突然始まったルーナとの生活1/2

〈ノーラ視点①〉


アタシはノーラ。

この辺境の街ノルコットでこじんまりとした、しかし由緒のある商会を代々営むタイト家ーーその跡継ぎ娘として、皆に期待され産まれたアタシ。


この身に降りかかるプレッシャーが重くなかったか、と問われれば…安易に否定することが出来ない。

経営というものはいつだって、やり手の手腕が試されるものだからさ。


だから、幼少期は皆に認められようととにかく必死だった。

将来のためだと周囲から与えられた課題も、全力で挑んでその全てを完璧にこなしたし、父さんの書斎にあった書物も片っ端から読み漁って、知識を豊富にしておこうとコツコツ努力を積み重ねたりもした。

とにかく全てにがむしゃらだったね。


まあその甲斐あってか、同じく商家の息子だったカイルと結婚して無事タイト商会を継いだ後には、なんと売上がうなぎ登り。

今や、ノルコットで1番栄えている商会だ、と巷で言われていたりもする。

自分で言うのはかなり恥ずかしいが。


お陰様で毎日が多忙を極めているんだけど、まぁそれはとっても贅沢な悩みなんだろうね。

仕事があるからこそアタシたちは食っていけるんだ。


さて、そんな忙しくも代わり映えのない日々に終止符を打ったのは、ほんの数日前の事だった…。





*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*





夕飯の買い出しに行こうと、アタシと同じような目的の買い物客で人の往来が激しい商店街を、市場に向かってのんびり歩いていると、少し先に、奇妙な人間の空間がポッカリと空いているのが目に付いた。

ーーまるで、そこにある何かを避けるかのように。


歩くのが邪魔になる程ではないものの、あっちこっち動き回る余裕は無いくらいに人通りが多い道なのに…あそこだけ人がいないなんて、それは明らかにおかしいのだ。


アタシは、道に流れる人の波を無理に掻き分けたような、その不自然極まりないスペースが、どうしようもなく気がかりになってしまったのだ。

今思えば…それが運命だったのかもしれない。


向こう側からこちらに進みゆく人々を強引に押しのけて、そこへと歩み寄る。


はあ、何とも皮肉なことだ。

これは…ずっと昔から密かにアタシのコンプレックスだった、人より随分と抜きん出たこの身長がようやく活かせる瞬間だね。

なぜかって言うと、アタシのような野次馬も一定人数いるようで、人の壁が既に形成されているような状態だったからさ。


そして、その壁の外側から見下ろすようにして覗き込んでみる。


ーーそうすると、何と、その隙間には一人の幼子が見えた。

全くの想定外だったそれに、思わず目を見張ってしまう。

気がかりにはなったものの、アタシゃてっきり、どうせ野良猫がゴミを漁っているとかだろう、とすっかり思い込んでいたんだ。


あの子は、肩下くらいの髪の長さだから女子おなごなのだろう。

まあ多分だけどね。


彼女は、ワンピースタイプの服を身にまとっている。

まあ、今すぐ布地が破れてしまってもおかしくないほどにボロボロだから、元の形は違うかったのかもしれないが。


色白を通り越して血色が悪いその体のそこらじゅうに、痛々しい痣や傷跡を刻みつけていた。

しかし、青くなった打撲跡やかさぶたを全身に背負っていても、それを気にする様子をうかがわせないーーいや、それどころか、瞳を爛漫と輝かせながら、興味津々な様子であっちこっちをキョロキョロ見ているではないか。


アタシは、そんなあの子の可愛らしい姿に、潜んでいた母性が刺激された…気がした。

カイルとの間に子が出来なかったから、すっかり消え去ったのだと思っていたけどーーやっぱりアタシもれっきとした女だったみたいだね。


傷だらけの一見哀れな姿をして、あんなに愛くるしい表情を見せられると…アタシのこの手で優しく包み込みながら守って、立派な大人になるまで育ててやりたくなってしまう。


ーーあの様子を見るに、頼れるような身寄りは無さそうだから、余計に。


ポツポツと沸き立ち始めた心を一先ず押し込んで、辺りを軽くさっと見回す。

ひそひそと会話を交わす家族連れ。あの子を鋭い目付きで睨みつける若い女。一定距離を保ちながらもジロジロ眺めながらせせら笑う男共。


ーーどうしてみんな揃って、あの子を受け入れようとしない?

だっておかしいじゃないか。

確かにアタシみたいな反応は異常かもしれない。

それでも同情こそすれ、貶む理由などないはずなのに。


「ノーラ!」


突として、後ろから耳慣れた可愛らしい声が聞こえて来て、アタシの思考は遮られてしまった。


ーーはぁ、全く面倒くさいねぇ。

だけど、いくら気心知れた相手であっても、視線を合わせないまま返事するのは失礼に相当する行為だ。

親しき仲にも礼儀あり、自分が持つモラルを無下にする程腐っちゃいないんだよ、アタシは。


とっとと動かないとまたネチネチ文句を言われる羽目になるーーそう体に鞭打って、渋々ながら声の主の方へ体を向ける。


「ヘレナ? どうしたんだい。」


そうーー彼女はヘレナ。

タイト商会のあるお得意様夫婦が、目に入れても痛くないほどに溺愛する年若い一人娘だ。

ひとたび街を歩けば脇を通る殆どの人が振り返る、そんな可憐な容姿を持っているため、ノルコットの男性から絶大な人気を誇っている。

長い睫毛に縁取られた濡鴉色の瞳はくりくりと丸っこく、それと対照的に肌は白磁器のよう。

その上、すっと高い鼻、形の良い唇、形の良い眉が顔面に鎮座するーーそんな整った容姿。


彼女は、ご両親とは別に美容用品を買いに度々、幾つかある商会の店のうち、我が家の隣にあるところへやって来るのだ。

店員と客という立場でその都度軽く言葉を交わしている内に、いつしか打ち砕けた仲になっていた、と…まあそういう訳である。


「もぉノーラ、あなたがあまりにもアレに見入っているから声を掛けてあげたんじゃない!

当然分かってるでしょうけど、間違ってもアレに構っちゃだめよ?」


「構っちゃいけない? そりゃまたどうして?」


「えっ…まさかノーラ、あなた知らないの!?」


はぁ、アタシが知らないから聞いてるんだよ、ヘレナ…。


こんな愚問にわざわざ言葉で返事をやるのも何だか億劫だし、何よりも…あの子がそこまで避けられる理由とやらが早く知りたかった。

だから、続きを急かすようにコクコクと何度も首肯する。


「今朝ね、ライアちゃんが久々に家へ遊びに来てくれたのだけど…。

孤児院の子がこの街に脱走してくるかもしれないけれど、それも躾の一環だから放っておいてくれ、って言うのよ!」

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