第50話 プロ見習いは読書する
その日の練習を終えたオレは、一度現実世界に戻ってから、バーチャルギアで別のアプリを立ち上げた。
いわゆる《VR書庫》アプリの一種である。
フルダイブ時特有の浮遊感の後に広がったのは、剣と魔法の世界ではなく、広大な図書館だった。
天井まで届く巨大な本棚に、皮装丁の本がぎっしりと詰まっている。
いかにも小難しい専門書や、あるいは魔術書なんかを思わせるが、背表紙をよく見てみると、実は漫画であったり絵本であったりする。皮装丁はただの共通テクスチャで、中身は連動するストアからランダム選択された電子書籍なのだ。
すぐ傍に柔らかそうなソファーとテーブルがあり、テーブルの上には栞の挟まった一冊の文庫本があった。
オレはそれを手に取って、ソファーに寝転がる。
文庫本のタイトルは、《マギックエイジ・オンライン・クロニクル:トリア・フィデース・モノマキアⅡ》。
オレが訪れる前にあの仮想世界で起こったことを記述した、歴史書だった―――
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第一シリーズ。
《マギックエイジ・オンライン・クロニクル:冒険者たちの聖戦》。
MAOのオープンベータテストを舞台としたその物語は、オレたちプレイヤー――NPCは《渡来人》と呼ぶ――の出会いの物語であり、オレたちの世界とMAOという世界の出会いの物語でもあった。
初めてMAO――ムラームデウス島を訪れたプレイヤーたちは、《最強の冒険者》とされるNPC《冒険者フレードリク》に率いられ、聖なるアイテム《聖旗》を巡る、魔族との熾烈な戦いに身を投じてゆく。
しかし、戦いの終盤、プレイヤーたちのほんの少しの油断と力不足から、彼らのリーダーだったフレードリクが命を落としてしまう……。
そしてそこからが、本当の
MAO史上最大の炎上闘争である、《フレードリク復活争議》の開幕だった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
第二シリーズ。
《マギックエイジ・オンライン・クロニクル:リアンゲルスの少女》。
フレードリクたちの遺志と、そして彼らの魂が籠もった武器とを一部のプレイヤーが受け継ぎ、ついに正式サービスが開始される。
数ヶ月ぶりに舞い戻った仮想世界でプレイヤーたちが出会ったのは、世界を救う使命を背負った少女と、人類に滅亡を迫る恐ろしき《魔王》だった。
《魔王》との戦いを繰り返しながら、天真爛漫に笑顔でい続ける少女を、プレイヤーたちは真摯に支え続ける。すべては、フレードリクのときの失敗を繰り返さないために。
しかし、プレイヤーたちにとっての最大の試練は、《魔王》を倒した後にこそ待っていた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
第三シリーズ。
《マギックエイジ・オンライン・クロニクル:トリア・フィデース・モノマキア》。
魔王を撃退し、共通の敵を失った《コーラム王国》は、三つの
一つは、魔王との戦いを通じて勃興した新興宗教《聖旗教団》。
一つは、聖旗教団に反発する既存宗教の過激派《ジェラン聖伐軍》。
一つは、二大宗教の争いに距離を置いて独立した《グリンドン自治圏》。
プレイヤーたちもそれぞれの派閥に分かれ、戦争を繰り返した。
ゲーム的には、集団対集団の大規模戦闘システムが初実装され、それを前面に押し出したシナリオが用意されたわけだ。
それぞれの派閥には特徴的なキャラクターが用意され、所属するプレイヤーたちは彼ら彼女らをアイドルのように扱った。
そんな中、とあるプレイヤー同士の些細な諍いが、世界全体を巻き込んだ巨大な戦いへと発展してゆく―――
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
―――そして、現行バージョン《ムラームデウスの息吹》に至る。
《ムラームデウスの息吹》の《クロニクル》は、まだ発売されていないようだ。
オレは読み切った文庫本を閉じて、ソファーの背もたれに体重をかけた。
……まったく、ずいぶんといろんなことが次々起こるゲームだな。
それとも、こういうもんなんだろうか、MMORPGってのは。
――プレイヤーひとりひとりに物語があるゲーム。
オレがこうしてプロを目指しているのだって、MAOで紡がれている物語のひとつであるには違いない。
MMOに疎いオレでも、《クロニクル》を通読したことでわかったことがあった。
MMORPGには、特定の主人公がいない。
プレイヤーひとりひとりが主人公なのだ。
だから、誰しも平等に、主役になれるチャンスがある―――
そうして真っ先に主役に躍り出たのが、《ケージ》というプレイヤーだった。
「……………………」
……ダメだな。
読了直後だから、ちょっと感情移入してしまっている。
努めて冷静に、分析を進めていこう……。
《クロニクル》の描写を鵜呑みにするのなら、ケージの強さはいざというときの異常な頭の回転力だ。
第一シリーズ《冒険者たちの聖戦》で問題になっていたように、MAOのメインストーリー――クロニクル・クエストでは、プレイヤーのミスでNPCが死んでしまっても、決して復活することはない。
ゲームオーバーがない代わりにコンティニューもない――ゲームでありながら、失敗が許されないのだ。
ここがオレたち対人勢とは決定的に違う。
対人戦においては『どんなに強い奴でもたまには負ける』が常識だし、ルールもそれを前提にして作られている。
上級者でも勝率はよくて5割だし、7割にもなろうもんなら神のごとく崇められるだろう。オレの一番調子がいいときのランクマッチ勝率も7割くらいだ。
だからオレたちは、一度や二度負けることは最初から織り込み済みで戦術を組む。
一方で、MAOのクロニクル・クエストに挑むプレイヤーたち――《フロンティア・プレイヤー》と呼ばれる――は、大事な場面では一切の負けを許されない。
はっきり言うが、こんなゲームを作る連中は頭がおかしいし、こんなゲームに喜ぶ連中も同じくらい頭がおかしい。
NPCが復活しないゲームは他にもあるだろうが、MAOはリセットすら利かないのだ。
面と向かって会話し、笑い合ったキャラクターが、自分のミスで二度と会えなくなるかもしれない――そんなプレッシャーの中でやるゲームを娯楽と思える奴が、果たしてどの程度存在するのか……。
しかし、そういう環境でこそ実力を発揮する人間ってのが、存在するのだ。
それがケージである。
ケージの行動は、言っちゃ悪いが深い思慮があってのものじゃない。
何もかも直感っつーか、その場のノリで決めているように見える。
でも、最終的には何とかなる。
それを可能にしているのが、圧倒的な思考の瞬発力だ。
機転が利く、と言い換えてもいいだろう。
コイツはアドリブの天才である。
どんな苦境に追い込まれても、化け物じみた勘で打開策を見つけ出す。
あらかじめ史実だと教えられていなければ、『さすがにこの展開はご都合主義すぎるだろ』と突っ込んでいたところだ。
……たぶんだが、コイツ、ゲームに関して練習ってもんをしたことがないと思う。
たまにいるんだ、格ゲーにも。
初めて触ったゲームで、初めて使ったキャラで、いきなり最大コンボを出しちまう奴。
ケージはその手の『天才型』だと、オレは確信した。
軽く調べてみると、それを裏付けるエピソードがいくつも出てきた。
ケージというゲーマーは、MAO開始以前から、一部では有名だったらしい。
流行りそうなゲームの黎明期に必ず現れては、その時点でのトップを取ってあっという間に消える――そういうローンチ期限定のトッププレイヤーとしてだ。
恐ろしいのは、活躍したジャンルの多岐に渡りっぷり。
格ゲー、FPS、RTS、TCG、音ゲー、レースゲー、ソシャゲーに至るまで。
ケージの名は、ありとあらゆるジャンルのゲームで目撃されているのだった。
これが尋常ならざるゲームセンスの為せる技だということは、疑問の余地がない。
だって、そうだろう?
ゲームの開始直後――黎明期。
それすなわち、何の攻略法も確立していないということ。
攻略wikiもスカスカのが乱立するばかりで、誰もが手探りでプレイせざるを得ない時期だ。
そんな環境で、ケージは誰よりも早く攻略法を見つけ出し、トップに立つ。
一つのジャンルでというならともかく、あらゆるジャンルでそれをやるには、知識だけじゃなく、根本的なゲームセンスが必須のはずだ。
小学生の頃、どこのクラスにもきっと一人はいた、どんなゲームをやらせても上手い奴――コイツは、その究極形と言えるだろう。
「……………………」
純粋に、疑問に思う。
コイツは、『もったいない』と思わないんだろうか?
せっかくトップに立ったのに、もうちょっと続けてみようとは思わないんだろうか?
もっと極められたはずだ。
もっと強くなれたはずだ。
なのになんで、その機会を丸ごと捨てて、新しいゲームに行ってしまうんだ?
「……………………」
答えはいくつか浮かんだが、そのどれもが、オレを納得させるには足りなかった。
わかったのは、ただひとつ。
おそらくオレは、コイツと闘わずにはいられないだろう、ということだけだった。
「……………………んん」
オレは胸の中にわだかまる反感とも敵意ともつかない感情を持て余し、大図書館の高い天井を見上げる。
《拳闘士》はだいぶ使えるようになってきたものの、スタイル構成はまだ決まっていない。
自分のやりたいこと、自分のなりたい姿が、なんだかぼんやりとしていた。
歴史のテスト中に人名の後半だけが思い出せない時のような、もどかしくも絶対的な壁を感じていた。
《クロニクル》で読んだMAOでの冒険の数々が、不意に脳裏に蘇る。
最初の一週間以外、MAOをMMORPGとして遊んでこなかったオレには、それはどれも未知のものだった。
オレの知らない世界が、このゲームにはまだまだあるのだと教えてくれるものだった。
「………………そうか」
ふと、気付く。
そうだ。
今のオレには、足りないものがある。
アグナポットは居心地がいい。
練習に付き合ってくれる先輩がいて。
気の合う同僚がいて。
可愛くてたまらない彼女がいて。
アリーナに行けば、見知った連中が話しかけてくれる。
――だけど、あの夜のオレには、そんなものはひとつもなかった。
……285連勝を達成したときの自分を、肯定するつもりはない。
むしろ、今までの生涯で最悪にダサかった瞬間だと思っている。
しかし、事実として。
今までの生涯で最も強かったのは、あの夜のオレなのだ。
「………………よし」
オレは、決意した。
ぬるま湯を、いったん捨てよう。
あの夜の冷たい風を、思い出しに行こう。
―――オレは、旅に出ることにした。
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