一章 ~終幕~

 ―――キーンコーンカーンコーン。


 休み時間を告げるチャイムの音が響く。

 それと同時に教室に居た生徒達は思い思いに動き出す。

 その光景を俺はただぼぅーっと眺めていた。

 考える事といえば、あぁチャイムの音でどの学校でも大体おんなじだよなぁ、という至極しごくどうでもいい事。

 一人だけ席から動かずにただ呆けてる俺の姿を第三者が見たら一体何事かと思うだろう。では、なぜ俺がこんな風になっているのかと言うとそれは。


「………なに言ってんのかわかんねぇ……」


 そう、単純に授業について行けてないのであった。

 この休み時間になるまでに、物理、数学、現国と授業を受けてきたがそのどれもが似たような有様だった。

 物理と数学に至っては最早どっちが物理でどっちが数学か分からない程だ。

 あれ?俺こんなに頭悪かったかなぁ……?


「なにこの世の終わりみたいな顔してるの透哉君?」


 俺の右斜前の席に座っていた沙希が不思議そうな顔で振り返る。

 その表情を見るに焦りの色などは見えない。

 バカな、もしやこの状況に陥っているのは俺だけなのか?

 そんな筈は無い。沙希は勉強なんて出来ない筈だ、俺と一緒で運動神経に振り切ってる筈だ!


「なぁ沙希。お前さっきまでの授業って理解してたか…?」

「え?いや、まぁ、あたしもそこまで勉強出来るわけじゃないけど、全く分からないことはないよ?」

「お前本当に俺が知ってる沙希か?偽物じゃねぇだろうな」

「ひどいよ!そんなに馬鹿じゃないよ!偽物じゃないよ!」


 俺がここに帰ってきてから一番驚いたことはお前の変わり様だよホントに。

 何があったらこんなに人って変わるんだろうな…。


「なぁ玲人、昔を知ってるお前なら分かるだろうけど沙希ってこんなんじゃなかったよな?」


 沙希の後ろの席、俺から見て真横の右隣に座っている玲人に疑問を投げかける。


「そうかい?沙希君は昔から頑張り屋だっただろう?そんなに違いがあるとは思わないけどね」

「お前にはそう見えんのかい。たまに玲人の考えも分かんなくなるんだよなぁ」


 そんな事を呟きながら凝り固まった体を伸ばしてほぐす。

 その最中にふと思った事を口に出した。


「そういや今朝はゴタゴタしてたから適当にこの席座っちまったけどよかったのか?元々誰かの席じゃねぇのかここ?そのまんまここで授業受けちまったけど」


 丁度沙希と玲人の近くに空いてる席があったからつい座っちまったけど、

 これ俺のために用意されてたわけじゃないよな別に。


「…あれ?そういえばそうだね。でも誰か使っていたわけじゃないと思うけど…」


 不思議そうな顔で首をかしげる沙希。隣の玲人も思い当たる節はなさそうだ。


「ねぇ杏せんせー。ここの机って誰か使ってましたっけー?なんか前からあったような気がしますけど」

「ふぇー?いや、用意したわけじゃないけど…そういえばそうだね。なんでだろ?」


 先程まで担当の授業だったウチの担任がこれまた不思議そうな顔をしている。

 現国担当でこのクラスの担任、そして今朝盛大にやらかしてくれたこの先生の名前は柏原かいばら あんず先生。

 少ししか接していない俺にも分かるがこの先生、どこか抜けていて子供っぽいところがある。その言動と童顔で生徒たちは友達のように「杏ちゃん」と呼んでいるのをよく見かける。


「え、じゃあ誰のか分からない席がずっとここにあったってことですか?何か変じゃないすかそれ」

「確かになんでだろ。今日は皆出席取ったから誰かいないって事もないしねぇ」


 出席名簿に目を通しながら頬に指を当てて唸っている杏先生。

 …どうでもいいが確かに子供っぽいなこの先生。


「――それってもしかして、今ウワサになってるアレじゃない?」


 近くで話を聞いていた女子がいきなり話に入ってきた。


「アレ?アレってなにちほちー」

「今ウワサになってるアレって言ったらアレだよ。神隠し!」

「―はぁ?神隠し?」


 沙希とその生徒の話の中出てきた神隠しという日常ではまず聞かないワードに思わず口を挟んでしまった。


「あ、アタシは佐山さやま 千穂ちほね。呼び方はなんでもいいよ。佐山でも千穂でも、沙希が言ったみたいにちほちーでもいいし」

「いや、流石にちほちーはないな。普通に佐山って呼ばせて貰うよ。俺は―」

「大神透哉君でしょ?よろしくね、えっと…オオカミ君?」

「…スマン、その呼び方だけはやめてくれ。嫌なことを思い出しちまう…」


 佐山が口にしたその恥ずかしい呼び方はホントろくな思い出ないからな。

 誰だ一体通り名なんてもんつけやがったのは恥ずかしい…。


「えっと、それで神隠しだったか?それってある日忽然と人が消えるっていうあの?」

「お、よく知ってるねオオカミ君!そうそうその神隠しであってるよ」


 残念ながらこの佐山って生徒はあんまり話を聞いてくれないみたいだ。はぁ……。


「え、じゃあちほちーは今透哉君が座ってる席は神隠しにあった人が使ってた席だって言うの?」

「そうそう!だってその方が面白くない?」

「えぇー面白くないよソレー」


 いや、それがホントなら面白がっちゃ駄目だろ。

 ちなみに俺が使っているこの席は窓際の前から5番目、この列では最後尾の席だ。

 教室には大体6席を1つの列として全部で6列。

 そして窓際のこの列だけ1つ足りなくて5席しかない。つまりこのクラスの生徒数は俺含め35人だ。俺の右隣に玲人、その前に沙希が座っている。

 でも確かに誰も使ってないのなら5席の列を2つにするのが自然だな。

 沙希と佐山は俺そっちのけで盛り上がっていた。


「なぁ?アンタはなにかこの席について知らないか?」


 俺は玲人の後ろ、俺から見て右斜め後ろに座っている男子生徒に話を振ってみた。


「……え?ぼ、僕、ですか?」


 ……うん?あれコイツどっかで会った事あるような。

 って、あ。あれだあれだ!生徒手帳!あのぶつかったやつだ!

 ビックリした、全然気付かなかったけど同じクラスだったのか…。


「あ、っと、そのあんたって小山正?だっけ、で合ってるか?」

「え。はい、確かに僕は小山ですけど」

「あーその覚えてないか?昨日外町でぶつかったやつなんだけど、そんときにアンタ生徒手帳落としてったんだよ。ほらコレ。悪かったな今まで忘れててさ」


 俺は鞄の底に入れてた件の生徒手帳を本人に差し出した。


「あ、そう、だったんですか…。わ、わざわざすみませんでした、ありがとうございます」


 そう言って伏し目がちにお礼を言い手帳を受け取る目の前の小山。

 あんまり人に慣れてないのか人見知りっぽいな。


「それでなんだけど、佐山は神隠しって言ってるけどあくまでウワサだし、小山は何か知らないか?」


 せっかくだし改めて話を聞いてみる。


「その席について、ですか?さ、さぁ…。僕も知らない間にそこに机がありましたし…それに、もし本当にか、神隠しだったら多分、分からないと思います。あれってその人が居た記憶もなくなるらしい、ですし…」

「は?そうなのか?それじゃ誰も知らないのはホントに神隠しにあったからだって?」

「いや、あくまでウワサ、ですけど…」

「あぁ、まぁそりゃな」

「まぁ、実際にそんな事件が起これば生徒会長であるこのボクが解決してみせるよ!責任を持ってね!」


 俺と小山の話を聞いていた玲人がいつもの調子で答える。


「なんだ、今時の生徒会長は怪奇事件も担当なのか?大変だな」

「モチロンその時は透哉君にも手伝ってもらうけどネッ!!」

「なんでだよッ!!」

「はは…ははは…」


 自身満々に胸に手を当てて答える玲人。それに呆れる俺。

 小山の乾いた笑い声が妙に印象に残った休み時間であった。



「はぁ…疲れた…どっと疲れた…」


 一日が終わって下校時間、俺は一人で校門に向かっていた。

 沙希は部活があると言って体育館に行って、玲人は生徒会に行った。

 なので今日は一人寂しくでの下校である。

 いや、慣れてるから別に寂しいという事は無いが。


「日頃からトーヤは頭使わないから疲れるんだよ」


 一人になると話しかけてくるコイツがいるので静かになることもないしな。


「開口一番に厳しいこと言ってくれるなエリ?」


 肩に担いだ鞄越しに話しかけてきたエリに文句を返す。

 辺りに人が居ないことは確認済みだ。


「でもよかったね、サキもレイトも一緒のクラスじゃん。トーヤ的にはサキと一緒なのが一番うれしい?」

「あ?いやまぁ確かによかったけど…なんだよその言い方」

「おやおや?トーヤはああいう明るい子がタイプだったと思うケド?あ、それともチグサみたいな綺麗でクールな人のがよかったかな?」


 俺なんで幽霊にこんな下世話な事言われてるんだろ。


「…なんか珍しいな、エリがそんなこと言うなんて。あんまり色恋沙汰なんて興味ないと思ってたんだが」

「そりゃ私は死んでるようなものだから自分のには興味ないけどね。トーヤは若いんだからもっと素直にならないと」


 おまえはオレのオカンか。

 いきなり将来の心配なんぞされる身にもなれ。

 ……うっしちょっとからかってみるか。


「いや、オレのタイプは違うな。ずっと一緒にいても気の置ける、お互い冗談が言い合えるような感じだ。外見はもうちょっと身長が小さくて髪は長い方がいい。胸も小さい方がいい。性格は俺と気が合う適当な感じでズボラなところもあるが意外と涙もろいところがあったりする幼気な女の子がいい」

「…え?なんかやたら具体的じゃない?」


「うむ。もっと具体的に言うとおまえだ」

「―――へっ!?」


 ボンっ―と音が聞こえそうなぐらいに瞬間沸騰したエリは、みるみる内に顔面が真っ赤になった。

 もともと温度低そうな肌の色してたから余計にわかりやすい。

 というか幽霊でも照れたら顔が赤くなったりするんだな。


「――ハハハ~、なーんて冗談―」


「へぇ?…透君って小さい女の子が好きなんだ…?」

「…ハッ!?」


 丁度校門を抜けようとした所で、門の影から涼ねぇがヌッと姿を表した。

 その影から漏れ出すように現れたで立ちは、さながら生者に死を運ぶ死神。

 俺は死の宣告を告げられた罪人の様にその場から一歩も動けず、ただ全身から冷や汗を流していた。


「す、すす、すず、涼ねぇ、じゃないで、すか。ここ、こ、こんな所であづっ…会うなんて、き奇遇だなぁ…はは…」


 ちらっとエリが居た方を覗き見たらその姿は忽然こつぜんと消えていた。

 あいつをそのまま放っておくのも気が引けるが、今はなによりもこの状況がマズイ!


「お姉さん、昨日言ったわよね?犯罪だけはだめだって、言ったわよね?透君はそんなことしないって言ったわよね?」

「涼ねぇ誤解だ!これはただの冗談だ!ジョークだ!本当じゃないんだ!こわいから落ち着いてくれッ!!」


 気のせいか涼ねぇの長い髪が逆立ってる様に見える。オーラが見える!

 この冷気は地獄の冷気だ!!モノホンの幽霊だってビックリの極限の冷気だ!!


「…これは正座かな」

「勘弁してください。ここは公衆の場で下はコンクリートです。勘弁してください」

「犯罪は?」

「ダメゼッタイ!」

「……よろしいでしょう」


 肌を差す空気がなりを潜めた。どうやら命拾いをしたようだ。

 これからは冗談も周りを気にして言わなければ…。


「それで、透君。はじめての凪波はどうだった?問題なく過ごせたかしら」

「あ、あぁ。なんとかね…。もしかしてそれを聞く為にここで待っててくれたの?」

「まぁ一応透君のお姉さんですからね。離れてた間は何も出来なかったし」


 そんな、そんなこと気にしなくてもいいのに。

 栫を離れたのだってこっちの勝手な都合で涼ねぇにはなんの責任もない。

 でも、そのことを言っても気にするなとしか言わないんだろうなこの人は。


「……ありがとう」


 照れくさくて、聞こえないぐらいの大きさでしか感謝を伝えられなかった。

 それでも気づいていたのかは不確かだが、涼ねぇはいつもどおりの顔をしていた。


「そういえば一つだけ気になることがあったんだけど」

「うん?何かな」


 空気を変えようと思って今日起こった事で一つ涼ねぇに尋ねることにした。


「今日クラスで俺適当に空いてる席に座ってたんだけど。その席別に俺のために用意したわけじゃないらしくて、ずっと前からあったっぽいんだよ。クラスメイトは全員出席してるし。涼ねぇ何か知らない?」

「空いてた席…?」

「うん、なんかクラスの奴が言うには神隠しなんじゃないか、って。なんかウワサになってるらしい」

「………」


 俺の話を聞いてすこし黙り込んだ涼ねぇ。

 珍しく眉を寄せてなにか悩むような、考えるような顔になった。

 そして重々しく口を開く。


「…最近ウチの学校で登校してこない生徒が何人かいるのよ。私の近くではいないけど、一部生徒が来ていないのは、確実」

「それって、何人ぐらいなの?」

「と言っても2、3人ぐらいらしいわ。それでも立場上先生に聞いてみたのだけれども。どうやら病気とかではないらしいわ」

「え、じゃあ?」

「まぁ、そういうウワサの元になる事象は起こっている、というわけね」


 思っていたより深刻な事態なんだろうか。

 でも単純に学校側に言ってないだけって事もあるかもしれないし。

 いや、それでも普通休むにしても何かしら理由はあるよな。言えないことでもあるのか…?


「でも、透君が気にする事でもないから心配しなくても大丈夫よ?私も親しい友人がいなくなったわけじゃないし」

「…まぁ、そうだね」


 そういって気にしないように笑いかけてくれた涼ねぇ。


 でも俺は何故か言い知れぬ奇妙な感情を覚えた。

 それは傾きかけた太陽の色が染めていく黄昏たそがれの世界の中、俺一人だけ取り残されたような。そんな錯覚に落ちかける不可思議な感情だった。




………………。

「―――神隠し…?そんな事今まで……」

………………。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る