間の話②
【彼】を抱きしめたとき、【彼】の感情が、自分の中に流れ込んできたような気がした。実際に何を言っていたのかはわからないけれど、その荒ぶる感情を抱えたあの【黒い淀み】は、自分もここにいるんだぞ、と怒っているように感じた。
だからきっと、あれは喋られないけれど、意思を持っているのだと思った。弱々しいその意思を、【彼】は新太に乗り移ることにより発散していたのかもしれない。
といっても、これはつららなりの考えて、確かなことは何もわかっていない。
化野九十九曰く、この世界には妖怪がいる。その妖怪たちは「裏側の世界」に追いやられている。
正直つららには、妖怪と言われてもどういうものがいまいちピンときていなかった。一緒に暮らしているトウジはトウジだし、あの【犬神】も、同じ生き物のようにしか感じない。
だから、ほんの少し、九十九に怒られない程度でいいから、「妖怪」のことを知りたいと思いはじめていた。
(そういえば、最近九十九くんとまともに話せてないなぁ。また裏側の世界に行きたいんだけど)
そんなことを、廊下を歩きながらぼんやりと考えていたからだろう。
つららは前からくる人物に気づかずに、ぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
「……別に。……て、あんた」
体当たりを食らわせてしまった相手は、つららの顔を見ると、目を吊り上げた。
怒っているのかもしれない。ぶつかったのはこちらの不注意なのだから。そう思いもう一度謝ろうとすると、その前にその女子生徒が問いかけてきた。
「あんた、化野九十九と付き合ってるって、ほんと?」
「付き合ってる?」
耳慣れない言葉だ。いままで異性と付き合った経験のないつららにとって、いまいちピンとこないので首をかしげていると、その女子生徒は、「ふーん」と鼻を鳴らした。つららの全身を、上から下まで眺めてくる。
彼女はもう一度「ふーん」というと、再びつららと目を合わせた。
「言うのもなんだけどさ、あんた、あいつと付き合わないほうがいいよ」
「つ、付き合ってないよ」
「そう。それならなおさら。これ以上あいつと関わるの、やめたほうがいい」
「え?」
「あいつはあんな見た目していて、イケメンで、頭もいいけど、性格は最悪だから。碌な奴じゃない」
「どうして、そんなこと言うの?」
確かに化野九十九には不思議なところがある。不気味だと、思うところもある。
けれど、先日彼は新田新太を助けるために行動してくれた。それもやさしさなのだと、つららは思った。
「どうしてって」
女子生徒――髪を茶色に染めて、校則ギリギリのメイクをしている女子生徒は、言いにくそうに囁いた。
「あたし、あいつと同じ中学だったの。それであたし、あいつのせいで裏側の世界に……」
「つららー。どうしたー?」
女子生徒の言葉を遮るような間延びした声。親友の美浜愛海の声だ。
彼女はつららに近づいてくると、はじめて気づいたとでもいうように、女子生徒に目を向ける。
「誰?」
「九十九くんの、知り合いみたい」
「あいつと知り合いなんてまっぴらごめんよ。ただ、中学のときいっしょのクラスだったってだけで」
女子生徒は口を尖らせる。
「ということは、ファンではないと?」
愛海の問いかけに、女子生徒は首を縦にぶんぶんと振った。
「当り前じゃない。あんな上辺だけいい男、好きになるなんてどうかしてるのよ。じゃあね、瀬田さん」
愛海がきたからか、それともこれ以上つららに何をいっても無駄だと悟ったのか、女子生徒は踵を返すと元来た道を戻っていった。その背中を見て、つららは名前を聞き忘れていたことを思い出す。一度駆け寄って訊ねてみるべきか迷ったが、また今度会った時でもいいかと考え直した。
「なんなんだろうね」
「九十九くんのこと、よく知っているみたいだったねー」
「ま、なんにしても、とうとう化野ファンにつららがちょっかいかけられているのかと思ったよ。あんた、自分が噂されているの知らないでしょ」
「噂って、なあに?」
「二股してるって」
「ええ! 二股!」
「そう。化野九十九と付き合っているくせに、新田新太と危ない関係にあるとか」
「九十九くんと付き合ってないし、あっちゃんとはただの幼馴染だよ!? それに危ない関係ってなに!?」
「……ま、あんたがそんなんじゃないってこと、あたしは知ってるけどさ。ところでつらら。そろそろ昼休み終わるから、ちゃっちゃとご飯食べるよ。あんた、待っていてもいつまでたっても戻ってこないからさ、あたしの腹の虫が教室中に鳴り響くところだったじゃん」
「う、ご、ごめん愛海ちゃん」
「早く行くよー」
「うん!」
先だって歩き出した愛海の背中を追い、つららは教室に向かって歩き出した。
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