三章 ~第二幕~


 結局俺はあれ以降どうする事も出来ず、翌日言い表せない気持ちを抱えたまま学校に向かっていた。


 神隠しを見てしまった俺はその光景が頭から離れず、昨日はいくら眠ろうとしても眠れなかった。だというのに今俺は全く持って眠くない。

 今にも目の前で誰かが消えてしまうのではないか、という恐怖で心が張り詰めているからだ。


 一体どれだけの人が消えてしまったんだ?通学路には凪波の生徒がちらほら歩いている。だが最早いつもより人が少ないかどうかすらも俺には分からなかった。


 俺は疑心暗鬼なまま校門を通り教室の前まで行った。

 校門の前にいつも恰幅な先生が立っていたのに、今日はいなかった理由は……考えたくない。


 教室のドアに震える手をかけ、固唾をのんでドアを開け教室に足を踏み入れた。

 気がはやっていつもより早い時間に来てしまったから、いつもどれぐらい人が来ているのか分からなかったが、教室の後ろの方にクラスメイトと喋っている佐山を見つけた。


「おはよーうオオカミ君!……あれ?なんだか顔色悪い?もしかして寝不足?」


 佐山の方も俺に気づいて挨拶をしてくる。その様子はいつもと変わらない。


「あ、あぁ。おはよう……。昨日眠れなくてな」

「なになに~?もしかして昨日何かあったのかな~?あ、夏祭りで彼女ゲット!とか?ナニかあったのかな~?」


「いや、……なんでもない、んだけどな……」


 普段と同じように軽く冗談を振られても、俺はそれに返す余裕が無かった。

 今は教室の様子を見ながら普通の反応を返すのが精一杯だ。


「アタシも行こうと思ったけど一人で行っても楽しくないしねぇー。誘うような人もいないし」


 あっけらかんと独り身宣言をする佐山。こういう明るい奴はモテそうなもんだけどな。


「……別に異性と一緒じゃなきゃいけない、ってわけじゃねぇんだから対馬とか誘って行きゃよかったんじゃないか?」


 俺は素直に思ったことを口に出したのだが、聞こえてきた返事に俺は思考を奪われた。


「うん?対馬?それって誰の事?」


「だっ、誰のことって……おまえの親友だろ!?このクラスの委員長、対馬栞だよ!」

「え?親友?委員長?え、っとオオカミ君なんか、疲れてる?委員長は対馬って人じゃないはずだし、そもそもそんな名前の人このクラスにはいなかったと、思うけど……?」


「なん、お前らいつも仲良く話してたじゃねぇか!?お前と対馬と沙希はこのクラスで仲いいグループだっただろ!?」

「えぇ?し、知らないよ?沙希って子も、初めて聞いたし……。大丈夫?オオカミ君」


「――――」


 そんな、対馬までも消えちまったって言うのか?


 沙希のお母さんの様子を見て記憶な無くなるという事がどういう事か理解はしていたが、改めて身近な人間のその反応を見せられると狂った様な感覚になる。


 まるで俺がおかしいという目、反応。……どうにかなりそうだ。

 本当に、どれだけの人が消えてしまったんだ……?


 俺は恐怖を押さえつけ恐る恐る佐山に問いを投げる。


「佐山……聞きたいんだが、俺達のこのクラスって何人いた、っけ……?」

「え?どうしたの突然?」


「気になった、だけだ。……頼む」

「うん……?えっとね~、オオカミ君が転校してきたから今は~」


 俺が転校してきた時は俺を入れて35人だった筈だ。

 今俺が知っている消えてしまったクラスメイトは沙希と対馬の二人、だから。


「16人だったかな?」

「じゅっ……!?」


 16人!?そんな!じゃあクラスの半分以上が消えちまったって言うのか!?

 想像以上の被害に目眩がして倒れそうになった。


「だ、大丈夫オオカミ君!?今フラフラしてたよ!?」

「あ、あぁ……いや、だ、大丈夫だ……」


 俺は心配そうにしている佐山を置いて自分の席に向かった。椅子に座って頭を抱えながらぼんやりと教室を見る。

 だが俺の新しい日常となったここからの光景が、どこか知らない場所の様にしか見えなくて、俺は目が覚めたら元に戻っている事を願いつつ意識を落とした。



 俺が起きた後もクラスの様子は全くもって変わっていなかった。


 スカスカの教室の中、教壇の前で全員の出席を確認した杏先生を見た時は吐き気がした。皆机が多い事を気にして変な顔をしていたが、誰もクラスメイトが足りない事なんて口にしない。


沙希が消えて、対馬が消えて、玲人も……消えていた。

あの中で俺とエリだけが異常に気づいていた。


 穴だらけでツギハギだらけの状況に、生徒の顔がどこか作り物の様に見えて、こちらの方ががおかしいのだろうかという考えさえ沸いて出て来る。


 俺はキリキリと精神を削られながら得も知れぬ違和感を抱えたまま授業を聞くしか出来なかった。

 一日を終え、人の少ない校舎を抜けて一人家路を歩く。


「トーヤ、気が進まないとは思うけど、外町に行ってみない?」

「外町……?」


 帰り道を歩きながらも一言も喋らなかった俺に向かって、エリはそう言った。


「なんで、外町なんかに行くんだ?」

「栫で一番人が集まるのが外町だよね?学校で生徒がいっぱい消えていた事は分かったけど、普通の人達がどれぐらい消えているのか気になって」


「あ、あぁ……わかった」


 そう言うとエリは考える様な素振りをしながら北に向かって行く。


 俺が事態について行けずぐるぐると出口のない思考に陥っていたと言うのに、エリは神隠しが起きてからもずっと冷静だ。何故アイツはこの状況でもあんなに落ち着いているんだ?いや、むしろいつもよりも冷静な様に見える。一体エリにはこの世界がどう見えているんだ?


「……これも考えても仕方ないか……」


 頭に過ぎった事をとりあえず置いて、俺は先に進むエリを追いかけた。



 北町に着いたは良いものの現実は非情だった。


 明らかにいつもより人通りが少ない、店だってやっていない所があった。

 下手をしたら外町とは違う場所と同じぐらいの人しか歩いていない。


 俺が最初沙希とここに訪れた時はもっともっと賑わっていた。

 これじゃあここが外町と言われる前の、6年前の光景と一緒だ。


「この様子じゃ、町の人も一緒みたいだね……」

「あぁ……」


 だがそう言うエリの声はあまり驚いているようには聞こえなかった。

 動揺しているようにも見えない。いや、さっきから俺はなんでこんなにエリを気にしているんだ?

 おかしい事に巻き込まれたからか、何もかもが怪しいと思ってしまっているのか?


 取り留めのない思考が俺の中で延々と繰り返される。いくら考えてもわからないというのに。


「トーヤ、大丈夫?朝より顔色悪そうだよ?どっかで休んだほうがいい?」

「ん……あぁ、そうだな……」


 そういえば近くのファミレスで蒔田が働いてたんだったよな。


 蒔田は……消えてしまったのだろうか?


 その湧いた疑問が自然と前に行ったファミレスへ足を向けさせた。

 スカスカのメインストリートを東へと少し進んでそのまま店内へと入ったが、中は表と同じように人が少なかった。


「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」


 入り口で対応してくれた店員は知らない人だった。いや、ただ単に出勤してないだけかもしれないしな。


「あ、あぁ、えっと……」


「あれ?透君?めずらしいわねこんな所で」

「涼ねぇ?」


 入り口に近いボックス席に涼ねぇが一人で座っていた。

 本や教科書、ノートを広げていて勉強でもしていたのだろうか?少し意外なイメージがある。


「一人なら一緒にどう?こっちへいらっしゃい」


「あ、うん。……じゃあ俺知り合いなんでここで。後、アイスコーヒー1つお願いします」

「かしこまりました。お席へどうぞ」


 店員さんに断りを入れ涼ねぇの向かい側の席に座る。

 俺はふと目の前に座っている涼ねぇを見てほっとした。よかった、涼ねぇは消えていなかったんだ。


「どうしたの透君?そんな幽霊でも見たかのような顔をして。そんなに私がここにいるのが珍しい?」

「え?あぁ、別にそういうわけじゃ……いや、確かに涼ねぇがここにいるのは意外だったけど」


「私だってこういう所に来る事もあるわ。今日は人も少ないし静かだから勉強がはかどるのよ」

「……そう」


 人が少ない事は分かっても、なんで少ないのかまでは疑問に思わないんだな……。

 本当にこの神隠しという現象は恐ろしい。元からこうであったと思ってしまうんだ。


 人間は記憶で出来ている。連続した時間を記憶する事によって人格が形成されると言っていい。だがその記憶が勝手に作り変えられていたら?

 よく言われる話だが、5分前に世界が出来たとしてもそれまでの記憶が与えられていたら、その世界に疑問は抱かないのだ


 人が消える事によってその消えた人の記憶が消えるこの神隠しという物は、残った人の人格にも影響がある。今目の前にいるのは涼ねぇだけど、俺の知っている涼ねぇじゃない。


つまりは、沙希や玲人が消えた上に、俺は俺の中にある同じ体験を共有した涼ねぇを失ったんだ。


「ッ……!!」


テーブルの下で自然と強く拳を握った。なんで、こんな事になったんだ。


「この前は大変だったわね。私も後で話を聞かされて心配したのよ?」

「……え?な、何?この前?」


 考えに没頭していた俺に不意に涼ねぇが話題を振ってきた。


「この前って言ったら事件に巻き込まれた事よ。透君が攫われたって事件!」

「あ、あぁ。あの事か……」


 もうずっと前の事に思える。俺が神隠し事件だと思っていた不良三人による人攫い。

 結局はあいつらのせいだと思っていたが、事の真相は俺の予想を軽く超えていたんだ。


 今思うとあの事件の犠牲者が2人しか居なかったというのは、それ以前にいなくなっていたと思われたのは本当の神隠しに攫われたからだったんだろう。


 …………あれ、でもおかしい。


 本当に神隠しにあったのであればその人が消えた事すら分からないはずだ。実際に今、俺が会ってきた人達は沙希や玲人の事を忘れていた。


 じゃああの不良三人が起こした事件は何だったんだ?


「お待たせしました、アイスコーヒーです先輩!」


 店員さんがそう言ってテーブルに俺が頼んだコーヒーを置いてくれる、って。


「蒔田!おまえいたのか?」

「ごめんなさい、さっきは手が外せなくて!来てくださってありがとうございます!」


「いや、別にそんな大げさにしなくていいけどよ」

「あら、透君知り合いなの?」


 そういえば涼ねぇと蒔田は面識なかったか、まぁ同じ凪波でも三年と一年だしな。


「あ、えっと、こいつは蒔田雫。俺が昔行ってた学校の後輩で、今は凪波の一年生。んでこっちは俺の幼馴染で涼風千草。三年生で一つ前の生徒会長だった人だ」


「え!じゃあ、あの有名な"天狗の女王様"ですか!?」

「は?なんじゃそりゃ」


「えぇ!透哉先輩知らないんですか!?凪波始まって以来の天才で成績は常にトップ!生徒会長在任中は降りかかる数々の問題をさらっと解決し、全てを微笑を浮かべながらことどとく受け流していく才女!時に笑顔を浮かべながら人を食ったような事を言う事から"天狗の女王様"と呼ばれる事になったお方ですよ!一年の私でも知ってるのに!」


「…………涼ねぇ、そんな風に言われてるの?」

「まぁ、事実ね。意外と気に入っているわ。特に"女王様"という所をね」


 そういって恐ろしい冷笑を浮かべる涼ねぇ。うん、たしかに女王様だ。


「そういえば何のお話をしてたんですか?」

「あぁ、この前俺が巻き込まれた事件の事だよ。ほら、お前に絡んできた不良がいただろ?あいつらの事だ」


「絡んできた?あいつらって、誰の事ですか?先輩が巻き込まれたのは聞きましたけど……」

「え?……あぁ」


 そうか、蒔田があいつらの事を覚えてないって事は、あいつらも消えてしまったのか。まさか警察に捕まっているであろうあいつらまで消えていたとは。

 本当にこの神隠しという現象は一体どういう風に起こっているんだ?



 蒔田と涼ねぇと別れファミレスを後にした俺は、何もすることが出来ず家に向かって歩いていた。


 そこそこ時間が経っていたのでもう太陽が沈みかけている。

 ぼうっとそんな光景を見ながら歩いていても、頭の中ではずっと同じことを考えていた。


 何が起こってる、どうしてこんな事に、どうやって、だれが、消える?人が、記憶が。考えて考えて、でも考えるてるだけで答えなんて一向に出てこない。


「もう、どうすりゃいいんだよ……」


 そもそも人が消えるだなんて、あんな消しゴムで消したみたいに、端の、方から……。


 ……なんだ?今自分の考えた事になにか引っかかる物を感じる。

 消える、消える?透けながら、人が……物、が……?


「結局現時点で分かってる事は、この町で何人もの人が忽然と消えちゃったって事だけだね。シズクの様子から言ってあの不良達も消えちゃったみたいだし」


「…………あぁ」

「人があんな風に消えるなんて、普通じゃありえないよ」


 …………。


 普通じゃありえない、普通ではない事態、状況、現象。普通じゃない……存在。

 ……に、人間じゃ、ない。



『――神様の仕業――天狗が連れ去った――』



 頭の中で誰ともつかぬ声が聞こえた気がした。いつか聞いた事なのか?それすらも分からない。

 ただ俺の中に疑問が生まれた。生まれてしまった。


 俺は自分でも言うつもりもなかったのに、口は勝手に言葉を綴っていく。


「――え、エリ。まさか、おまえの仕業じゃない、よな……?」

「…………え?な、何?なんて言って」


 俺の言葉に横にいたエリは信じられないものを見たような目をしていた。

 だが、その様子を見ても俺は自分を抑えられなかった。


「だって、おまえ。あんな風に端から消えていくなんて、この前お前が写真を消した時とそっくりじゃねぇか。まるで、それ自体を消しゴムで消したみたいに!」

「トー、ヤ?な、何言ってるの?わた、私、ずっと一緒にいたじゃん。私そんなこと、してないよ……?」


「じゃあ他にどうやって説明するんだよ!そんな簡単に人が消えるのかよ!?こんなの、こんな現象!人間の仕業とは思えねぇよ!お前は人間じゃねぇだろ!?」

「ッ!!?……トーヤ………………バカぁっ!!!!」


 そう一言残してエリは俺から離れ、壁をすり抜けてどこかへ行ってしまった。

 後に残された俺はドロドロした感情と頭で何度も繰り返される言葉で今にも吐きそうだった。


『――神様の仕業――天狗が連れ去った――』


「……うるさい……黙れ……!!」


『――神様の仕業――天狗が連れ去った――人間の仕業じゃない――人間じゃない――人間じゃない――』


「黙れッ!!うるせぇって言ってんだよッ!!」


 いつしかリフレインする言葉が自分の声で聞こえてきたように思えて遂に俺は抑えきれず道端で吐いた。何故あんな事を言ってしまったのか、何故あんな事を考えてしまったのか。


 自分でも分からないが、最後に見たエリの悲痛な顔がいつまでも頭から離れないのだった。

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