第3話

微睡みから無理に弾かれた状態だからか、まだ寝ていたい、寝かせてくれと訴えかけてくる本能。


それでも、私はちゃんと目覚めて彼女ルーから貰ったはずの記憶を一つ一つ確かめていかないといけない。

そう自分自身を戒めて、ゆっくりと重い瞼を開ければーー勿論、慣れ親しんだ前世かなでの自室とかではないし、はたまたさっきの小屋でも無かった。


恐る恐る視線をさまよわせてみると、何とも異国情緒溢れる雰囲気の石造りの部屋で、あぁーまたおかしな所に来ちゃったな、と一気に憂鬱な空気が胸をいっぱいにする。


それらを抹消したくて、はぁーーーっ、と欲望のままにため息を吐いてみる。

それでもやっぱり、この考えることすら鬱陶しい現実が変わること無かった。

まぁ、そんなの至極当然のことなのだが。


でもさ。これは、私を大人しく考え事させる気がないんだね…きっと。


使い込まれたのが良くわかる、色褪せたカーペットが敷いてあるタイルの床に、木材から釘が見えていて手作り感があるデスク、謎の模様のタペストリー、少し埃が被っているもののこの部屋唯一の光源のランプ。


そしてーー


何故か、部屋のど真ん中にある長椅子に現在進行形で縛り付けられている私…。


これは本当に直感なんだけど。

目覚めから少しして脳が活発化し始めたのか知らないが、身に覚えがないルーの記憶がかなでの記憶と混ざりあい始めているーーそんなぐちゃぐちゃした感覚が頭痛と共に現れる。

その中にーーこの状況の原因を思わせるものもあった。


その原因さんに、こんなインパクトのある目覚め方をしたのは初めてです、ありがとうございますぅ〜。なんて、内心で思いっきり皮肉ってみる。


はっ……さてさて、こんな余裕が続くのいつまでかなぁ?


耳を凝らすと、カツ、カツ、カツと硬い足音が部屋の外から聞こえてくる。

これはきっと、私への残虐なカウントダウンだ。

ルーのーーいや、私の記憶が、今すぐ逃げないとまずいよ、とけたたましい音を立てながら警告サイレンを出す。


いやね、出来るものなら、それに従って今すぐ窓から逃亡したいよ?

でもやっぱり、私を長椅子に縛り付ける縄が邪魔をするから…不可能。


こんなに、縄が私の肌に食い込むくらいきっちり締めないで、もうちょっとゆる〜くして欲しかったなぁ…なんて。

とほほ。


トントン


ノックの音が部屋に響く。

ごくごく普通であろうそれは…似ても似つかない筈なのに、私には死刑宣告のように聞こえてしまう。

まあ、悪夢の始まりに変わりはないんだから…同じようなものかな。


「目が覚めたようね」


現れたのは、ふわふわと揺れる柔らかそうな漆黒の髪に、丸みを帯びたグレイの垂れ目、色白の肌ーーといった、いかにも優しそうな風貌の女性だ。


彼女の名は、ライア・ハイデン。

私達、施設・・の子が、ライア先生と呼び心から慕っているこの人は、ここノルコット孤児院の院長なのである。

ちなみに年齢はーーっと、うっかり口を滑らしてしまうと、もれなく地獄が待っていそうだ…気を付けねば。


まぁ取り敢えず一つ言えるのは、そこそこの年齢だということ。


そんなライア先生は、自身の温厚さを感じさせる可憐な容姿とは裏腹に、私に対して浴びせる言葉は中々に辛辣で、理不尽だ。

まるで、何かに八つ当たりしているようなーー


「さあ、わたくしの言いつけを破ったからには、それなりの理由があるんでしょうね?

ちゃんと聞いてあげるから、言ってごらんなさい?」


あぁ…やだ、怖い。

ライア先生が発した言霊に支配されたかのように、手が付けられないほどに暴走する恐怖心。

体がガクガクと震えているのが自分でも分かる。


ーー記憶と今見た姿を合わせたライア先生は、どことなく前世かなでの母親を思い浮かばせるのだ。

優しげな見た目に真逆の横暴な態度で、私を恐怖の淵まで追い詰める…そんなところが。


そう、私を本格的に疎み始めた母さんは…鬱憤が溜まると、丁度こんな風にキツくこっちを睨みつけてーー


「何をグダグダしているのよノロマ、お前に掛ける時間なんてほんの一刻さえ惜しいのよ!

お前だってわたくしが忙しいのは充分に分かってるでしょう!

ただでさえ役立たずな不良品の癖して、そこからまだ私の足を引っ張る気なの、ほらとっとと洗いざらい吐きなさいっ!」


抑えきれない憤怒の感情を顕にして、早口で私を捲し立てる。

そして、それでも発散出来なかったら次はーー


バシィ、という音と共に私の頬がライア先生の平手に打ち付けられる。

久々に感じたこの種の痛みに、「うぐっ」と呻き声を漏らしたものの、それ以外は泣きも喚きもしない私。

それに更に気分を悪くしたのか、ライア先生は懐から勢いよく鞭を取り出した。

ーーえらく物騒なものを携帯してるんだなぁ。

日本だと普通に逮捕されちゃうよね、やっぱりファンタジーな世界だよここは。


もうすっかり、痛みや悲しみなどの感情を心の奥底にしまい込み、冷えきった心が何も感じなくなり、抵抗することなく荒ぶる鞭をこの身で受け続けた。

ごめんなさい、ごめんなさい、と…そう心の中で繰り返しながら。






ーーー





はて、30分ほど経ったのだろうか。

一応は気が済んだのであろう、少し怒りが薄くなったように見えるライア先生が慣れた手つきで鞭を懐に仕舞った。


もう、これで帰して貰えるのかな?

母を彷彿とさせるこの顔をずっと拝み続けるっていうのは正直もう勘弁してほしい。


「お前には、多忙なわたくしにわざわざ躾の余分な手間を掛けさせた代償を払って貰うわよ。

一つ言っておきますけどね、どれだけ叫んだってここには絶対誰も来ないの。

だから精々、わんわん無様に泣き叫んで存分に痴態を晒すと良いわ。」


と言い残すだけでそそくさと部屋を去ってしまった。


どうやら、まだまだ続くらしい…ね。

とっとと済まして欲しいんだけどーーなんて生意気な口をライア先生に利く訳にはいかないし、諦めて受け入れる選択肢しか私に無いのだけど。


はて、こんな特に何も持っていない私が代償として差し出せそうなものと言えばーーあぁ、アレかな……魔力。

この世界の私には、どうやら魔力がある…らしい。


この世界では、魔力というものは主に貴族が持つものだが、何故か私にはそれがあるそうで。

貴族にとっては、魔力はあって当然のものなのかもしれないが、なんて言ったって私は平民の孤児。

当然、周りにいる人間は皆、魔法なんて大層なものは見たことがないのだ。


ーーそんな状況下、今からほんの数日前にとある事件が起きてしまった。

なんと、当時は普通に孤児院の一員として生活をしていたルーが、突然魔力を暴走させてしまった。

体の内側から制御不能の熱がどわっと溢れ、それが留まる事ない勢いで手の方に集まり。

一体何が起こっているのか、とかつてない出来事あたふたしている内にーー刹那、強烈に眩しい光が私の手の平から出た…のだと思う。

何が何だか訳が分からず、それに目が眩んで周囲の様子が伺えないのも相まって、すっかり頭が真っ白になってしまった。

取り敢えず怖かったことだけは記憶に残っている。


その後、奇妙な光を発生させた根源である私を大層気味悪がったライア先生は、今までの優しく温厚で包み込むような人間から豹変して、もはや厳格を通り越した鬼のような態度になった。

そして一言、「わたくしが呼ぶまで2度と出てこないようになさい」と、簡潔であるものの厳しい声音で言いつけ、私をあのおんぼろ小屋に隔離するまでに至った、と…そういうことだ。


もしかすると、この事件が原因でわたしを呼ぶことになったのかな、とふっと思う。

ーー自分では耐えきれないような苦痛を、他人に変わって貰おうとして。


つい大人びた彼女に騙されてしまいがちだけど、何せまだ3・4歳くらいなんだもの。

慕っていた人の唐突な裏切りと、同時に襲いかかる孤独ーーそりゃあキャパオーバーするに決まっているよね。

そう考えると、ルーを助けることが出来たのなら…まぁ結果オーライなのかな?

私はもう慣れっこなんだし、ね。


ぼうっとしながらそんなことを考えていると、今度はノック無しで、手に何かを収めたライア先生が足早に入ってきた。


「さあ、この石を強く握りなさい。」


私の顔を見るなり手に握り込んだそれを差し出すライア先生に従って、大人しく言われた通りにするとーー


「ぐ、はっ…!」


その石に私の体内にある血液全てを一息に抜かれるような、強烈な脱力感と痛みが襲いかかる。

そのお陰で指1本さえも動かせなくなってしまった私を見つめて、満足そうに微笑むライア先生。


意識がぶっ飛んで死んでしまいそうなほどに苦しい私を見て、事件後初めての笑みを私に見せるライア先生に、「どうして、なんで」なんて思わない。

だって、そんなのはあまりにも今更なのだから。


分かりきっている事だけど、先生だって立派な人間だ。

例えどれだけ信用していようともいつかは裏切って私を傷つける、なんて至極当然の流れ…そうでしょう?


しかしそれでも内心では、幼女に転生した影響を受けて、心も幼稚化しちゃったの?とせせら笑う自分もいる。

はっ、私いつから二重人格になったというのだろうか。


「ふん、そろそろ限界かしらね。

でも、これだけあれば、あの子達もきっとーー」


ほんの少し失望した様子でそんなことを呟き、動かないーー否、動かせない私の手中から強引に石を引き剥がして、きつく縛られた縄をするすると解くライア先生。


ーーああ、やっと私は解放されるんだ。

出来るものなら、私はもう2度と貴女の顔を拝みたく無いものです、先生。


そんな私の嘆願を知る由もないライア先生は、未だ制御出来ない私の手をこじ開けて、小さな掌にそれと同じくらいの大きさのパンを乱雑に載せる。


「このパンを持って、とっととあそこ戻るのよ。

また来週に魔力を取りに来るから、その時まで死なない程度に大人しくしておくことね。

また次に外に出ていると…当然、鞭打ちなんて甘過ぎる罰じゃあ済ませないわよ。

今回は特別なのだから、わたくしの温情に感謝することね。」


この、一般に学校給食で出てくるコッペパンの4分の1くらいのパンが、一週間分のご飯…。

でも、幼女の体だったらそんなもんなの?

…加減とかがよくわからないし、取り敢えずはとんでもなくお腹が空くギリギリまでとっておくおくことにしよう。


そして、ふらふらとであものの、力が入らないなりに精一杯の努力をしてあの小屋へ無事辿り着き、床の上に鎮座する汚い藁に倒れ込むようにして眠りの世界に入ったのだった。


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