二章 ~第五幕~


 ――――声が聞こえる。


 遠くから、いや、それとも近くから?

 距離がつかめない。意識がはっきりしない。


 何をしていた?直前の記録が読み込めない。

 頭が考えを整理しようとしている間も声は聞こえ続けている。

 はっきりしない声が、だけど確かに俺を呼ぶ声が聞こえる。


 …………「俺」?俺、って誰だ?


 「自分」……「私」……「ボク」……「あたし」……「僕」…………。

 違う、しっくり来ない。

 それぞれ馴染みはあるが、おそらく違うという感覚がある。


 未だ声は聞こえる、あの声は誰だ?

 分からない、ただこの意識にとってとても大きな意味を持つ存在だということは、なんとなく分かる。


 …………「私」……?……。


(……エリ)


 そうだ、エリ。エリだ。この意識を呼ぶ声、心配する声の主はあの少女、エリだ。

 そのことに気づいた時、意識は急浮上した。様々な情報が体を流れていく。


 じゃあ俺は誰だ?…………いや、俺は「俺」だ。俺……は!


「――トーヤ!起きて、お願いっ!」


 ――――――――ッ!!



「…………エ、リ……?」


 僅かに目を開いて暗い中にいくつかの光を捉えた。


 鈍い頭が視界の中にいる人を認識する。

 目の前の少女は俺に向けて不安そうな顔をしたまま、ずっと声を掛けている。


「トーヤ!よかった起きたんだね!?」

「……エリ、いったい……どうなって……ッ!」


 何が起こったのかエリに訪ねようとしたところで後頭部にズキッと鋭い痛みを感じた。咄嗟に右手でその部分を抑えようとしたが、何故か両手が後ろ手になっていて動かなかった。


「なんだこれ……いてっ……なんで動かねぇんだ……?」


 痛みに耐えながらも後ろを振り返れば、鉄骨むき出しの柱があった。

 どうやら俺はこの柱に背中を預けるように座らされ、そして柱の後ろ側で両手を縛られているようだった。よく映画やドラマで見かける、捕まった時にさせられる状態だ。


 …………ん?つまり俺は。


「まさか俺、拉致監禁されてる、様なもんか?」

「様な、じゃなくてそのまんまだよ!トーヤはさっきの不良達にのされて、ここまで連れてこられちゃったんだよ!」


「マジかよ……」


 しまった、しくじったな……。

 あまり正確には思い出せないが、頭の後ろが痛いって事はあいつらに最低もう一人味方がいて、後ろから不意打ちを喰らったって事なんだろうな。


 周りを見渡すとここはどうやら何かの倉庫みたいな場所のようだ。

 今も使われているのかは分からないが、土嚢の様なものや鉄材などが置いてある。

 出口は、遠いな。俺は奥まったところにある柱に、出入り口側に向けてしばられているようだ。


「エリ、あいつらは?いや……倒れた女の子はどうなった?」


 俺が意識を失っている間もエリは俺の側を離れなかったはずだ。

 それなら状況はエリから聞けるはず。


「うん、あいつらトーヤをここに縛ったら女の子を奥の部屋に連れてっちゃった。大体1時間くらい経ったけど、それからは部屋から出てきてないよ」

「そうか……」


 というか1時間も意識失ってたのか俺。


 右側に顔を向けると、確かに部屋らしきものがありそこの扉から光が漏れている。

 どうやらあそこに集まっているのは間違いなさそうだ。


 さて、状況はある程度分かった。


 俺は意識を失い連れ去られ、柱に両手をしばられ身動きが取れない。

 しばっているのは感触からしてビニールひも、のような物か?なわ手錠てじょうみたいな物ではなさそうだ。不良達と女の子は奥に部屋にいるらしい。


 ……どうする。ほとんど手詰まりだ。

 外部に連絡も取れないから助けも呼べない。


「はは、最悪だな……」


 非日常的なあんまりな現状におもわずかわいた笑いがこぼれる。

 倉庫の窓からは嘘みたいに綺麗な月が見えた。

 それを見上げて一層自分のみじめさが思い知らされた。


「俺なら大丈夫、とか息巻いて調子こいてたらコレだもんな……とんだ笑いものだぜ……」

「トーヤ……」


 見上げるのも疲れて視線は自然と下を向いた。

 だらしなく伸びた自分の足と、不安そうに伸ばされたエリの手が見える。


「こんな事なら危ないことなんかに首突っ込まないで、学校でおとなしく祭りの準備してりゃよかったな……」


 言いたくもないのに俺の口からは勝手に弱音が吐かれる。

 誰に聞かせるわけでもないが、目の前のエリには聞かれているのだろう。


 その時、視界の中にあったエリの右手が勢い良く振り上げられ、俺の頬を通り過ぎた。


「……エリ?」


 俺はその動作に疑問を覚えてエリの顔を見上げる。

 その顔は今にも泣き出しそうだった。


「……私は、こんな時でもトーヤに触れない。トーヤにバカって言って!かつを入れることすら出来ない!それは私が、もう死んでいる様なものだから!生きる事を諦めさせられたようなものだから!!」


 エリはそう言いながらまた右手を振っている。

 俺の頬を張ろうとしているのだ。


「でもトーヤ!トーヤは、生きてる!手を伸ばせばなんでも掴めるんでしょ!!誰かに手を差し伸べることが出来るんでしょ!!じゃあ諦めないでよッ!私の分まで、諦めないでよッ!!」

「…………あ……」


「……それに、あいつら言ってた。ファミレスで沙希を見て、気をつけろって。あいつらが本当に凪波の生徒を攫ってるのなら、このまま放っておいたら沙希だって危ないかもしれないんだよ!トーヤはそれでいいの!?」


 そうだ、確かにあいつらは言っていた。ツレに気をつけろって。


 あの時は気づかなかったがあれが「せいぜい攫われないように気をつけろ」という意味だったのなら。そしてあいつらがこの事件の張本人であるのならば、今後沙希が狙われる確率は高い。


 沙希が、危ない目にあってしまう。


 ――――ッ!!


「……んなこと、あっていいはずがあるか!!いいわけがねぇ!!」


 思わずしばられている両手に力が入る。ひもが肉に食い込む。


 沙希が、いや沙希だけじゃねぇ。涼ねぇだって凪波の生徒だ、可能性が無いわけじゃない。俺の大事な人達が、親しくなったクラスメイトが、脅かされてしまう。


 やっと見つけた、帰ってきた俺の平穏をこんな形で壊されるだって?


「ふざけんな、ふざけんじゃねぇ!!そんな事許せるわけねぇッ!!」

「じゃあ諦めないでよ!前を向いて、歯を食いしばって、力の限り足掻あがいてよ!!こんな所で諦めるなんて、私が今まで見てきたトーヤじゃない。私が信じてるトーヤじゃないよッ!!」


 そうやって俺にしか聞こえない声で叫んだエリの瞳からは小さな涙がこぼれた。

 これ以上は泣かないと耐えるように両手を強く握りしめている。


 エリの世界にはもう俺一人しかいない。どう足掻いても俺以外には触れることさえ出来ないのだ。


 そんな中俺が諦めてしまえばコイツはどうなる?俺がいなくなってしまえばコイツはどうなる?またエリは俺と出会う前のひとりぼっちになるだろう。この広い世界で、もしかしたら永遠に。


 俺が栫町を離れた時の様に。


「………すまねぇ、エリ。どうやら柄にもなく弱気になってたみたいだ」

「トーヤ!」


 俺はエリの瞳を迷いなく見つめた。もうこの瞳から目を逸らさない様にと。


「もう大丈夫だ。もう、諦めねぇ」

「…うん!」


 俺のせいで曇ってたエリの顔が明るさを取り戻した。

 その顔を見て改めて自分に喝を入れた。あの当たらないビンタの代わりだ。


 さて、気合を入れた所でこの現状をどうするかだが…。

 そういや意識が無くなる寸前に携帯で誰かに連絡を取ろうとしたが、どうなったのだろうか。と考えだした所で、ガチャっと奥の部屋の扉が開く音が聞こえた。


 音に釣られてその方を見ると、金髪の奴が他に二人を連れ立って部屋から出てきた所だった。


 後ろに見慣れた茶髪の方と、もう一人見たこと無い白髪の細身な男がいた。

 こいつに俺はやられたのだろうか?どうやら相手は三人組らしい。

 先頭を歩いていた金髪の奴が、俺が目を覚ましている事に気づいてこっちに近づいてくる。


「ヨォ、やっとお目覚めかァ?気持ちよくおねンね出来たか、あン?」


 ニヤけた顔で俺を見下しながら金髪はタバコを取り出した。

 後ろの二人も同じように何が楽しいのかへらへらと笑っている。


 大方、俺が手も足も出せないこの状況に怖がると思っているんだろう。

 確かにさっきまでの俺ならお望みの反応を返しただろうが、今の俺には引けない理由があるんでな。


「……あぁ、お陰でぐっすりだよ。出来ればモーニングコーヒーが欲しいんだが」


 俺はわざとすっとぼけたフリをして金髪のしゃくさわるような言葉を返した。


「アァ?てめぇ、この期におよンで自分の立場分かってねぇのかあぁン?」


 金髪が俺の髪を掴んで顔を無理矢理上げさせる。

 そして勢い良く掴んだまま振り下ろされ同時に顔面に膝が飛んできた。


「ぐっ!?」

「いやぁっ!!」


 俺が蹴られると同時にエリの短い悲鳴が聞こえた。


 っつ……!!一瞬視界に火花が散ったが、耐えられない痛みじゃない。

 顔をゆがめながらも意識が飛ばない様に顔を振ってまた金髪の方へ向いた。


「――ってーな……、随分手荒じゃねぇか。ただの……ジョークだろ、そんなにお気に召さなかったか?」

「テメェのその余裕な態度が気に入らねぇって言ってンだよ!」


「まぁまぁ!タカシクン、いーじゃん別ーに?どうせコイツこんなーんじゃなにも出来ないし?」

「……虚勢きょせい、張ってるだけ…」

「アァ?キョセイってなンだよツヨシ!わかりやすく言えや!」

「……………………フカシ」

「最初からそう言やいいンだよ…」


 そう言って金髪は咥えていたタバコに火を着けた。後ろで白髪の奴が肩をすくめている。


 様子から見るにこのタカシって言う金髪の奴がリーダー格なんだろう。

 後ろ二人はコイツに付き従っているように見える。

 つまりコイツが主導で人攫い何て事をしてるって事か……。


 俺は目の前の金髪がタバコに気が逸れてる間に、ささやくぐらいの声量でエリに話しかけた。


(エリ。俺がコイツらをここに引きつけてる間に、奥の部屋に行って女の子の様子を見てきてくれ)

「トーヤ?で、でも……」


(俺なら大丈夫だ。それよりも動けない俺の代わりに、頼むエリ!)

「わ、分かった!行ってくるよ!」


 承諾しょうだくしてくれたエリは素早く奥の部屋へ飛んでいった。

 女の子達がどうなっているのかわからない、もしかしたら部屋にいないのかも知れない。最悪なのはここにいる奴ら以外に仲間がいる事だ。


 エリなら何にも触ることが出来ない代わりに、絶対に見つかることもない。

 それならアイツに情報を手に入れてもらった方がいい。

 後、あんまりエリに殴られてる所見せたくないしな。


 いよいよ一人になった俺は、少しでも状況を把握しようと思って不良達に質問を投げた。


「なぁあんたら、さっきの女の子はどうしたんだ?ここにはいないようだが」

「あン?テメェには関係ねーだろ」


「関係ないことねぇよ。同じ学校の生徒だ、もしかしたら顔見知りかもしれない」

「ンなこたァ、それこそこっちにゃ関係ねーンだよ!テメェの事なんぞ知るか!!」


 どうやら相当嫌われてるみたいだな、まぁ当然なんだが……。


「まぁまーぁタカシクン。どうせコイツも何もできーねぇんだし、教えてやってもいーんじゃねぇの?」

「……冥途の土産……」

「あ?メイド!?ンだってツヨシ!?」

「……………………なんでもない」


 白髪が今度はため息を吐いていた。意外と苦労してそうだな。


「チッ、まぁいい。……そうだな、どうせテメェにはどうすっことも出来ねぇしな」


 金髪は近くに立てかけてあったパイプ椅子を俺の少し前に置いてドカッと座った。

 茶髪と白髪は改めてその後ろ回って控えている。

 そして金髪が勿体もったい振りながらも俺に話し始めた。


「お前、凪波の生徒だったら知ってるだろ。最近人が消えるっつーハナシ」

「…………あぁ。何人か登校して来ていない、ってのは聞いたことがある」


「ありゃ消えたのは全員女なンだが……まぁ、オマエの想像通りだよ、オレらがさらったンだよ」


 金髪は悪びれる事もなく、さも当然の事のように言い放った。

 後ろの二人も同じように、まるでテレビのニュースを聞き流しているように平然としていた。その異様な姿に改めて押さえ込んでいた、得体の知れない恐怖が胸の内から滲み出す。


「さ、さらったって、何を当たり前のように……お前ら正気か!?大体何のために…」


「あ?使い道なんていくらでもあるだろぅがよ。――オマエ、ガキがいくらで売れるか知ってるか?」

「んなッ!?」


 じ、人身売買!?まさか攫った女生徒を売ろうって言うのかコイツは!!

 そんなモンただの不良がやる事じゃない、完全に悪質な犯罪だぞ!!


「お、お前正気か!?そんな……なんで、なんでそんな事してんだ!!」


 予想を軽く超えた事件の真相に声が震える。

 それじゃあ、今まで行方不明になった女の子達は……ッ!!


「アァー?なンでだと?なンでなンてそンなもン、そンなモン……」


「……?タカシクン?」

「………………」


 俺が動揺して口から出た疑問に何故か金髪は固まってしまった。

 なんだ?後ろの二人も不思議そうな顔をしている。


 金髪は焦点の合わない目で俺の方を見ながら、一変した感情の無い顔で何事か呟いている。


「……ンで……ナン……デ?……なンデ?…………」


 いきなりどうしたんだ?一体なんて言ってるんだ?

 微かな声を聞き取ろうとして耳を澄ましたその時に、どこか電子音の様に単調な声でその呟きが聞こえた。



「…………おレ、ナンで?……なンデ、ヒトなンてさらっテるンだッケ……?」


 ――――ゾッ。


 おぞましい、とすら感じる音に一瞬で鳥肌が立った。


 先程まで喋っていた人とは同じ人間に見えない。

 アイツが座っている空間をガラスを通して見ている様な気がしてくる。

 無機質な雰囲気、まるで人形でも見ているかのような……。


「タカシクンー?どーしたーん?」

「…………大丈夫……?」


「……あ?アァ、なンで……?理由なンてどーだっていぃンだよォ!!」


 後ろの茶髪に肩を掛けられた時には、金髪は元に戻っていた。

 目には怒りの感情が乗り、体からは威圧する雰囲気が漂っている。

 一体なんだったんだ……?


「どうせここで何言ってもテメェもこうなっちまったら一緒だ、テメェみたいなのでも金にはなるだろ」

「俺も一緒に売っぱらおうってか……ッ!!」


「アァ、そーゆうコトだ。――オイ、ニ三発いいの喰らわしてまたオとしとけ」

「あーいアイ!」

「…………うん」


 金髪はニヤけながら後ろの二人に指示を出した。


 茶髪が指を鳴らしながら近づいてきて、白髪が鉄材を漁っている。

 マズイ、このままじゃまた気を失って、下手したらもう二度とここには……。


「……クソッ!」


 ――ガラガラガラ!


 俺が一瞬諦めかけたその時、金髪が座っていた向こうの出口の扉が勢い良く開いた。


 月明かりが倉庫に広がる、風が吹き通る。

 逆光に映ったシルエットは俺がよく知っている人物だった。



「――――待たせたね、トーヤ君!!」

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