桜の季節(3)
「……こんな感じ、だったのかな」
まだまだ寒さはこれから、と言わざるを得ないほどの気温と風。マフラーあっても意味ないんじゃないか、と私は首に巻いたマフラーをそわそわと触りながら、学校への道を歩いていた。
こんな感じ、というのは、ちょうど一年前ふっきーが香ヶ丘に戻ってきた時、今私が感じているようなことをふっきーも感じていたのだろうか、という意味だ。いや、ふっきーより今の私の方が、きっとひどい気分だ。昔の話はともかく今のふっきーはああいう性格だし、案外それほど不安ではなかったのかもしれない。
ふっきーは言ってしまえば昔いた香ヶ丘に戻ってきただけだから、知っている人がいくらかはいただろう。事実私はその「知っている人」だったと見て、間違いない。だけど私はこれから、全く知らない人ばかりの、全く知らない中学校へ向かわなければならない。転校なんて経験したことのない私は、いったいこれからどうなってしまうのか、不安で仕方なかった。
「まさか出て来ていきなり水鉄砲はできないし……」
不安であるとはいえ、冷静にこれはダメ、みたいな判断はできた。というより、最初に思いつくことがそれなんて、私もずいぶんふっきーに毒されたものだ。
転校先の中学校、つまり北峯中学校の前に着いて、私は決心した。ここまで来れば、もうどうにでもなれ、と思ってしまった。
「寺阪舞です。香ヶ丘から来ました。一年とちょっとですが、よろしくお願いします」
たったそれだけ言うのでさえ、声が震えてちゃんと言えた自信がなかった。ふっきーはどうやってこんな緊張感を乗り越えたんだろうか。私が編入されたクラスのみんなも、私をまじまじと見ていた。どんな人物なのか、とりあえずの様子見なのだろう。ふっきーの時は様子見する間もなくこいつ変なやつだ、と断定してしまったのだが。
「じゃあ寺阪さん、端っこですがそこに席を用意したので、どうぞ」
「分かりました」
担任はいかにも真面目そうな(別に杉下先生が不真面目だったとは言わないが)女の先生で、特に自己紹介について深くツッコまれることもなく終わった。学期初めというわけでもないので、私のためにたくさん時間を割くわけにもいかないのだろう。私は言われた通り、そそくさと指差された席に座った。それからの授業中も時々、私は他の子たちにチラチラと見られていた。その視線が気になって、とても授業どころではなかった。
「(でも仮に仲良くなったとしてもすぐに三年生になってクラス変わっちゃうし、どうしよう……)」
誰か仲良くなれそうな人を見つけたとして、その人と三年生でも同じクラスになれる保証なんてどこにもない。二月という何とも中途半端なタイミングで転校することになったのが運の尽き、ということか。
とりあえず二年生の終わりまで一人でも何とかなるだろう、と私はほとんど諦めていた。
「……あんたさっき、香ヶ丘から来たって言ってたわよね」
諦めの時間は、その日の放課後に早くも終わった。あまりにみんなの視線が怖かったのでそそくさと一人で帰ろうとしていた私を、一人の女の子が引き止めたのだ。
「そう、だけど」
明らかに「香ヶ丘」というワードを知ってそうな雰囲気だったので、せっかくだから、と思い話をしてみることにした。
「……神戸蒼、って知ってる?」
「蒼ちゃん……が、どうかしたの?」
「そう。知ってるんだ」
そう言うとその子は名前さえ言うことなく、さっさと先に帰ってしまった。
「……何だったんだろう」
ただ蒼ちゃんのことを聞いてきたということは、知り合いなんだろう。共通の話題がありそうなら話しかけない手はない、と私は思い、次に会ったらまた話しかけることに決めた。
そして、またもやこちらから話しかけるまでもなかった。次の日私が登校するとすでに、隣の席にその子が座っていた。どうやら元から、隣の席だったらしい。私は気付いていなかった。
「……あたし、
「……うん、よろしく」
さすがに積極的に話しかけてくれたところからして悪い人じゃないだろうと私は思い、笑顔で答えた。
「蒼はどうなの? 元気そうだった?」
「蒼ちゃん? うん、元気だよ。私が悩み事してても、的確なアドバイスをいつもくれて。すごく助かってた」
「まあ、蒼はそういう面倒見がいいっていうか、お節介なところ昔からあるからね」
「もしかして安土さんも、香ヶ丘に住んでたの?」
「いや、逆。あたしはもともとこっちの人で、蒼と竜が向こうに引っ越した、ってだけ」
「竜って……四宮くんもそうなの?」
「あんた竜とも仲いいの? 交友関係広いねー」
安土さんは終始ぶっきらぼうな話し方だったが、私に対しての敵意が全く見られなかった。そのことにすっかり安心してしまった私は、気付けば香ヶ丘であったことをいろいろ安土さんに話していた。香ヶ丘中学校の最後の登校日に、ふっきーが言った言葉の話もした。
「梢葉? ああ、あの梢葉ね。それがどうしたの」
「また梢葉で会えるよね、って。でも、別に香ヶ丘からエスカレーターで行けるわけじゃないよね」
「そんなわけないでしょ」
さすがに変な質問だったと私も思った。東京ならまだしも、この辺りに中高一貫校があるという話は聞いたことがなかった。
「……もしかしてあんた、梢葉を知らない?」
「……恥ずかしながら」
「いや、別にそういう訳じゃないのよ。ただ、一部の人にしか縁がないよね、ってだけで」
そう言うと安土さんはかばんの中から、パンフレットを一部取り出した。梢葉高校の学校案内らしかった。かわいらしい制服で笑顔で映っている女の子と、紺のブレザーを着て、きりっとした表情でその隣にいる男の子。ざっと目を通した限りでは、ごく普通の高校だった。
「梢葉って他の高校とはちょっと違って、対象になる学区がちょっと広いのよね。だからいろんなところから志望者が出る。必然的に、各学校でトップクラスの子ばかり受験することになる。あたしも今のところまだどうなるか分からないけど、とりあえず梢葉を目指してるってわけ。……そう言えば舞は、向こうでどれくらいの成績だったわけ」
私はあれ、なんかおかしいなという、違和感のようなものを覚えながら、自分の成績をざっくり言った。だいたい学年の真ん中ぐらい、と伝えた。すると聞き終わらないうちから、安土さんは深い、深いため息をついた。
「……絶対無理。そんなのでよく蕗塔? の返事受けたわね」
「いや、だって梢葉なんて名前、その時初めて知ったし」
「じゃあその時点でちょっとは調べなさいよ」
「はい……」
私は何だかめちゃくちゃ怒られていた。確かに自分で調べなかったのは悪い。
「……そうだ。また高校で会おうってことは、その蕗塔一人だけってわけ?」
「え? ……うーん、違うと思う。また『みんなで』会おう、って言ってたし」
「……なるほど。じゃあ蒼も竜も巻き込むつもり、なんじゃない?」
「そうなの?」
「梢葉にはスポーツ推薦枠ってのもあるのよ。たぶん蒼はそっちで来るかな。竜は昔から賢いとこあったし、普通科で入試受けそう。あたしも普通科目指してるし、その蕗塔ってのも普通科なんじゃない?」
「うん、ふっきーは転校してきてからずっと、学年一位だったし」
「そうなると先生からも受験勧められるでしょうね。で? あんたはどうすんの」
「……え?」
絶対無理、と否定された直後で、私はもう関係ない話かな、と七割方思ってしまっていた。突然私に向けて話が振られて、少し動揺した。
「いや、あんたも梢葉目指す気なんでしょ」
「で、でも、今の私の成績じゃ……」
「今のあんたの成績じゃ、って言ったのよ、あたしは。どういうことか分かる?」
「……」
「まだ受験まで丸一年ある。今から必死こいてやれば、何とかなる……かもしれない。絶対保証はできないけど。あたしもここまで事情知っちゃったら後には下がれないから、サポートはするし」
まさかそんなことまで言ってくれるとは。別に安土さんと私は知り合いでもなんでもない。まだ出会って三日も経っていないはずだと、私は自分に言い聞かせた。そして同時に、会って三日も経ってない人がそんなことを言ってくれるなんて、と頭の中でぐちゃぐちゃに、自分なりにメリットとデメリットを考えて、そして結論を出した。
「お願いします。私も、梢葉に行きたい」
デメリットなんて、あるはずがなかった。
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