第2話 1人は2人。2人は1人。

窓から吹き込む柔らかい風に、視線を外へ送ると、幼馴染みが好きだった花が咲き誇っている。少し前に春の嵐で折れた枝の花すら、満開になっている。儚い癖に、力強い。

「……俺たちみたいだ、か。」

ゼフは笑ってそう言った。

「キザなヤツだな……」

柔らかい記憶をたどっていた時、それを遮るように浮かんでくる痛み。

「っ……」

バッグからボトルを引っ張り出して、喉の奥に放り込む。

「っは」

最後の授業が終わるまで、後20分。メンテナンスは19時から。

そこまで考えてもう1錠口に放り込んだ。

「はぁ」

痛みがだいぶマシになってきた頃、終業のチャイムがなった。荷物をバッグに押し込んで寮への道を急いだ。

部屋に入ってベッドに倒れこむ。

「っ…ぐっ」

すぐに薬の効果は切れて、痛みが強くなっている。

薬をなんとか飲んで、布団を被る。携帯端末でアラームを18:30に設定して床に放り、目を閉じた。広がる闇はどこまでも暗い。


部屋のドアを叩く音に、目を開ける。

鈍い様な痛みに顔を顰めながらドアへ向かって、音の発信元が思ったより低い事に気がつく。

「レン兄!!!」

ドアの先にいたのは、最近幼稚舎を卒業して寮にやってきたウェポンズ、リテだった。

「リテ?どうした?」

「空賊よ!!!空賊が出たって!!!」

興奮気味に話す小さな少女に合わせてしゃがみ、その頭を撫でる。

「リテ、静かに。」

「あ、ごめんなさい。」

「あぁ。で?空賊?」

「うん!アルナ姉ぇが、戦ったって!」

「そうか。」

「談話室でお話ししてるよ!!」

立ち上がり、リテの手をとって談話室へ向かう。痛みで歩くのも辛いレンに気がつき、そわそわと走り出したい衝動を、必死に抑えているリテに、微笑んでありがとうと伝えると、満面の笑みが返ってくる。ゆっくり歩いてたどり着いた談話室には、おそらく任務に行っていないウェポンズの殆どが集まっている。

「アルナ姉。」

「レン!!」

「空賊と交戦したのか?」

「えぇ、でも逃しちゃったの。飛行船もすごーく速くて、強かった。」

この大陸での交通手段は、殆どが道を選ばない大小の飛行船。湿地帯が多く、大きい街は整備されているが、市街地や小さな町村では行き届いていない。車やバイクの類いは、相当腕に自信があるか、その物の品質が良い、値が張る物でなければ使い物にならない。その点飛行船は大陸全土で発展し、格安の1人乗りのものから、軍が使う超大型飛行船まで、様々な物がある。

軍の飛行船は兵士やユーザー、ウェポンズ以外にも様々な物資や貴金属、武器を積んでいるため、賊に狙われることもある。ほとんどの場合、制圧されて盗まれることはないが。最近、勢力が拡大してきたのが空賊で、独自の飛行船を持って、飛行している状態で軍から積荷を盗んでいくという。

つまり、交戦する事がほとんど無いのだが、たまに戦闘になる事もある。戦闘になればやはり制圧される事が多いが、一部の空賊は逃亡していると言うから噂にもなる。しかも一度や二度では無いのだ。

「いいなぁ、会ってみたい」

「空賊は危ないのよ!」

みんなが口々に騒ぐのも分かるが、物資を取られて困るのはウェポンズも同じだ。

「空賊ねぇ……」

「レンも気になるのか?」

「いや、迷惑だと思って」

「ははっ、確かにな…っとお前メンテナンスは?時間平気か?」

「あぁ、そろそろ行く」

「おーいってらー」

談話室にいたウェポンズに見送られて、寮に隣接しているメディカルラボへ足を向けた。


「楽にしてねー」

「始めるよ」

機械音が響き、横になったベッドの上をアームが稼働する。いくつかの注射と点滴をされて、最後にいつもの薬を貰って、約2時間でメンテナンスは終了した。

身体が軽くなって、痛みもない。思わずホッと一息ついてしまう。このメンテナンス終了後に痛みが残ると回数が増える。それは身体が相当消耗している証拠で、メンテナンスの回数が規定以上になると、寮の地下にある部屋に入れられてメンテナンスも受けられず痛みと孤独を感じながら死んで行く。そんなのは絶対に嫌だ。

レンはまだ踏ん張っているところだ。

メンテナンスの担当者に声をかけて、出て行こうとすると

「あ!メンテナンス終わりに寄るようにヤロック博士が言っていたよ」

「っ……わかりました」

メンテナンスルームを出て、出口ではなく奥に進む。階段を上がって一番奥の部屋。

「博士。レ……俺です。」

扉の向こうから、聞き慣れた老人の優し気な声が響く。

部屋に入ると何十、何百もの本や資料の束が積まれた景色の中に、埋もれるように机が見える。そこに座る白衣の男。ヤロック・ディストールド博士。白髪の多い髪を耳の下で切りそろえ、眼鏡の奥の嫌な光で濁った黄緑の双眼はレンを見てニッコリと細められた。彼は自分がレンと名乗ることを酷く嫌う。

「座って」

見ていた資料を片付けながら指された、埋まりかけのソファに座る。

博士はこちらを見ると、またにっこりと笑みを浮かべた。

「調子は良い様だね。」

「はい」

「あの方との共鳴率も、順調に上がっているみたいだし。感謝しないとね。」

「は、い」

「しかし上がり方が緩やか過ぎるね。もう少し頑張らないと」

「……」

「もっとあの方の側にいなさい。もし今後もこの調子なら、あの方のお部屋に移動させていただきなさい」

その言葉に、あの時の2週間を思い出して震えた。

「っ!そんな必要は無いです!」

「それは君が決める事じゃ無いよ」

冷たい声だった。優しい音の癖に、威圧感がある。

大きな溜息の後立ち上がり、ソファに近づいてくる。

「君は」

大きな動きで肩が掴まれる。

「何もせず、何も考えず、ただ我々の決定に従って生きていれば良い。いいね?呪符は使われたくないだろうし、我々も使いたくない。」

目の前でニッコリと笑みを浮かべ言われると言い様の無い恐怖が包んでくる。

「…は、い」

「……まったく……また忘れたのかい」

呆れた様に背を向ける。

「君は……なんだい?」

「……計画の唯一の成功例。レンの……模倣品、です」

「そう!!!君は偽物!偽物なんだよ」


マクガフィン計画。

全人口の2%しかいないウェポンズ。しかしその重要性はかなりのもの。数も少なく、短命なウェポンズは、母親がウェポンズ、父親がユーザーの場合、出生率が少しだけ上がる事から、そのパターンの夫婦を対象に大規模な極秘実験が計画された。パターンに当てはまり、体外受精を行う予定の夫婦、AからZの26グループが作られた。1グループ100組、全2600組の夫婦が知らぬ間に、計画の被験者となっていた。体外受精のために一度採取された卵子と精子は研究所で人工授精され、切断。その中で正常に分裂したものの片方を母体に戻し、もう一方は研究所で人工的に。ここまで行った実験体は約1/8の324組。母体に戻り誕生した実験体をα、研究所内で誕生した実験体をΩと呼んだ。α、Ω共に誕生したのはさらに約1/5の62組。さらにα、Ω共にウェポンズだった実験体はN37実験体レン・ラフレランスの1組のみだった。

大規模に行われた極秘実験だったが成功例が1組とあまりに悲惨な結果に計画の見直しが言い渡された。

そんな中、成功例のα体とΩ体は、研究員の予想を超えた繋がりを見せた。

テレパシー。意識の共有。

二人は深層心理、精神を共有し、お互いの身体に意識を交代させて遊んでいた。

研究は再び日の目を見始めた。そして2人の意識の共有を使った実験は何度も行われ、ついにはα体を研究所へ誘拐するという強行が行われた。表向きは未だに、行方不明となっている。

「君は、α体であるレンがいてこそ価値がある。α体のレン。彼が価値があるのだよ!!君は偽物。Ω体の君だけでは何の価値もないんだよ」

α体、Ω体ともに6歳を迎えた年。黒き者によって流行した病、黒煙病。皮膚に黒い痣が浮かび、煙のように全身を覆う、痣以外の症状は発熱と嘔吐。そして死に至る病。α体のレンが発症した。研究室から出てもいなかったが、ある日発症していた。それからは2週間持たずに、亡くなってしまった。

「あの日レンが死んで、計画は完全に停止を言い渡され、実験体の君ももちろん廃棄処分が決まっていたんだよ?」

「はい」

「そんな君を助けてくれたのはどなただった?」

「……博士とレン…それからパートナーの」

「そう!!!わかっているのなら感謝しなさい!」

勢い良く振り返って肩をつかまれる。見開かれた瞳は濁った黄緑。吐き気がする。身体が震え、重い。冷たくなっていく。言うことを聴かない。恐い。

「いつもの 『感謝の言葉』をやっていないんだね」

「っすみませ…」

「では、思い出そうね!さぁ!言ってみて?」

「…………れ、レン様、あなたの名前と人生を奪い生きることをお許しください。あなたのすべてに感謝いたします。博士のご尽力とやさしさで今日を生きれることに感謝します。価値のない偽物が生きることをお許しください。」

口からこぼれる言葉に、心が死んでいく。目の前が暗く、色を失っていく。

レンと名付けられこの研究室で育った自分。本物も偽物もなかった。自分はレンだったのに。突然もう一人のレンが現れて、突然偽物と言われて。

「今日から毎日行いなさい。朝起きた時、食事をとる前、眠る前に。わかったね」

「はい」

「君は、私や、あの方が見捨てたらどうなるんだい?」

どうなる?どうなるんだ?そんなの

「処、分」

震えが止まらない。

この人が、あの人が居なきゃ、生きられない。見捨てられたら、生きられない。

死にたくない。

「わかってるね。」

「はい」

「それならいいよ。寮にお戻り」

「はい。失礼します。」

ソファから立ち上がるのも怖かった。ノブに手をかけ開けた瞬間

「あぁ!それともう一つ!!」

大きく体をビクつかせながら、振り返る

「は、い」

「ここ最近、1年ぐらいかな?」

眼鏡の奥で黄緑の目がイラつきに染まる。

「運命の絆なんていうふざけた迷信に興味を持つウェポンズが増えてきている。」

それは、死んだ幼馴染の夢をみんなが知ったから。

「くだらない迷信の根源は、あの古びた絵本だろう?君が、処分しなさい。早急に。良いね」

「はい」


外は澄んだ星空が美しく、冷たい風に木々が撫でられていた。

ようやく息ができる。

「はぁ」

寮に入ると

「レン!」

「おかえりーレン!」

「遅かったなぁレン!」

みんなが待っていて、みんながレンと呼んでくれる。

「あぁ、ちょっと……博士と話してて」

「えーヤロック博士とお話したのー」

「いいなぁ」

「レンはお気に入りだからな」

みんなの声が遠ざかる。

「すまない。明日早いんだ。部屋に戻るな」

「お、そっかーおつかれー」

「おやすみー」

みんなに手を振って、部屋に戻る。

部屋は暗く、空気は冷たく冷えていた。人が居なかったのだから当たり前だが。

2年前は違ったのに。そこまで考えて嫌な思いが頭をよぎる。

『君はレンの人生を奪って、みんなを騙して生きているんだよ』

「ゼフ、も……『レン』の」

ぽつりとつぶやいた言葉が、やけに心を抉った。

『みんな僕のだよ』

頭に響く声。蹲る。

何もない。自分には何もない。この寮にいるウェポンズたちも、ゼフも、懐いてくれている幼稚舎の子供たちも、みんな『レン』のもの。

極秘実験だったのだ。『レン』のことは、博士と当時の研究員、そしてあの男以外は知らない。知られたら、そう思うと怖かった。騙していたと言われる。見捨てられる。でも、知ってほしいとも思う。知って、認めてほしい。本当の意味で、みんなに認めてほしい。そして

「助け…て」

助けてほしい。



『ねぇ、交代して』

光の中にいる子供に言った。振り向いてこちらを見た顔は、鏡に映したようにそっくり。しかし

『いや!』

性格は反対。

活発で明るくおしゃべりなレン

おとなしくて静かなレン

2人の深層心理は繋がって、光の中に立った方が『外』に出る。2人はお互いを交換して、遊んでいた。暮らしていた。

いつからか、2人とも『レン』になりたがった。

1人は両親に愛情を注がれ暮らして、暖かい食事を食べて成長した。毎日外で友達や家族と遊んで、欲しいものがあれば買ってもらえて、買ってもらえないこともあって駄々をこねて怒られて。でも愛されてた。

1人は白衣を着た研究員に囲まれて暮らして、冷たい固形食と薬を食べて成長した。毎日真っ白な壁に囲まれた部屋で1人で遊んで、欲しいと思えるようなものも知らなかった。

レンは、レンになりたかった。2人とも、1人になりたかった。

「ねぇ、僕いつおうちに帰れるの?」

二度と開かなくなった扉の向こうで、声がする。

「知らない」

博士たちはみんなレンにかかりっきり。

『お前はここにいろ』

『レン、何にも悪くないよ。この偽物が悪いんだ』

彼らにとって価値あるものはたった一つ。だから、もう自分はここで息をしていれば良いだけのもの。

「なんでよ!すぐ帰れるって言ったじゃん!!」

レンの身体がここに来ることになったあの日。

誰かからもらったウサギのぬいぐるみ。それも今はレンの腕の中。

いらないって言ったくせに。

『レン、ほら可愛いだろ?あげるよ』

『いらないよぉ。ウサギなんて』

『あれ?そっかうん。わかった。』

それを見ていたから、変わってと頼んだ。嫌だというレンにじゃんけんに勝って、ようやく変わってもらう。

『———、』

『ん?あ、もしかして、レン?』

『うん。』

『ははっやっぱりな。レンはこれ好きだろ?』

『うん。』

『よかった。はい、プレゼント。』

『ありがと』

笑っていたとは思い出せるのに、顔が、名前が思い出せない。大好きだった人。

再会したその日ウサギのぬいぐるみを取り合って、レンが泣いて、ここに閉じ込められた。

「知らないもん」

外では、レンのバースデーパーティーの準備ができている。見たこともなかった『ケーキ』って食べ物や他にもいろいろ。

そうやって愛されている癖に、家に帰りたい、両親に会いたいと泣く。それなのにあの誰かの名前を言ったのは、聴いたことがない。その癖にウサギは返してくれない。それにもなんだか腹が立って。

「知らないもん」

それから時がたってある日、咽ながら歩く研究員の首に黒い痣があるのに気がついた。博士に伝えてみたが、無視された。そして

『くっそ、点滴を』

『熱が下がらない』

『痣の進行も早いわ』

『もうだめか』


レンは死んだ。


『君の所為でレンは死んだんだよ』

『君は毎日感謝して生きなさい。』


レンは1人になった。





君は俺。

僕は君。


でも

それでも


「俺は……レン、だ…!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る