第4話 非日常に焦れて-4

 意見交換――腹の探り合いが始まった。レイナはどのような思惑で、俺達を集めたのか。喋る犬を帯同する初夏は無論のこと、東条も異質な空気を纏っている。料理は、レイナが運んでくる。待ち時間もなく、出来立ての料理を出すわけだから、厨房に誰かいるのだろうが、気配を感じられない。


 雑談は続く。いつの間にやら空腹を満たすことに意識を割いていた。身構えても仕方がない。成り行きにまかせる、それが今の俺のスタイルだ。自ら、非日常を求める者としてそれは最低限の矜持だ。


「――皆様方、ワタクシから一つ提案があるのですけれど」

 クリームブリュレなるプリンの上位互換に舌鼓していた俺のテンションが上昇していく。

 誰も表面上は驚いていない。俺も自嘲するべきか。


「皆様方は知っていますか? 幻想食い《イマジンイーター》の存在を」

「何だそれ?」

 東条も知らないようだ。俺も知らない。初夏だけは無表情を貫いている。


「ある組織が飼っている化物ですわ。物語を食い荒らし、多くの作家志望者の夢を奪う悪魔。諸悪の根源と呼んでも過言でないですわ。続刊や更新が途絶えるのは彼女の所業のせいなのですわ」

 話が中二臭くなってきた、良い兆候だ。


「で、提案とは?」

「皆様方の書く物語には強大な力が込められているのですわ。ですから、書くことを金輪際封印してほしいのです」

 展開が早くてついていけない。とりあえず整理しよう。俺達の作品は上質な餌。レイナは、幻想食いイマジンイーターを倒したい。そこから導き出される答えは……。


「俺は、書くことをやめられない。それが魂に刻まれる定めだから。だけど、そんな巨悪と人知れず戦う君を助けたい。俺は、どうすればいい?」

 こんな感じでいいだろう。これで話は円滑に進むはずだ。


「簡単ですわ。この種類にサインするだけですわ。報酬は言い値でけっこうですわ」

 上質紙に書かれた契約書。小型のナイフが添えられているところからみて、血判を押せということみたいだ。何んとか踏みとどまったな。これでただのサインでよいとするならば、日常系へのシフトもあり得る。承認欲求と自己顕示欲に塗れたお嬢様が、金の力を使って他者を蹴落とす。ただそれだけの話。この場合、あてがわれる主人公は無垢で、社会の厳しさをしらない中坊もしくは高校一年生だろうな。俺の場合、金に目がくらんで、壱話で完結だ。


 押すべきか。どちらの方がこの息苦しい日常からより長く脱却できるだろうか。


「一つ教えてほしいんだが、その物語が実話の場合はどうするんだ。まさか、死ねとはいわないよな」

 なるほど、そいう考え方もあるのか。……ん? ちょっと待て、東条が書く「とある道柄の憂鬱」は、地方都市を舞台とする異能バトルものだったはずだ。


「デブリの作品は、フィクションですわよね?」

 レイナが顔を歪めた。これは少し血生臭いことになりそうだ。


「――いいかげんにするだわさ」

 ルナティーが円卓の上によじ登る。


「初夏さん、言いたいことがあるのならば腹話術など使わず」


「君の認識はその程度なのか。だとすれば、まだ戻れるぞ。さっさとあきらめて、忘れることだな」


「何を言っているのですか? ワタクシは……」

「箱、無駄だわさ。この子はもう非日常に心を焼かれているだわさ」

 ルナティーがレイナに近づく。


「エテ公に唆されているのは知っているだわさ。まだ、被害者されどこのまま進めば加害者になる。戻れないなら、せめて、縋る手を選ぶだわさ」

 小さな黒いポーが差し出される。お手をしている愛犬といっても遜色ない絵面だ。

 俺は止めるべきだろうか。これは悪魔の囁きなどではない。正義の御手。その前足を掴めば助かる。だけどその先は……。


 声を枯らして叫んだ。自分にはそれだけの価値があるとは思えなかった。お前らが死んで、悲しむ人間がどれだけいると思っているんだ。でも、本当は惨めでも、欺瞞に満ちていても生きたいと思ってしまった。その結果が、この生き地獄だ。


レイナは硬直している。

「あのさ――」

「君は口を挟むな。案じなくても、君の願いは叶うのだからな」

 肩を掴まれた。すごい力だ。


犬協会ドッグジャスティスはあいもかわらず、正義の押し売りを」

「――君がそれを言うのか。何らの代償も払わず生き延びた君が」

 棘のある口調。俺だって自分が大嫌いだ。


「おい、外をみてみろ」

 東条が窓の外を注視している。月明りもない暗闇に、何かが蠢ている。

「こんな話、ワタクシは聞いてないですわ!」

 数は、100体程度か。


 さっさと残りのプディングを平らげてしまおう。なんならお代わりを要求しよう。こんな高級品次にいつ食べられるかわからない。


「逃げて下さいまし。ワタクシは皆様方の生命だけは保障すると聞いていたのですわ。それなのに……」

「綺麗ごとだわさ。栄光の猿軍団グローリアスモンキーは、利益を追求する組織だわさ。あちし達とは反りが合うはずがないだわさ」


「レイナ、心配しなくても大丈夫だ」

 レイナが怪訝な表情をつくる。ほんの数分前まで気づかなかった。屋敷から少し離れたところに無数の気配を感じる。1000か2000か正確な数は把握できない。


 犬は本来集団で行動する生き物だ。個の力は、微弱でも、数が――それこそ一万匹集まれば魔神すら屠ることができるのだ。


――地鳴りのような遠吠えが、到達する。

――旋律は波動のように広がり、屋敷を包み込んでいく。オーロラのような極彩色の光が暗闇を塗りつぶす。

――屋敷周辺で蠢いていた影が四散していく。

――窓ガラスが割れて、何かが投げ込まれた。

――地面が揺れて、屋敷が軋む。突然の浮遊感。そして、暗転。とてつもないGを感じる。


 こんなエンドレスフリーホールがあってたまるか。いつ止まるかわからないストレス。身体よりも心がダメになってしまいそうだ。


 こうして俺は、待ち焦がれていた非日常に足を踏み入れた。いや、舞い戻ったといったほうが正しいのかもしれない。


 こうして俺の異世界転移物語は、幕を開けた。

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