第2話
ーーあ、れ…?
なんだか体のあちこちが痛い。
いや、それも筋肉痛とかの痛みじゃなくて、まるで地面の上に転がっているようなーー
パッと瞼を開けば、蜘蛛の巣のレースが装飾されている薄汚れた天井が、私の視界をいっぱいいっぱいに埋め尽くした。
自分で言うのもなんだけど、私の家は周りに比べて少し裕福だったから、当然こんなボロボロな天井に見覚えなんてありゃしない。
あの家に屋根裏や納屋は無かったし…。
一体、何がどうなっているのか全く分からない。
確かに私は自動車に轢かれたはずなのに…もしや、助かった?
ーーいや、こんな劣悪な環境の部屋が日本の病院…の訳ないよね。
私の固定概念かもしれないけど、日本の病院と言えば、どこもかしこもピカピカに手入れされているイメージがある。
じっくりと周りを見渡してみる。
木製、3畳くらいの広さ、所々の穴、壁や床にたくさんある大きな傷と謎のシミ。
私が今転がっている藁の寝床。
それから…おかしなことに、窓や照明の類が一切見当たらない。
どの家庭にも大体はある、時計の針が刻む音ーーそれどころか車が走るような音すらも一切聞こえない。
これじゃあ、今の時間とか何も分からないじゃないか。
ーーそれなら、ここの外は一体どうなってる?
この空間では色々と情報が足りないけれど、外に出てみたら、何か…もっと詳しい状況とかが分かるかもしれない。
そう思い立って、少し痛む体を労るようにゆっくりと、ボロボロな藁に行儀よく寝そべっているこの状態から起き上がろうとーーした。
「あれ、なんか、違う…?」
これは…
私の体を支える手が恐ろしいほどに小さく、何となくだが柔らかい。
ーー私の手はクラスで群を抜いて大きくて、馬鹿にされた事があるくらいなのに、さ。
「はっ、手が大きいことって意味あるの?」
「やだぁ、彼氏と手ぇ繋いだら恥ずかしいじゃん。きゃははっ!」
クラスメイト達の声ーーという名の雑音が、私の脳内にキンキンと鳴り響く。
あの人達はこんな些細な事なんてさっぱり忘れているだろうし…
奇跡と言えるような確率の事だが、もし己のした事を覚えていたとしても。
今更、特に何かを思うことは無いだろうな。
彼女達にとって、そんな風に私を嘲笑って楽しむのは、一種の
まあ、そんな下らない過去の事なんて引き出しの奥底にでも仕舞っておこう。
ーーそのままぐしゃぐしゃに乱されて、いつか消え去ってしまえば良いのにな、なんてね。
さて私が、さっきから引っかかっていたいくつかの事ーー
そこから考えうる事は、あまりにも非現実的なものだし、その推測が確かだという保証だってどこにも無い。
でもね、正真正銘私の頭から生えている髪の毛が、銀色のゆるふわカールなのだ。
私は髪の毛を染めた覚えなんて微塵も無い。
それなら、「実は私、日本以外の血が混ざっているの〜」ってなオチ?
いやいや、外国人であっても銀髪を地毛とする人々はーー確か無かったはずだ。
「それじゃあやっぱり、間違いない、のかなぁ…。」
宛の無い独り言は、届け先を探してるかのように少し震えて部屋の響く。
別に…私の声が震えている訳では、ないからね。
最後の確認として、自分の体をじっくりと見つめる。
ーーさっき見た全てが、見間違いであったことを願いながら。
本来の私のそれとは似ても似つかないほど小さく華奢な手足。
それに、自分で言うのもなんだけど結構グラマーな体形だった筈なのに…今は、嫌味なほど滑らかなまな板。
正直、あるはずのものが無く、スースーしていて違和感しか感じない。
このくらいの体つきだったら、幼稚園の幼女レベルじゃないかなぁ。
私の従姉妹を最後に見た時は、丁度こんな感じだった気がする。
ここまで来て、今の私の知識で考えられる可能性は、もうたったの一つしかない。
そうーーーー異世界転生。
幾ら信じたく無くても…もう認めるしか無いんだと思う。
私、
あっなんか、ラノベのタイトルみたいになった。
でもそうだよね、異世界転生ってラノベの世界なんだし。
……でも私は夢でも妄想でもなく
ああもう、転生してしまったものは仕方ないじゃない。
この世界で精一杯生きるーー私がやるべき事はたったそれだけだ。
そうならまずは行動あるのみ、と私は取り敢えず外に出掛けることにした。
部屋が暗くて遠くが上手に見えないから、暫くちょこちょこと回ってみると、ドア…と思われるボロボロの木の板が見つかった。
風の一息ですぐにでも壊れそうなそれを押す。
「ま、眩しっ……」
外の明るさにも目が眩む。
太陽の光は今日もお元気なようで何よりです…。
暫くすると目が慣れて、周囲の様子も伺えるようになった。
何と、あそこの外は高い塀に囲まれた、箱庭を思わせるような緑地だった。
青い空、白い雲。
生き生きと輝いた緑に、咲き誇る見たことのない花々。
良くわからないものが実った木が日光に当たって放つ、きらきらとした光。
私は「前世」で、少なくとも物心ついてからは旅行に連れて行って貰えなかったから、夢に描いていたような景観に恍惚としていたーーその時だった。
ズキリッ
「ぐあぁぁぁぁぁっ!」
私の口から、殊の外大きな叫びが飛び出す。
突然、頭に稲妻のような衝撃が走り、痛みのあまり地面に倒れ込んでしまったのだ。
固い地面に勢いよく倒れ込んで頭を打ち付けたからだろうか…段々と意識が朦朧としてくる。
「お前っ、なぜ外へ出ているの!?」
感覚も大分鈍って来ているようで、どこからは分からないけれど、知らない女の人の声が確かに聞こえた。
彼女の、「なぜ外に出ているのか」なんて質問…一体どういうこと?
「今世」の私には外に出てはいけない理由が何かあるのだろうか…。
そこまでは辛うじて働いていた脳も、とうとう限界が来たのか強烈な眠気が私を襲いかかり、深い深い眠りに誘われたのだった。
*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*
宙を舞っていた意識がじんわりじんわりとと体に馴染ませるようにしながら戻ってくる…そんな感覚がする。
グダグダしている場合じゃない。
今世についての全てを一刻も早く知るために目覚めなきゃ。
「だめっ、待って、行かないで。」
可愛らしく、かつ凛とした聞いていて心地よい声が頭に響く。
…貴女は、誰?
私が口に出したわけでは無いので、この声の主に届いているかは分からないけれど、兎に角この疑問を尋ねない訳にはいかなかった。
「私は、貴女が今使っている体に元々入っていた魂だよ、とでも言えばいいのかな。」
彼女の言い分はこうだった。
自らをルーと名乗った彼女は、自身の魔法で私(かなで)の魂を呼び出し、ルーの体に入れた。
その後、魂を入れる体を失くしたルーは、人間の三大欲求その他諸々を全て放棄して、世界中を回り毎日遊び呆けーーなんて物凄い生活を送っているそうな。
あの体の主ーーってことは、私の見立てだと4・5歳のはず。
それにしては口調が大人びているような…?
でも、まぁいっか。
あんまり人の事情にズカズカ首を突っ込むよううなことは良くないと思う。
ちなみに、なぜ私が呼ばれたのかを尋ねると、ルーは
「若くて、人生に後悔が欠片もなく死んだ女の子をランダムに呼んだんだよっ」
なんてことを笑顔で返してきたので、「コイツどう調理してやろうか。煮るか焼くか炙るかの三択…?」なんて物騒なことを本気で考えてしまった。
いけないいけない。
私の精神年齢は13歳。
だから、あくまで相手は年下…もっと寛容な心持ちでいないとね?
ーーでも…不思議なことに、ルーと話している時は全然怖くない。
いつからか私は、人と話すことに無意識で極端な恐怖心を抱くようになってしまった。
そのせいで、常にボソボソと耳を澄ませないと聞こえないような小声で、その上完全な文章になっていない話し方をするーー
といった、周囲からは単なる根暗にしか見られないような
ねぇ、ルー。
貴女、私にこっそり魔法でも掛けたの?
そんな事は有り得ないと、そう分かっていても…かつてない不可思議なこの現象は、魔法としか言い様がないと思う。
「何言ってんの、私がカナデに魔法なんか掛けれる訳ないじゃない。
カナデは知らないのかもしれないけど、なんて言ったって、魔法の発動には魔力を蓄積している体が必要なんだよ?」
す…凄い。
魔法とか、魔力とかーー本当にファンタジーの世界じゃないか。
「ありゃ、その様子だと、カナデは魔法を見た事ないみたい?
ここは一発、すっごいのを見せて驚かせてあげたいところだけどーー」
「あぁ、そうだった!
私は今、たった一つだけ使える魔法モドキがあるよっ」
彼女は、わざとらしく声音を変えてそう言った。
魔法…モドキ?
一体どんな術なのさ、それは。
「うーん…魔法にこれと決まった名前は無いし、長々説明するのも面倒だから、簡単に言うとねーー
記憶譲渡、かな。」
ーーきおく…じょうと。
私が耳にしたものが、聞き間違えでは無いことを確かめる。
ルーの明るい言い方流されていた気持ちを遮るように、体がぞわりと震え立った。
そりゃあ、自分がおかれているのがどんな状況で、これからどうすれば良いのか、その他諸々…分からないことだらけだから、困ってはいるんだけどさ。
もしかしてーー
「譲渡」なんだから、その術を使ってしまったらルーが今まで積み重ねてきた記憶は…!
「ピンポーン、大正解!
あんなさりげない言葉で気付くなんて、カナデは頭の回転が速いんだねっ。
私は君とは違って単細胞だからさ、羨ましい限りだよ、全く。」
ルー…貴女やっぱり、この体を持つーー否、持っていたにしてはおかしいよ…?
自分のことを、単細胞だと卑下するような子供はいないーー当然のことだ。
この私の思考だって貴女には筒抜けなんだろう。
でも彼女が無言を貫いている、ということは、単に言いたくないんだろうな。
それなら私は返事は求めない、それでいい?
私の勝手な妄想かもしれないが、その質問に応じるように、辺りの風がゆっくりと縦に動いた…そんな気がした。
それならーー私は、彼女がちゃんと声で答えられるような質問をしよう。
ねぇ…記憶が消えるってことはさ、貴女の魂は空っぽの状態になるんだよ。
それをちゃんと分かって言ってる?
「勿論。
私がひよっこだからって舐めないでよね、自分の魔法なんだから充分知ってるよっ。
っと、こんな無駄話してる場合じゃなかった!
ーーさあさあカナデ、そろそろ始めちゃうよ?」
えっ、ちょっと待ってよ!
私、まだまだ貴女に聞きたいことがーー
「私(ルー)のものだったからって、気を使わないでね。
お願いだから、あの体はカナデの好きなようにして。
ーーそれと最後に、
ごめんね。」
私の意識が引き上げられる感じがして、モザイクが掛けられたかのように、ルーのあの素敵な声がどんどん聞こえにくくなっていく。
そのせいで、私はルーの最後の言葉を聞くことなく現実へと戻されてしまった。
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