三章 ~第一幕~


 いきなり慌てだしたエリに言われて沙希の家まで来た俺だったが、そこで言われたのは信じられない言葉だった。


「……え、どなた……って。沙希、ですよ。沙希!梓山沙希です!あなた沙希のお母さんですよね!?」


 ここは沙希の家に間違いないはずだ。それなのに目の前の人は俺を不審者でも見る様な目で見ている。


「なんですかあなた、うちに娘なんていませんよ!お帰りください!」


 沙希のお母さんはついに決定的な言葉を口にした。

 娘なんていない?いないって何だよ。


「は、なに言って……い、いないわけないだろッ!沙希はあんたの!」

「け、警察呼びますよっ!?」


 あまりの事に詰め寄ろうとした俺に向かって、沙希のお母さんは悲鳴に近い声をあげる。

 その様子を見た俺は、この人が冗談を言っているわけではないということが分かった。分かってしまった。


 女の人は玄関の扉を閉めて鍵まで掛けてしまう。

 どうにも出来なくなった俺はこの場を離れるしかなく、言い表せない気持ちを抱えたまま沙希の家を後にした。



 仕方なく俺は昔いつも遊んでた近くの公園まで来ていた。


 とにかく落ち着きたくて設置してあるベンチに座る。

 しばらくして不安が抱えきれなくなった俺は口を開いた。


「いったい、どうしたんだ?いや……いない、ってどういうことなんだ?」


 あの家は沙希の家で間違いない、はず。俺の記憶が正しければあの家のはずなんだ。表札も梓山だった、あの女の人もなんとなく見覚えがあった。

 なのにあの人は娘なんていない、って……。


「どういう事なんだよ……」


 じゃあ沙希は一体どこに……。ってそうだ、電話!


「そうだよ!今沙希に電話を掛けてみりゃいいんじゃねぇか!」


 もしかしたら本当に俺の勘違いかもしれない。いや、むしろそうであってくれ!

 俺は慌ててポケットに入っていた携帯から沙希に電話を掛けた。


「…………頼む、出てくれ沙希」


 祈る思いで耳を澄ますが、数秒間コールの音だけが続きそして。


「……お掛けになった電話は電源が入っていないか」

「繋がらない、か……クソッ」


 結局沙希と連絡を取る事は出来なかった。苛つきながら電話を切ってポケットに押し込む。ムシャクシャして頭を乱暴にく。


「なんなんだよ一体!沙希は今どうなってるんだ!?」


 周りに人がいないのでつい大声になって叫んでしまった。

 隣にいるエリはずっと悩むような顔をして黙っている。いや、なにかつぶやいているのか?


「……なんで?こんな事、今までは……」

「エリ?おいエリ?なんか知ってるのか?」


 この状況になって何も喋らなかったエリに俺は疑問を投げかける。

 エリは今俺に気づいたようにはっとして答えた。


「え?いや!えっと、……わ、分かんない」

「いや、分かんないって!」


「分かんないよ!私に聞かれたって!こんなの私だってはじめての事なんだよっ!」

「そりゃあ!……そうだろう、けどよ……」


 いや、コイツに当たってもしょうがないよな……。

 エリだって俺と一緒で何が起こったかなんて分かりっこないはずだ。


 じゃあどうしたらいいんだ?誰が沙希の行方を知ってるんだ?


「と、とにかくさ。サキが行くって言ってたお祭りの場所まで行ってみない?」

「……あぁ、そうだな。案外俺が家を間違えただけで、沙希も携帯忘れただけ、かもしれないしな」


 そうだ、そうでも思わないと気が狂いそうだ。


 そう思って俺はベンチから立ち上がり公園の出口へと向かった。

 その途中、俺はふと今日ずっと感じていた違和感を口にした。


「そういえば、今日は外で誰も歩いてる人を見かけねぇな」

「……え?」


「だって、俺最近はエリと話す時は気をつけて周りに人がいるかどうか見る様にしてるけど。今日は難なく話してるだろ?」

「ホントだ……あ、でもほら、あそこに人がいるよ」


 そう言ってエリは出口の先を指差す。確かにそこには仲良く話しながら男女二人が歩いていた。


「あぁ、本当だ。まぁただの偶然――」


「きゃぁぁぁああああああああああ!!!」


「ッ!?な、なんだッ!?」


 俺が次の言葉を言おうとした時に、いきなり俺達が見ていた二人の女の人の方が悲鳴をあげた。

 何事かと思い駆け寄った俺の前に信じられない光景が飛び込んできた。


「えっ!?な、なに!?手が、いやぁああっ!!?」

「な、んだ!?消えてるッ!?」


 悲鳴をあげていた女の人は、体の端から消えかかっていた。


 音もなく徐々にその範囲は広がっていく。

 その人は隣にいた男に助けを求めるように手を伸ばしたが。


「…………」


 さっきまで仲良く喋っていたはずのその男は、目の前で女の人が消えているのに一言も声をあげなかった。

 そして女の人は消えてしまった。後に残ったのはその人が来ていた服とカバンだけだ。


 理解すらできない事態に出くわした俺は、あまりの事に一歩も動けなかった。

 ただただ人ひとりが消滅するという怪奇かいき現象をむざむざと見せつけられた。


 そして真っ青な顔でその一部始終を目撃していた俺だけを、歩いていた男は怪訝けげんな顔をして見て目をそらした。

 その男はそのまま何食わぬ顔でこの場を離れようとまた歩きだしている。


「……は、おい!おいアンタ!?なに平然と行こうとしてんだよ!今の見てなかったのか!?」


 俺はたまらずその男に声を掛けた。


「え、え?な、何?君だれ?何のことですか!?」

「はぁ!?何の事、って!今目の前で、アンタと歩いてた人が消えただろうが!!今の今まで仲良く喋ってただろ!?アンタの彼女じゃないのか!?」


「え、えぇ!?一体何なんですか!?ぼ、僕に彼女なんていませんよ!人違いじゃないですか!?」

「な!?」


 あまりに噛み合わない会話に俺は二の句をげなかった。俺達はお互いにこの人は何を言っているんだという顔を突き合わせる。


 最早俺がおかしくなったのかこの人がおかしいのかも分からない状態。目の前の人は耐えきれなくなったのかこの場を離れようとしたが、俺自信もどうしたらいいのか分からず引き止めることも出来なかった。


「な、なんなんだよ……俺がおかしくなっちまったのか?俺は一体何を見たんだ?」

「ッ!!トーヤ!今の人がっ!」


 そうして俺が自分を疑っていたら先程まで喋っていたその男までもが消えだした。


「うぁぁああ!!?な、なんだぁああ!?た、たた助けてくれぇええええ!!!??」


 まるでその・・現象・・を今・・初め・・て目・・にし・・様にその男はおびえてわめき出した。


 男は俺に向かって手を伸ばし助けを求めたが俺は何もすることが出来ず、やがて先程の女の人と同じように跡形もなく消えてしまった。ただその場には人二人分の衣服と所持品だけが残り、異様な光景を作り出した。


「なん……だよ、これ。……なんなんだよこれはッ!!」


 俺は得体の知れない恐怖に耐えきれず、震えながら大声を出した。


「と、トーヤ!大丈夫!?トーヤっ!」

「だ、大丈夫……大丈夫だ、俺っ、俺は……大、丈夫……だ……」


 エリに心配され咄嗟に答えたが、正直大丈夫どころの話ではなかった。


 理解が追いつかなさ過ぎて頭の中がぐちゃぐちゃになっている。

 かろうじて今俺に分かることは俺はここにいて、エリもいて、その他には誰もいないということだけだ。



 ………………だ、だれも、いない……?



 夏祭りがあるという休日の、夕方前という人の出入りがありそうな時間なのに?

 いつもは子供たちが遊んでいる公園に、誰一人としていない?

 いつもは道端で誰かしらが喋っていたり自転車や車が通っているはずなのに?


 一人もいない、不気味なほど人の音が聞こえない。ただただ風の音と遠くからカラスの鳴き声だけが聞こえる。


「は、はは……なん、なんだって、んだ……?みん、な、どこ行っちまったんだ……?」


「トーヤ……、とりあえず、家に戻ろう?ここにいても、多分何も変わらないよ……」

「…………あ、あぁ。そう、だな……帰ろう、家に……」


 俺は吐き気をもたらす程の違和感を抱えながら、今にも俺自信が消えてしまうのではないかと怯えながら、エリに諭さればあちゃん家へと戻るのであった。



 俺とエリはお互いに一言も喋らないままこの家に戻ってきた。気分は最悪だ。出かけていった時とはまるで正反対だった。

 ありえない現象を目の前にしたせいか、いつもの家に帰ってきたというのにここが知らない場所の様に感じる。


 そのまま俺は台所に進み水道の蛇口を捻って水を飲んだ。だが喉の渇きを潤したというのに、一向に心は落ち着かなかった。


「……ッ!そうだ!テレビ!あ、あんな異常事態が起こってたら、流石にニュースになってんだろ!?」


 俺はふと思いついて居間に行き、ちゃぶ台の上に置いてあったリモコンを乱雑らんざつつかんで震える手でテレビをつけた。


「――のように、今年の梅雨は例年より降雨量が……」

「あ?クソっ!他、他は!」


 だが最初に映ったニュース番組では特に変わった様子がなく。


「――物園ではパンダの赤ちゃんが生ま……」

「――人は、この時一体何を思っ……」

「――たこの地域では、地元のボランティ……」


 何回もチャンネルを変えて見ても結果は一緒だった。

 テレビはいつも通り平和な様子を映しているだけだ。


「お、おかしいだろ……どういう事だよ!!」


「トーヤ!お、落ち着いてっ」

「これが落ち着いていられるかよっ!!」


 あまりの事に俺はついエリにあたってしまう。


「お前も見てただろ!?人が目の前で消えたんだぞ!二人もッ!!これで落ち着けってのがどうかしてるだろ!?」

「そ、そうだけど……」


「……なんで消えたんだ、いや、それになんで男の人はあんな態度をとっていたんだ……?」


 最初女の人が消えた時は微塵みじんも反応しなかったのに、いざ自分が消え始めた時に驚き出した。

 直前まで喋ってた人が消えてるっていうのにあんな風になるか?



「――その人の記憶がなくなる――」


「……あ?」


 唐突とうとつに、エリが何か気づいた様に唐突に呟いた。俺はその声に意識を引き寄せられる。


「あの女の人が消え始めた瞬間、男の人の中の記憶が消えて、認識すら出来なくなったんじゃ……」

「は……?ど、どういうことだよ……?」


「だから!記憶が無ければ彼女なんていないって言ってた理由も分かるし、消え始めた事で記憶の関連性が消え、リンクが断たれた事によってそこに"いる"事も分からなくなったんだよ!」

「なに、言ってんだ?」


 いきなり訳の分からない事を言いだしたエリ。コイツはこんな事を言うような奴だったか?


「トーヤ聞いて。人が消えた事によって記憶が無くなる。自分・・の家・・族で・・すら・・忘れてしまうんだよ」

「――ッ!それは、まさかッ!?」


「……そう、多分。……サキも消えちゃったんだと思う。さっきの人達と、同じように」


「――――――――――」


 俺は告げられた言葉に何も反応出来なかった。


 沙希が、消えた?

 あの人達と同じように、跡形もなく、この世界から……?


「もしかしたら被害はそれだけじゃないのかもしれない。町の様子をみて、もっと多くの人が消えているかもしれない」


 今日誰も通り掛かる人を見なかったのは、公園で誰も遊んでいなかったのは、皆消えていたから?



 人が、消える。俺はこのウワサを何日も前から聞いていた。

 そしてその元凶だと思っていた事件は解決したはずだった。


 だけど、なにも終わってなんていなかった。


「……じゃあ、まさか、この事件は……この不可思議な現象は……ッ!?」



「――そうだよ、トーヤ。……これこそが、"神隠し"だったんだ――」



その言葉に俺は気付かされた。ここはもう俺が知っている世界ではないのだと。


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