第21話
俺たち二人は、下級貴族専用という銅メッキが貼られている扉をくぐり、宮殿の外を囲う庭に出た。ここは城の東側にある、騎士爵、男爵、子爵の下級貴族専用の門があるところだ。
貴族の世界では、左にあるものが右にあるものよりも偉い(位が高い)らしい。そのため天上門からみて右にあるこの東門は、先程通った扉と同じく下級貴族専用となっているのだそうだ。
門の前には、天上門で見たのと同じ跳ね橋と呼ばれる橋が鎖によって巻き上げられている。この宮殿は他にも様々な仕掛けがあるらしく、いかなる外敵の侵入をも拒むよう徹底した防衛策が取られているのだ。
俺とフォーナ様は銅の扉から続く、水が飛び出す噴水や綺麗な花々の並べられている庭に敷かれた白い道を真っ直ぐ通り抜ける。そして門の方から敷かれている、馬車が庭に入り込めるようになっている円周上に舗装されたロータリーと呼ばれる場所までやってきた。
この白い石で出来た道は、以前聞いたところによると、
とてもお金のかかるため、今は宮殿でしか採用されていないが、いつかは王国全土の道にこのつなぎ目のない白輝石を敷き詰めるのが、皇帝陛下の描く未来の一つだ、とランガジーノ様は語っていた。
「クロン、ここからは私のいうことをちゃんと聞いてくださいね。他の家臣にもあなたのことを家臣として扱うよう事前に伝えてありますので。ただ、重臣としてある程度の立場は確保してありますが」
「わかりました……畏まりました、フォーナ様」
俺は、フランポワン様から食事のマナーがてら再度教えてもらっていた言葉遣いを思い出しながら取り繕う。
「よろしい」
フォーナ様は軽くうなづく。珍しくほんの少し、笑顔が見えたのは気のせいだろうか。
そうして話をしながら二人して待っていると、一台の馬車が近づいてきた。
「……あれです、間違いありません」
フォーナ様は一度頷く。そしてその馬車はロータリーに乗り込み、俺たちが立つ目の前に横付けされた。
「お待たせいたしました、ご主人様!」
御者の隣に座る男性がそう叫ぶ。と、その男性が降りてきた。
「お久しぶりでございます、フォーナ様。お迎えに参りました」
男性は俺たちの前に立つと、片膝をつき臣下の礼をする。
「ええ、久しぶりですね、プッチーノ」
フォーナ様は真顔で挨拶し返す。
「そちらの少年が、クロン殿ですか」
プッチーノと呼ばれた男性は、立ち上がると俺のことを見下ろしてきた。
プッチーノさんは白髪の両脇に揃えられた少し垂れ下がった口髭を蓄えている、見た感じ少し歳をとったおじさん、といった感じの方だ。
「はい! よろしくお願いします、プッチーノ様!」
頭を下げ、これから世話になることに感謝の意を込めて挨拶をする。
「ええ、よろしくお願いします。ですが、クロン殿は立場上私と同じ家老、すなわち家臣を束ねるトップになります。短い間とは言え、どうぞ気楽にプッチーノとお呼びください」
家老とは、主人からの指示を元に家臣達に指示を出す仲介役であり、また領内の政治の補助をする役割だ。フォーナ様がランガジーノ様の秘書をやっているのと同じだ。
まあ、フォーナ様は領地を持たないいわゆる法衣貴族なので、フォーナ様やその家臣達は、領地経営をしなくてもいいみたいだが。
今回俺はこの家老として、新年の行事が行われる間は迎えられることになる。
「そうですか……わかりました、プッチーノさん! 改めて、よろしくお願いします」
「こちらこそ。ところで、あなたとフォーナ様は、何だか少し似ていらっしゃいますね」
「え? どこら辺がでしょうか?」
俺とフォーナ様が? 俺はフォーナ様な顔を見る。フォーナ様も何のことだろうか、といった様子だ。
「相手に対して礼儀を欠かさないところがです。私どもはいつも申し上げているのです、家臣なのだからもっと横柄な態度で構わないと。ですが、フォーナ様は敬語で話しかけてくださいますし、無駄な指示もなくいつも的確です。畏れ多い考えでしょうが、家臣としては、接しやすく良い主人だと感じております」
確かに、フォーナ様は誰に出しても一歩引いた態度をとることが多い。
でも、俺に対してはさっき敬語をやめるっていっていたが。他の家臣には敬語なのか。
「クロン殿も、失礼かもしれませんが、その歳にしてはだいぶ畏まった態度を取られるようで。感心いたしました」
「いや、そんな。俺なんて父親が行商人だったもので、ほんの少し教えて貰っただけですよ。実際、フランポワン様に指導してもらうまでは、全然でしたから」
すると、プッチーノさんは一瞬驚いた顔をした。
「フランポワン様に、ですか。成る程、それはそれは。ではフォーナ様、ここでこれ以上話をし続けるのもなんですから、早速邸へと参りましょう!」
「ええ。時間もあまりありません。久しぶりに着替えるものですから、早めに始めなければ。ではクロン、行きますよ」
「あっ、はい!」
フォーナ様はそうしてプッチーノさんが開けた扉から馬車に乗り込む。
「あの、俺はどうすれば」
「ええ、そうですね……折角ですので、先ほど私が乗っていた場所へどうぞ。私はフォーナ様と今のうちに打ち合わせをしておきますので」
「わかりました、ありがとうございます!」
俺は馬車の御者席に近づき、馬車の前方にある箱の中から突き出されている木の板に足をかけ、右側の席へ一気に飛び乗る。
御者席の左側には、帽子をかぶった御者さんが乗っていた。
「プッチーナ、頼みましたよ」
「……畏まり」
プッチーナと呼ばれた御者さんは、客席の前方にある窓を開け、そう言ったプッチーノさんに返事をし、次いで俺の方を向く。
「…………よろしく」
プッチーナさん--プッチーノさんに名前が似ている--は軽く頭を下げ、前方を向く。
そして馬に軽く鞭を払い、馬車を動かし始めた。
「はい、こちらこそ」
俺も挨拶をし返す。そして俺たち一同は、フォーナ様のお屋敷へと向かった。
「「…………」」
俺とプッチーナさんは終始無言でフォーナ様の邸へと向かっていた。
プッチーナさんは御者としての馬の操縦に集中しているし、何より話しかけるなという空気を全身から放っているのだ。
御者席に乗っているとはいえ、俺がすることは何もないため、正直手持ち無沙汰だ。
「……あの」
俺は思い切って話しかけてみる。
「……なに?」
すると、意外にも返事が返ってきた。
「は、初めまして、クロンと言います。よろしくお願いします!」
俺は笑顔を心がけて挨拶をする。父さんから大事だと教えてもらったことだ。
「……プッチーナ」
「は、はい。どうも」
プッチーナさんはそれっきりまた黙ってしまった。
少しして、再び話しかけてみる。
「あの、思ったんですけど、プッチーナさんとプッチーノさんって、名前が似てますよね」
「……当たり前」
するとまた、返事が返ってきた。その雰囲気とは反対に、意外と話をする人なのかな?
「え? 当たり前、ですか?」
「そう。わたしの生まれた国では、家族には似た名前をつける習慣があった。だから似てるのは当たり前」
「えっ、プッチーナさんとプッチーノさんは、家族なんですか!」
「……聞いてないの? お兄ちゃ……兄、から、聞いて知ってると思ってた」
「いえ、なにも」
プッチーノさんはそんなこと一言も言っていなかった。というか挨拶だけで殆んどまともに話はしていないし。
プッチーナさんはしゃべる声が小さい為、さっきから少し聞き取りづらい。口元を服の襟で隠しているせいか、その小さい声がこもって聞こえてしまうので余計だ。
それに帽子を目深に被っているせいか、表情も伺えない。
「じゃあ、プッチーナさんは、プッチーノさんの弟なんですね!」
俺は見た感じの身長や体格から考えてそう解釈した。
「……違う」
「え? 違うんですか? でもさっきは自分の兄だと」
「プッチーノが私の兄なのは合ってる。でもわたしは……妹」
……え? 妹? でも、明らかに男性の声なのだが。それに御者をしていることからもそう考えるのが自然だ。神皇国では男性の仕事として
「……声、魔導具で変えてる。御者が女だと、舐められるから」
そうだったのか!
「成る程、通りで。でもなぜわざわざ御者を?」
「それは、その……」
プッチーナさんは、辛うじて見えているその目をキョロキョロとさせる。そして、首元を覆う襟を少し下げ、その口元を露出させた。
「……フォーナ様に、会いたかったから」
----か、可愛い!!
聴いたことのないような、甘い声だ。今の一言だけでも、ずっと聴いていたいくらいだ。
「こ、これでわかったでしょ! わたしが女だって」
「あ、うん、いや、はい。分かりました、すみません」
俺は先ほどの勘違いについて頭を下げて謝る。
「なぜ謝る? わたしが勝手に変えているからこうなる……寧ろちゃんと男性に擬装出来ていることが証明された。だから問題ない」
「いや、なんとなく謝ったほうがいいかなって……」
性別を間違えたわけだし。
「謝らなくていい。寧ろその、すぐに謝ったり謙ったりする態度はダメ」
「え? 駄目、とは?」
「貴族の世界では、何かあった時には謝った者が負け。間違っていても、踏ん反り返るのが貴族の常。あなたもフォーナ様も、少し考えが堅苦しすぎる。もっと柔軟な対応をすべき」
「そうは言われても……俺にはそんな器用なことはできないよ」
「私達フォーナ子爵家'家臣団が敬うのは、フォーナ様と今上陛下だけ。それ以外の貴族には、たとえ大老様だろうと口では謙っていても、心では主人を上に立てるべき。それが家臣としての心構えだ、とわたしは思う」
「なるほど、そう言われると確かにそうかも」
フォーナ様に仕えているのだから、フォーナ様を第一に考えるのは当たり前といえば当たり前だろう。
でも俺は、どうしたらいいんだ? 今はフォーナ様の家臣だが、学園では俺のお手伝いさんだし、学園を卒業できたらフォーナ様は貴族様の一人として扱うことになる。実は俺って、非常に難しい立場なんじゃ。
「……難しい顔をしない」
「……え?」
「怖い。君の目、きついから。フォーナ様よりも」
「そ、そうかなあ?」
そんなこと、生まれてこのかた誰にも言われたことなかったんだが。俺としてはフォーナ様を超える鋭い目の持ち主なんて想像できない。
「眉毛のせいもあるかも」
「ああ、確かにちょっと内側に入ってるんだよね」
髪型一つで印象が変わるように、眉の形でも人の表情の印象は変わる。眉毛を剃って上から書き直している貴族様もいるくらいだと聞いたことがある。
「笑ったら、まし」
プッチーナさんは、何故か少し嬉しそうにそういう。
「……は、ははは?」
「……ふざけてるの?」
プッチーナさんに睨まれてしまった。あなたの方がよっぽど怖い目つきをされていますが……
「……疲れた。黙る、もうすぐつく」
「……わ、わかりました。すみません、何度も話しかけてしまって。御者をされているというのに」
「それは別にいい。馬の扱いは、慣れてるから。それに君は何故か、話しやすい。珍しい。わたしはいつもこんなに話をしない……と自覚している」
「はあ、そうなんですか」
「そう。私が女だと自ら明かしたのも、君が初めて……初めての相手」
初めての相手……変な響きを感じる。
「……また話しそうになった。もう黙る、喋らないで」
プッチーナさんは口元を隠してそう言った。残念、もっと聞いていたい声色だった。
そしてしばらく黙っていると、馬車の速度が落ち、大きな屋敷の前で停止した。
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