桜の季節(4)

 桜とは、何とも不思議な植物だ。


 桜自身は毎年春になれば淡い色の花を咲かせ、そして散らせるということしかしていない。それが自らの花粉を運ぶ手助けになって、結果種の存続につながるからやっているのだろうが、その花びらを見た人間の側はというと、その桜の花びら一つにそれはそれは、いろんな思いを乗せる。出会いと別れという、全く対照的な概念さえ、同時にその花びらの散る様に乗せることもある。


「この桜を来年の今頃は、梢葉で見るってことか……」


 北峯中学校に転校して二日目で、私は早くも蒼ちゃんや四宮くんと幼馴染だという、安土さんと約束をした。それは二人で頑張って――正確には私が完全に安土さんに頼りきる形となってしまうのだが――梢葉高校に合格しよう、というものだった。

 私の今の成績で、そんなレベルの高いところにいけるのか。もし今のままの成績でいけば、答えはノーだ。だがふっきーとの約束は簡単に破ってはいけないような、そんな気がした。破った先に憂うつげな目をする、ふっきーの姿が見えている、そう思ってしまう。


「今はとても実現しそうにないかもしれないけど、やる。できそうかできなさそうなのか、今の時点では不透明だけど、とにかくやるのよ。それくらいの覚悟は、あんたにもあるんでしょ」


 見かけによらず熱血系な安土さんと一緒に、私は勉強していった。同じ塾に通って、一生懸命勉強した。分からないところは先生の力も、安土さんの力でも何でも借りた。そうするとすぐではなかったが、だんだんと、自分の分からなかったところが分かっていくようになった。もしかしてふっきーが一緒に梢葉に行こうと言った時点で、私がこうなることを分かっていたんじゃないか、ともたびたび思った。


「だいぶいい感じになってきたんじゃない?」


 夏休みも終わると、ようやく梢葉を目指します、と言っても恥ずかしくない、絶対無理だからやめとけと言われないぐらいの成績になった。数学の問題を教えてもらっている時なんかも


「今の時点でこれ分からないのはちょっと厳しいんじゃないの」


 と、それはもう厳しい言葉をたくさん浴びせられたが、分からないものをそのままにしてきた私が悪いんだ、とアドバイスとしてきちんと受けることにしていた。明らかに罵詈雑言と思えるものを安土さんは言ってこなかったので、メンタルも破壊し尽くされずに済んだ。

 教科によっては安土さんと勝負ができるくらいの成績になって、勉強をしていて楽しかった時期だった。勉強が嫌いなわけじゃないけどどうもうまく成績が上がらないまま中学生活を送ってきた私にとって、それは大きな進歩だった。


「さ。……ようやく来たわね」


 そして大きな進歩があった、と感じながら受験勉強を終えられたのは大きく、気付けば受験当日になっていた。この冬一番の寒波襲来、と天気予報でしつこいぐらい繰り返されていた中、私と安土さんは重装備をして試験会場――梢葉高校に赴いた。私の家からは少し遠いが、全く通えなくもない、という位置だ。

 ここに来て少し不安になってしゃべらなくなってしまった私を気遣ってくれたのか、安土さんは積極的に話しかけてくれた。


「大丈夫よ、受験番号もすぐ近くだし。たぶん同じ教室なのは確実なんじゃない?」


 知っている人が同じ試験会場にいると安心できる、というのはもはや通説と言えるだろう。そうなることを願って、私と安土さんは一緒に願書をポストに入れた。何かの手違いがなければ、受験番号は近くなるはずだった。そして実際、私と安土さんは同じ列に並ばされた。


「あとはあたしの力じゃどうにもならないから。自分の力で、頑張りなさいよ」

「結もね」


 いつしか私と安土さん――結は、そう呼び合う仲になっていた。最後の最後まで結を頼っていても仕方ないと、私は結に目線で合図を送って、試験監督になるだろう人の話を聞くべく前を向いた。



* * *



「ま、いけたんじゃない? あたしにかかれば大したことなかった、って話ね」


 それから一週間。高校入試は受験者の割に合格発表までが早くて、わずか一週間で合格者平均点まで出してしまうらしい。例のごとく私は結と一緒に、再び梢葉高校にやってきた。そして結は合格発表を見る前から、とんでもない自信を見せていた。


「よくそんな自信持てるね……」


 そして私はすっかり参ってしまっていた。もうこの際受かっていても落ちていてもいいから、早くこの時間が終わってほしい、とさえ思っていた。


「とか言いつつ、舞もそんな落ち込んでなかったじゃん、あの時。……そうだ、蕗塔っての、探せばいいんじゃない。気休めにはなるでしょ」


 結にそう言われ、確かにふっきーも来ているはずだと思い、その姿を探した。しかし白い髪だから目立つはずが、私には全く見えなかった。ふっきーの一目で分かる特徴は結にも教えていたので探してもらったが、やっぱり見つからなかった。


「ま、そんな学年一位の常連が三年生になった途端、成績急降下するとは思えないし。どこかにはいるんじゃない?」


 結がそう言ったので、私もあまりしつこく探すのはやめよう、と思いきょろきょろするのをやめ、私たちは番号が張り出される会場に向かった。


「……あ。ちょうど発表の時間にバッティングしたね」


 結の指差した方向を見ると、まさに掲示板を覆う幕がはがされ、合格者の受験番号が明らかになろうとしている瞬間だった。言うなり結が走っていってしまったので、私も慌ててその後を追いかけた。


「はいあったー。舞は?」


 結は先に番号を見つけてしまって、私に聞いておきながらお母さんと一緒に入学手続きの列に並びに行ってしまった。私は改めてすっ、と深呼吸して、自分の番号を探した。


「……あった」


 本来ならもっとドキドキするはずのその時間は、案外あっさりと終わった。


「すごいよ。私が、こんなところに来れるなんて……」


 実感がわくのが半分、わかないのが半分という気持ちで、その日は終わってしまった。私は梢葉に受かったんだ、春から第一志望校の高校生なんだ、と数日間自分に言い聞かせる必要があった。



* * *



「舞も成長したな。香ヶ丘にいた頃は自分で起きることとかまずなかったのに」

「うるさいなあ」


 受験勉強の時に生活習慣も見直すべき、と結に指摘され、徹底的な監査が入った。当時はそんなことまでしなくても、とさすがに結に苦言を呈していたのだが、今ではそんなことまでしてくれた結に感謝しかない。おかげで朝すっきり起きられるようになった。兄の圭にも最近、褒められるようになったほどである。


「別にいいじゃない、入学式なんて始まんの遅いでしょ?」


 あまりに早く起きて結を迎えに行ったせいで、結自身にそんなことを言われてしまった。


「どうも落ち着かなくてさ。無理そうなら先に行くけど」


 私の口からそんな言葉が飛び出る日が来るとは。


「誰もそんなこと言ってないでしょ、行くわよ。お母さん、来るの後でいいから。舞と先に行く」


 何分か経ったのち、結が眠たそうな目をこすりながら玄関から出てきた。


「大丈夫?」

「……ったく、何であたしより舞の方が元気なのよ……」

「結が生活態度まで改善してくれなかったら、こうはなってなかった。ありがとう、高校生活もいい感じで送れそう」

「……それほどでも」

「結は素直じゃないなあ」


 結の家から梢葉高校まではそれなりの距離があったが、まだ入学式とあってか周りに見える景色すべてが新鮮で、私も結も電車の窓の外から風景を見たりいろいろ話したりしているうちに、時間は過ぎた。最寄り駅で降りて数分も歩けば、そこに高校がある。

 梢葉高校はごく普通の公立高校だが、私立の女学校が前身だったらしく、その時の名残で校門から校舎まで少し距離がある。その間にある道には桜の木が並んでおり、春のこの時期には新入生たちを祝福するように立っていた。そこから花びらが散り新入生たちの肩にはらりと落ちる様子は、さながらアニメか何かでも見ているようだった。


「……あれ!」


 そして校門に入るなり、私は少し前を歩く女の子たちの集団を指差して叫んだ。その輪の真ん中にいたのは、誰かと疑うまでもない、白い、長い髪をした女の子。一見癖っ毛にも見えるその髪の毛のハネ方は、一年経っても忘れることなどできなかった。


「……あれが、あんたがずっと言ってる蕗塔、って奴?」

「そうだよ! ふっきーだよ! おーい!」


 私は前の集団が気付くように叫び、走っていった。聞き慣れた声だと認識してくれたのか、向こうも振り返って、私にとびきりの笑顔を向けてくれた。


「舞ちゃん!!」


 私がその声でふっきーよりさらにとびきりの笑顔になったのは、言うまでもない。突然のことにびっくりして固まってしまった結をよそに、私はふっきーの胸に飛び込むべく走った。

 ふっ、と少し暖かい春の風が私たちを包んで、それから吹かれて木々を離れた桜の花びらが、私たちを囲むように踊った。

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