序章 ~第二幕~

 コイツ。宙に浮いてるコレ。名前はエリ、というらしい。

 らしい、というのはそもそもコイツが。


「ん~、まあ私の事はねー。そだねー"エリ"でいいや。それで呼んで、うんうん」


 とゆういかにも今考えましたー的な、クソ適当な自己紹介しかして来なかったからだ。

 適当さに自信と確かな定評がある俺でもビックリな適当さである。


 なんだそれは、やる気あんのか。一回人生やり直してこい。俺の知らないところで。


 そもそもオマエはなんなんだ、と。

 それを聞いても先程の震える程腹立つニヤケ顔しか返ってこないので、

 俺は仕方なく幽霊だと思うことにした。


 いや、それしかないだろ!他になんだってんだ!だって浮いてんだぞ!


 俺が自分の部屋で一人有意義な時間を満喫してても、平気で壁をすり抜け邪魔してくるし!

 俺以外の人がいる状況でも、白昼堂々逆さまになりながらも喋りかけてくるし!


 お陰で俺は度々一人で怪しい行動をしてる、怪しい奴だと思われる始末……。

 そりゃお前、いきなり自分の腹から長い髪の女の頭が生えてきてみろ。

 帰ったら自分の部屋で生首(多分透けて埋まってた)と対面してみろ。

 完ッ全ッにホラーだろ!誰でもビビるわッ!!


 コイツがいつからいるのか。それすらも曖昧である。

 何故か気づいたらいつの間にか俺の側にいて。

 学校でも、町中でも、家の中でも、寝てる時でもふよふよふわふわ……!


 兎にも角にも謎の幽霊が、何故か俺について来ているのだ。

 憑いては……ないよな?頼む。

 ……いや、完全に憑かれてるな……コレ…………。



「……ふぅ。これだけ離れれば大丈夫だろ……」


 訝しげな視線が戦場のように飛んできた場所から、いくらか離れた場所でようやく人心地がついた。あぁ、心臓に悪い……あの空気には耐えられん。

 流石に気をつけるようにしてはいるが、未だにコイツがいることに慣れねぇ。


「そんなに恥ずかしがることないのに。堂々としてればいいじゃん」


 一息ついたところで、当の本人が声を掛けてくる。

 こちらの事などお構いなしな顔には、反省の色など見えやしない。


「ふざけろ出来るか!明らかおかしいだろ不審者じゃねーか!!通報されるわ!大体諸悪の根源はお前だぞ、少しは配慮するとかねぇのかこの野郎!!」


「俺は今俺だけに見える美少女と話してるんだー!ってソウルフルにシャウトすればいいじゃん」

「自分の事を美少女とか宣う奴は、もう一回地獄の炎に抱かれてこい」


 これでコイツ整った顔立ちしてやがるから余計に腹立つ。


「まぁまぁいいじゃん。とにかく先に進もうよ。行くんでしょ?おばあちゃんち。ほらほらっ」


 そう言ってエリはふわふわと先立って飛んでいった。

 誰のせいでこんな目に合ってると思ってんだ。

 いや、もう敢えて何も言うまい……。


「……ん?っておい!場所知ってんのか?おい!」


 その事に気づいた俺は慌ててエリを追いかけたが、

 不思議とアイツは道を間違えてなかった。

 や、やっぱりあれか。第六感か!いや、霊感か?わからん。

 とにかく俺は物理法則を無視した美少女様を追いかけるのであった…。


「おい待てって。勝手に行くんじゃねー!…後、壁すり抜けんなッ!」



「ここが、おばあちゃん家?」

「あぁ」


 俺は緩やかな坂を登った先にある年季の入った一軒家の前に立っていた。


 もう6年も経っているというのに、この場所は時間に取り残された様にそのままだった。

 今にも玄関の扉を開けてばあちゃんが「おかえり」って言いながら出てきそうだ。


「とりあえず中に入るか」


 ここに来るまでに母さんの妹、俺から見ての叔母さんの家に行ってきた。

 そこでこの家の鍵を預かったのだ。


 叔母さんは一言目にごめんなさい、と俺に謝ってきた。

 俺は謝られる理由なんかないと言ったけど、それでもと言っていた。


 叔母さんは少しづつでもいいから残った物なんかも片付けてほしいと言われた。

 多分、可愛がられていた俺にばあちゃんとの別れを惜しむ意味で言ってくれたのだろう。俺はお辞儀をして叔母さんの家を後にした。


 玄関を開けて中に入ると、流石に少しホコリが舞った。

 もう既にばあちゃんが亡くなってから1ヶ月以上も経っているのだ。


「……まぁ、そりゃ仕方ねぇか」


 俺はとりあえず荷物を置くために、幼い記憶そのままに居間へと進んでいった。


 部屋に入って一息ついた所で、ばあちゃんがいつも手を合わせていた仏壇が見えた。その側に、ばあちゃんの写真も。


「……トーヤ」

「あぁ」


 俺は自然と仏壇の前に進んで足をかがみ正座になった。

 真新しい位牌が置かれた小さい仏壇の前で、俺は手を合わせる


 ――……チーン…………。


(―――久しぶり、ばあちゃん)


 静まり返った空間の中で、一度だけ儚い音が壁に染みる。

 直ぐ側に置いてある遺影には、ちょっと若い頃であろうばあちゃんの姿が写っている。


 葬式やらなんやらは叔母さん達がやってくれたらしい。

 あまり連絡を取ってこなかったこっち側には、全て終わった後に電話が掛かってきたそうだ。

 親父はどうか知らないが、最後に一目だけでも会いたかった……。


 一人残っていたばあちゃんが亡くなり、この家に住む人間は誰もいなくなってしまったが、どうやら今のところこの家を取り壊す予定は無いらしい。

 少なくとも俺が今度転校する学校を卒業するまでは、そのままの状態で置いてくれるそうだ。


 長年使い込まれて色がくすんでいる卓袱台。所々直した後が見える障子。

 ばあちゃんの後ろ姿を眺めていた台所。年季の入った大きい箪笥。

 ここにはまだばあちゃんが生きていた頃のなごり、人が生きていた匂いが残っている。この家にある全ての物が俺に懐かしい子供の頃を思い出させる。


「…………大丈夫?」


 手を合わせ目を閉じながら、じっと動かなかった俺を案じてエリが声を掛けてきた。その声色は俺を気遣ってか、普段とは違い妙に優しい。


「……ん?」

「泣きそうな顔してる」

「……泣かねーよ。もう、十分泣いた」


 初めて死を知らされたあの夜に。

 触ることも出来ないと知りながら、それでも一人震えていた俺を抱きしめてくれた。泣きそうな顔をしていたコイツの前で、もう涙は流さないと決めたから。


「…………、そっか」

「おう。……っよし!んじゃぁいっちょ仕事しますか!」


 しんみりした空気を一新する思いで少し声を張ってみる。うん、大丈夫。いつもの俺だ。

 とりあえず、と周りを見渡してみるとまだ完全に廃れていないものの、家のあちこちには少しホコリが積もっていた。これからは俺がお世話になるんだしとりあえず家の掃除から始めないとな。


「うっし気合入れて片付けますか!っと」

「うーいうい。がんばってね~」


 先程の神妙そうな態度とは裏腹に、実に気の抜ける返事を返すエリ。


「おまえなぁ……。せっかく人が意気込んでんのにその態度はないだろ。もうちょっと真摯になれねーの?」

「だって私関係無いし、そもそも手伝えないじゃん?」


 いや、まぁ物に触れないからその通りではありますけど。

 コイツ何言ってんの?みたいな顔しやがって。期待した俺が馬鹿でしたよ!


「あーはいそうね!ゆーれいですもんね!ケッ!」

「さーてねー。どうかなぁー」

「はいはい」


 もはや定番になりつつある押し問答は置いといて、俺は行動に移すことにした。


「まずは掃除だな、って掃除道具とかどっかにあるか?流石にそんな事覚えてねぇしなぁ…」


 掃除道具もそうだが、他にも色々必要な物があんだよな。

 こっちに着いてからでいいかと思って荷物は最小限だったし…………よし。


「ちょっとコンビニとか行ってくるか。一通り必要な物買って来よう」

「行ってらっしゃーい」

「…ん?お前ついて来ねぇの?」


 いつもは何も言わずに勝手についてくるから当然来るもんだと思ったが。


「なに?ついて来てほしーのトーヤ?」


 俺がキョトンとしてると思わずニマニマした顔でこっちを見てきやがった。


「ばっ!ちげーよ!!誰がおまっ」

「まぁどうせすぐ帰ってくるんでしょ?ここに。だからまぁいっかなーって。メンドイし」


 最後の一言が全てを物語っていた。浮いてるから大した労力でも無いくせに……。

 ん?浮くのって疲れんのかな?いやでもいつも浮いてるしな。

 ただ単に動きたくないってだけか、ったく誰に似たんだか……。


「あー、じゃまぁ俺一人で行ってくるけどよ……。おまえ、勝手にどっか行くなよ?人様に迷惑かけたりとか、やめろよ?」

「だーいじょぶだいじょぶ。そもそもトーヤ以外に迷惑かけられないし」

「それは喜んで良いのか悪いのか……」


 まぁいいか、とりあえずコイツは置いていこう、うん。

 本人がこう言ってるんだし偶には一人を満喫しよう。

 来る途中にコンビニあったか?覚えてねぇな……。

 何分通ってきた道の大部分は衆人の目から逃げるのに必死だったからなぁ……。


「まぁ、なんか適当に行きゃあるだろ。ついでにちょっとした自由を謳歌しますか」


 そう言いながら俺は玄関の扉を開け、通ってきた道とは違う方向に歩き出した。



「へぇー、ここらへんもあんま変わってねぇな…」


 憎まれ口を叩く浮遊霊から解放された俺は、どうせなら色々見て回ろうと思い思いの方向に歩いていた。

 昼過ぎに差し掛かった今、住宅街と思わしきこの辺に人通りは疎らだ。

 気ままに歩いてきたが、どうやらこの道は元々俺が住んでいた実家の方に続いているようだ。所々に昔の記憶を呼び起こす物が散在している。


「あー、この店の看板懐かしいなぁー。昔いたずらしようとして誰かに止められたんだったな」


 目の前には長い間風雨に晒されたせいか、記憶の中より更にボロくなった看板がある。それを見て沸々と子供時代の思い出が蘇って来た。


 当時からあまり物事を深く考えなかった俺はなかなかやんちゃだった。

 多分周りの大人からしたら悪ガキだったに違いない。

 思い立ったら行動し、後先なんか考えないってんでよく突っ走ったもんだ。

 ん?この時のいたずらって誰に止められたんだっけ?


「お、この公園!まだあったのか!懐かしィー!今見るとちっちぇーなココ!」


 先程よりも進んだ先に昔よく遊んだ公園があった。そこには小学生らしき子供達がサッカーをしている。

 あの頃は俺もここでサッカーしてたなぁ。日が暮れるまでボールを追いかけてた思い出がある。


 そーいや当時はあいつとよく一緒に遊んでたなぁ。

 生傷が絶えなくてよく絆創膏を貼っていたあいつ。夏でも冬でもお構いなく短パンで走ってたあいつ。

 他愛もないことで喧嘩したり、かと思いきや仲直りして一緒に昼寝したり。

 あいつ……あい、つ……。


「……ん?顔は思い出せる……けど、名前……なんだったっけ……?」


 あれ?俺あいつのことなんて呼んでたっけ…。

 サトシ?……違うな。マサヤ?……近いような。レイト?いたかぁそんなやつ?


「うーむ……?」


 ふと考え込んでしまい一人公園の入口で立ち止まってしまった。そこに、


「――――あれ……?透、哉…………君?」


 不意に後ろから、俺の名前を呼ぶ声がした。


「うん?」


 振り返るとそこには、近くの学校のだろうか?

 制服を来た女生徒がこちらを見ていた。手には学生鞄を持っている。


 肩に掛かるぐらいの栗色の髪、大きく開かれた瞳、活発そうな少し焼けた肌。

 いかにも元気で明るそうな女の子が、信じられない物を見た様な顔をして立っていた。


「もしかして、大上透哉……君、じゃない?栫小学校5年2組の!」

「……た、確かに俺は栫小5の2だった大上透哉君だが……。すまない、あんたは?」


 5年2組は俺が転校したときのクラスだが、あの時のクラスメイトでこんな女子いたか?結構好みのタイプだから小さかったとしても覚えてそうなものだが…。

 …………思い出せん。当時は男友達とばっかり遊んでたからなぁ。


 あいつの顔なら思い出せるが、いかんせんそっちも名前が出てこない……。

 だぁー!!まだるっこしい!!


「あたしあたし!梓山!梓山沙希だよ!」


 目の前にいる女の子は自分を指差しながら名乗りを上げた。

 うん?梓山?沙希?あずやま?さき?


「……?え、うん。だれ?どちら様?」

「ひどいよ!ちょっと不審がるのやめよう!あぶなくないよ!」

「お、おう…。って言われてもなぁ……」


 そういって件の女の子は不満そうに頬を膨らましている。

 俺の事を知っている口ぶりから、当時の知り合いなのは間違いないんだろうが……。


「す、すまん。俺と結構仲良かったのか?あんまり覚えてないんだが……」

「えー!ひどいよぉ。二人で色んな事したじゃん!喧嘩したり一緒に昼寝したり……そうだ!そこの公園でよくサッカーしてたじゃん!それも覚えてない?」


 …………。

 ………………。

 ………………………。



「―――――――――は?」


 い、いや。ちょっと待て、待ってくれ。ちょっっっっっっっっっっと待てよ?

 改めて目の前の女の子をよーく見る。

 こいつの……この顔…………。


「……あ、あんた、名前。名前何だって…?」

「だから梓山!沙希!梓山沙希!だってば!」

「あずやま、さき」


 アホみたいに聞いた言葉を繰り返す。そしてその音が俺の頭の中でリフレインする。


 梓山。沙希。あずやま。さき。あずやまさき。あずやまさき、あずやまさきアズヤマサキあずヤマサキアズヤまさきアズヤマさきアズヤマさきあずやまサキ…………。


 あずや―――――マサキ。


 ―――その瞬間、記憶の中のあいつの顔と現実の女の子の顔がシンクロした。


「ぉ、おッ、お!おまえッ、マサキ?マサキかッ!?あの短パン履いて泥だらけでサッカーしてたマサキ!?ハナタレ小僧でクソ生意気なマサキ!?"間抜けのマサキ"か!??おまえ女だったのか!??!?」

「だっちょっ、だから"マ"を抜けーー!このバカー!!今更そのあだ名を言わないでよーー!!!」

「おまえ何時から女になったんだ!!!???」

「当時から女です!!れっきとした女ですーーー!!!」


 暖かい午後の日差しが降る落ち着いた住宅街に二人の叫び声が響く。


「……やーねー……ヒソヒソ……」

「アレさっきの子供よ……ヒソヒソ……怖いわー……」

「……何回見てもブッサイクだわぁ……ヒソヒソ……」


 驚愕きょうがくの事実を目の前にした俺には周りの声は届かなかった。

 驚天動地きょうてんどうち青天せいてん霹靂へきれき、寝耳に水。それらの言葉が我先にと頭をよぎる。


(嘘だろ……ばあちゃん、この世には本当に不可思議な事があるんだな……)


 信じられん、あのマサキが女だったなんて……。今目の前にしても全くもって信じられん。

 こんな衝撃は昔俺の好きなカップ麺に入ってる肉っぽいヤツが、実は豆の塊だってことを知った時以来だ。


 マサキ……コイツは所謂幼名馴染み、になるのか?

 当時は昼休みや放課後、果ては休みの日までコイツとほっっとんど一緒に遊んでいた。俺のばあちゃんの家まで来たこともある。

 ちなみに昼寝したのもばあちゃん家。


 それだけ一緒にいたあのマサキが女?一緒に風呂に入った記憶まであるんだぞ。

 これ以上に奇妙な事なんてあるか……?

 あまりの事実に前後不覚になりかけたが、


(ぁ、あったわ。奇妙で不可思議な事。珍妙の化身みたいなヤツが今もばあちゃん家でくつろいでますわ)


 よくよく考えればエリの方が非常識の度合いは上だなと思い立った。

 ん、なんか冷静になってきた。アイツもたまには役に立つな。

 少し落ち着いた俺は、改めて変わり果てた旧友に声を掛ける。


「あー、久しぶりだなマサキ。元気だっ」

「ちょっと待とうか。マサキって呼ぶのやめよう?あたし沙希だよ!男じゃないよっ!」


「……ぁー、あ、梓山?元き」

「サ・キ!アタシ、サキ!おーけー?どぅーゆーあんだすたん?」


 めんどくせぇ!?コイツこんなヤツだったっけ!?


「お、おぅ。お前…なんか、こう…変わった、よな?」


 主に性別が。


「えーそう?そんなに変わってないよー。そんな簡単に変わらないよ。七不思議じゃあるまいし」


 あん?七不思議?なんだコイツやっぱり危ないヤツか?


「……お、おぅ」

「ひどいよ!そんな変な目で見るのやめよう!?怪しくないよ!」


 いや、そう言われましても。


 そう思いつつも話している内に段々と懐かしい気持ちが溢れてきた。

 どれだけ外見が変わってもやっぱりコイツはあの頃のマサキだ。

 不思議と自然にそう思えるようになってきた。

 いや、違うな……もうマサキじゃなくて……。


「……ははッ!しゃーねぇーな!……沙希。これでいいか?」

「うん!久しぶりッ!元気だったよ、透哉君!」


 不満げな顔が一転、あの頃の様な満点の笑顔に変わった。

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