第4話



中々引っ張りだしてこれなくて、ずっと気になっていたことなのだが…どうやら、私の名前はルーナらしい。


孤児だからファミリーネームはないから、ただのルーナ。

これからは「皆川みながわかなで」じゃなく、ちゃんと「ルーナ」として、生きていこう。

もうすでに理不尽なことばっかって分かりきってる、こんな世界の片隅で。


さてさて、早速だけど私ことルーナは今…

なんと、孤児院の敷地の外にある、街の商店街を歩いているのだ。


ん?なぜかって?

それはまぁ、家出だよ、家出。

でも、ノルコット孤児院に戻る気なんてさらさらないけどね。


あんな小屋に閉じ込められて、1週間にほんの小さなパンがたった一つ、おまけに毎週ご丁寧なことにライア先生が魔力を取らんとやってくる、なんてもう絶対無理…。


私だって、取り敢えずはそんな現実にちゃんと耐えようとした。

それでもやっぱり、まる1日くらい経つとお腹がぎゅるぎゅる主張してくるんだよね…困ったことに。


そんなこんなで我慢の限界が来て衝動的に家出してみたものの、当然私に外で生活するための財産がある訳でもなく、見知らぬ人と接するのが怖いのだから働くことさえも出来ない。


てなわけで、私は現在進行形で困ってるのだよ。

そりゃあもう前代未聞なくらいに、ものすごーく。


でも、そんな面倒なことは本格的に問題になる夜まで現実逃避しておこうじゃないか。

別に、あーだこーだ考えてたらお腹が膨れるって訳でも無いし?

今は、余計なことは何も考えないで商店街を見て楽しむのみだよ…ふふっ。


ーーでも、どうしてだろう?

波のように過ぎ去る周りの人は、眉を顰めて私を気味悪がるような視線をギロギロ向けてくる。

果たして、私が何かしでかしているのだろうか…?


そんなことを考えて、やっぱり人は怖いとビクビクしながら賑わっている商店街の姿をキョロキョロ眺めていると、突然私の進行方向に大きな人影が立ち塞がった。


ちょっとちょっと、そんなとこに立ち止まられると私が歩けないんですけど?

幾ら私が小さいからって、もうちょっと周りを見てくれても良いのでは…。


「お嬢ちゃん、迷子かい?」


えっ……まかの私に用だったんです…?

それでも、幼女な私に高過ぎる視線でいきなり声を掛けてくるなんて。

動揺と恐怖で、双眸からじんわりと涙が溢れる。


キョロキョロ視線を動かしているからか、どうやら私が人を探しているように見えたみたい。

ただ単に皆の楽しそうな様子を傍観していただけなのに、それも駄目なの…?


一刻も早くこの状況から逃げたくて、涙を拭うこともせず、首をふるふる振って立ち去ーーろうとした。


しかし、なんとその女性は、私の手をガシッと乱暴に掴んで、その強引さが嘘だったかのようにそっと優しく抱き抱えたのだ。


勿論、知らない人に捕まる趣味なんて欠片もない私は、腕の中でじたばたともがいたが、その甲斐全くなし。

がっしりとした体型の彼女は腕力も強いらしく、そう易易とは離して貰えそうに無かった。


…あぁ、完全に詰んだ。


そうして、恐怖と同時にじわじわと私を追い詰める絶望についぞ耐えかねて、彼女に抱き抱えられたままで失神するという、とんでもない失態を犯してしまったのだった。





*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*





「ん、ぅ…。」


「おや、目覚めたんだね」


…なんでまた、知らない人の声が?

全く、私の目覚めはとんでもないものばっかりで嫌気がさすっての。


でも、こんな状況になる心当たりは…?


暫くフリーズして考えてみるも、やっぱり寝起きでぼうっとする頭は上手く働いてくれない。


ーーあぁ、やっと思い出せた。

私、あの後意識を失って…


周りの様子を伺ってみると、私は簡素なベッドの上に寝かされていた。

そして、サイドにはさっき声を掛けてきたあの女の人が。


ーーっだから、なんでこうも私の目覚めは見知らぬ場所なのさ!

お願いだから私に平穏を下さい…。

と、別に誰にという訳ではないが何となく願ってみる。


いや、そんなことよりも…だ。

なんと言ったって相手はこんな誘拐紛いのことをするような人間。

これから一体何をされるのは予測不可能だ。


それが意味することはーー単なる危険。

早く、逃げないと…!


ようやく状況を理解し、瞬時に彼女の脇を巧みにすり抜けて、外を目指して走り出す。

幸い、このベッドからドアまでの距離は結構近い。

大丈夫、これならいけるはずーー


ところがどっこい、私が脱出することはついぞ叶わなかった。

またしても彼女にがっちり抱き抱えられてしまったのだ。


やだ、やだっ、怖いよ!


「いやぁっ、離してぇ!」


じたばた、じたばたと必死に抵抗する。

それが年甲斐無いことも承知の上だが、やっぱり怖いものは怖いのだ。


でも、私の必死の抵抗むなしく彼女からは余裕げなオーラが醸し出されている。

彼女の力は…もはや恐ろしいほどに強かった。


これはもう、私の完敗を認めるしかあるまい…?


「もう、どうしてそんなにアタシから逃げようとするんだい?」


そんな質問に、まさか「貴女が怖いからですよ」なんて答えを返せる勇気が私にあるはずもなく。

かといって嘘を考えるのも面倒なので、だんまりを貫きそっぽを向く。


しかし、そんな明らかに不躾な態度を取り続けていても、彼女は私を怒る気配が一切無い。


ふっ、そんな優しげな雰囲気を出してたらコロッと簡単に手懐けられとでも?

生憎だが精神年齢は一丁前なんだよね、私は。


「嬢ちゃん、アンタあのノルコット孤児院の子供なんだろ?」


は、ぁ…?

口調からして彼女には確固たる証拠があるようだし?

…どうやらかなり面倒な事になりそうな予感。


「その格好を見てたら分かるさ。

この街には裕福層の人が多くてね、そんなボロ雑巾みたいな服で体を包んでる奴なんてそうそういないんだよ。」


さてさて、ルーナさんに問題でーす!

私がこれを肯定したらどうなるでしょうか?


……。


答えその1、孤児院に戻されてライア先生に半殺しにされる。

その2、親がいないから安心して売られる

その3、ーー


っあぁもう、どの道この先に待つは地獄のみみたい。

お先真っ暗とか、それこそ詰んだーー


「嬢ちゃん、名前は?」


名前だって立派なプライバシー。

だから、こっちに黙秘権はあるはず…大丈夫だよ私…。


そんな私に全く構わず、彼女はしつこく話を続ける。


「良かったら、この家に住まないかい?

嬢ちゃんが孤児院を抜け出してきたのも、それほどの訳があるんだろ?」


……はぁ?

何、ここに住まわせて恩を売り込んで、私をこき使おうって言う魂胆?

そんな境遇だったら孤児院の生活とさして変わりないじゃないか。


「別に何をしろって言うわけじゃないよ。

ウチはアタシと旦那だけで、子供がいないからね。

寧ろ、言い方は悪いかもしれないけど金が有り余ってるくらいなんだ。

だから、嬢ちゃんを不自由させることなく養うことは充分にできる。」


嘘だ、そんなの絶対に嘘…!

駄目だよルーナ、こんな甘ったるい言葉に流されちゃ。


「なぁ。アタシを、アンタの親代わりにさせてくらないか?」


何で、そんなこと言うの…?

いつだって都合のいい言葉には裏があるって…今まで幾度となくこの身で経験してきた。

どんなに優しい人でも、いつかは必ず私のことを蔑むようになる。


やだ、やだやだやだっ!

そんなこと分かり切ってるのに…。

ねぇ、どうしてこんなに、心がふわふわうわ付いているの……?


やっぱり内心では誰かに縋りたかった?

いや、少なくとも奏の時にはそんなこと無かったんだ。

全ては、この世界に来てからーー


もしそうならば、こんなに心が萎れているのも、全部ルーの置き土産なのかもしれない。


はぁ、それじゃあ黙って受け取る他無いじゃない…?


「親」なんて言葉にいい思い出なんて皆無の癖して、また人を信じようとしてるなんて…とんでもない大馬鹿野郎だな、私は。


ぷるぷる震える手を抑え、縮こまった状態からぎこちなく首を動かす。

そうすれば、私の目にかつて見たことないほどに、芯の通った綺麗なネイビーの瞳が映った。


ーーこれは、茨の道に自ら足を踏み入れるような選択なんだろうな、と思う。

でも、それが正解なのか不正解なのかは、神のみぞ知る。だよね…?


…はぁ。

ここまで心が揺さぶられたんだ。

仕方ない、そろそろ折れようじゃないか。


「ルーナ…」


気付かぬ内に手の震えや恐怖心もすっかり止んで、しばらくはぼうっと彼女の双眸を見つめ続けていた。

しかし、やがて亀の歩みのようにゆっくりと首肯しながら、私は今まで求められても言えなかった一単語を呟いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る