第1話 明日の約束
耳障りな一定の高い音。
暖かい空気から腕だけで、音の発信源を探って、心地よい闇から意識を引き上げた恨みを込めて叩く。
静かになった時計に、二度寝という誘惑が浮かんできたが、5分後には同じ音が響くのだ。それを乗り越えても、最終的に面倒なことになるとわかっているので、深い溜息を吐いて布団から出た。
時計の隣にあった空調のスイッチを押して、カーテンを開け放つ。本日はどうやら快晴。
雲の一つも無い癖に、少しだけ霞んだ様な青い空は、どこまでも高く遠く広がっている。その空の下、塀の向こうには帝都の街の一部が見えている。規則正しく整備された街は美しい。しかし
いつもの風景。そして、この先ずっと見る景色に興味が失せた瞳が伏せられた。同時に空調が、設定室温になった事を小さな電子音で知らせてくる。
寝巻替わりに着ていた大きなワイシャツを脱いで床に落とすと、指定のシャツを着て、指定の細いリボンを綺麗に結ぶ。綿のパンツを履くと準備は完了。近づいて来たメンタル・ヘルスケアロボットが朝食を食べるように喚いているが、無視してコートを羽織ると部屋を後にした。
4月5日。
まだ風が冷たいこの季節がやってきている。2年前までなら、今ほど冷たさを感じなかったはずだ。
10分ほど歩くと、同じような服装の同じような年頃の男女が、談笑しながら建物へ消えて行くのが見えてくる。
「レーン!!」
後ろから飛んできた声に振り返ると
「オズ……」
「おはよーぅ!!!」
派手な金髪の男子が背後から勢いよく飛びついてくる。
「あぁ」
「あぁって……ま、いいや。早くしないと遅刻だぜ!」
大声で喋る彼は年相応というか、バカなのか。
「お前は日数ヤバイもんな」
「クッソー優等生めーってヤッベェ!!!走れー」
ドタバタと走り出したオズの背中に、淡く影が重なり消えていった。
「はぁ」
遠くで鐘の音が聞こえる。おそらく遅刻5回の彼が、廊下に立っている事だろう。
教室に着くと、予想通りオズは廊下に立っていた。こちらに気がつくとニカッと笑う。笑ってる場合じゃ無いだろうが軽く手を挙げて答えてからドアを開けて入る。
「……ラフレランス、早く席つけー」
気の無い教師の声を聴きながら窓側の席に座り、一応時間である歴史の教科書を開く。と端に小さな落書きを見つけ、意識が2年前に向かった。
「ゼフ!また遅刻になるぞ!!」
「っレン待って!!マジで!!」
「誰が待つか!!!さっさとしろ!!」
幼稚舎からずっと一緒の幼馴染み、ゼフ・ラーセルは明るく活発で、誰からも好かれるタイプだった。ただ勉強が苦手で、いつも成績は下から数えた方が早かったが。同じウェポンズでもレンとは真逆で、でも誰よりも側にいて心地のいい存在だった。
「間に合ったー」
「だから、何度も起こしたろ」
同室だったゼフを何度も起こすのはレンの日課で、それに負けず毎回遅刻ギリギリになるのもお決まりになっていた。
「大陸には私たちが住むこのカヴォード帝国とミラークルム王国があります。二つの国の間には広大な中立地帯が広がり」
「なぁ、レン」
「なんだ、」
「次の時間の宿題見せてー」
「またか。」
「いやー、魔法学苦手で」
へらりと笑いながら言う幼馴染に溜息を吐く。
「この世界では人の心が生み出すマイナスの感情が黒き者を生みます。」
「全部だろ」
「ぐぅ」
授業中に隣から宿題の手伝いを催促されるのも、最早何時ものこと。
「この黒き者は、災厄を招きます。しかし普通の武器では倒すことができません。黒き者にこの世界は苦しめられてきました。そんな中、約1000年前から特殊な人間が誕生しました。全人口の70%はノーマル。普通の人間ですね。」
教師の目を盗んでノートを渡す
「丸写しはやめてくれよ」
「わーい!」
「残りの30%は今ここにいる人たちですね。」
そうここは全人口の30%の特殊な人間達が暮らす区画。
「28%のユーザーと2%のウェポンズです。ユーザーは身体能力又は知能指数、もしくはその両方が非常に高い方が多く、そして何よりウェポンズを共鳴させ、使用出来る唯一の人間です。そのウェポンズはさらに特殊な人間ですね。ユーザーとの共鳴によって、その姿を武器に変えます。このウェポンズだけが黒き者を打ち倒す事が出来るのです。」
教師の熱弁を聞き流しながら、いつも通りの時間を過ごした。
「授業中失礼します」
午後の授業が始まってすぐ、軍服の男が教室に入ってきた。
「あ」
ゼフの声が聞こえて、ガタガタと荷物をしまう音。そして
「行ってきまーす」
ウェポンズ達は既に全員が任務に就いている。2%しかいないのだからいつでも不足しているのだ。呼び出しがあればすぐに黒き者との戦いに赴く。
「気をつけて」
ウェポンズは表面上は崇められている。産まれてすぐに診断を受け、ウェポンズの判定が出た時点で設備の整った施設に親と入るが、神の子として3歳で親元を離れることになる。ウェポンズの親や兄弟は、神の子の家族として様々な待遇が受けられる。
が実際には、ウェポンズは親の顔を覚えておらず、激しい痛みと苦しみの中、親の知らない場所で死んで行く消耗品だ。黒き者もウェポンズも心、精神の塊である。それがぶつかり合い傷つけ合うのが戦闘なのだから、繰り返し戦闘をすればウェポンズは壊れてしまう。さらに共鳴という作業が、ウェポンズの精神を傷つけていく。共鳴率が30%あれば、無理やりウェポンズは武器化出来るため、ウェポンズ1人に平均して20人程度のユーザーがいる。全てのユーザーにウェポンズは精神を合わせていかなければならない。実際ウェポンズ達は短命で、30歳まで生きた者はいない。日々の戦闘で傷つき、12歳前後で全身を痛みが包むようになる。2ヶ月から1週間に一度、メンタルメンテナンスを受け、薬を飲みながら過ごすのだ。
ゼフもレンも今は、2週間に1回のメンテナンスを受け、薬を飲んでいる。メンテナンス3日前からは痛みで眠れないことも多い。それでもウェポンズ達は、お互いに支えあいながら耐えている。
午後11時。
任務を終えてゼフが部屋に戻ってきた。しかし、その姿は元気なものではなかった。
「っ……レン、起きてる?」
「ん、なに?」
「薬まだ余裕ある?」
「ちょっと待って」
ベッドの棚にある薬のボトルを開けて中を確認する。メンテナンスまであと5日。持ちそうではあるが余裕は無い。しかし
「っぐ!」
蹲る幼馴染みに考えている余裕も無かった。
「ゼフ」
「平気か?」
「今日の分は飲んだし、まだ余裕がある」
「ごめんな。ありがとう」
「気にするな。先月は俺が借りた。」
そう言って2人で笑った。
痛みがどうにか収まり、ベッドに入ったのが1時を少し過ぎた頃だったが、廊下や外から足音や小さな声が聞こえている。ウェポンズ達の住むこの寮では、薬を借りに来る者や部屋で痛みに耐える者で夜でも静まり返ることはない。
「なぁレン。」
「なに?」
「なんで俺たちだけこんなに痛い思いしなきゃならないんだ?」
「……さぁな。」
なんでかなんてわからない。
「なのになんで消耗品扱いで、痛いって言うと使えないとか言われんだ?」
「さぁな」
ユーザーはウェポンズを物だと思っている者が多い。
「なんで絵本の運命の絆は無いんだ?」
「さぁな」
幼稚舎の頃、ウェポンズの誰もが読み、夢見たであろう絵本。
1人のウェポンズと1人のユーザーには、唯一無二の絆がある。そんな話が書かれた、ボロボロの絵本。年齢を重ねてそんなものが無いと分かってしまった。
「……本当に無いのかな。」
「え?」
「運命の絆」
しかし、自由に入れる幼稚舎の自由に入れる遊戯室にあるその絵本を、捨ててしまおうとした者がいない理由は、背表紙が切れても直して置いてある理由は。
心のどこかで信じているからだ。
「レン、覚えてるか?俺たちの約束」
「あぁ」
「「いつかユーザーを全員ぶっ潰す。」」
「そんで」
「「ウェポンズだけの国を」」
そんな約束は叶わないと分かっている。それでも、明日を生きるための「支え」としてどうしても必要だった。
「レンはすごいな。パートナーシップとれたんだろ?」
3年も前から選ばれていたパートナーシップ。特定のユーザーとだけ任務を組める制度で、ウェポンズの中でも優秀で、パートナーを特定してでも消耗を軽減させ、使える期間を延ばす価値があると判断された場合に適応される。パートナーが1人に特定されるので、共鳴率を上げることもできる。最年長だったウェポンズが28歳まで保ったのは、この制度の賜物となっている。
「別に……」
30人程度の常時応募から共鳴率の高いユーザーが選抜され、能力の高さで最終的に1人に絞られる。そこにウェポンズの意思は、入らない。
「なんだよ別にって」
「え?」
レンは自分のパートナーになる相手が予想できていた。そしてその予想は当たっている。
「そりゃレン様は優秀ですからね。一発で選抜されますよね。むしろ今までされてなかったのが意外なくらいですよね」
「ゼフ、俺は」
「しかも?レン様が優秀すぎてお相手は軍トップの方が直々にって話だろ?すげぇよなぁ!!!!!」
初めて見た幼馴染みの怒りと涙だった。
ゼフはレンよりも早く選考に上がっていた。しかし毎年決まらず、レンが先に決まってしまったのだ。ウェポンズにとって痛みが和らぐことも、死の恐怖が遠ざかることもある。パートナーシップは喉から手が出るほど欲しい制度。それを横から奪ってしまった状態だった。
「……ごめん」
それ以外の言葉が見つからなかった。レンがゼフを選んでくれと言っても、聞いてもらうことなど出来ない。どうにも出来ない。ウェポンズが意見しようとすると、痛みで我を失ってるなどと言われるし、呪符で拘束されれば眼が覚めるのは全部決まった後だ。ゼフも分かっているだがだからこそ、怒りが強くなるのだろう。
「裏切り者」
その言葉に思わず手が出て、ゼフの頬を叩いていた。
「俺にどうしろって言うんだ!!!!」
叫んだのも初めてだった。
レンもゼフもメンテナンスが1週間に1回になっていた。もう痛みの無い日が珍しい。そんな状況だった。
「……すり」
「え?」
「薬寄越せよ。お前にはもう必要ないだろ」
虚しい喧嘩だった。馬鹿馬鹿しい要求だった。
パートナーシップが正式に決まった日、レンは薬をゼフに渡した。何も出来ない罪悪感だったのか。幼馴染みを助けたい偽善だったのか。わからないがその日から新しくもらった薬も全て、ゼフに渡し続けた。
レンが2週間部屋に戻らないことで、いい加減ゼフが心配した頃、帰ってきたレンは部屋に入ってすぐに倒れた。
仲間がベッドにあげようとしたが、激痛に暴れるレンを抑えることもできなかった。
「レン!!レンしっかりしろ!!!飲め!」
ゼフが薬をなんとか飲ませたがレンは痛みに3日苦しみ続けた。
「っ……」
「レン?」
「ゼ、フ……?」
叫びすぎて掠れた声と、痛みに潤んだ瞳が漸く幼馴染みを捉えた時、ゼフは神に感謝した。
「レンに何が……だってパートナーが」
ゼフはウェポンズの仲間に聞いて回った。
2週間もの間、レンは任務続きだったこと。パートナーの男は、レンが抵抗すると殴ったり、首を絞めたりしていたこと。逆にレンが命令を遵守したり、戦闘成績が上がるととても優しく褒めていたこと。しかし、毎日のように呪符で拘束されていたこと。メンテナンスにすら、行かせてもらえていなかったこと。
聞いてみればパートナーの男が異常者なのはすぐに分かった。喧嘩なんてしてなければ、もっと早く分かっていたはずだった。
虚しい喧嘩の所為で、幼馴染みの危機に何も出来なかった。いや、それどころか逃げ道を奪っていたのかもしれない。
「レン」
眼が覚めたレンは、そそくさと任務の準備を始めた。未だに青白い顔のままだというのに。
「平気だ」
「レン!」
「平気だ。大丈夫」
「大丈夫じゃねぇだろう!!」
漸くこちらを見たレンの手を掴み、ゼフは部屋を出た。
「ゼ、ゼフ、俺戻らないと」
「いいから!」
着いたのは
「幼稚舎……?」
「ここ最近来てないだろ?俺は来てたけど」
ズンズンと中に入っていくと、子供達のいる遊戯室に入った。
「あ!!ゼフ兄!」
「また来たのー?」
「あー!!レン兄もいるー!!」
元気な声にレンの目に光が灯る。
「久々だー」
「待ってたよー」
「レン兄聞いてー成績一番だったー」
「見てーレン兄ー」
集まって来た子供達に囲まれてレンは涙を流した。
「レン兄?」
「なんで泣いてるの!?」
「うん、みんなに久々に会えて嬉しかったから…みんないい子だな。すごいな」
子供達を撫でて、たくさん話しを聞いて笑って。寮へゆっくり帰る。
「ゼフありがとう。」
「いや、ごめんなレン。その、2週間何があった?」
「2週間か……毎日殴られて、首絞められて、いつなんだかも、何日あいつと居たかもわからない。何が何だか分からなくなって……あいつしか居ないって思うようになっていって。こ、わかった」
「……ごめんな。でもレンのおかげで俺決めたよ」
「え?」
寮に戻るとゼフはウェポンズ達を談話室に集めた。そして
「みんな聴いてくれ!!!俺とレンにはずっと昔から夢がある!」
「ちょっ!?ちょ待って!?」
「ユーザーを全員ぶっ飛ばして俺たちを、ウェポンズ達を全員解放する!痛みも苦しさもない俺たちのウェポンズの国を作るんだ!」
ゼフの声が響いた後。静まり返る談話室。そして
「じゃぁ、レンが王様?」
寮内最年少の一言に
「え!?」
「なんで!?俺じゃない?そこは俺じゃない!?」
笑いが起こる。そして
「そーだなぁ、ゼフは政治って感じじゃないしなぁ」
「たしかにっ」
「でも、ま」
「楽しみにしてる!」
皆が話し始めたのは、明日を生きるための小さな、それでも確かな約束の話。
「じゃ、行ってくるなーレン無理しねぇで寝てろよー」
「あぁ、行ってらしゃい」
午前中に呼び出され、任務へ出て行ったゼフを見送った。
レン自身は、パートナーからの暴行に耐えながらの日々が続いていたが、ゼフや仲間たちのおかげで何とかなっている。
「ふう、」
薬も飲み、痛みもだいぶ収まって眠りについたのが13時を少し過ぎた頃だった。
激しいノックの音に目を覚ました。時刻は0時少し前。
嫌な予感がしたし、ドアを開けた先にいた同い年の少女の表情に、ただ事ではないと分かった。
「ゼ、ゼフが」
零れ落ちた言葉に、談話室へ急いだ。
いつも暖かい光に溢れた談話室は、泣き声に染まっていた。
談話室のテーブルに置かれた真っ白な紙。たった2行の黒い文字は、何の感情もこもっていない癖に、あまりにも大きな衝撃を与えてきた。
『本日 死亡者』
『ゼフ・ラーセル』
レンは軍上層部のパートナーの部屋へ走った。
仰々しい巨大な扉の前で聞こえてきたのは
『痛みで暴走し、制御不能。及び再使用不可能と判断。暴れるので足手まといにしかならなず、その場で処分決定しました』
淡々と。いや、むしろ面倒だという雰囲気をにじみだした声にノックもせず扉を開ける。部屋にはあの男と欠伸をかみ殺した顔の男、やる気のない顔の男。
「き、貴様ら…!!!」
「あ?」
「よくも…よくもゼフを!!!!!」
殴りかかった身体が床に叩きつけられた。押さえつけてきたのはあの男。立って話していた二人の男は獣でも見るように見下してくる。
「んだよ、コレ」
「ゼフは!メンテナンスを2日後に控えてたんだ!!唯でさえ痛みが酷かったんだ!!皆に薬を分けて!!自分は耐えてたんだ!!!なのに、なのに!!!なんで、なんでゼフを見捨てたんだ!!!!!」
喉が痛かった。みんなの希望だった。明るくて、優しくて。いつでも明日を見て。明日の約束を、希望を皆に。
「なんでだ!!!!」
「はぁ?使えねぇウェポンズなんていらねぇし。イタイイタイってうっせぇし」
「つか、あれが勝手にのたうち回って落ちてったんだよ!」
「…おち、た?落ちたって」
「崖から落ちてったよ」
目の前が真っ暗になった。幼馴染のあまりに悲惨な最後に。
ユーザー達の残酷さに。
「…してやる」
「は?」
「殺してやる!!!!!!!!!!!!!」
あの後。
ユーザー2名を半殺しにして、呪符で拘束されたレンがようやく解放された頃。
ゼフの埋葬は終わっていた。
名前も彫られずに、空っぽの棺が小さな墓地に埋められた。
「ゼフ、ごめん。」
レンは、掘り返された跡だけが目印の幼馴染の墓に花を添える。
「でも、約束だ。」
本日はどうやら快晴。雲の一つも無い癖に少しだけ霞んだ様な青い空は、どこまでも高く遠く広がっている。
「必ず……叶えるよ」
お前の本当の夢を…
部屋に残されたゼフの日記。
そこにはユーザーを全員ぶん殴るともウェポンズだけの国を作るとも書かれていなかった。
そこにあったのは
『—————ウェポンズ全員に運命の絆が見つかって
———————————幸せになれる明日が訪れますように——————』
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