第9話 除け者
「おめでとう、佐久良三咲さん。貴方は偉大なる一歩を踏み出したのです!」
パチクリと、漫画なら頭の上に大きなはてなマークを私は浮かべていたことだろう。
文芸部の部室で嬉しそう笑顔を向け、自前で用意したというクラッカーを盛大に鳴り響かせた栗林先生は本当に嬉しそうで、私が助けを求めた伏見さんは「私は関係ないから」と言わんばかりの無視を決め込んでいた。
「あー……はい……? えっと……」
要領を得ないのは元からだと思うのだけど、それにしたって事態が飲み込めない。
プレゼントを貰った子供のようにはしゃぎながら先生はあれこれと説明してくれたのだけど、当事者の私は首をかしげるばかりだ。
「すみません……、あの……シュッパン……ですか……?」
「いいね! シャンパンでも開けちゃう!? パーン!」
「クリスマスには随分早いかと……」
真夏のサンタさんはオーストラリアのイメージが強いけれど、流石に梅雨時のサンタさんはあまりにも無残じゃないかなぁ。雪はまだしも雨の夜って辛そう。なんとなくイメージだけど。
「出版……」
もごもごと改めて自分の言葉を噛み砕いてみるけれど、現実味がない。
何なら先日のコンテストには文芸社も関わっていたらしく、確かに要項を読み返してみれば「優秀な作品は書籍化も検討される」ってあった。
けど私のが……っていうと全くもって実感がない。
そりゃあこれからだっていうんだからなくて当たり前なんだけど。月並みなところで何かの間違いじゃありませんか? って気もするけど、先生が言うには出版社の方は随分盛り上がっているらしい。というか、受賞した作品の中から一本は出すことになってるのが通例だし、どうしてもって言うなら断ることもできるけど。と先生は遠慮がちに説明してくれる。
売れれば印税も入るとかでそれは別にどうでもいいんだけど、
「へー……」
こんなことってあるんだなぁって他人事のように関心してしまう。
私の書いた文章が世間に……。
想像できないなぁ、できないけど。……。
少し、怖くなった。できないなりに想像してみたらクラスで居場所がますますなくなったような気がした。
全校集会で校長先生が話をしてる時もクラスの人たちのこそこそ話が辛かったし、書いた中身を読まれたりしたらますます距離を置かれるような気がしてゾワっと熱がひいていった。
私だったらドン引きしちゃうかもしれない。好奇心でこそ読んだりするかもしれないけど、そこに書かれる中身が理解できないような、ちょっとわかんないなぁってことだったらますます……。
「あの……先生……、名前変えたりとかはその……してもらえたりしないですか……?」
ここまで話が進んでるのに私のわがままで無しにしてしまうのは申し訳なくて、せめて私だと分からないようにしてもらえればって思った。
わざわざ校長先生も本をみんなに紹介したりはし無いだろうし、栗林先生は嫌だって言えば図書室で特集を組んだりもしないだろう。
あの感じだと校長先生の話をちゃんと聞いていた人もいないだろうし、作品のタイトルなんて覚えてる人はまずあり得ない。だったらせめて名前だけでも……。
そう思ったのだけど先生は「んゥー」って眉を寄せて首を傾げる。
「多分お願いすれば聞いてもらえるとは思うけどね、やっぱり恥ずかしい?」
「恥ずかしい……です……」
「まぁ、そんなものなのかも知れないわね。あ、別に悪い意味じゃなくてねっ? 私ってほら、読むの専門だから書く人の気持ちはわかんないって言うか、皆さんシャイだなーって」
「ですよね……?」
だって先生と私は180度違うから、理解されないのはわかってて。
そもそも本を読むのが好きな先生と、他にすることがないから本を読んでる私とでは全然違うって言うか伏見さんはどうなんだろ……。
さっきから黙って文庫本を読んでるけどやっぱり先生みたいに本好きで、私とは違って書くのも好きで……?
なんだか場違いだなぁって思って少しだけ自己嫌悪。
そんな私の本を出版したいっていうんだからますます意味がわからない。おかしなこともあるもんだ。
「今度出版社の人が学校に来ることになってるから、詳しい話はそこで聞いてみて? 悪い人じゃないからちょっと強面だけど話してみたら案外気があうかもね」
「……はぁ……?」
そう言いながら開きっぱなしになっていたクラッカーの中身を手繰り寄せて先生は図書室へと戻っていってしまった。
一応学校あてに届いたっていう出版社からのお知らせを手に取ってみるけれど、良く分からない。
嬉しいのかって聞かれたら嬉しいんだろうけど、別に作家さんになりたくて書いたわけじゃないし私は別に文芸部にいられればそれでよかったっていうか、伏見さんと話すキッカケになったらって……。
「……ナニ」
「んーと……おかしなことになったなぁって」
「まぁ、おめでと」
「ん、んゥん。ありがと……」
一応部長として私はこの部屋に居場所があって、伏見さんもそれなりに話しかけてくれたりはするけれど、私があれを書いたからといって距離が縮まるわけでも、彼女の気持ちがわかるようになったわけでもなかった。
相変わらず伏見さんが躍起になって原稿用紙にお話を書いてる意味はわかんないし、私も私で本を読むのは面白いからじゃなくてここにいていい理由になるからで。それはやっぱり裏切りっていうか、不純な気持ちだと思うし……。
「変なの」
「へ……?」
「なかなかあることじゃないと思うケド。こんなの。……素直に喜べばいいじゃん」
「だ……だよねぇ……?」
なんだか怒ってる……ような気がする。
そりゃ伏見さんからしてみたら立派なことなのかも知れないけど偶然拾った宝くじが当選してましたーみたいな、そういう棚からぼたもち。蹴った石が世界平和のキッカケに? なんか違うな……。
兎にも角にもやはり私にとっては受賞と一緒で出版されると言われてもどうでも良い。
そういうものに応募したのだから今更「やっぱり嫌です」だなんて言えるはずもなく、とりあえずはなるようになってくれればいいかな、とか思ったり。
それよりも伏見さんのことの方が気になるというか、気に障ったんなら謝らないといけないけど、それすらも私にはわからなくて、なんていうかごめんなさいって言うしかないんだけど、ナニに対してよって言われたらそれも答えられなくて。
「伏見さんはやっぱり作家さん目指してたりするの……?」
一か八かというよりも、この居心地の悪いのがどうにかなって欲しくて会話を求めた。
ページをめくっていた手が止まる。
しばらく何か考えてたらしくてその大きな目が私を見つめたのはしばらくの沈黙の後だった。
どきっとするほど綺麗な顔立ちが綺麗な笑顔を浮かべる。
こういうのがつくり笑いって言うんだろうなっていう。そういう笑顔。
「才能ないからなぁ、私」
心臓をギュって握り締められたみたいに一瞬息ができなくて、なんか良い返さなきゃって、そんなことないよって言ってあげなきゃって思うんだけどそれもできなくて。
静かに文庫本を閉じた伏見さんはそれをカバンにしまい、
「何か買って来る」
そういって部室から出ていってしまう。
お財布も何も持っていなかったことに気がついて慌てて追いかけようとしたけど、もしかしてこれって拒絶されてるんだろうかって思うと足がすくんで。これ以上余計なことをして嫌われたくないなって、弱い自分が浮き彫りになる。
伏見さんの何かを知ってるわけじゃない。
伏見さんの何処が好きかって聞かれても困る。
ずるいなぁ、とは思う。一方的に依存している。教室に居場所がないから部室に求めた。
来るなって言われないのを良いことに本好きでもないのに文芸部で、伏見さんにとっても、栗林先生にとっても私は除け者で、同じ話題で盛り上がれるような仲間ってわけでもない。ましてや友達でもーー……。
ないんだよねぇ……。
こうして放課後や昼休みに一緒にいるからといって連絡先も知らなければテレビの話題で盛り上がったりもしない。私はテレビ見ないし音楽とかも詳しくないからそう言う話題を振られても困るんだけど、いつも帰るとき、伏見さんはイヤホンを耳にさしてるからきっと音楽とかよく聞くんだろーなーとは思ってて。
けど、私は読書同樣に興味もなくて。
難しいなって思う。
どうやったら友達って作れるんだろう、なれるんだろうって。
そんなの分かってたらこんなことになってないんだけど。
相変わらず人と話すのが苦手だ。学校では栗林先生と、伏見さんぐらいしか話す相手がいない。教室では、口を開かない。……ひらけない。誰にも話しかけられないからいいけど、実際話しかけられても、困る。うまく話せる自信なんてやっぱりないから。
「…………」
このまま帰っちゃおうかなとも思う。
放課後、部室に来る意味も実際のところないんだし。私がここにいても伏見さんの邪魔になるようなことはあっても、力になれることは多分ない。
もう足を運ばないでおこう、と思えるほどの強さがあれば違ったんだろうけど、残念ながら私は独りに戻りたくないだけだ。
いまもまだ、独りであることには変わらないのに。
「んぁれ。帰んの? さっき来たとこなのに?」
と、私がカバンを手に持ったあたりで伏見さんが戻って来た。
ああ、親に報告したいとかそんな感じか。確かにおめでたいもんねーなんて言いながら自分の席に着くと「とりあえず、はい。おめでと」缶のミルクティーを差し出して来る。
「私に……?」
「紅茶苦手ならカフェオレもあるけど、できればこっちは私が飲みたい」
「ううんっ……? 紅茶のが好きだけど……」
ありがと、とぎこちなく受け取りながらも意味がわからなくて戸惑った。
こんな風に奢ってもらったのは初めてだし、どうして伏見さんがそんな風に気を遣ってくれるのかも謎だ。
「……なにさ。帰んじゃないの?」
「せっかくだし飲んでからにしようかな……」
「……あ、そ」
文庫本の続きを読むのではなく、カバンから取り出した既に書かれている原稿用紙と新しいものを机に広げ、伏見さんはシャーペン片手に綴り始める。
そういえば部室にいるときはイヤホンつけてないなって広げられた私物の中で転がっていたそれを見て思う。
ミルクティーは購買に設置されてる自販機で売ってる奴だった。買ったことないけど存在だけは知ってる。大手お茶メーカーのやつ。開けて慎重に口をつけてみると思ったより熱くはなくて、そのことがちょっとだけ違和感で。
いつものように執筆を続ける伏見さんはいつもより私の方を見ないようにしているような気がした。
少しだけ、鬱陶しくなり始めた日差しがいつものように部室に差し込み、夕日となっていく中、私はその一本の缶を少しずつ、時間をかけて飲み干し。ここにいられる理由を少しだけ、補強した。
伏見さんが物語を書かなくなったのはその一ヶ月後のことだった。
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