序章 ~第一幕~

「……て……おー…………きて……」

「トー……て……おき…………ーヤ!……て!」


(……う……なんだ…………?声……が……俺を……………)


 ガタンガタンガタン……――。ガタンガタンガタン……――。


 体に伝わる震動と聞こえてくる一定の音が、徐々に俺の意識を起こしていく。

 目を開ければ誰も座っていない電車の席が見えた。

 ボックス席に俺の他には荷物しか置かれていない。

 どうやら窓の縁に肩肘を付いて寝ていたみたいだ。

 そのまま視線を横にずらすせば、遠くに見える山々の景色。


「そうか、寝ちまってたのか俺」


 長時間電車に揺られて、することもなく外を眺めるだけだったからな。


 寝る前と後で風景はあまり変わっていないが、携帯で時計を見ると時間はある程度経っていた。

 喉の乾きを潤そうと、電車に乗る前に買っておいたペットボトルを傾けながら車内を何気なく見回す。


「他に人は……いないのか」


 今まで都会で暮らしていたせいで、誰もいないというのも違和感があるが。

 この電車はその都会から離れている最中だし…まぁそういう事もあるか。


(あれ?でもさっき誰かの起こす声が聞こえた様な?)


 ふと湧き上がった疑問に、一瞬首を傾けたが。


「ほら、もうすぐ着くから起きなさい」

「んー……はーい……」


 謎は解けた。どうやら後ろの席に親子連れが座っていたようだ。

 さっきの声もそのお母さんの声だったのだろう。うん。


「トーヤ?おーいトーヤ?」


 どうやら後ろの子供は「とうや」君と言うらしい。お、奇遇だな俺も同じ名前だぞ。

 まぁよくある名前だからな。気にする事もない。うんうん。

 俺は聞こえてくる声から意識を外し、後どれくらいで目的地につくのだろうと思いながら、また外の流れる景色を眺めた。

 相変わらず外には山と木々が広がっている。


 ――ポーンポンポンポーン。


「まもなくかこい~。まもなくかこいに着きます。お出口は左~。まもなく……」


 どうやら相当寝ていたらしい、気づけば目的地はもうすでにそこまで来ていたようだ。

 流れるアナウンスは俺の故郷が近いことを知らせてくれた。

 外の景色が開けて山と海に囲まれた町並みが見えてくる。

 最後にここを離れる時に見たあの景色と同じものが今目の前にある。

 違うのは成長した俺の体と感情。

 あの時の張り裂けそうな悲しい気持ちとは違い、今は落ち着きと懐かしさが胸を占めている。


「6年ぶりか。帰ってきたな……またこの町に」



 長旅で疲れた体を解しながら、俺は久々に降り立った駅前広場を眺めた。



「っーーーっあーー!!着いたぁ!」


 後ろでは駅から俺が今まで乗ってきた電車が出ていったところだ。

 先程の親子の様な姿も見える。どうやらここで降りたらしい。

 それ以外に駅には人は居なかった。


「まぁ相変わらずだな……6年でそこまで変わるわけないか」


 町唯一の駅にもかかわらず多くも少なくもないバス停。

 都会にも田舎にもあるだろう有名な某コンビニ。

 どこかで見たことがあるジュースの広告。

 青い空、白い雲、エトセトラエトセトラ……。


 小さくはないが大きいとも言えない、田舎過ぎやしないが都会でもない。

 何とも言えない中途半端なこの町の名は栫(かこい)町。


 周りを山、南に海と四方を自然に囲まれているこの町は、今俺が通ってきた駅が主な玄関だ。

 まぁ他にも当然道は繋がっているので、車でも来れないことはないが。


 いかんせん国道とは名ばかりの険しく細い山道しかないので、外に行く人間は殆ど電車を利用している。

 海には港もあるが、あそこはほぼ漁港だからフェリーなんかも来ないだろう。

 記憶はあやふやだが確か無かったはず。


「まぁつまりはこの町で人が集まるのはここで間違いはないんだが……」


広場には何故か昔の記憶とは違いそこそこ人が往来している。

駅の中とは打って変わってなにやら賑わっているように見える。


「……しもし?うん今から帰るけどー、なにか……」

「……兄さん……占いやっていかない、か……」

「?ドコ見てるの?おーい?」

「……から現代社会の……権利は誰にでも……」

「この世は……の神によっ……実ではな……」


携帯で話しながら歩いて行く奥様。けだるげな占い師。

スーツにタスキの街頭演説。よくわからない…宗教家?

6年でこんなに変わるか?昔はこんなんじゃなかったと思うが……。

…………。


「……うん。相変わらず変わってないなー」


 君子危うきになんちゃらかんちゃら、三十六計逃げるが勝ち。

 触らぬ神に知らぬが仏だ。

 自然と考える事を放棄した。つかメンドイ。


 俺はその空間から意識と目を逸らし、記憶を頼りに歩き出した。

 目指すは子供の頃通い慣れた一軒家。

 母方の祖母、ばあちゃんが住んでいた家。

 子供の頃よく通っていた懐かしい家。


 そして、これから俺が一人暮らしをする事になった家だ。


(…………ばあちゃん……)


 どうして俺が6年ぶりにこの町に帰ってきたのか。

 何故一人で住む事になったのか。

 全てはあの日掛かってきた、一本の電話から始まった。




「―――え?ばあちゃんが……死んだ?」


 俺の名前は大上透哉おおがみとうや。高校2年生の17才。

 諸々の事情で帰宅部だった俺は、特にすることもなく誰も待っていない自宅に帰ってきた。

 そこにいつも家を空けていて、今もどこに居るかも分からない親父から電話が掛かってきた。

 その内容は遠く離れた地で一人暮らしていた、祖母の死を知らせるものだった。


「聞いているのか?透哉?」

「――し、死んだっていつ!?なんで…」

「……一週間ほど前、だそうだ。元々体を悪くしていたらしい」

「そんな……」


 小さい頃よく遊んでくれたばあちゃん。

 俺が小学生の頃のことだ。

 その時にはもうじいちゃんは亡くなっていて、ばあちゃんは一人で暮らしていた。

 仕事が忙しいらしくて家には殆ど帰ってこなかった親父。

 家に一人でいるくらいなら、とばあちゃんの家によく遊びに行っていた。


 母さんは病気で死んだ……らしい。

 詳しい事は知らない、というかあまり覚えていない。

 母さんが亡くなったという事と、悲しいという感情だけは朧気に思い出せる。

 俺の一番古い確かな記憶と言えば、しわくちゃになったばあちゃんの優しい笑顔だ…。


「―――伝えたかったのはこの事と、もう一つ。また転居する事になった。学校にはこっちから電話しておくからお前は」

「……は?ち、ちょっと待てよ!ばあちゃんの事はどうすんだよ!!引越すって、そんなことよりまず決めることがあんだろ、行くところがあるだろ!!?」


「…………透哉。もう葬儀も済んでいるし、あの人はそんな事は望んでいないはずだ。お前には理解しがたいことかもしれないが、もう、終わったことだ」

「―――――」


 お、終わったこと……だと?ばあちゃんなんだぞ……死んだんだぞ……!!


「……自分の親じゃねぇから、関係ねぇってか……?終わったことだからもう忘れろってか!?望んでない?ざけんじゃねぇ!!んなわけあるかぁ!!てめぇそれでも人間かよ!悲しむ事も必要ねぇのかよ!!引越すんならてめぇ一人でしやがれ!もう振り回されんのはたくさんだ!!」

「透――」


 そう言って俺は一方的に電話を切って、感情のままに携帯を放り投げた。

 悲しくて、情けなくて、やるせなくて。

 突然降ってきた事実を受け止めきれなくて、じわじわと心の隙間が広がる様な気がした。

 日が沈み次第に暗くなっていく部屋の中、気づけば俺は泣いていた。

 後日改めて掛かってきた電話で親父は俺の一人暮らしを渋々認めた。

 どうせ向こうも清々してるだろ。

 こうして俺は一番長く住んでいた故郷に一人帰ることとなった――。



「今思い出してもムカつくな……」


 所々に懐かしい記憶を思い出させる道を通りながら、俺は事の経緯を思い返した。

 あいつの出した条件は2つ。学校にちゃんと出る事、ばあちゃんの家を片付けて綺麗に使う事。

 その2つがちゃんと出来るのなら一人暮らしをして来い。

 と言い残してあいつはさっさと何処かへ行っちまいやがった。


「そして俺は一人、この町へ帰ってきた、と」

「……ねぇ」


「この故郷へ」

「……ねぇ!」


「一人で」

「ねぇってば!」


「帰っ」

「――ッ!!ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇえーーーーーーってばーーー!!!!」


「だぁーーー!!!!!っるせぇえ!!耳元で叫ぶんじゃねぇ!!!」

「なによ!トーヤが無視するから悪いんでしょ!私悪くないよ!!」


 物思いに耽っていた俺の真横に、一人の女の子が居た。

 長い黒髪を鬱陶しそうに払いのけ、その隙間から深い蒼の瞳が覗いてる。

 一見不健康そうな白い肌にさらに白いワンピースを着ている。

 口をへの字に曲げ、不満そうな顔をして彼女は文句を言った。


 ―――浮きながら。


「さっきから私ちょくちょく話しかけてたのに、全部無視するってどーゆう事?せっかく寝てたトコ起こしてあげたのにお礼の一言もなかったし!」

「ぁー、あーあーやだやだ。まーた出てきやがった。んー疲れてるなこりゃ、長旅だったからなぁまさか昼間っから幻覚見るなんて相当だなぁ!」


「……あ!ちょ、ちょっと!また無かった事にしようとしてるでしょ!ねぇ!ちょっと!!」

「あーあー!!なーーんにも聞こえねぇ見えねぇ分かんねぇ!!んーこっちの道であってたっけなぁ!?6年ぶりに"一人"で帰ってきたからなぁあ!!」


「ひどい!そんないないもの扱いしないでよ!ねぇ!トーヤってば、聞いてる!?」

「お、この道覚えてるわー、こっちだこっち。うわ懐かしー」


 俺は必死に視界に移っている認めたくないものを無視し続けた。

 俺には何も見えていない。何も聞こえてもいない。

 ふよふよ漂って文句を言ってるナニかなんて見えやしない。

 ないないないない、いないのだ。


「やめてよ……ひどいよ……そんなことされたらクラスでいないもの扱いされてたこと思い出しちゃう……。やめて、私ここにいるよ……教科書も机も返して…………あやまるから……なんでもするから……」


 み、見えてない……聞こえて、ない……。


「ごめんなさい……やめて……ごめ、ぅっ、ご、ごめんなさい。うぅ、うぅぅぅぅ」


 な……ない…………な、い……。


「ック……ヒ、ヒック……ッ!……ッツ……」


「ぁぁぁああああああーーーーー!!!ッもう!!んだよ!泣くなよ!泣くんじゃねぇよ!おめぇそんなキャラじゃねぇだろ!っつか幽霊の癖にやたらリアルな生の体験の呪詛を吐くんじゃねぇよ!!そんな事言われたらおまえ、なんかこう……俺メッチャ嫌なヤツみてぇになるじゃねぇか!!」


 あまりにもな居心地の悪さについに耐えきれなくなった俺は、思わずその声に反応してしまった。

 そう、認めたくはないが。

 今俺の目の前で明らかに空中に浮きながら、膝を抱えて泣きそうになっているコイツはなんと、幽霊である。

 何故か霊感なんかからっきしの俺にしか見えてないし、声も俺以外には聞こえない。

 ご丁寧に壁もすり抜けるし、目を凝らせば若干透けてるようにも見える。

 どこからどう見ても完全無欠の幽霊様である。


「おまえなんなの!?こんな真っ昼間から出てきて。この世の者じゃない自覚あんの!?もっとシチュエーションとか雰囲気とか大事にしねーの!?人成らざる者の挟持とかねーの!?そんなんでいいのおまえ!?」

「ぇー。だってメンドイし、いちいち考えるの。いいじゃん別に私がどうしようが~。しかも私、幽霊じゃないし。まぁ実質幽霊みたいなもんだけどさぁー」


「いや、いやいやいや。あなた、これだけの条件揃ってて幽霊じゃないってどの口が言うんですか。幽霊じゃなかったら何なんですか。宇宙人か?映像か?ホログラムか!?ハーン?無いね!」

「ふふーん。さぁてどうかなぁー。にやにや」

「はらたつわーこのニヤケヅラ。ぶっ飛ばすぞ」


 かすりもしない事はとうに分かってはいるが、ついつい拳を握りしめてしまう。

 案の定ウソ泣きではあったが、流石にあんな風に言われたらいつまでも無視できない俺である。

 質の悪い事にこの霊魂様は、俺の性分を計算した上であんな行動を取っているのだ。

 つまりこんな儚く幼そうな外見をしててコイツは、とんだ女狐である。


「それよりさぁ、トーヤ。いーの?」

「あん?何がだよ」

「私は別に見えないから関係ないけどさー」

「いや、だから何がだよ」

「まーわーり」

「……ん?」


「見られてるよ?」

「あ」


 ついコイツとの口論に気を取られて忘れてたが、そういやここは閑静な普通の住宅街。

 今日は休日、時間は真昼。人が出歩いていても全く持っておかしくない状況。

 そして周りには訝しげにこちらを見てる奥様方……。


「……やーねー……ヒソヒソ……」

「最近の子供って……ヒソヒソ……怖いわー……」

「……なんかこっち見てない?ブッサイクな顔して……ヒソヒソ……」


 またやっちまった!?

 そう、「また」である。こいつのせいで俺は今まで散々往来で恥をかいてきた。

 こんな感じで回りに白い目で見られるのも1度や2度では……、

 ―――って最後の人何気にひどくねぇ!?顔は関係ねぇだろ顔はよ!


「あっ、や、その…お、おぅ………え、っと……」


 と、とにかくこの場は!逃げるが勝ち!

 嫌な汗を掻きながら、俺は何もなかったかの様に早足で離れた。

 背中に湿った視線を感じつつ、どうか変な噂は立ちませんようにと願うばかりだ。


「ふふふ、災難だったね?」

(誰のせいだと思ってんだよ!!)


 そしてあたかも日常の事であるかのように、非日常は俺の横について来るのであった……。

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