くらい倒したところで敵兵たちに目を付けられ、魔法の集中砲火でやられてしまった。
《拳闘士》は武器を持たない関係上、防御手段が乏しいのだ。
でもそれも、対魔法用のスキルを用意しておけばどうにかできたかもしれない。
これはスタイル構成のヒントになるかもしれないと、頭の中にメモした。
それから満を持して北上した。
やがて辿り着いたのは、MAOのトッププレイヤー――フロンティア・プレイヤーたちの根城、《フロンティア・シティ》である。
MAOバージョン3の主目的は、ムラームデウス島を北の果てまで開拓し、《人類圏》にすること。
その前線基地たるフロンティア・シティも、人類圏が広がるたびに北へと居を移す。
だからオレが訪れたその街も、何代目かのフロンティア・シティだった。
フロンティア・シティで《拳闘士》に関するスキルの情報を得たオレは、その情報の裏付けを取ってみようと、さらに北へ向かった。
そこは並み居るフロンティア・プレイヤーたちでさえ未攻略の地。
MAOの最前線にして人外魔境―――《人類圏外》だ。
サウスドリーズ樹海に比べればまだマシだが、圏内に比べて明らかにレベルの高いモンスターたち。
それらをひいこら言って撃退しながら、オレは鬱蒼たる山林を進み続けた。
そして―――
遭難した。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
……わからん。
帰り道もわからなけりゃ、目的地もわからん。
まっすぐ山のてっぺんを目指してたはずなんだが。
もちろん、死ねば街に戻ることができる。
でも、せっかくここまで来たんだから逆戻りはしたくないし、デスペナルティも勿体ない。
そんな心理からずるずると放浪を続けた結果、完全に引っ込みがつかなくなった。
リアルもゲームもとっくに深夜だ。
アバターの満腹度にはまだ多少の余裕があるが、手持ちの食糧アイテムは心許ない。
このまま行くと結局餓死することになるし、明日の学校にも遅れる。
そろそろ遭難状態を脱してキリ良くログアウトしたいところだったが、泣きっ面に蜂とはよく言ったものだ。
狼である。
群れを成した狼が、遠巻きにオレを狙っているのだ。
ここまでの道程で、回復ポーションは尽きている。
今、モンスターを何十匹も相手にするのは自殺行為だ。
何せ夜である。
夜はモンスターのレベルが5~10ほども上昇するのだ。
だから逃げの一手だったが、足の速さで狼に勝てるわけがない。
遠巻きに囲うばかりで襲ってこないのは、最も楽に狩れるタイミングを計っているのか。
モンスターとは思えない知性だ。
アグナポットの闘技場で、ゴッズランクの上位ランカーと対峙したときのような緊張感が、闇に満ちた森に漂っていた。
隙を見せてはいけない。
オレは自分の一挙手一投足に注意しながら、山の頂上を目指す。
しかし、そんなことが何十分も続くはずはなかった。
アバターに肉体的疲労がなくとも、脳は使えば使うだけ疲れるのだ。
木の根に足を引っかけ、つんのめった。
瞬間、遠巻きに取り囲む群れの気配が一斉に動く。
来るか……!?
オレは腹を決めて身構えたが、その直後。
狼たちがくるりときびすを返して、森の奥に消えた。
「は……?」
逃げた……?
その事実が呑み込めないでいる間に、
―――ズウンッ―――
静かな、しかし巨大な足音が、迫っていることに気付く。
森の、奥。
その闇の中から。
漆黒の影が、こちらに近付いていた。
なん……だ、あれは。
生き物とは思えなかった。
だって、影なのだ。
影に見える、ではなく。
影そのものが、森の中を歩いてくる。
その影は、獣の形をしていた。
狼とも猪とも、熊とも虎ともつかない、ただ獣としか呼びようのない形状。
そいつの、頭らしき部分がこっちを向いて、
「――――がッ……!?」
気付くと、オレは地面に転がされていた。
今の、は。
突進?
瞬時の間に距離を詰められ、そのまま撥ね飛ばされた……!
たった一撃で、HPが赤く染まっていた。
ダメージエフェクトの箇所からして、急所は外れている。
なのに、この攻撃力。
まるでレイドボス――その辺のフィールドを歩いていていい強さじゃない……!
影の獣は、なおもオレの方を見ていた。
目がどこにあるかもわからないが、確かに見られていると感じた。
影の獣の頭上に、ネームタグがポップアップする。
それにはこう表示されていた。
《TYPE:BEAST Lv???》。
ああ――あれは、リリィだったか、どこかの攻略サイトだったか。
以前、どこかで、その存在について、聞いたことがある。
夜の人類圏外に、何の脈絡もなく出没する、謎のモンスター。
HPは見えず、レベルすらわからず、むやみやたらな強さで、幾百ものフロンティア・プレイヤーを理不尽に葬り去ってきた。
MAOにおける、最強にして最悪の事故要因――
――《
「……ああ……!!」
ヒリヒリした。
月光さえ届かない夜の森で、たった一人、わけのわからない化け物と対峙している。
怖かった。
心細かった。
ああ――懐かしい!
ゲーセンの筐体を思い出す。
デカい棺桶みたいなあの空間を思い出す。
あそこに閉じこもって、ひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすら闘い続けた夜を思い出す!
《
存在すら不確かなほど静かで。
こんなにも肌がざわつくのに、殺意の一片も感じない。
意味不明だ。
怖い。
しかし、その恐怖が。
蓋をした過去から、かつての自分を引きずり出す……!!
「お―――――――」
代わりとばかりに、オレが咆哮した。
木々を震わせるほどに、大きく、強く。
たがが外れる。
オレの全存在が、目の前の敵に集中する。
そうして始まった死闘は、朝日が昇ると共に決着した。
タイプ・ビーストが灰のように消え散った後、残されたオレの眼前には、ひとつのシステムメッセージがあった。
【スキル《手負いの獣》を会得しました。装備しますか?】
―――こうして、オレの旅は目的を達成した。
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