第6話 凡才

 帰宅し、ベットに体を投げ出すと一気に疲れが押し寄せて来た。

 明日の予習をする気すら起きない。天井を見上げ、ぼんやりと帰り際に首を傾げた栗林先生の顔が思い浮かぶ。


 なんとなく、伏見さんと私の間に何かがあったのは察しているようだったけど尋ねられる前に逃げ帰って来た。説明する気にもなれなかったし。

 真面目に部活動してるんだなーと、心底尊敬する。そしてあそこに私は顔を出すべきではないということも。

 昼休みに伏見さんが小説を書いていた事は一度もない。恐らくは私に気を使っての事なのだろう。

 気を遣わせてしまっていた。その事実に気がついていなかった自分がなんとも情けない。

 結局は一方的に依存していただけなのだ。私が。


「どうしたら許してもらえるかな……」


 それとももう顔を出さないほうが良いだろうか。だなんて考えるのは悪い癖かもしれない。伏見さんはそこまで気にしてないかもしれないってのは流石に勝手すぎるかな。

 ゴロゴロとクッションを抱きかかえながら悶々していると机の上に放り出したままのプリントが目に入った。

 例の文芸コンテストのものだ。


 伏見さん。本気だったな……。


 付箋だらけの原稿用紙。とてもじゃないけど真似出来やしない。

 読書感想文だって適当に書いてしまう私だ。あんな風に何度も推敲作業をして、書き直し続けるだなんてやりたくない。

 すごいなーって馬鹿みたいに繰り返しながら、なら私はどうしたら良いんだろうってぶつぶつ繰り返す。


 ていうか、……どうしたいんだろ。


 伏見さんと友達になりたいのかな……?


 そう考えてみてそうなんだろうなって気もするし、そうじゃない気もする。

 友達……友達かぁー……。


 昔はもっと自然に誰かと付き合えたよねって思う。なのに今ではもう身構えてしまっている。

 一度、孤独を味わえばこそ、その恐怖は身に染み込んでいる。なんて。

 馬鹿みたいで、


「……やだな」


 せっかく、楽しかったのに。


 これはすごく自分勝手で、伏見さんからしてみれば良い迷惑なだけなのだけど。


「文芸部、続けたいな」


 あの部室で過ごす時間は、心地よかった。

 なら、やるべきことは決まっていて。

 むくりと体を起こすと机に向き合い。パソコンを使おうか悩んだけれど、伏見さんに倣って手書きで進めることにした。生憎原稿用紙のストックなんて用意してないからルーズリーフを一枚取り出して。その上に。

 さらさらと、応募するしないは別にして。私も、文芸部の活動をしてみようと。


 お話を書き始めた。


 少しでも、彼女に近づきたくて。

 今、自分の中にある感情を書き出してみたら、それだけで一本、なんとなく短編ぐらいなら書けるような気がした。

 入学してからずっと、私は本を読み続けている。

 中学の頃から数えればそれなりの冊数だ。

 自分で書いてみようという気はこれまで一切起きなかったわけだけど、今なら、なんとなく、……伏見さんの原稿を見て、あの私に向けられた軽蔑にも似た瞳を思い返すと、私も、書かなきゃいけないような気がしてきたのだ。


 伏見さんと対等になるために。

 これまでのように、あの空間で、同じ空気を吸うためには、こうすることでしか許されないような気がした。


 それで何かが変わるわけでも、許して貰えるわけでもないのかもしれないけど、私はただ、ペンを握り、ルーズリーフの上にペンを走らせる。


 ――夜は、知らぬうちに更けていった。



 翌日、徹夜明けの朝日は目に染みて、なんだか起きているのに眠っているような、曖昧な足取りのまま私が学校へと向かっていた。

 欠伸を繰り返し、周囲の目も気にすることなく、ただ、頭の中にあるのは伏見さんにどう接すればいいのかの不安だけ。


 自分の机にたどり着くとそのまま突っ伏して半分寝入ってしまった。


 一晩中。キリのいいところまで書こうと思って綴り始めた物語は思ったよりも長々と書き続けてしまった。すでに短編は越え、中編と読んでもいいぐらいだ。もし本当にこれをコンテストに出すのだとすれば、後で応募用の原稿用紙に書き写さなきゃいけないわけで、それはそれで面倒だなぁって気持ちが込み上げてくる。そもそも、応募はネットだったはずだから、原稿用紙じゃなくてパソコンでの作業になるのだけれど……。


 どうにも寝不足の頭はうまく回ってくれない。

 ぽやぽやとあっちこっちに考えが飛んでいっては形をなさない。


 第一、自分の妄想を書き綴った文章がカバンの中に入っていて、かなり気恥ずかしい。

 勝手に伏見さんのそれを読んでしまったことへの後ろめたさが増した。

 そして、後でそれを伏見さんに見せようとしている事を思うと心臓が張り裂けそうだった。

 ドキドキと、今から緊張してしまう。


 ――バカだなぁ……。


 なんていうか、すごい見当違いなことをしている自覚がある。本当ならこんな方法じゃなくて、ちゃんと謝って、頭を下げて、再発防止策というか、「もう勝手に読みません」的な誓約書を用意するとか、そういう方向性に走るべきだったとは思うのだけど、……これが私なりのケジメで、誠意の見せ方だと思った。

 そうでもしないと、伏見さんはもう、私を許してくれない気がした。


 普段よりも気だるく、何度かひどい眠気に襲われながらも予習のしてこなかった授業はついていくだけで大変で。進学校の予習前提の授業って学校としてはどうなんだろうって思ったり思わなかったりもしながらなんとか午前中を終えた。


 そして昼休み。チャイムが鳴ると同時に自分でも驚くほどの速さで私は席を立っていた。お弁当とクリアファイルに挟み込んだルーズリーフを持って。足早に、部室へと向かう。


 やっぱり緊張していた。

 ドキドキしていた。頬が熱い、胸が、苦しい。


 嬉しいような、恥ずかしいような。

 これから謝罪しようっていうのに、まるでプレゼントでも運んでいるような気分だった。


 いつもの半分ぐらいの時間で部室へと辿り着き、少し上がった息を落ち着かせようと深呼吸してから扉を開けようとする。けれどグイっと力を入れた指先はそれ以上動くことはなくて。ガタンと音を立てて扉は揺れる。

 どうやら鍵が閉まっているらしい。伏見さんよりも先についてしまうことなんてなかったからどうしたものかと思っていると図書室とは反対側から栗林先生が歩いてきた。

 一足先に食事を済ませ、お手洗いに出ていたらしい。


「珍しいじゃない。やる気まんまんって感じかしら?」


 驚きながらも含みを持たせ、私の持っている原稿が目に止まるとにっこりと笑って見せた。


「その様子だと私にっていうよりも伏見さん?」

「ええ、まぁ……」


 私の返答を聞いて栗林先生は「ふぅーん?」とニヤニヤ笑う。


「てっきり今年も俳句でお茶を濁されるものだと思ったのだけど」

「その……、……この前、勝手に伏見さんのを読んでしまって……、それで、これでおあいこと言いますか、許してもらえたらなーなんて思ったんですけど……。……だめ、でしょうか……?」


 自分で言っていておかしな話だとやはり思う。

 そもそも先生に聞いてどうする。相手は先生ではなく伏見さんだ。


「ちゃんと謝ったのよね?」

「……はい」

「なら、見せてみたらいいんじゃないかしら?」

「え、でも……、なんか、やっぱ違う気がして来てて……」


 苦笑しつつ、同意を求めてみるけれどそこはやはりというか栗林先生だった。


「いーえ? 当たって砕けろ! 痛みも苦味も青春の隠し味ってね。それに、せっかく書いたのなら勿体無いわ? 伏見さんが読まないって言ったら、私が読んであげるから、ほらほらっ」

「えっ、あ、で、でもぉっ……!」


 笑顔で私の肩をくるりと回して図書室へと押し、声を弾ませて言う。


「いーからいーっからっ」


 大の活字好き。


 天職とも言える司書についた人だもんなぁとこの人に見つかったのが一巻の終

わりだったと諦める他ないのだろう――。


 そして何よりも、そうして背中を押して助かったと言う気持ちさえもある。


 鍵が閉まっていて、仮に向こう側からやってきたのが先生ではなく伏見さんだったとしたら――。きっと私は、曖昧に誤魔化して教室に戻っていただろうから。

 先生に、見つかってよかったのだ。


 ドキドキと、多少は治まりつつある胸を押さえつつカウンターから部室に入ると「あ、でも、先生はもうちょっとやることあるから、先に待っててねっ?」と栗林先生は図書室へと戻っていってしまう。


 部室に、私一人が残された。

 先ほどまでの騒がしさが嘘のように静かになる。

 ドキドキと、今になって心臓の音を再び認識してしまう――。


「さ、先にお弁と……」


 先にお弁当を食べていようかとも思ったけれど、何だかそれは違うような気がして手もつけられず、刻々と時計の針が音を立てて進む中、自分が書いてきた原稿に目を落として彼女の到着を待つことにした。


 今更逃げたところでどうにもならない。これを見せたところできっと伏見さんは何とも思ってくれないだろうし、そもそも私が原稿を読んだことに関しても特に怒っている節もなかった。

 だからなんて言うか、これは私の中でのケジメっていうか、儀式みたいなもので……。やっぱり、この部室にいてもいいっていう言い訳にしかならないんだろうけど。みっともなく、すがりつこうとしている。


「あ……、」


 ガチャガチャ、と鍵を差し込む音に気がついて顔を上げ。そういえば内側から鍵を開けておけばよかったんだと腰を浮かせた所で扉が開いてしまった。

 中腰の状態で伏見さんと目があう。


「え」


 まさか私が中にいると思っていなかったのか伏見さんは呆気にとられたように口を開けていて、それが何だかおかしくって少しだけ気持ちがほぐされた。


「えっと……こんにちは」

「あ、うん。こんちは」


 できるだけいつも通りに挨拶して、椅子を勧めると怪訝そうな顔をしながらも伏見さんは腰掛け、私を伺う。

 何か言ったほうがいいんだろうけど言葉は出てこなくて、ただ黙って書いてきたルーズリーフの束を差し出すに至った。

 もはや煮るなり焼くなり好きにしろと言ったていだ。


「え、なに……」

「か、書いてみた……」


 ルーズリーフの束と私を交互に見る伏見さん。

 不思議そうに首を傾げ、鋭い視線が私を貫く。


「許してもらえると思わないけど……、これでおあいこかなって……」


 それでようやく察してはくれたらしい。


「ぁあ……、そういう……」

「そういう……です」


 怖ず怖ずと私からそれを受け取ると困惑気味にこちらを見つめる。


「読んで、いいの?」

「うん」


 そんな偉そうに言えたものでもないけど。と付け加えて俯く。俯きつつもやっぱり気になってチラチラと伏見さんの様子を盗み見しようとしてしまい「いや、なんていうか読みづらいんだけど」――嫌な顔をされてしまった。


「だっ、だよね! う、うん……! 離れとく……!」


 乱暴にお弁当箱開け、黙々と食べ始めてみたはいいものの視線から外していても紙をめくる音がやけに耳に付く。

 どう思われているのかが怖い。冷静に考えてみてもやっぱり馬鹿みたいだと自分でも思った。そして何よりも、「自分の書いた物語を他人が読んでいる」というのはどうにも落ち着かなかった。心の内を堂々と読み解かれているようで恥ずかしいというか、ムズムズする。


 ペラリ、と一枚めくられるたびにホッとし、「ん……」と何かが詰まったように息が溢れるたびに何かおかしなところでもあったのだろうかとドキドキする。


 心臓に悪いなぁ、と思う。

 そりゃぁ、勝手に読まれていたらいい気がしないよね。とも。


「どう……かな」


 沈黙に耐えかねて尋ねてみると伏見さんはいつもの仏頂面で口を尖らせながら「やるじゃん、部長」と呟くのだった。

 それがどういう意味なのかはさておき何だか許してもらえたような気がして、かぁっと胸の内から恥ずかしいやらうれしいやらが込み上げてきて、


「いや、あえっ……昨日の夜適当に書いただけっていうか……そんなすごいものでもないっていうかっ……」


 ごにょごにょと言葉を重ねては舌がもつれてしまった。

 伏見さんは私のそれにため息で返えし、「とりあえずお昼にしてもいいかな?」と自分のお弁当を持ち出す。


「あっ、うん! もちろん!! ごめんねっ……変なことして……」

「別に」


 普段の伏見さんだ。


 そう思った。


 気だるげで、私のことなんてどうでも良さそうにして。

 でも、チラチラとこちらを気にしているような素振りもあって。


 ――よかった。一時はどうなることかと思ったけど。 


「ごめんね……その……勝手に読んで」


 ほっとしたからか自然と溢れていた。

 伏見さんはやっぱりどうでも良さそうに明後日の方向に首を傾げながら「気にしてないからいい」と呟くのであった。

 午後の日差しが徐々に部室に差し込む。

 少しずつ、体温が上がるようで気持ちよくて。


「えへへ」


 柄にもなく、笑ってしまう。

 きっと、これでおあいこ。許してもらえる――。

 そんなふうにお気楽な私は考えていて、……信じていて。


「…………」


 やっぱりというか、当然の如く彼女のことなど分かってはいなかったのだと思う。


「なるほど、ね」


 原稿を読み終えた伏見さんはルーズリーフを綺麗にまとめ、私に差し出し、返す。

 どんな感想が返ってくるかな、とか。笑われるかもなーとか、そんなバカな私は考えていて。


「コンテスト、出してみたらいいんじゃない?」

「……へ?」


 ぞっとするぐらい、冷たく言い放たれた言葉に、心臓が跳ねた。


「だからコンテスト、出してみたら? いいと思うよ?」

「え、でも……」

「ちゃんと書けてるから。すごいじゃん」

「ぁ……、うん……?」


 伏見さんの態度は、思っていたものとは全く違った。

 その態度自体はそう悪いものではないんだろうし、感想も、“悪くない”って言ってくれているのだから、喜ぶべきなんだろうけど、……なんだか胸の奥の方でぐるぐると、嫌な感覚が渦巻いていた。


「頑張って最後まで書きなよ」

「わ、分かった……」


 ルーズリーフを受け取って、頷いて。最後まで、書き上げる事を約束する。


 そうして私は、伏見さんのことを本当に何も見えていなかったんだなぁと、あとで気付かされることになった。


 この時、気付いていたからといって、何かを変えられた自信もないのだけれど。

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