第5話
あの後、やっぱり人と生活するっていうのが怖くなって、気に流されて思わず頷いてしまったのを激しく後悔したものの…時すでに遅し。
この度、人様のお宅でご厄介になることになってしまった。
むぅ……。
あの人の言葉を全部鵜呑みにしても良いの?嘘ついてるのかもしれないよ?
商店街や部屋で会った彼女は、ノーラ・タイトという名前で、体も心も大柄でがっしりとした女性…私の見たところだけど。
年齢は、一応教えては貰ったけど、まぁまぁ乙女の秘密ということで。
乙女、なんていう表現に見合うお歳かどうかはさておいて、ね。
そして彼女の旦那様。
カイル・タイトといい、この人もちょっと…いやかなり、大きい。
まぁ私がちっさいだけ、というのも多少はあるのだが。
あまりにも私と身長差があるもので、首をかなりゴッキリ上に向けないと顔が伺えない。
そうすると首が疲れて仕方ないし、元々面と向かって会話する気もさらさら…ってことで、現時点でさして問題は出ていない。
ちなみに私は、心の中で密かに彼を「熊さん」と読んでいたりする。
顔もちょっと…なんて言うか、そう、厳つい感じだからね。
実は、我ながらこの呼び名を結構気に入っている。
先ほど、2人に「おじさん、おばさんって呼んでほしい」とお願いされたので、さすがに面と向かって「熊さん」とは言えない。
どっちにしろ、相手を勝手に熊呼ばわりするのは宜しくないと思うけど…ちょっとだけ残念。
やっぱりちょっと警戒していたけど、ノーラおばさんは、私に労働を強制しない。
ても、夫妻はこの家の隣の建物でタイト商会を経営しているそうで。
今急成長中でかなり勢いのある商会で、本音を言ってしまえば猫の手も借りたいくらい使える人手が足りていないんだ、とおじさんは嘆いていた。
それを聞いた時、やっぱり私に働けと暗に言っているのではないかーーと冷や汗が流れた。
しかしそれを分かってるかのように、「別に、これは嫌味とかじゃ無いんだがな。」と彼が続けたので、思わずホッと安堵してしまった。
ーー家に住まわせてもらっている分際で生意気だ、と自分でも思う。
だから、私は店口に立つのは真っ平御免だけど、部屋でちまちまとする作業なら手伝えるーーそういった内容のことを、途切れ途切れながら彼らに伝えると、2人揃ってぎょっと驚いた目になった。
…やっぱり私じゃ役に立たないんだ。
こんなに小さいんだもの、猫の手にすら及ばない、って言われても納得出来る。
しかし、2人は顔を見合わせてから微笑み合って、私がそう言うならば…と多すぎず少なすぎずな丁度いい量の仕事を回してくれた。
ーー早く2人に、私は使える子だって、あの時拾って良かったんだって思ってほしい。
そんな心持ちでここ2、3日、部屋に引きこもりながら一心不乱に作業をした。
だって、一回役立たずの烙印を押されてしまえば、いつここを追い出されるか分からない状況に突っ込むことになるから。
ところがどっこい、だ。
ここに来てから食事や休憩もろくにせず、与えてもらった部屋でひたすら作業をする私を見るに見かねたのか、ノーラおばさんがほんの数時間前にこの部屋を訪れて、
「毎日3食しっかりとご飯を食べないと、そのガリガリに痩せ細った体が成長しないじゃないか。
ルーナ、アタシたちは毎食、準備が出来たらアンタを呼びに来るからね!」
なんてことを大声で宣言した。
私がその剣幕に抵抗できるはずもなく、急な宣告に緊張しながらこくりと小さく頷いた。
すると、彼女はニッタリと満足そうな笑みを浮かべて、ご機嫌な様子で部屋から去っていった。
その嵐のような一連を飲み込めきれない私は、へなへなと床に座り込む。
私の頭から、先ほどのノーラおばさんの満たされた表情がこびり付いて離れれない。
あの時、ライア先生が見せたーー私のくたばる姿を見てようやく顕にした、あの可憐な笑み。
ーー私の中で、ノーラおばさんのライア先生の影がゆっくりと重なっていく。
容姿や性格、話し方…全くと言っていいほど2人には共通点がない。
だけど、あの表情には、裏に一体どんな恐ろしい感情が秘められているのか分からないから…。
「恐怖心」という形で2人が緩く繋がる。
ノーラおばさんに対して感じていた恐怖心はライア先生のそれと比べればそりゃあ可愛らしいものだ。
だからまだ…イコールにはならない。
『彼らに溺れてはいけない、決して』
私の本能が、緩みかけた心にグサッと釘を深く深く刺す。
そうだ。
私は、いつここに居られなくなってもおかしくはない、際の状況に立っている。
「やっぱりこんな子は要らない」とノルコット孤児院に強制送還、というのだって充分考えうる道の一つ。
それとも、ひたすらに暴行を受ける人間サンドバッグとして、彼らのストレス発散に使われる?
ーー全く、未来の可能性を考えるとキリがない。
誰にも言ったことが無かったけれど、実は奏がずっと食べてみたいと思っていた、チョコレートファウンテンのように…次絶えることなく、次々と溢れる。
私はいつだってそうだ。
普通に周りと同じような思考回路を持っているし、別に根源から心が腐っている訳ではないーーと、自負している。
しかし、ひとたび思考の渦に巻き込まれれば、たちまち負の感情に支配されてしまう。
だから多分、彼らを疑う気持ちは永遠に無くならないーー否、無くしてはならない。
相手に警戒しながら日々生活するのは不躾な事だと、そう分かっていても。
止めようと思ったって…そう簡単に止められるものではないから。
でもね、本音を言うならば、私だってーー
「ルーナ…? 飯の時間だぞ」
音もなく、カイルおじさんがにょっきりと部屋に入ってきた。
軽くトントンとでいいから、ノックくらいしてくれたらいいのにな…。
仮にもレディがいる部屋なんだからーーいや、精神年齢だって13な訳だけど。
というか私、床に座り込んでるままだし。
恥ずかしい姿を見られて、ほんのちょっとだけ顔が火照るのが分かった。
「…はい」
はぁ、何が楽しくて人と対面しながら食事をとらないといけないのか。
緊張するわ怖いわで、折角のご飯の味が分からなくなったら、一体どうしてくれるんだよ…?
さて、ご飯の味は仕方ないとして。
この家の建物で、ここ、私に与えられた部屋は2階にある。
そして、夫妻共同のリビングと思しき部屋は1階。
家の中を案内してもらったが、台所や食卓はその部屋にあった。
だから、食事をするためには階段を使って階下の部屋へと下りる必要があり、その階段を上り下りするのが、この無駄に小さい体にとっては物凄くだるい所業なのだ…!
うぅ…ご飯なんて1日3度も、そんなに沢山要らないのになぁ。
「ほらほら、お腹空いたろ?
早く席につきな!」
パンパンと手を叩く軽快な音、パワフルで明るい声と共にノーラおばさんが私達を出迎えてくれる。
食卓には、何枚かに薄くスライスされているフランスパン(生憎ここでの名前は知らないが)と、鮮やかな彩のサラダ(これも然りだ)、それからほかほかと湯気がたっている具材ごろごろスープ。
どこか知らない国の民族料理みたいな、見た目が強烈な感じの、ちょっとおかしな料理が出てきたらどうしよう…なんて心配していたけれど、これは見たところ基本的に日本と同じような雰囲気。
あぁ、良かった。
「さあさ、召し上がれ!」
その言葉を合図にして、早速2人はガツガツと食事を始めた。
取り敢えずね、発育急進期の男児か!?ってくらいに食べる勢いが凄いんだよ。
そんな中、何かが心につっかえて、未だ手を付けていない私。
ーーああ、そうかい分かったよ。
「いただきます」なんて、言わないんだ。
パズルのピースが1枚欠けているような、あるはずのものが無い物足りなさを感じつつも、違和感が拭えた私は机上に並んだスープを持ち上げ、そっと傾ける。
すっ…
んぐっ!?
うわっ、だめだこりゃ、味が薄すぎるって!
人が作って下さったご飯にケチ付けるのは失礼過ぎるってのは充分承知だ。
でも、それほど日本人として育った私にとって耐え難いような物凄い代物だったのだ。
恐らく、適当に切った野菜を水に入れ、鍋で煮たそのままを皿によそったのだろう。
調味料の類の味が全くしない。
これじゃあ、ただの野菜の水煮だよね…?
ライア先生に貰ったパンは固すぎて味が分からなかったけど、もしかしたらこの世界の料理は…
見た目の雰囲気は同じでも味が付いていない!?
ーーいやでも、じきに慣れるはず。
というか、私はこれに慣れないといけないんだね。
だってさ、自分でアレを再現出来るような知識が一切無いんだもん。
こればっかりは仕方ない仕方ない。
「ルーナ、味はどうだい?」
「美味しい、です…ありがとうございます。」
嘘ですごめんなさいぃ…。
でも今回はようやく、途中でかまずに喋ることが出来た。
私だってちょっとずつ、亀の歩みみたいにのっそりだけど成長していってるんだ、やったね!
「そうかい、それは良かった。
無理しない程度に、よく食べるんだよ!」
それから、スープ(とは名ばかりの水煮)に入っている野菜達をちびちびと食べ続け、ようやく皿が空になった頃、
「あの…私、そろそろお腹が、いっぱいで。
折角、作って貰ったのに…すみません。」
「いや、全然構わないさ。
無理して食べ過ぎるのはダメだからね。」
スープ一つでお腹いっぱいだなんて、一体どんな胃袋なんだろうか。
パンもサラダも、一切手を出せなかったし。
だけど、こんなな少食であっても1週間にパン一つは絶対に足りないってことが良く分かった。
魔力を吸われるのにも結構お腹が空くのだし、そのうち餓死する未来しか見えない。
ーーあぁ、逃げ出してきて良かった…のかな。
例えこの先に待っているのが地獄であるとしても。
「おばさん…ご馳走様、です。」
手をパンと合わせて言う「ごちそうさまでした」では無いものの、料理を作ってくれたノーラおばさんには毎回感謝を述べておくことにしよう、って今何となく決めた。
もしかすると、ここが日本じゃないっていう現実をまだ何処かで認めれていないのかも。
まぁ、どうやらここには食前食後に関する習慣は全然無いみたいだけど、ね。
「…!
あぁ、お粗末様。」
おばさんは、私の言葉に意表を突かれたかのように目を見開く。
だが、すぐに微笑んで返答をしてくれた。
一応その辺のやり取りは日本と同じ感じで良いみたいだね?
自分が座っていた椅子を、音がならないようにゆっくりと押してそそくさと部屋へ向かう。
このタイミングで話しかけられて、そのまま夫婦の団欒タイムに巻き込まれたりとか…しないように。
これが多分、私の新しい1日の姿だ。
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